投資参謀マンガ―

豊かに生きるためのヒントが、ここにある。

非凡なる戦術家にして、企業経営の魔術師!
バフェットを世界一の投資家にした男とは

 マンガーとはだれか? 投資の教祖ウォーレン・バフェットのパートナーであり、ブレーンである。しかし、この人物について書かれた文章は、これまであまりに少なかった――この本が出版されるまでは。
 実業家であり、弁護士、そしてバフェットのジョークには欠かせない相棒兼引き立て役でもあるチャーリー・マンガー。一代で億万長者に上り詰めた彼は、マルチな才能を誇る天才でもある。実際バフェットは、「自分に優れたフランチャイズの価値や定性分析の長所を教えてくれたのはマンガーである」と、彼に最大の賛辞を贈る。だが、投資界における最も謎に包まれた、そして有名になることを拒み続けた彼に初めて深く切り込んだ本書を読めば、チャーリー・マンガーが世界一の投資家バフェットの単なる陰の男と言うにはほど遠い存在であることが分かる。
 マンガーは非凡なる戦術家であり、企業経営の魔術師であるのだ! そして忘れてはならないのが、ウォーレン・バフェットのプロジェクトへの惜しみない協力だ。素晴らしい才能を持つ2人の男の幸運なる出会いによって、その能力が2倍でなく、4倍にも8倍にもなったことを証明している。その成果が、世界一の投資会社バークシャー・ハサウェイの成功である。

チャーリー・マンガーの物語には学ぶべき「教訓」が生きている

 「チャーリー・マンガーは、七六年間の人生で学んだ教訓を強調したいのだとたびたび主張した。彼の望みは、自分の失敗や成功から他人が何かを学んでくれることである。確かに、彼の人生の教訓というのは、言葉というよりむしろ彼の生きざまそのものにある(本文より抜粋)」。
 栄光、挫折、苦悩、躍進。確かに、チャーリー・マンガーのドラマには、チャーリーに関わってきた人々に刺激を与える、学ぶべき教訓がある。チャーリー・マンガーが、絶えず自身の才能と資産を最大限に高めようと、どれほど奮闘したのか。市民として社会に貢献すべきであると、どれほどの責任感を感じているのか。また、マンガー夫妻があらゆる逆境の中で、いかにして八人の子どもたちを育て上げたのかなどの話には、人生を豊かにするためのヒントがある。
 チャーリーに関わってきた人々と同じように、この本を読むあなたも、チャーリーの物語から何らかの刺激を受けることができるだろう。
あなたは本書から、どのような「教訓」手に入れることができるだろうか。


日本語版への序文

 弁護士、そして実業家として成功を手中に収めたロサンゼルス在住のチャールズ・T・マンガーは、本書が日本で出版されると聞き、とても喜んでいる。ずけずけと物を言うマンガーは、ユーモアのセンスも一流で、極めて独特のキャラクターの持ち主だ。一代で巨万の富を築き上げた彼は、かの有名なバークシャー・ハサウェイ社の会長、ウォーレン・バフェットの長年のパートナーであり、アメリカの陰のビジネスヒーローである。マンガーを崇拝する人たちの数はそう多くはないが、一方で彼の名声は確実に高まりつつある。アメリカ人がマンガーを高く評価する理由は、彼が大金持ちで影響力のある人物であるにもかかわらず、公平さや高潔さ、誠実さといったことにあくまでもこだわるというその人柄にある。
 彼もそしてバフェットもそうであるが、成功を収めて富を手に入れたとしても、それと同時に良き夫、良き父親、優れたビジネスリーダー、そして善良な市民たることは可能であるという信念を持っている。マンガーは、人生には役に立つ重要な概念というのもが存在し、それさえ身につければ、すべてのことをもっと容易にできるようになると言う。こうした本源的な概念は、世の中のすべての事柄に適用することができ、全世界に通じるものだ、と熱心に主張しているのである。
 マンガーの半生を一冊の本に著した私は、一九六〇年代には日本で暮らし、その後も何度も日本を訪れており、この国の人々に深い親しみを感じている。日米両国の人々が互いを理解するために本書が少しでもお役に立てれば、これほど光栄なことはない。相手を理解することから、尊敬と好意の念が生まれるのだから。

二〇〇一年五月六日
ジャネット・ロー


ウォーレン・バフェットが寄せる序文

 一九九一年の夏の終わり、ソロモン事件に関する質疑に答えるため、私はエド・マーキー議員が議長を務める下院の小委員会に出席した。公聴室はテレビや新聞の記者たちで埋め尽くされており、マーキー議長が最初の質問を発するころ、私の緊張感はいやがおうにも高まっていた。彼が突き止めようとしていたのは、ソロモンが行ったような非難されるべき行為は、ウォール街ではよくあることなのか――つまり、彼の言葉を借りれば「特有のもの(sui generis)」なのか――という点であった。  高校時代、初級のスペイン語でさえモノにできなかったし、ラテン語に及んではからきしダメだったので、いつもならこのような耳慣れない言葉にまごつくところだ。だが"sui generis"は平気だった。なぜなら、私のそばには長年の友人でパートナーである、チャーリー・マンガーという生き字引がいたからだ。

 チャーリーは実にユニークな人間だ。一九五九年に出会って以来、私は彼のたぐいまれなる人間性を常に目の当たりにしてきた。彼と少しでもかかわりを持った人ならだれでもそう言うはずだ。ただ、ほとんどの場合、それは彼の行動様式についてであろう。礼儀作法の先生なら、彼に卒業証書を渡すまでにはかなりの奮闘を余儀なくされるに違いない。
 だが私がチャーリーを特殊な人物だと考えるのは、彼のその性質ゆえである。彼の知性は息をのむほどで、私が過去に出会っただれよりも聡明であり、七六歳にして今なお、うらやましいほどの記憶力の持ち主なのだ。これらの能力が生まれつき恵まれたものであるとはいえ、私が彼を尊敬してやまないのは、彼自身が自らの意思でその能力を存分に生かしてきたからである。

 過去四一年間、私はチャーリーが他人を利用しようとしたり、自分のやっていないことに対して功績を主張するところなどはまったく見たことがない。それどころか、私や他の人たちに対して意図的に便宜を図ったり、物事がうまくいかなかったときには負うべき以上の責任を負い、うまくいけば実際の功績以下の栄誉でよしとした。彼は真に寛大であり、エゴから合理性を軽んじることなどない。世間に認められたいと願う普通の人間とは異なり、チャーリーは自分自身の基準で己を評価しているのである。そしてその基準は厳しい。
 仕事上では、チャーリーと私はたいていの場合、意見が一致する。しかし、社会的な事柄に関しては、時として見解が異なる。私たちは互いに自分の意見を大切にするが、いまだかつて言い争いになったり、相手の異なる考えを理解し合わなかったことはない。救世軍の制服を着て街角に立つチャーリーを想像するのは難しい、というよりも不可能であるが、彼は「罪を憎んで人を憎まず」という慈愛の精神を持っているようである。  罪のとらえ方についてもチャーリーは合理的だ。色欲、暴飲暴食、怠惰などの罪は、もちろん避けるべきものと考える。それにもかかわらず、彼はこれらの罪には理解を示す。たとえうたかたであっても、瞬時に喜びをもたらすものだからである。一方で、彼はねたみを七つの大罪のうちでももっとも愚かな罪だと考える。なぜならなんの喜びも生まないからである。ねたむという行為は、それをする人を喜ばせるどころか惨めにさせるだけなのである。

 私はビジネスにおいてこれまで信じられないほど数多くの楽しみを経験してきた。これもチャーリーと一緒にやってきたからである。彼は常にその「マンガー主義」で人々を楽しませてくれたし、私が自分の考えを形成するのにも大きな影響を与えてくれた。多くの人がチャーリーを実業家、あるいは博愛主義者だと思っているが、私にとって彼は師である。そして、彼に教えられたことが、バークシャーの価値を高め、素晴らしい企業へと導く原動力となったことは明らかだ。

 彼のことを語る際に、妻ナンシーの内助の功に触れないわけにはいかない。ふたりを身近に見てきた者として、チャーリーはナンシーの協力なしにこれほどの功績を成し遂げられなかったであろうと断言できる。彼女は礼儀作法の先生として成功したとは言えそうにないが――実際はかなり奮闘していたようではあるが――チャーリーが己の信ずる大義や規範を守れるように彼を支えてきたのである。ナンシーは本当に素晴らしい女性だ。チャーリーが世の中に貢献してきたこと――それはとても大きな貢献であるが――に対して、チャーリーのみならず彼女も同様にたたえられるべきである。

ウォーレン・E・バフェット
ネブラスカ州 オマハ


序文

 ネブラスカ州オマハで毎年春に開かれるバークシャー・ハサウェイの年次総会。そこを訪れる何千人もの株主たちはウォーレン・バフェットを目当てに足を運ぶわけだが、同時に、壇上で彼の脇に座って「オマハの賢人」が質問に答える手助けをする男にも魅了されている。彼らはこれを「ウォーレンとチャーリーのショー」と呼んでいる。ショーはこんな具合に進行する――バフェットは時には長い時間をかけ、時には手短に質問に答え、最後に長年のパートナーであるチャーリー・マンガーの方に向き直ると「チャーリー、なにか付け足すことは?」と訪ねる。すると、ラシュモア山に刻まれた彫刻のような表情で鎮座しているチャーリーは、「別に」とぶっきらぼうに答える。ふたりは毎年ちょっとしたジョークの応酬を披露し、聴衆たちはそれを共に楽しむ。しかし、総会は内容深いものである。バフェットは質問に対して真剣に考えを述べる。時としてマンガーに話が振られると、彼は長年の豊富な人生経験に照らしてちょっとした演説を行う。彼が語る間、すべての聴衆は一心に耳を傾けているのである。
 彼には人々に伝えたい大切なメッセージがいくつかある。それは、倫理をもって他人に接する、現実を見据える、他人の失敗から学ぶ――などといったことである。彼はこれらについて熱心に説く。
 「ビジネス界においてはあまり常識的とは言えない社会的価値を自分が説いていることを、父はよく認識しています」と長女のモリー・マンガーは言う。  マンガーは、生き方の違いもあり、バフェットほどには金持ちではない。また彼は人を大いに楽しませる人間ではあるが、バフェットに勝るエンターテイナーではない。これら二つの要因のおかげで、マンガー一家は名声に煩わされることなく、億万長者の恩恵を長きにわたり謳歌してきている。

 一九九七年五月のバークシャー・ハサウェイの年次総会でマンガーに会ったとき、私はこの本の構想を話し、その同じ月に行われるウェスコ・フィナンシャル・コーポレーションの総会にも参加するので、その際にさらに詳しい話をしたいと持ちかけた。「その本はあまり売れないと思う」と言った以外、彼はほとんど口を開かなかった。二週間後、夫と友人と共にウェスコの総会に参加したのだが、総会が終わるとマンガーは立ち上がり「この中にジャネット・ローはいますか?」と大きな声で言った。集まった数百人の人々が一斉に振り向いて犯人探しを始め、知り合いの何人かが私の方を指さした。私は縮み上がる思いで立ち上がった。「はい、マンガーさん」。彼は椅子から腰を上げ「ついて来なさい」と強い口調で言うと、すたすたと歩いて裏手のドアを出て行ってしまった。私はいつ戻って来られるのかも分からぬまま、夫と友人に手を振って別れを告げた。マンガーは無言で先に立ってエレベーターで階上のオフィスに私を導くと、そこで、彼の家族が出版を望まないのだと告げた。それまで守ってきたプライバシーが侵されてしまうかもしれないと彼らは感じているのだ。他人との意見の衝突を好まない基本的に内気な性格の私にとって、これは苦手な状況であった。しかし、すでに契約書にサインをしており、たとえ彼の協力を得られなくとも本を出さないわけにはいかないのだと説明した。だが彼が協力してくれるのなら、より良い本ができるものと確信しているとも言った。「分かった」とマンガーは怒鳴るように言うと、「ならばまずはこれらの本を読みたまえ」と、リチャード・ドーキンズの『利己的な遺伝子』などを含む、数多くの書名が記された愛読書リストを手渡してくれた。後にマンガーは、本ができるまでの段階をこう説明した――最初は本の出版を食い止めようとし、次にはダメージを最小限に抑えようと努力し、結局最後には、彼の人生体験をなるべく理解しやすい文章にするよう私と共に作業するハメになったのだと。特に息子の死や、彼自身が片目の視力を失うこととなった外科手術の失敗についての詳細を私がしつこく尋ねたときなど、必ずしも彼にとって気楽なことばかりではなかったはずだ。
 にもかかわらず、マンガーはサンタバーバラの自宅、ロサンゼルスのオフィス、オマハの妹の家で二回と、長時間にわたるインタビューに応じてくれた。マンガー家の人々は私たち夫婦をミネソタ州の北部にある別荘にも招いてくれた。私はそこで彼の家族や近所の人たちの話を聞き、また、ハイキングやボート遊び、魚釣りなどをして、いく日かを彼らと共に過ごした。
 資料収集を含めると、この本の執筆には三年を要した。本書には、バリュー投資家のベンジャミン・グレアム(グラハム)とその優れた弟子バフェットについて書かれた資料に基づいた部分もあるが、それらは単に背景を形作っているにすぎない。マンガーの顔写真はかつてフォーブス誌の表紙を飾ったことがあり、彼のプロフィールを紹介する記事は何度か新聞に掲載されたこともあるが、彼について書かれたものは非常に少ない。この本の七五%以上は独自の取材に基づいたものだ。私は三三人に四四回のインタビューを試みた。また、バークシャーの株主総会には八回、マンガーの独壇場であるウェスコ・フィナンシャル・コーポレーションの年次総会には五回出席した。ハーバード大学ロースクールの同窓会で行われたものを含め、六つほど、彼の講演の原稿を詳細に読み込んだ。

 チャーリーは本書のプロジェクトに手を貸してくれるようになったものの、七六年間の人生で学んだ教訓を強調したいのだとたびたび主張した以外には、口を挟みたいという衝動を抑えていた。彼の望みは、自分の失敗や成功から他人が何かを学んでくれることである。確かに、彼の人生の教訓というのは、言葉というよりむしろ彼の生きざまそのものにある。マンガー夫妻があらゆる逆境の中でいかにして八人の子どもたちを育て上げたのか、絶えず自身の才能と資産を最大限に高めようとマンガーがどれほど奮闘し、市民として社会に貢献すべきであると彼がどれほどの責任感を感じているのかなどの話は、ある意味長編小説のようなものである。この本を書き進めていくと、思わず噴き出してしまう場面も多かったが、痛々しさに思わず顔が歪み、深い悲しみを感じるときもあった。人生はチャーリーにありとあらゆる経験を与えたのである。

 マンガーはユニークな人間であると同時に、西海岸文化と中西部的価値感の双方を持ち合わせた二十世紀前半の典型的人物でもある。金融センターでもないオマハに暮らして働き、超一流の投資家になれることをバフェットが示しているとすると、マンガーが示しているのは(一般にそうは思われていないが)、貴重かつ革新的な金融や文化のアイデアは西から東へと流れることがあり、現実にそうなっている、ということである。
 マンガーは講演の席で、人々の人生を変える可能性がある大掛かりな発想について語ることが多いが、そのためにいかに行動すべきかという詳細に触れることはない。知恵という名の宝のありかを示す地図は渡しても、それはあまりに簡略な地図であるがゆえに、人々を惑わせる。宝物を探し当てるためには、その指示の意味を解き明かし、最後までそれに従わなければだめなのである。

ジャネット・ロー
カリフォルニア州 デルマー


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