訳者まえがき 1 序文 ウォーレン・バフェット 10 ベンジャミン・グレアムについて ジェイソン・ツバイク 13 まえがき――本書の目的 19 注 33 まえがき 注解 37 第1章 投資と投機――賢明な投資家が手に入れるもの 49 投資と投機/防衛的投資家が手に入れるもの/積極的投資家が手に入れるもの 注 70 第1章 注解 77 第2章 投資家とインフレーション 99 インフレと企業収益/インフレの防衛手段としての普通株の代替/結論 注 113 第2章 注解 115 第3章 株式市場の歴史――一九七二年初めの株価 127 一九七二年初めの株式市場の水準/どの道を行くべきか 注 147 第3章 注解 149 第4章 一般的なポートフォリオ戦略――保守的投資家 163 債券と株式の投資比率を決めるときの基本的な問題/債券の部分/ストレート ──非転換の優先株/証券形態 注 183 第4章 注解 185 第5章 防衛的投資家のための株式選択 203 普通株投資の長所/組み入れ株式の基準/成長株と防衛的投資家/ポートフォリオ の変更/ドル・コスト平均法/投資家個々の事情/「リスク」の概念について/ 「財務内容の良い有名な大企業」とは 注 218 第5章 注解 223 第6章 積極的投資家の分散投資――消極的な方針 239 二流債券と優先株/外国政府債/新規発行債一般について/新規普通株の発行/ 注 254 第6章 注解 259 第7章 積極的投資家の投資――積極的な方針 275 相場全般の方針――分散投資の割合をどのタイミングで変えるか/成長株による投資 /積極的投資家に勧める三つの分野/われわれの投資法則の持つ広い意味 注 304 第7章 注解 311 第8章 投資家と株式市場の変動 327 投資判断の指針としての株価変動/安き買い、高きを売る/フォーミュラプラン/ 相場の変動と投資家のポートフォリオ/業績評価と株式市場評価/A&P社の例/ まとめ/債券価格の変動 注 359 第8章 注解 367 第9章 投資ファンドへの投資 391 投資ファンドの実績全般/「パフォーマンス」ファンド/クローズドエンド型ファン ドとオープンエンド型ファンド/バランスファンドへ の投資 注 410 第9章 注解 415 第10章 投資家とそのアドバイザー 441 投資顧問と銀行の信託サービス/投資情報サービス/証券会社によるアドバイス/ 金融アナリストのCFA資格/証券会社との取引/投資銀行/その他のアドバイザー/ 要約 注 458 第10章 注解 465新・賢明なる投資家 (下) 目次
第11章 一般投資家のための証券分析 7 債券分析/普通株の分析/資本化乗数に影響を与える要因/成長株の「資本化乗数」/ 業界分析/価値評価のための作業分担 注 34 第11章 注解 39 第12章 一株当たり利益に関して 53 平均収益の利用法/過去の成長率計算 注 69 第12章 注解 75 第13章 上場四企業の比較 89 四社における全般的な所見 注 101 第13章 注解 105 第14章 防衛的投資家の株式選択 117 一九七〇年末のダウ工業株をわれわれの基準に照らすと…/公益企業株という 「解決策」/金融株への投資/鉄道株/防衛的投資家の選択 注 139 第14章 注解 143 第15章 積極的投資家の株式銘柄選択 157 グレアム・ニューマン社が行った売買方式の概要/二流企業/株式ガイドの情報 を選り分ける/単一基準による株式の選択/正味流動資産価値以下の割安銘柄/ 特別な状況──「骨の折れる仕事」 注 187 第15章 注解 191 第16章 転換証券とワラント 203 普通株に対する転換証券の影響/普通株から優先株への望ましい切り替え/ ストックオプション・ワラント/補足 注 220 第16章 注解 225 第17章 特別な四社の例 231 ペンセントラル鉄道/リング・テムコ・ボート社/NVFのシャロンスチール社 買収(収集品として)/AAAエンタープライズ 注 251 第17章 注解 259 第18章 八組の企業比較 273 一組目:リアルエステート・インベストメント・トラスト(店舗、事務所、工場等) と、リアルティエクイティーズ・オブ・ニューヨーク(不動産投資、総合建築)/ 二組目:エア・プロダクツ・アンド・ケミカルズ(産業用、医療用ガスなど)と、 エア・レダクション(産業用ガスと装置、化学品)/三組目:アメリカン・ホーム ・プロダクツ(薬品、化粧品、家庭用品、キャンディ)と、アメリカン・ホスピタ ル・サプライ(医療用品、医療器具の製造販売)/四組目:H&Rブロック(所得 税サービス)と、ブルーベル(作業着、制服等の製造)/五組目:インターナショ ナル・フレーバーズ&フレグランス(他企業向けの香料など)と、インターナショ ナル・ハーベスター社(トラック製造、農業機械、建設用機械)/六組目:マグロ ーエジソン(公益事業と設備、家庭用品)と、マグローヒル(書籍、映画、教育シ ステム、雑誌と新聞の出版事業、情報サービス)/七組目:ナショナル・ゼネラル (大型複合企業)と、ナショナル・プレスト・インダストリーズ(各種電気器具、 兵器)/八組目:ホワイティング(資材運搬機器)と、ウィルコックス&ギブズ (小型複合企業)/一般的見解 注 304 第18章 注解 311 第19章 株主と経営陣――配当方針 335 株主と配当方針/株式配当と株式分割 注 345 第19章 注解 351 第20章 投資の中心的概念「安全域」 375 分散投資の理論/投資と投機の判断基準について/投資概念の拡大/むすび 注 392 第20章 注解 397 あとがき 407 注 410 あとがき 注解 413 補遺 1.グレアム・ドッド村のスーパー投資家たち ウォーレン・バフェット 417 2.投資による収入と証券取引に関する重要なルール(一九七二年) 450 3.証券税制の基本(二〇〇三年改訂) 452 4.株式の新たなる投機性 454 5.ある事例――エトナ整備会社 473 6.NVF社のシャロンスティール社取得における会計処理 477 7.投資対象としてのハイテク企業 480 謝辞
二〇〇五年三月
塩野未佳
ジェイソン・ツバイク
ベンジャミン・グレアムとはどういう人物だったのだろう? また、なぜ彼の言葉に耳を傾ける必要があるのだろう? グレアムは往年の優れた投資家のひとりであったばかりでなく、時代を超えた実践投資理論家でもあった。グレアムが登場する前の資産運用会社は、中世のギルドさながらの組織であり、主に迷信や当てずっぽう、部外者には分かりにくい慣習に支配されていた。こうした古くさい業界を近代的な職業団体に変貌させる教本となったのが、グレアムの『証券分析』(パンローリング)である(原注1 デビッド・ドッドとの共著で、一九三四年に初版が出版されている)。そして投資で成功するためには欠かせない精神的姿勢や分析ツールについて、個人投資家向けに初めて書かれたのがこの『賢明なる投資家』である。今でも本書は、一般大衆向けの投資本としては唯一にして最良の著作である。わたしが新米記者として一九八七年に『フォーブス』誌の仕事に就いてから最初に読んだのが本書だったのだが、強気の相場も遅かれ早かれ必ず悲惨な結末を迎える、とグレアムが確信をもって述べていたことに衝撃を受けたものだ。そしてその年の一〇月、米国の株式市場が一日の下げ幅では史上最大を記録すると、わたしはもう病みつきになってしまった(一九九〇年代後半の恐ろしいほどの強気相場と二〇〇〇年初頭に始まった悲惨なほどの弱気相場が過ぎ去った今、『賢明なる投資家』の読みは以前にも増して当たっている)。
グレアムは財産を失うという苦悩を直接体験したり、長年にわたって市場の歴史や心理を学んだりと、辛い思いをしながら洞察力を身に着けている。一八九四年五月九日、彼はベンジャミン・グロスバウムとしてロンドンで生まれた。父親は陶磁器の皿や人形を売る商人だった(原注2 グロスバウム一家は第一次大戦中にグレアムに改名。ドイツ人風の名前だと嫌疑を掛けられたからだ)。一家はベンが一歳のときにニューヨークに移住。初めのうちは五番街北で裕福な生活を送っていた――使用人や料理人、フランス人の家庭教師もいた――が、ベンの父親が一九〇三年に他界し、陶磁器ビジネスも行き詰ってきた。一家の暮らしは音を立てて苦しくなっていった。母親は自宅を賄い付きの下宿屋に改造し、借金をして株の「信用」取引を始めたが、それも一九〇七年の暴落で失敗。それからというもの、ベンにとっては母親のために小切手を現金化したときや、銀行の出納係が「ドロシー・グロスバウムに五ドルを貸し付けても大丈夫か?」と言うのを耳にしたときの屈辱が生涯忘れられないものになったのである。
幸い、グレアムはコロンビア大学で奨学金を獲得し、その優れた才能を一気に開花させることになった。一九一四年にはクラスで二番の成績で卒業。最終学期が終わる前には大学の三学科――英語学、哲学、数学――から教員にならないかと誘われた。グレアム、弱冠二十歳のときであった。
だが、グレアムは大学に残るのをやめて、ウォール街に殴り込みを掛けてやろうと心に決めた。まずは債券取引会社でキャリアをスタートさせ、間もなくアナリストになり、パートナーになり、やがては自分で投資パートナーシップを運営するまでになった。 インターネットがブームとなり、程なく崩壊したが、グレアムなら驚くことはなかっただろう。一九一九年四月、彼はブームに沸く自動車業界の新規公開株、セイボルド・タイヤ株を購入し、上場初日にして二五〇%のリターンを手にしたが、一〇月には同社の不正が発覚し、株式は紙切れと化してしまったのだ。
やがてグレアムは、ほとんど分子レベルに近い微細な株式調査の手法をマスターした。一九二五年のこと、石油パイプライン各社が米国州際商業委員会に提出したあいまいな報告書を丹念に読み進めていくうちに、ノーザン・パイプ・ライン社――このときは一株六五ドルで取引されていた――の優良債券が、少なくとも一株八〇ドルの価値を秘めていることが分かってきた(グレアムは同社株を購入すると、経営陣に増配を執拗に迫り、三年後に一株一一〇ドルを付けた時点で売り抜けた)。
一九二九〜三二年の大恐慌のときには約七〇%というとんでもない損失を出したにもかかわらず、グレアムは強気市場の残骸から割安株を見つけ出し、その余波を乗り切って成功を収めた。グレアムの初期のころのリターンがどの程度だったのかを示す正確な記録は残っていないが、彼が設立したグレアム・ニューマン社は、一九三六年から引退する一九五六年までに、株式市場全体のパフォーマンスが年一二・二%だったのに対し、少なくとも一四・七%のパフォーマンスを上げていた――これはウォール街の歴史上最良にして最長記録のひとつである(原注3 グレアム・ニューマン社とは、グレアムが生まれながらの敏腕投資家であるジェローム・ニューマンと共同で運営していたオープンエンド型ミューチュアルファンドのこと[第9章を参照]。同社存続中、ファンドはほとんど新規投資家の購入申し込みを受け付けなかった。グレアム・ニューマン社のリターンを見積もるうえで欠かせないデータを提供してくれたウォルター・シュロスには感謝する。グレアムがあとがきで引用している年平均二〇%というリターンは、運用手数料を考慮していない)。
グレアムはどのようにそれを成し遂げたのだろう? グレアムは並外れた知力と深い良識、そして幅広い経験とを駆使して、次のような核となる原則を打ち立てたが、それは彼の生存中と同様、今日でも十分に通用するものである。
グレアムの傑作を初めて――あるいは三回目か四回目に――読まれ、興奮しながら見識を得られるみなさんをうらやましく思う。あらゆる古典的作品と同じように、本書もわれわれを啓蒙しつつ世界観を変え、ひいては世界そのものも変えていくからである。また、本書を深く読めば読むほど、いい方向に向かっていくからである。グレアムのような案内人がいれば、よりいっそう賢明な投資家に近づけること請け合いだ。
――ブレーズ・パスカル
「投資活動とは、詳細な分析に基づいて、元本の安全性と適切なリターンを約束するもの」。これではグレアムの投資の定義ははっきりしない(原注1 グレアムは投資の定義で使用しているキーワードのひとつひとつを具体的に記している――「詳細な分析」とは、「十分に確立された安全性と価値の基準に照らした事実の調査」を意味し、「元本の安全性」とは、「通常の、あるいは妥当なあらゆる条件もしくは変動の下で損失を防ぐこと」を意味し、「適切な」(または「満足すべき」)リターンとは、「投資家がそれなりの知性をもって行動している場合に、たとえ低くても、その投資家が進んで受け入れる収益率あるいは収益額」をいう[『証券分析【一九三四年版】』(パンローリング)、八八〜九一ページ])。グレアムによると、投資とは次の三項目に同じように注意を払って行わなければならない。
カジノでの賭博や競馬のように、株への投機もワクワクするものだし、やり甲斐があるともいえるだろう(もし運が良ければの話だが)。しかし、財産を築く方法としては、それは想像し得る最悪の方法なのだ。ラスベガスや競馬場と同じで、ウォール街も自ら投機ゲームを仕掛けているわけだから、証券会社に勝ってやろうともくろんでいるどんな投機家にも最後には必ず勝てるよう、勝率をうまく調整しているからである。
逆に「投資」というのは、たぐいまれなるカジノ――自分が勝つよう真正面から賭けるというルールにのっとってゲームをしている限り、最後には絶対に負けるはずのないところ――である。「投資」をする人は自力で儲けている――「投機」をする人は証券会社を儲けさせている。換言すれば、それが長年にわたってウォール街が投資の永続的な価値をないがしろにし、投機の俗悪な力をあおるようになった理由なのである。
スピードの出しすぎは危険
グレアムも警告しているが、投機と投資を混同するのは絶対に間違いである。その混同が大暴落につながったのが一九九〇年代である。ほとんどの人が一気に我慢の限界を越えてしまい、米国はまるで八月の干草畑を飛び回るバッタのように、次々と新たな銘柄に乗り換えるトレーダーであふれる投機国家になってしまった感がある。
人々は、投資手法を単に「機能した」かどうかで評価するようになった。もしある期間に市場平均を上回ろうものなら、いかに危険な戦術だろうと間が抜けた戦術だろうと、自分たちは「正しかった」のだと豪語した。しかし、賢明な投資家は、一時的に正しいかどうかには全く関心を示さない。長期的な投資目標を達成するには、持続可能で、かつ信頼できる手法を用いた結果、正しくなければならないのだ。一九九〇年代に大流行した手法――分散投資をおろそかにし、人気のあるミューチュアルファンドをさっさと売り払い、株式選択「システム」に追随するデイトレード――は、正しく機能しているかにみえた。だが、長期的には勝ち目は全くなかった。グレアムの三つの投資基準をどれひとつ満たしていなかったからだ。
一時的に高いリターンがなぜ何にもならないのかを理解するには、ある地点からある地点までが一〇〇キロメートル離れていると仮定してみよう。時速五〇キロで車を運転すれば二時間で走れるが、時速一〇〇キロで走れば一時間で着く。もし時速一〇〇キロで走り抜くことができたら、自分は「正しかった」と言えるのか? わたしが「正しく機能していた」と鼻高々に話しているのを聞いたら、自分もやってみようという気になるのだろうか? 市場平均を上回るために人目を引く戦術というのは決まって同じである――つまり、短距離走行では、あなたの運が持ちこたえている限り戦術はうまくいく。しかし、長距離となると、あなたはその戦術に疲れ切ってしまうのである。
一九七三年、グレアムが『賢明なる投資家』の最後の改訂版を上梓したとき、ニューヨーク証券取引所の売買回転率は年二〇%であった。つまり、典型的な株主は持ち株を五年間保有してから売っているということだ。二〇〇二年には売買回転率が一〇五%になった――株主の保有期間はわずか一一・四カ月間である。一九七三年には平均的なミューチュアルファンドは一銘柄を約三年間保有していたが、二〇〇二年になると、保有期間がわずか一〇・九カ月にまで短縮している。これではミューチュアルファンドの運用担当者がじっくり銘柄を研究した結果、そもそも買うべきではなかったと悟って投げ売りし、ゼロから出直そうとしたかのようだ。
最も評価の高い運用会社でさえ不安に駆られていた。一九九五年の初め、フィデリティ・マゼラン・ファンド(当時は世界最大のミューチュアルファンド)のマネジャーだったジェフリー・ビニクは、総資産の四二・五%をテクノロジー株で運用していた。ビニクは、投資家の大半が「何年も先にあるゴールを目指してファンドに投資しています。(……)投資家の目標はわたしと同じで、わたしのように長期的なアプローチがベストだと信じているんですよ」と述べている。ところが、こんな崇高な思いを語ったわずか六カ月後、ビニクはテクノロジー株の大半を売り払い、狂乱の八週間の間におよそ一九〇億ドル相当を処分してしまったのだ。「長期的アプローチ」とはその程度のものなのか! また一九九九年、フィデリティのディスカウントブローカレッジ部門では、パーム社製のハンドヘルドコンピューターを使って、好きな時間に、好きな場所でトレードするよう、顧客を駆り立てていた――これは「一瞬一瞬に価値がある」という同社のスローガンに見事にマッチしていた。
ナスダックでも、図表1−1に示すとおり、株式の売買回転率は非常に高い(原注4 出所は、スティーブ・ガルブレイス、サンフォード・C・バーンスタイン社調査報告書、二〇〇〇年一月一〇日。この図にある株式は一九九九年には平均一一九六・四%のリターンを上げていたが、二〇〇〇年には平均で七九・一%、二〇〇一年には三五・五%、二〇〇二年には四四・五%下落した――一九九九年の値上がり益の分をすべて失ったことになり、この後もずるずると下落を続けている)。
プーマテクノロジー株を引例してみると、一九九九年の一時期は平均五・七日で保有者が変わっている。「今後百年間を見据えた株式市場」というナスダックの仰々しいモットーにもかかわらず、顧客の多くはわずか百時間で株を手放していたのである。
投資ビデオゲーム
ウォール街は、オンライントレードに簡単な金儲けの手段のような印象を持たせた――由緒あるモルガン・スタンレーのオンライン部門であるディスカバー・ブローカレッジが、薄汚れたレッカー車の運転手が羽振りの良さそうな会社の経営者を引き揚げているテレビコマーシャルを流したのだ。ダッシュボードに熱帯のビーチの写真が貼ってあるのを見つけたその経営者は、こう尋ねる。
「休暇かい?」
宣伝はさらに続く。オンライントレードには何の作業も要らないし、何も考えなくていい。オンライン証券のアメリトレードのテレビコマーシャルには、ジョギングから戻ってきたばかりの二人の主婦が登場する。ひとりはコンピューターを立ち上げてからマウスを数回クリックし、小躍りして喜んでいる。
一九九九年には、少なくとも六〇〇万人がオンラインで株取引をしていた――そしてその約一〇分の一が「デイトレーダー」であり、インターネットを使って電光石火の早業で株式を売買していた。ショービジネス界の歌姫バーブラ・ストライサンドや、ニューヨーク州クイーンズの元ウエーターで二五歳のニコラス・バーバスをはじめ、だれもが燃え盛っている石炭のように株に夢中になっていた。
「損益の欄が赤くなるのは見たくないわ。まるで雄牛のタウルスみたいに、赤い色を見るとすぐに反応しちゃうのよ。もし赤くなったら、株はすぐに売るわ」
金融関係のウエブサイトやテレビ番組は、株式関連の情報をバーや理髪店、料理屋、カフェ、タクシー、ドライブインに絶え間なく流すことで、株式市場をノンストップの国民的ビデオゲームに変えてしまった。一般大衆はかつてないほどマーケットに詳しくなったと感じている。だが残念ながら、情報はあふれんばかりになったが、知識はどこを探しても見当たらない。発行企業から完全に切り離され、株式が独り歩きをするようになってしまったのだ――単なる抽象概念、テレビやコンピューターの画面を横に走る信号映像になってしまった。その信号映像が上方に動こうが、どうでもいいことであった。
一九九九年一二月二〇日、ジュノ・オンライン・サービシズ社は先駆的な事業プランを発表した――意図的に、できる限り赤字にしようというものであった。ジュノは、今後は同社のサービスを無料で提供し――電子メールも無料、インターネット接続も無料――、翌年にはさらに数億ドルを宣伝広告に費やす予定だと発表したのである。この企業が自殺行為を宣言した途端、一六・三七五ドルだった株価が、わずか二日間で六六・七五ドルにまで急騰した(原注6 そのわずか一二カ月後には一・〇九三ドルまで暴落)。
採算が取れる事業かどうか、その企業ではどんな製品やサービスを提供しているのか、どんな人が経営に携わっているのか、さらにはその会社の名称は何というのか、を調べるのをなぜ面倒くさがるのだろう? 株式について知っておかなければならないのは、CBLT、INKT、PCLN、TGLO、VRSN、WBVNなど、ティッカーシンボルの覚えやすいコードだけであった(原注7 ティッカーシンボルとは、通常は取引目的で銘柄を特定するための省略表現として企業名の一〜四文字を使用した略語のこと)。これを知っていれば、インターネットの検索エンジンで銘柄を調べているうちに出遅れてしまうと心配することなく、株式を購入することができる。一九九八年末には、普段はほとんど取引されない建物の保守管理を行うテムコ・サービシズという小企業の株が、わずか数分間で過去最高のおよそ三倍という出来高を記録した。なぜこんなことが起きたのか? 少々変わった金融失読症の一種に陥った多くのトレーダーが、テムコ株のティッカーシンボル(TMCO)をインターネットの寵児、チケットマスター・オンライン社のティッカーシンボル(TMCS)と間違えて、テムコ株を購入してしまったのだ。チケットマスター・オンライン社は、この日が上場後初の取引日だった(原注8 こうした偶発的な出来事はこれだけにとどまらない――一九九〇年代末には、デイトレーダーたちが新興インターネット企業のティッカーシンボルと間違えて、違う銘柄の価格を急上昇させてしまった例が少なくとも三回ある)。
アイルランドの作家オスカー・ワイルドは、「どんな物の値段も知っているのに、その価値は全く分かっていないひねくれ者がいる」と冗談を言っていた。その定義に基づいて考えてみると、株式相場というのは常にひねくれているが、一九九〇年代末の動きを見たら、ワイルドもショックを受けただろう。たったひとつのいい加減な「価格」評価が、その企業の「価値」が全く検討されないまま、株価を倍にしてしまったのだから。一九九八年末には、CIBCオッペンハイマーのアナリストだったヘンリー・ブロジェットがこう警告している。
「どのインターネット銘柄も同じで、バリュエーション(株価評価)は科学というよりは明らかにアート(芸術)に近い」
その後ブロジェットは将来の成長の可能性だけに言及し、アマゾン・ドット・コムの「株価目標」をいきなり一五〇ドルから四〇〇ドルに引き上げたのである。その日、アマゾン株は一九%急騰し――ブロジェットがそれは向こう一年間の目標だったのだと抗議したにもかかわらず――、その四〇〇ドルをわずか三週間で達成してしまった。その一年後、ペインウェバー証券のナアリスト、ウォルター・ピーシクは、クアルコム株は向こう一二カ月で一株一〇〇〇ドルを付けるだろうと予測。クアルコム株は――その年に既に一八四二%も上昇していた――、その日さらに三一%上げて、一株六五九ドルを付けた(原注9 二〇〇〇〜二〇〇一年にかけて、アマゾン株とクアルコム株は、累計でそれぞれ八五・八%、七一・三%下落した)。
フォーミュラからフィアスコ(大失敗)へ
しかし、あたかもお尻に火がつくようなトレードだけが投機ではない。過去十余年を通して、投機のフォーミュラが次々と奨励され、一般に普及しては見捨てられてきた。それらにはいくつかの共通した特徴――早い! 簡単! 少しも堪えない!――があり、どれもがグレアムの言う投資と投機の違いの定義のひとつに反していた。全く成果が上がらなかった、その最新のフォーミュラをいくつか挙げてみる。
一九八〇年代に出版された論文や書籍では、「一月効果」――小型株は年末年始にかけて大きく上昇する傾向があること――が盛んに言われていた。これらの論文には、一二月後半に小型株を大量に仕込んで一月まで保有していれば、市場平均を五〜一〇%上回ると書かれていたが、これには多くの専門家が唖然とした。もしそんなことが簡単にできるのなら、だれもがその話に耳を傾け、多くの人がそれを実践し、結局はその機会を遠ざけてしまったはずだ。
一月ショックの原因は何だったのだろう? まずひとつ目に、多くの投資家は、節税目的で価値のない銘柄を年末に売って損失を確定するからである。二つ目に、プロの運用会社は、アウトパフォームを維持しようとして(あるいはアンダーパフォームを最小限に食い止めようとして)、年末が近づくにつれてどんどん慎重さを増してくるからである。だから安い株を買い渋る(あるいは手放さない)のである。また、もしアンダーパフォームしている銘柄が目立たない小型株なら、運用会社は年末の保有銘柄リストにその銘柄を載せようとも思わない。これらの要因がすべて重なって、小型株が一時的に割安になるのである――一月に節税目的の売りが一巡すると、小型株は大抵反発し、上げ足を速める。
一月効果は、消えはしなかったが、薄れてはきた。ロチェスター大学のファイナンス学教授ウィリアム・シュエルトによると、もし小型株を一二月末に買って一月初めに売っていたら、一九六二〜七九年にかけては八・五%、一九八〇〜八九年にかけては四・四%、一九九〇〜二〇〇一年にかけては五・八%、市場平均を上回っているはずだ(原注10 シュエルトは『アノマリーズ・アンド・マーケット・エフィシエンシー(Anomalies and Market Efficiency)』という素晴らしい研究論文でこれらの成果を論じている。この論文は http://schwert.ssb.rochester.edu/papers.htm で閲覧できる)。
一月効果について投資家が学べば学ぶほど、トレーダーは一二月に小型株を買ってはそれらを割高にしてしまい、よってリターンを下げている。また、一月効果が最大に出るのは小型株である――しかし、売買委託手数料に関する大手専門機関のプレクサス・グループによると、こうした小型株の売り買いに掛かる総費用は、投資金額の八%にも達している(原注11 http://www.plexusgroup.com/fs_research.html にてプレクサス・グループの解説五四『ジ・オフィシャル・アイスバーグス・オブ・トランザクション・コスツ(The Official Icebergs of Transaction Costs)』[一九九八年一月]を参照)。残念ながら、あなたが証券会社に手数料を払うと、せっかくの一月効果による利益も無と化してしまうのである。
一九九六年のこと、ジェームズ・P・オショーネシーという無名のマネーマネジャーが、『ウォール街で勝つ法則――株式投資で最高の収益を上げるために』(パンローリング)と題した書籍を出版した。オショーネシーはこの中で、「投資家は市場平均よりずっといい成績を上げられる」と力説。そして目からウロコが出るようなことを主張した。一九五四〜九四年の間に、あなたは市場平均を一〇倍以上も上回り、一万ドルを八〇七万四五〇四ドルに増やせたかもしれないのだと――リターンは年平均一八・二%。どうすればそんなことが可能だったのか? 一年間のリターンが最も高く、五年連続で利益が前年を上回っており、株価が一株当たり売上高の一・五倍未満の五〇銘柄をまとめて買えばよかったのだそうだ(原注12 ジェームズ・P・オショーネシー著『ウォール街で勝つ法則――株式投資で最高の収益を上げるために』、一三〜一四、三〇一〜三三九ページ)。まるでウォール街のエジソンだとでも言わんばかりに、オショーネシーは自分の「機械的銘柄スクリーニング戦略」で米国の特許(特許番号五九七八七七八)を取得し、自分の研究成果をベースにした四本のミューチュアルファンドを立ち上げると、一九九九年末には一般投資家から一億七五〇〇万ドルを集めた――またオショーネシーは株主に宛てた年次書簡の中で、「いつもどおり最後まで頑張って、わたしどもが長年かけて実証した投資戦略を貫き通せば、すべてのファンドで長期的目標を達成できる」とも豪語している。
ところが、『ウォール街で勝つ法則』は、オショーネシーがこの書簡を公表した直後に通用しなくなってしまった。図表1−2に示すとおり、彼のファンドのうち二本はどうしようもないほど下落したため、二〇〇〇年初頭には運用停止に追い込まれてしまった。一方、株式市場全体(S&P五〇〇)は、ほぼ四年にわたって間断なくオショーネシーの全ファンドに圧勝した。
二〇〇〇年六月、オショーネシーはこれらのファンドを新たな運用会社に引き渡し、顧客には「長年かけて実証した投資戦略」でどうにかやりくりさせながら、自分の「長期的目標」に近づくことができた(原注13 すごい皮肉だが、オショーネシーの生き残った二つのファンド[現在はヘネシー・ファンドとして知られている]は、彼が運用を別会社に委託したことを発表した途端に上昇し始めたのだ。ファンドの保有者たちは烈火のごとく怒った。http://www.morningstar.com のチャットルームでは、こんな怒りの声が上がっていた――「オショーネシーの言う『長期』というのは三年か。(……)あなたの辛さはよく分かります。わたしだってオショーネシーの法則を信じていましたから。(……)友人や親戚にもこのファンドのことを話したんですけど、今となっては、みんなわたしのアドバイスを聞いてくれなくてよかったですよ」)。ファンドの保有者たちは、オショーネシーがその著書にもっと正確なタイトル――例えば『ウォール街で勝っていた法則――わたしが本書を書くまで』――をつけても、それほど動揺しなかっただろう。
一九九〇年代の半ば、米国のモトリー・フール社は、自社が運営する人気ウエブサイト(および数冊の書籍)で、「フーリッシュ4(フールな四銘柄)」と呼ばれる投資戦略を大々的に発表した。モトリー・フールによると、投資計画に「一年のうちたった一五分費やすだけで」、あなたは「過去二五年にわたって市場平均を大きく上回ることができたはず」だし、「ミューチュアルファンドだって打ち負かす」こともできた、また何よりも、この投資戦略には「最小のリスク」しかなかった、あなたは以下の六項目をやるだけでよかった、ということだが、次にその六項目を挙げてみる。
この投資法なら、二五年間で年一〇・一%という驚異的なパフォーマンスで市場を上回ることができたはずだ、と彼らは主張していた。続く二〇年間については、「フーリッシュ4」に投資した二万ドルが一七九万一〇〇〇ドルになるはずだとも示唆(また、ダウ銘柄の中から、配当利回り×配当利回りを株価で除し、そのレシオが最も高い銘柄を五つ選び、そこから一番上の銘柄を捨てて残りの四銘柄を買い付ければ、もっと高いパフォーマンスを達成できると主張)。
では、この「戦略」がグレアムの投資の定義に合致するのかどうかを考えてみよう。
要するに「フーリッシュ4」とは、過去に考案された手法の中でも最もバカげた株式選別法のひとつだったのだ。道化師(フール)たちもオショーネシーと同じ過ちを犯していたのである。つまり、過去のデータに数多く目を通していれば、思いがけなくであっても、きっと多くのパターンが見えていたはずだ。偶然に運が良かっただけだったとしても、平均以上のパフォーマンスを上げる銘柄のリターンには共通点がたくさんある。しかし、これらのファクターが株価をアウトパフォーム「させない」以上、将来のリターン予測に使うことはできないのである。
モトリー・フールがこんなに大騒ぎをして「発見した」ファクター――最高の銘柄を捨て、二番目に良い銘柄に他の銘柄の倍額を投じ、配当利回りの二乗を株価で割る――のうち、将来の株式のパフォーマンスを生み出す、あるいは説明できるものはひとつもないだろう。『マネー』誌によれば、社名に文字のダブリがない銘柄で構成されたポートフォリオなら「フーリッシュ4」とほぼ同等のパフォーマンスを上げている――また同じ理由から、運が良かっただけ――ということに気づいた(原注14 『マネー』誌一九九九年八月号、五五〜五七ページ、ジェイソン・ツバイク著『フォルス・プロフィッツ(False Profits)』を参照。「フーリッシュ4」に関する徹底的な議論は、http://www.investorhome.com/fool.htm で閲覧できる)。グレアムが常に念を押しているように、株価が将来上がる、あるいは下がるのは、その根幹をなす事業が好調だから、あるいは不調だからである――それ以外の要素は一切ないのである。
案の定、「フーリッシュ4」は市場を打ち負かすどころか、愚かにもそれが投資の形だと信じた多くの人々を打ち負かしてしまった。二〇〇〇年だけでも、「フーリッシュ4」の四銘柄――キャタピラー、イーストマン・コダック、SBC、ゼネラルモーターズ――は、ダウ平均がわずか四・七%の下げだったのに対して、一四%も下落している。
良い悪いは別にして、投機的な本能は、ある意味では人間の本質であり、ほとんどの人にとってはそれを抑えようとすることすら無益である。しかし、あなたはそれを抑制しなければならない。それこそが、あなたが投機と投資を混同するといった勘違いを絶対にしない唯一にして最良の方法なのである。
■第1章 注解
人間のあらゆる不幸の原因は、ただひとつ、部屋でじっとしている術を知らないことである。
投資家は事業の価値に照らしてその株式の価値を計算するが、投機家の場合は、他人が高い金を払っているからという理由で、株価が上がるものと考える。グレアムがかつて述べていたように、投資家は「十分に確立された価値基準で市場価格」を評価するが、投機家の場合は、市場価格に(自分たちの)価値基準を置いているのである(原注2 『証券分析【一九三四年版】』[パンローリング]、四二九ページ)。投機家にとっては、淀みなく流れる相場は酸素のようなもので、その流れが断ち切られると死んでしまうが、投資家にとっては、グレアムの言う「相場」の値はあまり関係ない。グレアムは、もし日々の株価を確かめようがなくても、自分が安心してその株を保有していられる場合に限って投資するよう主張している(原注3 グレアムはあるインタビューでこうアドバイスしている。「自分に問い掛けてみることです。もしこの株に相場が存在しなかったら、自分はこういう条件でこの会社に喜んで投資するだろうか?とね」『フォーブス』誌一九七二年一月一日号、九〇ページ)。
「もちろんです。ここはわが家ですよ」と運転手。
びっくりした経営者はこう言う。
「まるで島だね」
すると運転手は勝ち誇った様子だが、穏やかにこう答える。
「正確には、ひとつの国ですよ」
「ちょうど一七〇〇ドルぐらい儲かったかしら!」
ウォーターハウス証券のテレビコマーシャルでは、NBA(米プロバスケットボール協会)のフィル・ジャクソン元レイカーズ監督がこう聞かれている。
「トレードのことは何か聞いていますか?」
ジャクソン監督の答えはこうだ。
「すぐに何とかするさ」(もしジャクソン監督がこの哲学をコートに持ち込んでいたら、チームは何試合勝っていただろう? どういう訳か、他のチームのことを全く知らない監督だったが、彼はこう言った。「すぐに他のチームと試合をしてみるさ」。だが、これがチャンピオンになるための公式だとは思えない)
「以前は長期投資だったんだけど、賢いやり方じゃないってことに気づいたんだ」とバーバスは嘲笑するように言っていた。現在、バーバスは一日に一〇回までトレードをし、年間で一〇万ドルを稼ぎたいと思っている。
ストライザンドは『フォーブス』誌とのインタビューに身震いしながらそう答えていた(原注5 ストライサンドはただ眺めているのではなく、グレアムの言葉に耳を傾けるべきだった。賢明な投資家は、単に株価が下がっているからといって、決して見切り売りしたりはせず、常にその企業の根幹をなす事業の価値が変わったかどうかをまず尋ねるものだ)。
これらの例が示すとおり、ひとつだけウォール街の弱気相場に苦しめられないものがあるとしたら、それは愚考である。こうしたいわゆる投資アプローチのいずれもが、グレアムの法則に引っ掛かっていた。高いパフォーマンスを得るための機械的な手法はすべて、「一種の自滅的プロセス――リターンを少なくする法則と同じようなもの」なのである。リターンが消えてしまった理由は二つある。もしこの手法がでたらめな統計上のまぐれに基づいたものであれば(「フーリッシュ4」のように)、時間がたてば、そもそもそんな手法が無意味であったことが浮き彫りになる。逆に、もしこの手法が過去に実際にうまく機能していたというのなら(「一月効果」のように)、それを吹聴することで、マーケットのグルたちは常に将来勝つ可能性をむしばんでいる――普通は排除している――のである。
これらはどれも、投機とは老練の賭博師がカジノに通うようなもの、というグレアムの警告をいっそう強調している。
分別のある賭博師は、例えば一〇〇ドルを持ってカジノへ行き、残りの金はホテルの金庫にしまっておくが、それと同じで、賢明な投資家が「マッドマネー」(訳注 思い切って浪費できる余裕資金)勘定に入れる金額はポートフォリオ全体のごく一部なのである。大多数の人々にとって、全財産の一〇%というのは投機的なリスクを取れるギリギリの許容額である。「決して」この投機用の金額と投資用の金額とを一緒にしてはならない。「決して」自分の投機的な思考を投資活動にまで広げてはならない。どんなことが起ころうと、「決して」資産の一〇%以上を「マッドマネー」勘定に入れてはならない。
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