訳者まえがき 1 まえがき ジョン・C・ボーグル 9 謝辞 21 序文 25 第1章 成長株への投資家にとっての障害 33 第2章 発生主義的損益計算書の読み方 45 第3章 相反する性格 67 第4章 5分間テスト 79 第5章 防衛的損益計算書 95 第6章 積極的損益計算書 109 第7章 利益力チャート 129 第8章 典型的な4つの企業 155 第9章 最良のチャートは階段状 171 第10章 すべての株式は流転する 179 第11章 利益力レシオ 193 第12章 経営者を評価する 205 第13章 グレアムの教室 221 第14章 今日から始めよう 237 あとがき 253 脚注 255
同様のことが成長株投資でも見受けられる。成長株、つまり毎期利益を増大させている(または、させるであろう)企業への投資を検討するとき、損益計算書やその他財務諸表の純損益、もしくは1株当たり純損益の数字を何の疑いもなく受け入れて投資を実行してはいないだろうか。確かに、財務諸表を手に取ると、まずその期の純損益または1株当たり純損益に目がいくかもしれない。投資を検討している先の企業が純利益および1株当たり純利益を挙げていれば、それだけで何となく安心してしまう。またその純利益および1株当たり純利益が毎年継続的に増大でもしていたら、何のためらいもなく勢い勇んで買い注文を出してしまうなんていうことはないだろうか。
また、財務諸表を一目見るや否や買いに走らないまでも、まずは利益をベースとした各種財務比率を求めてみようしたところで、その利益自体を疑うことはしないのではないだろうか。果たして、財務諸表に計上された利益を無批判に受け入れてしまってよいのだろうか。その利益の中身を調べることをしなければ、本書の題名どおり、利益を上げている企業に投資をしているのになぜ失敗してしまったのか、という結果になることであろう。
本書は、財務諸表上の利益が本当に安心してよい利益なのかどうかを容易に、そして目に見えるかたちで判別する術を紹介するものである。著者のヒューエット・ハイゼルマン・ジュニアは利益の質こそが重要なのであり、質の高い利益か否かを見極めることが成長株投資で成功するための第一歩であると説いている。
そして利益の質を見極める方法として、ベンジャミン・グレアムの『賢明なる投資家』からインスピレーションを得たという防衛的損益計算書と積極的損益計算書を導入し、企業が自立(自己金融)しているか、価値を創造しているかを利益力チャートと呼ばれるマトリックスに映していく。一見利益を上げている、または毎期利益を増大させていても、その実利益の質が悪い企業がことのほか多いのである。成長株投資家として成功するためは、そのような不健全な利益に惑わされてはいけない。本書が成長株投資家のポートフォリオに真に健康な成長株だけが組み込まれるようになる一助となれば幸いである。
2005年2月
藤原 玄
1998年から2000年にかけて発生した巨大な株式の市場のバブルが適正な価格に戻るのは、もはや時間の問題である。その理由は1841年発行のチャールズ・マッケイの古典『狂気とバブル――なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(パンローリング)の新版に少なくとも比喩的に記されているし、また実際にその数々の要因がすでに見受けられるのである。
よく耳にする「新時代」という考え方もたしかにその要因のひとつである。幸運にも、2000年問題や新世紀と時を同じくして、われわれは情報化時代へ突入したのであり、コンピューター技術の量子的な進歩、マイクロチップ価格の急落、ワールドワイドウエブが一体となって、国際社会が急激な変革の入り口にいることの具体的な証拠を提示している。
歴史的なバブルのスローガンは「今回にかぎっては違う」というものであった。投資家たちが強気相場のムードに熱狂するのに従って、株式市場はほとんど絶え間なく上昇した。1998年にはじまり2000年3月に天井を打つまで、「ニューエコノミー」銘柄がその多くを占める米店頭市場(ナスダック)総合指数は220%上昇し、退屈な「オールドエコノミー」銘柄が多いニューヨーク証券取引所総合指数ですら40%上昇したのである。
新黄金時代
新黄金時代がもうすぐやってくるという発想をただちに察知し、加担し、そして売り込んだのはウォール街の巨大な販売マシーンであった。たしかに既存の成長株の活発な売り込みとさらに活発な新規公開株の売り込み(しばしば「投資調査」を装った)に醸成され、新黄金時代はまさにすぐ手の届くところにあった。ただし、それは投資家にとっての黄金時代ではなかったのである。巨大なバブルから数十億、数百億ドルの利益を得たのはむしろ金融界の大物たち、投資銀行家、マネーマネジャー、インターネットのパイオニアや一般大衆が受け入れやすい新しい概念と企業をいち早く生み出した企業家たちであった。
また経営者たちにとっても黄金時代であった。企業の本源的価値を永続的に増大させるよりも一時的にでも株価を上昇させた経営者たちに報いるストックオプション、資本コストというハードルの欠如、ストックオプションの行使によって取得した株式を実際には保有する必要がないこと、ストックオプションを費用と認識せずにその本来の費用を覆い隠していることなどの経営者報酬制度にみられる多くの欠陥が、現在の経営者たちを誘惑し、古典的な資本主義のモデルをひっくり返そうとしているのである。株主資本主義という伝統的なシステムから経営者資本主義という新しいシステムへ変化したことで、資本主義が伝統的に依拠してきた倫理や道徳基準が徐々に破壊されているのである。企業の取締役たちが株主の利益を経営者のそれに優先させなかっただけでなく、米国産業界のオーナーたちも自分たちの雄牛が実際には角で突かれていることを知らずに、もしくはそのことを気にもせずに傍観していたのである。
株価を押し上げる力の支えとなったのが企業の不適切な利益報告である。市場参加者は、株価の上昇を説明するためにその原因よりも理由付けを探すようになったのである。「ニューエコノミー」には新しい会計原則が必要となると言われてきた。つまり、企業利益は単に「管理され得る」のみならず、四半期ごとに管理され得るのであり、見積もり(Pro Forma)利益のほうが一般に公正妥当と認められた会計原則に基づいて算出された利益よりも重要だというのである。しかし、この愚かな認識が未熟な個人投資家のみならずベテランの機関投資家の間にも広く見られたのは驚くべきことであった。
幸せな陰謀
なぜだれも何もせず、何も言わなかったのだろうか。その理由のひとつには、投資家がこのノリをこよなく愛していたことがある。「だれもが」お金持ちになろうとしていた。しかし、もっとよく考えるべきではなかったのだろうか。もちろん、そうである。巨大な強気相場が哀れな最期を迎える運命にあることは、最初から分かっていたのではないだろうか。これもまた、そのとおりである。実際、私はエンロンが崩壊する2年前に利益操作について警告を発していた。1999年10月20日、ニューヨーク証券アナリスト協会での「ファンドの沈黙」という演題の講演で、壇上に立ち、次のような話をしたとき、私は自分がまるで異国に迷い込んだかのような気がしたものである。
今日、私たちは操作された利益の世界に住んでいます。操作を行っているのは企業の経営者たちですが、彼らは少なくとも取締役や監査役の暗黙の了解のうちに、また長期的投資家の要求に応えるよりも、むしろ短期的な視野を持つ機関投資家、さらには投機家や裁定取引を行う投資家の熱狂的な支持のもと、そのような操作を行っているのです。好むと好まざるとにかかわらず、経営戦略や財務会計は同様に四半期ごとの「証券界」の利益予測を満たすことに焦点が当てられています。年間利益が堅調に成長すること、できればその成長率が12%を超えることが何よりも望まれ、年度前に企業がほのめかし、ささやき、あるいは概算で示した利益予測を満たすことができないなどという事態を何としてでも避けようとするのです。もしそれがすべて不可能な場合には、合併、巨額の一括償却またはプーリング法を通じて本当の業績を覆い隠すのです。一連の創造的な財務管理によって株価はつり上がり、企業経営者は裕福になり、そして機関投資家は望んだものを手に入れることができるのです。
しかし、もし株式市場が企業価値の決定者であり、企業の極めて正確な財務報告に基づき企業価値が決まり、企業価値の長期的展望に焦点が当てられるのであれば、市場はその任務を全うすると私は考えます。ところが、市場は正反対の方向を向いているようです。と言うのも、米国企業の会計原則が世界の羨望を集める一方で、わが国の金融環境には利益操作という考えが浸透してきているからです。証券アナリストが年間利益を予測するのを助け、そして四半期ごとに「期待に応える」、またはいっそのこと「期待以上の」利益を報告することで、報告利益を円滑にすることが当然のように受け入れられているのです。事業収益や費用の増減を無視し、是が非でも「ネガティブサプライ」を回避するのは幻想でしかないのです。
巨額のリストラ費用、創造的な企業結合会計、出し入れ自由な引当金、必要以上に多い「重要性に乏しい」科目や早期の収益認識など、利益操作がゆきすぎているのです。かつてSEC(証券取引委員会)のアーサー・レビット会長は金融界のほぼ全員がこの傾向を強化する責任を(企業経営者と)共有していると述べました。あまのじゃくなとらえ方をすれば、これは幸せな陰謀です。しかし、企業が永遠に利益操作を続けることは不可能であり、また利益を操作することは企業が本質的に避けることのできない景気循環を偽ることになります。変動するはずの利益が安定し、増加し続けることが当然のことのように思われ始めていますが、やがて喜ばしくない最後の審判が下る日がやってくることを認識しなければなりません。
最後の審判の日が訪れる
それからほんの6カ月後、避けることのできない最後の審判の日が訪れた。2000年3月20日、巨大な強気相場が避けることのできない終わりを迎えたのである。エコノミストのハーブ・ステインの見事な表現を用いれば、株価の大幅な値上がりは持ちこたえられるものではないので、株価は下落したのである。結果は惨憺たるものであった。2000年3月の最高値から2000年10月(少なくとも今のところは)までに、米店頭市場(ナスダック)総合株価指数は75%暴落し、ニューヨーク証券取引所総合指数は33%下落したのである。この文章を書いている時点では双方とも最安値からは即座に回復してはいるが、それでも1997年後半のバブル発生以前の水準のままである。しかし、投資家、米国の資本主義そして米国社会が被った影響はひどいものであった。
事業の悪行が勝者に報いたのである。勝者とは、自社株を換金した企業経営者、株式公開を果たした起業家、大衆に新規公開株を売りつけた証券会社や大衆から1兆ドルもの資産を集めたミューチュアルファンドのマネジャーたちである。ニューエコノミー銘柄に特化した好戦的でリスクを伴うファンドのうち、500件ほどは市場が頂点に達したその熱狂に乗じることだけを目的に組織されたのものである。
そして事業の悪行は敗者を罰したのである。長期的投資家は自分たちの保有株式が適正な価格からバカげた価格まで上昇し、そして元の適正な水準に戻っていくのをながめていただけである。実際に被害を被ったのは、ずる賢い営業マン、自らの欲や無知、あるいは皮肉なことに、あまりに寛大なストックオプション制度のせいで株式を発行したことで起こる希薄化を避けようとして株式を買い戻した企業によって熱狂へと誘い込まれた一般投資家を含む短期的投資家である。最終的な収益は言ってみればまだだれの手にも届いていないが、これだけは断言できる。財務諸表のなかで実際に起きていることを知らない、さらにひどいことには気にもしなかった者から、そのことを知っている者へと大規模な富の移転があったということである。
そして、あまりに多くのミューチュアルファンドのマネジャーが前者に属することを指摘する必要がある。真剣さに欠ける投資分析のせいで株式市場ににわか景気がもたらされ、その結果、破綻を招いたことに対するミューチュアルファンド業界の責任は大きいのである。1968年に、コロンビア大学法科大学院のルイス・ローウェンスタイン教授は、ファンドマネジャーは束の間の株価を執拗に強調し、事業の持つ繊細さやニュアンスなどはその頭のなかにまったくなかったと述べているが、それ以降も事態は悪化しているのである。ミューチュアルファンドの年間利益率は1950年代で約15%、1960年代後半には40%まで上昇した。しかしそれは単なる始まりでしかなかった。昨年の平均的なファンドの平均利益率は110%であった。株式を保有する産業から株式を貸す産業への移行が最高点に達したのである。オスカー・ワイルドが「すべての物の値段を知っているが、その価値をまったく知らない人間」と述べた皮肉は、今日のミューチュアルファンドのマネジャーにそっくり当てはまるのである。
利益こそが重要である
株式市場が安定した基盤を取り戻すためには、ミューチュアルファンドやその他の機関投資家が現在の一時的な株価に基づく短期的な投機に専念するのをやめて、企業の本源的価値に基づく伝統的な長期的投資に回帰する必要がある。そして企業の価値とは将来のキャッシュフローの割引価値に基づくものであるので、企業利益は公正に、正確に、そして信頼できるように報告されなければならないのである。ヒューエット・ハイゼルマンによる素晴らしい著書が取り扱っているのはまさにこの点である。
「利益こそが重要である」とは適切なタイトルである。たしかに利益こそが重要なのである。この言葉が真実であることは、過去130年以上にわたる株式市場全体の収益率と企業の利益成長、それに配当利回りから求めた収益率とを比較した16ページの図を見れば容易に確かめることができる。短期的には株価がファンダメンタルズから大きく乖離することもあり得るが、長期的には利益と配当によって投資収益率が決まるのである。配当はたしかに実態がある。一方で利益は、一般に公正妥当と認められた会計原則(GAAP)による制限範囲があまりに広いため、経営者がそうあってほしいと望む形に姿を変え得るのである。経営者の予測に見合うように利益を操作できない場合には、用語を変えればよい。報告利益から営業利益へ焦点を移すことで、それまでに行ったバカげた資本支出や営業権の償却から投資家の目をそらすことができるのである。それでも効果がなければ、非経常的であることを理由に「悪い」経験はすべて除外し、非経常的であり未公表の「良い」収益をすべて取り込んだ見積もり(Pro Forma)利益を発表すればよい。市場の要求に応えるには営業利益や見積もり利益でも不十分なときには、不正な利益報告を行えばよい。要は「帳簿を改ざん」すればよいのである。エンロン事件以降も、多くの不正事件を見てきた。詐欺師どもには厳しい刑務所での懲役刑が言い渡されることを望むだけであるが、彼らは資本主義をも裏切ったのだということを忘れてはならない。
GAAPという規則が基盤をなす環境では、会計士、株主が推挙した取締役や限られた資源で奮闘している規制当局などの防衛側が、CEO(最高経営責任者)やその腹心であるCFO(最高財務責任者)から報酬を受け取っているずる賢い攻撃側に対応するのは不可能であることは明白である。決算数値やプレスリリースや企業そのものを支配している彼らには、思いどおりのことを報告する機会があるのである。そして現在のあまりに欠陥の多い経営者報酬制度が彼らに会計「原則」を極限まで拡大解釈する動機を与えているのである。こうして機会と動機が一致すれば、財務諸表でおかしなことが起きても驚くことではないのである。
簡単に言えば、われわれの会計原則はトラックが通り抜けられるほど大まかなものである。多くの思慮深い観察者たちが提案しているように、米国産業界が現在の規則を基盤としたシステムから、英国のように原則を基盤としたシステムに移行したとしても、最も体裁の良い結果を生み出すための策略を巡らせる余地は十分に残されるのである。改善策のひとつとして、企業に2つの利益を報告させるのは有効ではないだろうか。おそらく現在報告されているものに近いであろうが、ひとつは最も都合の良い解釈を用いたものを、もうひとつは最も都合の悪い解釈(例えば、税率が90%に上昇したらどの程度の利益しか上げられないのか)を用いたものを報告させるのである。
3回測って、1回切る
あり得ないことであろうが、例えこのアイデアが受け入れられる日が来たとしても、2つの代替する損益計算書を作るというヒューエット・ハイゼルマンの考え方は、このうえなく理にかなったものである。ひとつは、企業がどの程度外部資本に依存しているかを明らかにする防衛的損益計算書、もうひとつは、株主資本を含めたすべての資本から企業が上げている利益を明らかにする積極的損益計算書である(どちらも企業の年次報告書やSECに提出された10−Kや10−Qで一般に公表されている情報をもとに作成できる)。
著者は礼儀正しくもこうした考えは他人の功績であるとしている。しかし、この2つの考えを彼が提案する「利益力チャート」というひとつの方法に統合し、投資に必須の分析がそれほど膨大ではなければ積極的に引き受けようとしている真面目な投資家ならだれでも利用しやすい形にして2つの計算書を提示しているのである(『賢明なる投資家――割安株の見つけ方とバリュー投資を成功させる方法』[パンローリング]のなかでベンジャミン・グレアムはそのような投資家を「積極的」投資家と定義し、自分の資産の管理責任を他者に委託する投資家を「防衛的」投資家と定義している。ハイゼルマンの用語法ではそれらの言葉は異なる文脈のなかで用いられてはいるが、銘柄選択に対するグレアムのバリュー主導のアプローチを彷彿させるものである)。
果たして本当に損益計算書が3つも必要なのだろうか。あってはいけない理由はないだろう。現在のGAAPに基づく計算書を補完する2つの損益計算書についての思慮深い説明を読めば、それらが賢明なる銘柄選択について実用的で論理的な説明であることに読者は納得することだろう。大工には「2回測って、1回切る」という古くからの習慣があるが、投資家が銘柄選択を行うときには、材木を切るときよりも考慮しなければならないことが多いので、3つの側面から企業の利益を評価するのはたしかに道理にかなっているのである。「3回測って、1回切る」。
この素晴らしい著書が、学者やNBA取得者やベテランの株式アナリストではなく、ひとりの賢明なる投資家によって生み出されたことに驚くかもしれない。しかし、運用よりもマーケティングに焦点が当てられている今日の投資の世界においては、驚くことではないであろう。常にそうであったが、ウォール街は有価証券を売るために作られた強力な(そして本当のことを言うならば、必要な)販売マシーンである。そしてミューチュアルファンドのマネジャーたちは優れた運用成績を上げるよりも運用資産を増大させたいと思っているのである(結局のところ、ほとんどのマネジャーは資金を集めてくることができるだけであり、市場に勝つ能力があるか幸運なマネジャーはほんの一部にすぎないのである)。前述の「幸せな陰謀」から利益を得る者たちには、株式市場で「皇帝」の衣をまとった報告利益が想像にすぎないことを指摘しないだけのもっともな理由があるのだ。
個人的な話
正直に言うと、財務諸表を分析することで株式の銘柄選択がいかに改善されるかという本書のまえがきを書くことになろうとは思ってもみなかった。だが、この本に書かれているのは単に利益の質に関することだけではないのである。この本には、私が過去10年来懸念し続けてきた問題である米国産業界の堕落が見事に述べられている。また、市場が狂気に包まれているとき、金融制度に組み込まれたほかの機関投資家たちがいかなる考え方をしていたのかという疑問を暗に提起しているのである。その意味で、本書は、現在の資本主義体制を悪用している経営者たちと彼らに好き勝手をさせている金融専門家たちの双方の目を一突きするものであると言える。
この本を推薦するに当たっては、根っからの「インデックサー」、つまり銘柄選択は敗者のゲームであるだけでなく、高くつくことになるので、自己資金の利殖のためには市場の全銘柄を保有するのが最も優れた戦略であると信じる者としての私の哲学と矛盾しないことを明らかにしておきたい。またすべての銘柄を組み込んだインデックスファンドを通じて米国の全銘柄を最小限の費用で取得し、ウォーレン・バフェットが最も好む保有期間である永遠に保有することが、長期的投資で成功する最も確実な方法であるとの私の見解をここで再確認しておきたいと思う。
そうは言っても、良くも悪くもほとんどすべての投資家は市場との知恵くらべをこよなく愛し、私が何を忠告しようとも、ひとつか2つの銘柄を選び出そうとするだろう。そのときには、まさに敬服すべき挑戦ではあるが、この本で紹介されている方法を用いれば、ゲームに勝つチャンスが得られるだろう。著者は、素直にまた謙虚にも「市場に打ち勝つことは容易ではない」との見解を私と共有しており、また、投資家は株式投資にあてる資産のうち95%をすべての銘柄を組み込んだインデックスファンドに投資するか、もしくは広く分散投資すべきであるとの私の哲学にも同意していることを認めている。読者には、最初の数年間は株式投資にあてる資産のうち5%だけを用いて彼が提唱する方法に従ってみることを勧める。もしそれが有益であると分かったら、「掛け金を2倍の10%まで増加させればよい」(1)のである。 幸運を祈る。
ジョン・C・ボーグル(バンガードグループ創業者、元CEO)
式典の目玉はグレアムをよく知る成功した3人の投資家たちとの質疑応答であった。カーンブラザーズ・アンド・カンパニー創業者のアービング・カーン、コロンビア大学でグレアムの教え子だったウォーレン・バフェットとウォルター・シュロッスの3人とも、過去に何度となくグレアムと共に働いた経験を持っていた。一度に数銘柄の株式しか保有しないことで有名なバフェットは、質疑応答の時間も終わりに近づいたころに、それほど集中したポートフォリオしか保有しないで安心していられるのかと問われ、次のように答えている。「ポートフォリオがもっと小さければより安心していられるだろう。なぜなら小さい分だけその証券が好きだということだから。それに優れた企業はそれほど多くないものだよ」。バフェットは少しためらい、そして思わず次のように話したのである。「世界中の偉大なる富は、優れた企業をひとつ保有することで作られてきた。その企業を理解すれば、幾つもの企業を保有する必要はないのだ」(1)。
たしかにバフェットは正しい。適切な企業を見つけだし、長期的な利益を求めてその企業の成功に投資すれば、十分な成功を収めることができるのである。マイクロソフト・コーポレーションは過去10年に見られた多くの成功物語のひとつにすぎないのだ。では、そのような優れた企業のひとつをどのようにして見つけだすのだろうか。
多くの投資家たちが、毎年継続して利益を増大させている企業、言い換えれば成長株を探し求めている。生涯のうちにマイクロソフトをひとつ保有すれば、これまでの誤った銘柄選択から救われ、さらには将来のための余剰資金も手にすることができる。
しかし不幸にも、次に挙げる3つの理由から成長株への投資には用心が必要である。
第1に、投資家たちがその企業の輝かしい未来に楽観的になり、株価を本来の価値以上に押し上げることがしばしばあるため、成長株は割高になる傾向がある。もしこれらの見通しが悪化すれば、株価は自らの重みに耐えきれず崩壊するのである。マイクロソフトを見てみよう。1990年代の急速な成長の後、2000年には時価総額が3分の2にまで縮小したのである。
第2に、競争相手がより良い製品を市場に出すと、有望であった成長株の多くがその輝きを失うのである。そのため、かつて大きな可能性を秘めていたこれらの企業は、消費者の選好の変化に対応できずに、空に輝く流れ星のごとく一瞬輝かしく燃え、そして消えていくのである。
第3に、会計士が規定する方法で作成された損益計算書では利益を上げているように見える企業でも、実際には利益の質が低いことがある。これは利益が虚偽記載されているとか、水増しされているとか、何らかの不正行為の証拠がある(常に見つかるものであるが)という意味ではない。むしろ法律や会計の規定を破っていなくても、綿密に調査すると実際には純利益がもっと少ないことが分かるのである。
では、投資家はどのように利益の質を測定することができるだろうか。それこそが、本書が役立てる点である。最初の2つのポイント、つまり株式価値評価と競争優位についても述べているが、第3のポイントについて読者の手助けをすることが本書の主目的である。具体的には、年次報告書、10−K、10−Qそれぞれに記載される損益計算書には4つの重大な問題があることを学んでいく。結果として、伝統的な意味では利益を上げている企業も真の利益力がない場合があることが分かるのである。そして読者には2つの代替的な損益計算書、つまり防衛的損益計算書と積極的損益計算書を作成することを勧めるのである。
利益力チャートの話に入ろう。これは企業の防衛的損益計算書と積極的損益計算書を視覚に訴える形にまとめたものである。これから学ぶように、このチャートでは防衛的利益と積極的利益(もしくは損失)をX−Y軸の座標上に示す。時に相反するこれらの力が押したり引いたりすることで、座標のなかで企業が占める位置が決まるのである。想像のとおり、第1象限の利益力ボックスに位置する企業が最も良い企業(必ずしも最も良い株式であるとはかぎらないが)である。これらの企業は防衛的観点からも積極的観点からも利益を上げているのである。そして、もしその企業が本当に優れた企業であれば、右上の方向に移動していくのである。図I.1で分かるとおり、マイクロソフトはまさにそのような企業のひとつである。マイクロソフトのような企業は階段状に毎年堅実な進歩をみせるので、本書ではそれらを「利益力ステアケース」企業と呼ぶ。これらの企業は大きくなっているだけでなく、より良くなっているのである。
利益力チャートは、ケネス・ハッケル、ジョシュア・リブナト著『キャッシュフロー・アンド・セキュリティーズ・アナリシス(Cash Flow and Securities Analysis)』とベネト・スチュアート著『ザ・クエスト・フォー・バリュー(The Quest for Value)』で広く知られるようになった考え方を統合したものである。ハッケルとリブナトが導入した防衛的損益計算書(彼らはそれを「フリーキャッシュフロー」と呼ぶ)は、伝統的(発生主義会計に基づくものなので「発生主義的」)損益計算書の2つの重大な問題を解決する。一方、スチュアートが売り出した積極的損益計算書(彼はそれを「経済的付加価値」または「EVA」と呼ぶ)は、発生主義的損益計算書が抱えるもう2つの重大な問題を解決する。
防衛的損益計算書と積極的損益計算書とを組み合わせることで企業利益の質が明確に示されるのである。図は数字や言葉以上に感情に訴えかけるものなので、企業の業績を二次元の図にすることで、買いか売りか、もしくは保留するかを決めるときに、正しい判断をするのに役立つのである。
本書の目的は、投資結果を改善したいと望むすべての人が利用できる方法で、防衛的損益計算書と積極的損益計算書の考え方を提示することである。本書を読むに当たっては学習意欲さえあればよい。もちろん会計や財務について多少は学ぶことになるかもしれないが、数学の知識として必要になるのは、足し算、引き算に、場合によっては掛け算と割り算という小学校4年生レベルのものである。そして当然のことながら、新しいスキルを習得するには努力が必要になる。
本書を通じて、正しい銘柄選択とはまさに消去法であることが理解できるだろう。投資対象となる何千もの公開企業のうちのほんの一握りだけが真の利益力を持っており、そのうちのごくわずかな企業が利益力ステアケース企業に分類されるだろう。もし読者が、ひとつの優れた企業を探し求めている慎重で欲深い長期的投資家であるならば、ほとんどの企業は手を出すには値しないのである。読者自身とそのポートフォリオを過度のリスクにさらすことなく、向こう数年間に優れた成長株となり得る企業を見つけることに集中しなければならない。
利益力チャートの作成方法を学ぶに当たり、特定の企業――ダブリューエム・リグレー・ジュニア・カンパニーの業績を見ていく。多くの人々がリグレーの製品(主にチューインガム)を一度ならず試したことがあるので、同社は優れたケーススタディになるだろう。また、リグレーの財務諸表は駆け出しの投資家にも分かりやすいのである。さらに利益力チャートを用いて、シスコ・システムズ、デル・コンピュータ、エンロン・コーポレーション、ルーセント・テクノロジーズやワールドコムなど過去数年間で注目を集めた企業の研究も行う。
第1章では、伝統的な意味では利益を上げているように見えるが利益の質が悪いなどの成長株投資家が直面する3つの障害について見ていく。第2章では、財務諸表の読み方の短期講座としてリグレーの2002年の業績を見ていく。
第3章では、リスクを回避しようとする防衛的投資家ならびに有望な機会を見いだそうとする積極的投資家とはどういうものかを検討する。また防衛的損益計算書と積極的損益計算書の構成要素について研究し、それらが発生主義的損益計算書が持つ4つの問題を具体的にどう解決するのかを検討する。このあと第4章では、時間を有効活用するための5分間テストを紹介する。これは企業がさらなる調査に値するかどうかを見極めるための関所である。第5章で防衛的損益計算書の作成方法を、第6章で積極的損益計算書の作成方法を示す。
第7章では、これらの代替的損益計算書を用いてリグレーの利益力チャートを作成する。また利益力チャートが発生主義的損益計算書よりも優れた株価の先行指標であるかどうか(端的に答えればイエスであるが)を確認するために、投資家に時間と資金を失わせるいくつかの企業について見ていく。
第8章ではリグレー、ワールドコム、ルーセントやエンロンについて見ていく。いずれも発生主義では利益を上げているが、そのうち本書で言うところの真の利益力を持っている企業はひとつしかないのである。ほかの3社は防衛的損失、積極的損失、またはその両方を出しているのである。
第9章ではマイクロソフト、アポログループ、ペイチェックスの3つの利益力ステアケース企業を見ていく。これらと同じような形のチャートを示す企業を見つければ、間違いなくその一部所有者になりたいと思うことだろう。この数年で最も話題となった企業のうちの2社、シスコシステムズとデルコンピュータは第10章で検討する。
第11章では、利益力チャートを補完する2つの簡単かつ有効な比率を紹介する。経営者の利害が株主の利害と一致しているかどうかを見極める方法は第12章で検討する。第13章では、本書の主要なポイントを要約するために「グレアムの教室」に参加する。利益力チャートはグレアムの『賢明なる投資家――割安株の見つけ方とバリュー投資を成功させる方法』(パンローリング)の一節からアイデアを得たものであるから、これまで検討してきたことをまとめるには最適であろう。第14章では、読者が利益力チャートの方法論を採用するかどうかにかかわらず、すべての投資家にとって重要ないくつかのテーマを列挙する。
本書を読み終えるまでには、自らの投資結果を改善するための利益力チャートの次の5つの使用方法を学ぶだろう。
■序文
1994年冬、ニューヨーク証券アナリスト協会で、証券分析の父であるベンジャミン・グレアムの生誕百周年記念式典が行われた。グレアムは18年前の1976年に亡くなったが、式典には彼の友人、同僚、かつての教え子たちや信奉者が大勢参加した。
これら2つの視点はそれぞれに価値のあるものであるが、それぞれに限界もある。防衛的損益計算書は積極的投資家にとって防衛的すぎ、積極的損益計算書は防衛的投資家にとって積極的すぎるのである。本書ではこれら2つの思考をひとつにまとめている。
では、始めよう。
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