訳者あとがき
本書は、米国ニューヨーク在住の精神分析医兼トレーダーであるアレキサンダー・エルダー博士のロング・セラー、『Trading for A Living』の全訳である。訳者と本書の出合いは、1998年の秋、そのユニークなタイトルと各種トレーディング・モデルの具体的な説明が気に入って、本書を買い求めたことにさかのぼる。
読み進むうちに、本書のユニークさはそのタイトルのみにとどまらず、エルダー博士のトレーディングに関する心理学的分析にあることが分かった。訳者はこれまで多くのトレーディングに関する本を読んできたが、トレーディングの心理についての記述はどの本にもあることはあったものの、いまひとつ物足りなさを感じたものであった。トレーディングには「欲」と「恐怖」がつきものということは、マーケットに携わる者なら身をもって日々体験していることである。本書はそれに対し、アルコール中毒患者の会の方法論を援用するという極めてユニークなアプローチにより克服することを教えてくれている。これほど明快に、しかも専門的な立場からトレーディングの心理について書かれた本を私は他に知らない。
本書は、心理面だけでなく、いわゆるチャート分析と呼ばれる古典的テクニカル分析とコンピューターを駆使する科学的、統計的手法に基づくテクニカル分析を平易に詳述しているのが、第二の特色である。古典的チャート分析に関しては、これまでにも多くの解説書が出ており、表面的な分析方法の説明そのものに目新しい点はないものの、コンパクトによくまとめられているといえる。一方、コンピューターによるトレーディング・モデルの解説は、平易にそのコンセプトの説明に努め、大半の重要なモデルを網羅し、内容的に濃い出来になっている。さらに、ここで本書の際立った点は、第一に古典的チャート分析およびトレーディング・モデルに心理学的な見地から独自の解釈を行っていること、第二に、極めて具体的に、どこで注文を出し、どこに防御ストップを置き、どこで利食うかを、各々のケースについて解説している点である。
本書を構成する最後の章として、トレーディングにとって必須のマネー・マネジメントについても、分かりやすい解説がなされており、それまでの章と共にテクニカル・トレーディングの解説書としては誠に申し分のない有益な一冊に仕上がっている。本書が、1993年に出版の後、米国において息の長いロングセラーになっていることが、その内容の確かさの証左であろう。
本書には数多くの意味深い比喩や例え話、著者の経験談が盛られており、コンセプトの理解に役立つと共に、本書を大変興味深く、読みやすいものにしている。また、重要な点は繰り返し説明するというアプローチを意識的に採用しているようで、気の短い読者には若干くどさも感じられるかもしれない。しかし、これは心理学のエキスパートである著者があえて、学習効果を狙ってそうしているものであると理解している(原書版には、本書のスタディ・ガイドも併せて出版されており、本書の理解の度合いをチェックできるようになっていて便利である)。
本書を読むとだれしも、エルダー博士の誠実で良心的な人柄が心に浮かび上がってくるのではないだろうか。トレーディングのかたわら、いまだ精神分析の臨床医療を実践するエルダー博士は、これまで数々の問題を抱えた患者たちに接してきており、人間観察のプロであるともいえるだろう。患者の問題解決を精神分析医としてサポートする博士の真摯な態度から、トレーディングに悪戦苦闘する人々の問題を解決しようとして書かれたのが本書なのである。かつて、ニーチェは「血を以て書かれたものしか信じない」と書いたが、ジャンルは違うものの、本書はまさにそのカテゴリーに属するといってもよい類の本であると確信する。私には、博士のそのような気迫が感じられるのである。
訳者は仕事柄、ファンダメンタルズ重視のエコノミストたちと相場について議論する機会が多いが、短期的なマーケットの動きは、テクニカルの方が説明しやすいときが多い。また中長期のトレンドの反転はファンダメンタルズ分析よりもテクニカル分析の方がいち早くその変化をつかむことができる点など、テクニカル分析の重要性は米国のメインストリームの投資担当者の間でも再認識されつつある。そしてこの傾向は、情報技術革新のさらなる進展と共に分析の高度化を伴いながら、今後ますます強まるものと私は確信している。
しかし、その一方で、エルダー博士が指摘するように、相場をトレードして実際に動かすのは、生身の人間であることに変わりはないのも事実である。大多数のトレーダーたちはいまだ、トレーディングの心理を理解しないまま、マーケットの群衆の一員にいつのまにか成り下がって、感情的なトレーディングの結果、自滅していく。博士の言葉を借りれば、トレーディングは、戦争に次ぐ過酷で困難な、容赦のない事業であり、世界の最も優秀な頭脳を相手にして冷静にかつ真剣に戦う気構えで臨まねばならないのである。また、本書で博士が述べているように、成功するトレーダーになるためには、だれもがどこかで「大底」を打たねばならないのであり、それは早ければ早い方がよい。そして、そこからどう立ち直り、成功するトレーダーになるのかは、マネー・マネジメントを含め、すべて本書の中に書かれているのである。
最後に、本書の訳出にあたり、パン・ローリング株式会社の後藤康徳社長、編集者の阿部達郎氏のお二人には大変お世話になりました。そして、本書の共訳に事情により参加できなかった友人、渡辺直行氏には、このような意義深い翻訳の機会を与えてくれたことに感謝する次第です。
邦訳における用語選択には、できる限り適切な日本語を当てはめようと、当初考えたものの、結局、英語をそのままカタカナ表示することも含めて、ケース・バイ・ケースにより判断したことをご了承願いたい。翻訳には、訳者の責任をもって万全を記してはいるものの、もし不都合、不明な点があれば、どうかご指摘いただければ幸いである。
本書が読者諸兄の今後のトレーディングに大いに役立つことを願ってやみません。
2000年6月 福井 強