ウォーレン・バフェット
「時価に対して大きな安全域を有した価値ある銘柄を探す」というグレアムとドッドの証券分析手法は、今や時代遅れなのでしょうか? この問いかけに対して、投資の教本を執筆するようなプロの多くが「イエス」と答えるでしょう。彼らの主張とは、市場は効率的なものであり、よって株価は企業の将来展望や経済の状況といったことに関して、すべての周知の事柄を反映している、というものです。頭脳明晰な証券アナリストたちが、入手可能な情報を基に常に株価の適正水準を割り出しているために、過小評価された株式など存在しないと彼らは言います。彼らによれば、毎年相場に勝っているようにみえる投資家たちは、単に幸運であるにすぎません。「株価が入手可能な情報を余すところなく反映すれば、投資の熟練などといったことは意味がない」――これは、投資教本の執筆者たちのひとりが記した言葉です。
確かにそうかもしれません。しかし私はみなさんに、毎年必ずスタンダード・アンド・プアーズ総合五〇〇種株価指数を上回る運用成績を上げている人々の話をしたいと思います。それが単なる幸運にすぎないとしても、その内容を考察する価値はあるでしょう。この考察に当たって非常に重要なのは、これらの成功者たちすべては私のよく知る人々であり、以前(最短の人でも一五年以上前)からスーパー投資家と目されていた人たちであるという事実です。もしも私が今朝、何千ものデータにあたって恣意的に数人を選び出したのだとすれば、これ以上読み進めても無駄です。しかし、これから挙げるデータはすべてが監査済みのものです。さらには、これらのファンドマネジャーたちを使った人々の多くと私は以前からの知り合いであり、彼らは何年も前から報告書通りの利益を得てきているのです。
この件に関して述べるに当たり、まずはみなさんに全国民的コイン投げ大会が行われことを想像してもらいたいと思います。二億二五〇〇万人の全アメリカ国民に対して、明朝、各々一ドルずつ掛け金を出すように頼みます。人々は日の出とともに外に出て、表か裏かを声に出して一斉にコインを投げます。予想が当たった人は、外れた人から一ドルもらいます。当たって得たおカネは、すべてが翌日の掛け金に回されます。一〇回目のコイン投げが終わった一〇日目の朝には、およそ二二万人の国民が勝ち残り、その全員が一〇〇〇ドル余りを手にしていることになります。
このころには恐らく勝者たちは少し天狗になっているはずです。努めて平静を保とうとしても、カクテルパーティーの席では魅力ある異性に対して、自分がどんな技術を持ち、どんな素晴らしい洞察力を武器にコイン投げに臨んでいるかについて、得々と語る人も出てくるでしょう。
勝者が敗者から順当に掛け金を回収していけば、さらに一〇日後には二〇回連続でコイン投げを勝ち抜いて、一ドルを一〇〇万ドル以上に増やした二一五人が残ります。二億二五〇〇万ドルが回収され、二億二五〇〇万ドルが勝者の手に残ったことになります。
このころには、勝者たちはもう正気を失っています。「二〇日間、毎朝三〇秒の労働で、一ドルを一〇〇万ドルにする方法」というタイトルで本を書く人さえ現れるはずです。しかしもっと悪いことに、彼らは恐らく国内を飛び回って「効率的コイン投げセミナー」に参加し、疑い深い講師陣を相手取って「それがあり得ないと言うなら、われわれ二一五人の存在をどう説明するのだ」と食って掛かることでしょう。
そこで恐らくどこかのビジネススクールの教授が無礼にも割って入り、ある事実を提起するはずです。つまり、二億二五〇〇万匹のオランウータンに同様のことをやらせても、結果はほとんど同じ――二〇回連続で勝ち抜いた二一五匹の自己中心的なオランウータンが残る――であろうと。
しかし今から私が述べる例には、重要な相違点がいくつかあります。第一に、もしも(A)二億二五〇〇万匹のオランウータンを、米国民とほぼ同様の人口分布で全国に分散させ、(B)二一五頭が二〇日後に勝ち残り、(C)そのうちの四〇匹がネブラスカ州オマハのある特定の動物園にいるオランウータンだとすれば、何か理由があるとみんなが確信するはずです。そこで動物園に出向き、どんなエサを与えているのか、特別な運動をさせているのか、どんな本を読ませているのかなど、ありとあらゆることを飼育係に尋ねることでしょう。つまり、成功者が異常なまでに集中していることに気づけば、それが単なる偶然にすぎないかもしれなくとも、その因果関係を知りたいと思うだろうということです。
科学的調査は通常そうしたやり方を採用します。米国内で年間一五〇〇例ほど報告される、ある珍しい種類のガンに関する原因分析を行っているとして、そのうち四〇〇例がモンタナ州のとある小さな炭鉱の町に住む人々だとすれば、その土地の水質や患者の職業などについて強い関心が集まるはずです。単なる偶然によって、四〇〇もの例がごく狭い地域に集中したと考える人はいません。必ずしも原因が特定できなくとも、調査すべき場所は明確なのです。
原因を明らかにする方法は地理学だけではないと、私はみなさんに申し上げたいと思います。地理学的な要因に加えて、知性面における要因と呼ぶべきものが存在するといえるのではないでしょうか。投資の世界におけるコイン投げの勝者が、「グレアム・ドッズビル」という名のとても小さな知性の村に集中していることに、みなさんは気づかれることでしょう。偶然では説明のつかない勝者の集中に関して調べれば、この知性の村にたどり着くはずなのです。
たとえこのように勝者が集中したとしても、そのことに重要性が認められない場合もあるかもしれません。一〇〇人の人々が、リーダー格の人間の賭け方をそっくり真似してコイン投げをしているような場合です。彼が「表」と言えば、一〇〇人の追随者たちは同じように賭けます。そのリーダーが最後に残った二一五人の一人のとき、一〇〇人が共通の知性的な要因を有しているという事実は何ら意味を持たないでしょう。一〇〇の事例ではなく、単一の事例として扱われるはずです。同様に、強い家長制が保たれた社会を想像してみましょう。便宜上、米国のすべての世帯が一〇人家族だとします。家長は絶対的な存在であるために、二億二五〇〇万人がコイン投げ大会の初日に外へ出ると、家族全員が家長と同じ面に賭けるとします。二〇日後には二一五人が勝ち残り、彼らがたった二一・五世帯の家族たちだということになります。これはコイン投げで当てるという大きな遺伝的要因の存在を示しているのだ、と純真な人は言うかもしれません。しかしもちろん、そんなことには全く重要性はありません。なぜならば、ただ単に、二一五人の勝者が個人ではなく、任意に分散された二一・五の家族であるということにすぎないからです。
私が今からお話する投資の成功者たちには、知性面における共通の家長がいます。ベン・グレアムです。しかし、この家長の家を離れた子どもたちは、「コイン投げ」に各々異なったやり方で臨みました。彼らはさまざまな場所に散らばり、異なる株式や企業を売買してきたにもかかわらず、その総合的な売買実績は単なる偶然では説明不可能なものとなっていたのです。これは、彼ら全員が指導者の合図に従って同じコインの面に賭けたという例えでは、全く説明のつかないものです。家長はただ単にコイン投げにおける判断を下すための知的理論を示したにすぎず、生徒各自がその理論を自分なりに適用して決断を行ってきたのです。
グレアムとドッドを師とする投資家たちの共通の知的主題とは、あるビジネスの持つ価値と、そのビジネスの断片に付けられた市場価格との不一致を探すというものです。本質的に彼らはその格差を利用して利益を得るのであって、その株を何曜日にあるいは何月に買うべきかというような、効率的市場理論支持者たちのようなことは考えません。ついでに言えば、多くの実業家は、事業を買う――それはグレアムとドッドの門下の投資家たちが市場を通じた株式の買い付けという形で行っていることと同じです――場合に、その購入の判断を下すに当たって購入時期を重要な要素とは考えないはずです。ある事業全体を買うときに、それが月曜日だろうと金曜日だろうと何ら違いがないとすれば、学識者たちはなぜ、その同じ事業の一部分を買うときには購入のタイミングによる違いを調べるために多くの時間と労力を注ぎ込むのか、私には理解できません。グレアム・ドッド門下の投資家たちは、当然ながらベータ値や資本資産評価モデル(CAPM)、投資収益における共分散などに関する検討は行いません。そういった事柄は興味の対象外なのです。実際、ほとんどの者たちはそれらの意味を正確に理解すらしていないでしょう。彼らが重視するのは二つの変数、つまり価格と価値だけなのです。
私は常々、株価と出来高の動向や市場予測に関して、あまりに多くの研究がなされていることを、異常なことだと思っています。先週や先々週に株価が大幅上昇したという理由から、ある事業全体を購入するなどということが想像できますか? 当然ながら、株価や出来高というこれらの変数を用いた研究がなされている背景には、今日のコンピューター社会において、入手可能なデータには事欠かないという現実があります。こうした研究が行われるのは、必ずしもそれに有用性があるからではなく、ただそこにデータがあり、そのデータを巧みに操るための数学的技術を学識者たちが学ぼうと努力してきたということにすぎません。ひとたびそうした技術を身につけると、たとえ有用性がなかろうと逆効果であろうと、技術を活用しないことが罪に思えてきます。「ハンマーを手にした者にはすべてがクギに見えてくる」と、以前私の友人が言いましたが、まさにそういう状況なのです。
共通の知性の家を持つこの集団は、研究の価値があると私は考えます。ついでに言えば、株式のパフォーマンスに関して、価格や出来高、相場の周期、総資本の規模などについてさまざまな学術的研究がなされているにもかかわらず、価値を志向することで利益を上げてきたこの異例の集団に対しては、これまで何らその手法についての研究はされていないのです。
その投資結果の研究に当たっては、一九五四年から五六年までグレアム・ニューマン社で働いていた四人についての話から始めましょう。社員はたった四人、しかも何千人ものなかから選り抜かれた人々ではありません。私はベン・グレアムの講義を取った後、グレアム・ニューマン社で無償で働かせてほしいと申し出ましたが、買い被りすぎと言って、彼は私の申し出を拒絶しました。彼は価値を非常に重視していたのです! かなりしつこく食い下がった後、彼はついに私を雇いました。パートナーは三人で、それ以外の四人は素人のようなものでした。その四人全員が、会社が解散する五七年までの二年間に会社を去り、その後の三人の記録をたどることができます。
その最初の例(四七〇ページ掲載の表1参照)は、ウォルター・シュロスの記録です。彼はカレッジ出ではありませんが、ニューヨーク金融協会でのベン・グレアムの夜間コースを取りました。ウォルターはその後、一九五五年にグレアム・ニューマン社を去り、二八年間以上にわたって表に示したような成績を上げ続けたのです。
ここに金融ジャーナリストの“アダム・スミス”が――ウォルターに関して私が彼に話した後で――『スーパーマネー』(一九七二年出版)のなかで彼に関して触れた文章があります。
彼は有用な情報を持たないし、その入手法も知らない。実際、ウォール街に彼の名を知る人はおらず、彼には吹き込まれた概念などというものはない。冊子から必要な数字を探し出し、年次報告書を取り寄せる――彼がするのはそれだけである。
私にシュロスのことを紹介するに当たり、ウォーレンは自分自身の考えをも語ったようである――「彼は自分の扱っているカネが他人のものであることを肝に銘じており、それが損失に対する彼の憎悪をより一層強めているのです」。彼は完全なる高潔さを備え、現実的な自己分析ができる男である。彼に対しては、カネも、そして株も正直だ――そのことによって「安全域」の原則の魅力が窺い知れるのである。
ウォルターの分散投資は半端ではなく、常に一〇〇銘柄以上を保有しています。彼は個人株主の立場から見て、価値を大幅に下回った価格で売られている証券を見つけ出す方法を知っています。そして彼がするのはそれだけです。それが何月であろうが何曜日であろうが、あるいは選挙年であろうが、彼には関係ありません。彼が言うのは、一ドルの価値がある事業を私が四〇セントで買えるなら、何か私にとって良いことが起きるかもしれない、という至極単純なことです。そして彼自身がそれを何度も何度も何度も繰り返しています。彼は私以上に多くの株を保有しています。事業の基調をなす性質に対する関心は私よりはるかに低いのですが、ウォルターは私のことなどあまり気にしていません。それが彼の強みのひとつであり、彼はだれの影響も強く受けることはないのです。
第二の例は、トム・ナップです。彼もグレアム・ニューマン社で私の同僚だった人物です。彼は戦前にプリンストン大学で化学を専攻していましたが、兵役後は浜辺でブラブラしていました。そんなある日、彼はコロンビア大学でデイブ・ドッドによる投資に関する夜間コースが開講されることを知りました。トムは、卒業単位外となるその講座を受講して投資に非常に強い興味を抱き、コロンビア大学ビジネススクールに入学し、そこで経営学修士を修得しました。彼は再びドッドの講座を受講し、ベン・グレアムの講座も取りました。ちなみに、今述べた彼の経歴を確認するため、三五年を経てトムに電話をすると、彼はまたもや浜辺にいました。以前との唯一の違いは、今やそのビーチの所有者となっていたことです!
一九六八年に、トム・ナップとエド・アンダーソン(同じくグレアムの教え子)は、同様の信念を持った少数の男たちとトゥイーディ・ブラウン・パートナーズを設立し、非常に幅広い分散投資によって表2のような実績を上げました。彼らは企業の経営権を取得することもありましたが、パッシブ投資でも同様の成績を上げています。
表3は、グレアム門下生の第三の例として、一九五七年に設立されたバフェット・パートナーシップの成績を示したものです。設立者の最大の功績は、一九六九年に職を辞したことでした。ある意味それ以降、バークシャー・ハサウェイがそのパートナーシップを引き継ぐ形でこれまでやってきました。バークシャーにおける投資管理の明確なる判断基準となるような、単一の指標をみなさんに示すことはできませんが、どのような計算法によろうと満足のいく結果を上げてきたといえると思っています。
表4は、セコイア・ファンドの実績を表したもので、その経営者は、一九五一年にベン・グレアムの講座を通して知り合ったビル・ルエインです。彼はハーバードのビジネススクールを卒業後にウォール街の一員となり、そこでビジネスに関する正しい教育の重要性を悟り、コロンビア大学でベンの講座を取りました。そこで私たちは一九五一年初めに知り合ったわけです。比較的少額を運用していた一九五一〜七〇年にかけてのビルの実績は、平均をはるかに上回るものでした。バフェット・パートナーシップを閉じたときに、ファンドを立ち上げて私たちのパートナー全員を引き受けてくれないかと私がビルに頼んだのが、セコイア・ファンド誕生のきっかけです。彼がファンドを立ち上げたのは、まさに私が継続を断念したひどい状況のときでした。マーケットが二極化し、価値に焦点を合わせた投資法によって利益を上げるのが非常に困難な時期に、相場に足を踏み入れたのです。私の元パートナーたちが驚くほどの比率で彼のファンドにとどまったばかりでなく、表からお分かりのように相当の利益を得られたというのは、私にとって大きな喜びです。
これは後知恵による人選ではありません。ビルは私がパートナーたちに推薦した唯一の人物であり、私はそのときに「もしも彼が年率でS&P指数より四ポイント以上高いパフォーマンスを上げれば、それはかなりの成績といえるだろう」と述べました。ビルは、漸増する金額を運用しつつ、それをはるかに上回る成績を上げたのです。金額が増えるにつれて、運用の難しさも増します。規模とは錨の役割を果たすものです。規模が大きくなるにつれて平均以上の成績を上げられなくなるということではなく、利益が縮小するのです。万が一、あなたが二兆ドルを運用し、それが米国経済における証券価値の総額であるとすれば、平均以上の成績を上げられるとは考えないことです!
これまで見てきた記録について、付け加えておくべきことがあります。全期間を通じて、実際上これらのポートフォリオには共通部分がないということです。価格と価値の不一致という観点から証券選択を行っているというのは全員同じですが、それぞれの銘柄選択は大きく異なっています。ウォルターの最大の保有銘柄は、ハドソン・パルプ・アンド・ペーパーやジェッド・ハイランド石炭、ニューヨーク・トラップ・ロック・カンパニーなどで、その他の銘柄もビジネス誌に時折目を通す人ならなじみの名前ばかりです。トゥイーディ・ブラウンの選択銘柄は、知名度という点でいえばこれよりはるかに劣るものばかりです。それとは対照的に、ビルは大企業に投資してきました。彼らのポートフォリオが部分的にでも一致するというのは極めてまれなことです。これらの記録は、先導者が賭けたのと同じコインの面に、五〇人が大声で従うというやり方によって達成されたものではないのです。
表5は、ハーバード大学ロースクール出身で、大手法律事務所を設立した友人の投資記録です。一九六〇年ごろにばったり再会したときに、私は彼に言いました。法律は結構な趣味だが、もっと君の実力を発揮できることがあるかもしれないと。彼は、ウォルターとは正反対のパートナーシップを設立しました。彼のポートフォリオの大部分は、発行残高が非常に少ない銘柄で占められており、そのために彼のパフォーマンスはウォルターのそれよりはるかに不安定でしたが、割安銘柄を探すという取り組み方針は両者とも同じでした。彼はパフォーマンスに大きな山と谷ができることをむしろ好んでおり、投資結果に表れているように、彼は精神集中の鬼だったのです。ちなみにこれは、バークシャー・ハサウェイにおける私の経営上の長年にわたるパートナーである、チャーリー・マンガーの投資記録です。しかし彼が自分のパートナーシップを運営していたときは、彼のポートフォリオは私や先に述べただれのポートフォリオとも異なっていたのです。
表6は、南カリフォルニア大学で数学を専攻していた、チャーリー・マンガーの友人の投資記録です(彼もビジネススクールとは無縁のタイプです)。彼は卒業後IBMに入社し、しばらくは営業マンをしていました。私がチャーリーと出会った後に、チャーリーは彼と出会いました。彼の名はリック・ゲーリンです。リックは一九六五〜八三年の期間に、S&Pの複利換算の上昇率三一六%に対して、二万二二〇〇%という数字を上げました。恐らく彼がビジネススクールの教育を受けていないからでしょうが、その数字こそ彼が統計学上重要であると考えるものなのです。
ここで付随的な事柄を述べておきましょう。驚くべきことに、一ドル札を四〇セントで買うという概念は、それを学んで即座に効果を発揮する人と全く効果のない人がいます。予防接種のようなものなのです。話を聞いてすぐに理解しない人には、何年かけてもデータを見せても無駄です。彼らは、単にその単純な概念を理解できないようなのです。リック・ゲーリンのような人物は、正規のビジネス教育を受けずとも、バリュー・アプローチを即座に理解し、五分後にはもうそれを実践しています。私はこれまで、一〇年かけて徐々にこのアプローチに転換していった人を見たことがありません。これは知能指数や大学教育とは無関係のようです。即座に理解するか全く理解しないか、どちらかしかないのです。
表7は、スタン・パールメターの記録です。スタンはミシガン大学の教養学部出身で、ボーゼル&ジェイコブスという広告代理店のパートナーの一人でした。オマハにある私たちのオフィスが偶然にも同じビルにあったことから、一九六五年、彼は私のビジネスの方が儲かることに気づき、広告業界に見切りをつけました。このときも、スタンがバリュー・アプローチをモノにするのに要した時間はたったの五分です。
パールメターのポートフォリオは、ウォルター・シュロスのポートフォリオとも違えば、ビル・ルエインのそれとも違っています。彼らの記録はみな、それぞれ別個に作り出されたものです。しかし、パールメターが株を買う理由は常に、支払った以上のものを得られるかということに他なりません。彼は四半期ごとの収益予測や翌年の収益など気にかけませんし、買い付け日が何曜日になろうが、どこの投資調査会社が何を言おうが、彼にはどうでもよいことであり、価格のモメンタムや出来高なども彼の興味の対象外です。彼が唯一問題とするのは、そのビジネスにどれだけの価値があるか、ということなのです。
表8と表9は、私がかかわってきた二つの年金ファンドの記録です。これらは、私がかかわったいくつもの年金ファンドのなかから選り抜いたわけではありません(私が運用にかかわった年金ファンドは、この二つだけなのです)。両方のケースにおいて、私はファンドマネジャーたちにバリュー・アプローチを実践するよう指示しました。価値という観点から運用が行われている年金ファンドは、ごくごくわずかしかありません。表8はワシントン・ポスト社年金ファンドの運用記録です。同社は数年前にはある大手銀行に運用を任せており、価値を重視するファンドマネジャーを選んだ方が良い結果が得られるだろうと、私は彼らに提案したのです。
表からお分かりのように、変更後は全体的に高いパフォーマンスを維持しています。ワシントン・ポストはファンドマネジャーたちに債券比率を二五%以上に保つように指示しましたが、それは必ずしもマネジャーたちの意思ではなかったようです。ですから債券のパフォーマンスを表に含めておいたのは、彼らが債券の専門知識は特に有していないことを示すためにすぎません。彼らもそのことは認めるでしょう。得意としない分野で資金の二五%を運用し、それが全体収益の足を引っ張っているにもかかわらず、彼らは資金運用のランク付けで高い地位を得たのです。このワシントン・ポストのファンドに関する表は、長期間のデータを網羅したものではありませんが、遡及的に選ばれたのではない三人のファンドマネジャーがどのような投資判断を下してきたのかが、非常によく表れています。
表9は、FMC社のファンドの運用記録です。私自身がその投資判断に携わることはありませんが、一九七四年に同社がバリュー・マネジャーを選択するに当たって、私は彼らにアドバイスをしています。それ以前のFMCは、多くの大企業と同じような方法でファンドマネジャーを選んでいました。同社はこのバリュー・アプローチに「転換」して以来、今やベッカーによる年金ファンド調査の規模の部門で一位の座を獲得しています。昨年、同社には経歴一年以上のファンドマネジャーが八人おり、うち七人は、累積的運用成績がS&Pの成長率を上回っていました。昨年に限れば、八人全員がS&P指数以上の成績を上げています。この期間でみると、FMCの実際のパフォーマンスは、平均的パフォーマンスを正味金額で二億四三〇〇万ドルも上回っています。FMC社ではその理由を、ファンドマネジャー選択における自分たちの姿勢にあると考えています。同社のマネジャーたちは必ずしも私が名指しで選んだ人々ではありませんが、彼らには価値を基準に据えて証券選択を行うという共通的特徴があるのです。
さてみなさん、これまで取り上げてきた九つの記録は、グレアム・ドッド村出身の「コイン投げ師」たちのものです。これらファンドマネジャーたちは、何千人ものなかから私が後知恵によって選んだわけではありません。また、宝くじを当てた人々の名を、当てる以前には赤の他人であったにもかかわらず、単に羅列しているわけでもありません。彼らは投資判断に関する基本的取り組み方という観点から、何年も前に私が選び出した人たちなのです。私は彼らがどのような教育を受けてきたかを知っていましたし、さらには個人的に彼らの知的能力や性格、気性などもある程度承知していました。この集団が、平均よりはるかにリスクを低く抑えて投資を行ってきているということを理解するのは、とても重要なことです――相場全体が弱気だった年に彼らが上げた成績に注目してください。これら投資家たちは、投資スタイルという点でいえばまちまちですが、常に株券ではなくビジネスを買うという投資に対する姿勢では、全員が一致しています。なかには時としてビジネス全体を購入する者もいますが、ほとんどの場合は、みな単にビジネスの一部を買います。ビジネス全体を買うときもごく一部を買うときも、彼らは常に同じ姿勢で取り組みます。幅広い分散投資を行う者もいれば、ごく一握りの銘柄数しか保有しない者もいますが、彼ら全員が、市場価格と内在価値の差を利用して利益を得ているのです。
私は、市場は効率的ではないことがままあると確信しています。グレアム・ドッド派の投資家たちは、価格と価値の差を利用して利益を上げることに成功してきています。非常に感情が激しかったり、強欲であったり、あるいは意気消沈したウォール街の「群集」によって、株価が影響を受けて極端に振れる可能性があるとすれば、市場価格が常に合理的だとはいえないはずです。実際、市場価格がバカげたものとなることはたびたびあるのです。
リスクと報酬ということに関して、重要なことをひとつ述べましょう。リスクと報酬が、明白な相互関係にある場合もあります。だれかが私にこう言ってくるとします――「この六連発リボルバー拳銃には一発だけ弾が詰めてある。これを回転させて、一度だけ引き金を引いてみないかい? もしも君の命が助かれば君に一〇〇万ドルを上げよう」。私はこの申し出を、一〇〇万ドルでは安すぎると言って辞退することでしょう。すると彼は、二回引き金を引いて五〇〇万ドルでどうだと言ってくるかもしれません。これこそリスクと報酬の明白な相互関係といえるものです!
バリュー投資では、これと正反対のことが当てはまります。一ドル札を四〇セントで買う方が六〇セントで買うよりもリスクは低くなりますが、報酬に対する期待は前者の方が高くなります。バリュー投資法に基づくポートフォリオでは、報酬を得られる可能性が高ければ高いほど、それに伴うリスクは低くなるのです。
単純な例をひとつ。一九七三年、ワシントン・ポスト社の時価総額が八〇〇〇万ドルとなったことがありました。まさにその日のその瞬間、買い手が一〇人いたとして、そのだれに対してでも同社の資産は四億ドル、あるいはそれをはるかに上回る金額で、売却できたかもしれません。同社は『ワシントン・ポスト』紙や『ニューズウィーク』誌以外に、七つのテレビ局を所有していました。これらの資産の現在価値は二〇億ドルですから、当時四億ドルでだれかが買っていたとしても、その人は愚かではなかったといえるでしょう。
ところで、もしもワシントン・ポスト株の時価総額がさらに下落して、八〇〇〇万ドルではなく四〇〇〇万ドルにまで落ち込んでいたとすれば、それに関するベータ値はさらに高まることになります。ベータ値でリスクを測れると考えている人たちにとっては、株価が下がるほどリスクが高まるように思えるはずです。これではまるで不思議の国のアリスです。価値が四億ドルの資産を八〇〇〇万ドルで買うリスクよりも四〇〇〇万ドルで買うリスクの方が高いとする理由が、私には全く理解できません。実際、事業の値踏みに関する知識があってそのような証券を買うのであれば、四億ドルを八〇〇〇万ドルで買うときの本質的リスクはゼロです。資産を十分割して、四〇〇〇万ドルを八〇〇万ドルで買うのなら、なおのことです。四〇〇〇万ドルの価値があるのかは分からないので、取引相手が確実に正直で有能な人たちであってほしいと通常考えるものですが、それは難しいことではありません。
それ以外にも、根底をなす事業を大まかに概算できる知識がなければなりません。ただしぎりぎりで見積もるべきではありません。これが、ベン・グレアムのいう安全域の確保です。価値が八三〇〇万ドルの事業を八〇〇〇万ドルで買おうとしてはいけません。大きな余裕をみることが肝要なのです。三万ポンドの負荷に耐えると業者が主張する橋が建造されたとしても、その橋を走行するであろうトラックはせいぜい一万ポンドです。これと同じ原則が投資にも当てはまるのです。
最後に一言。利益優先主義の傾向が強い方々は、私がなぜこのような話をするのか不思議に思われているかもしれません。バリュー・アプローチへの転向者が増加すれば、価格と価値の差で利益を上げる機会がいや応なしに減ることになるからです。私からみなさんに言えることは、ベン・グレアムとデイブ・ドッドが『証券分析』を著した五〇年前からその秘密は明かされているにもかかわらず、私がこの手法を実践し始めて三五年がたつも、バリュー投資はいまだかつて流行を見せたことがないということです。人間には、簡単なものを小難しくするのを好むという、つむじ曲がりの性質があるようです。実際に学会は、ここ三〇年でバリュー投資をカリキュラムから外してきています。船は丸い地球を帆走しようとも、「地球は平らだと考える集団」は繁栄するのです。今後も市場では、価格と価値が一致しないケースが途切れることなく生まれ、グレアムとドッドの著書を読んだ者は成功を収め続けるのです。
(コロンビア大学ビジネススクール機関誌『ヘルメス』一九八四年秋号)
(一九五八年五月に開催された「財務アナリスト協会全国連盟」年次集会の冒頭に開催されたベンジャミン・グレアムによる講演)
ルール1――利息と配当
利息と配当は通常の収入と同様に課税対象となる。非課税となるのは、(A)連邦債や地方債などによる収入(連邦税は免税となるが、地方税は課税となる場合がある)、(B)元本の返還としての配当金、(C)投資会社から支払われたある種の配当(次項目を参照)、(D)国内企業の通常配当として受け取る最初の一〇〇ドル――である。
ルール2――キャピタル・ゲインとキャピタル・ロス
短期のキャピタル・ゲインとキャピタル・ロスは、正味の短期のキャピタル・ゲインとロスを得るために合算される。長期のキャピタル・ゲインとキャピタル・ロスは、正味の長期のキャピタル・ゲインとロスを得るために合算される。短期キャピタル・ゲインの正味金額の方が長期キャピタル・ゲインの正味金額よりも多ければ、その超過分は全額が収入とみなされる。それにかかる最大税率は、五万ドル以下であれば二五%、それ以上であれば三五%となる。
キャピタル・ロスの正味金額(キャピタル・ゲインを超過した額)は、一〇〇〇ドルを上限として現行年度の通常収入からの控除が可能で、その後、五年間同様の控除が認められている。あるいは、通常外の損失を適用して、キャピタル・ゲインを相殺することはいつでもできる(一九七〇年以前に繰り越された損失は、それ以降の損失よりも扱いが優遇されている)。
「規制投資会社」に関する注意点
投資会社のほとんどは、税法の特別条項によるメリットを受けており、それによってパートナーシップに近い形での課税形態が認められている。よって長期の証券投資収益が生じれば、彼らはそれを「キャピタル・ゲイン配当」として扱い、その顧客たちも同様に長期的収益として計上できる。それによって通常の配当よりも低い税率で済む。あるいは、投資会社には、顧客のアカウントに対して二五%の税金を支払った後、キャピタル・ゲイン配当として振り分けることなくキャピタル・ゲインの差額を保持するという選択肢もある。
ベンジャミン・グレアム
今からみなさんに、私が長年ウォール街に身を置き、いろいろな経験をしてきた事柄のなかからお話します。経験そのものの真価を問う、周期的に訪れる新たな状況の到来ということについても述べたいと思います。経済や金融や証券分析を、その他の専門分野との比較から特徴づける要素のひとつが、過去の事象に基づく現在や将来の確実な予測が不可能だという点にあるというのは間違いがないでしょう。とはいえ、過去の教訓を研究もしなければ理解もしないうちに、それらを切り捨ててしまうという権利は、私たちにはありません。本日の講演では、限られた領域――特に、株式投資や投機に対する私たちの基本的取り組み姿勢における、現在と過去の対照的な関係を明らかにしようとする試み――についての理解を深めることを趣旨としてお話します。
まずは私が述べる事柄の概要をご説明しましょう。過去においては、大抵の企業そのものに株式の投機的要因が存在しました。それは、業種が抱える不確実性や変動要因、業種自体の明らかな脆弱性や企業個々の状況に起因したものでした。当然ながら、これらの投機的要因は今なお存在しますが、これから述べるようなさまざまな長期的発展によって、その度合いはかなり低くなってきたといえるでしょう。しかしその代わりに、企業以外の新たな、そして大きな投機的要因が、株式投資の領域で徐々に勢力を伸ばしてきました。この新たな要因は、株を買う大衆とその投資顧問たち――その中心は私たち証券アナリストです――の姿勢や考え方から発生したものです。その姿勢を一言で表せば、「将来予想の最大重視」と言えるかもしれません。
こうした人々にとって最も合理的な考え方は、株価や株の評価はその企業の予想将来収益に基づいて決まるべきであるというものです。しかしこの単純に思える概念には、実は多くの逆説や落とし穴が潜んでいます。そのひとつとして、投資と投機とを隔てていた、かつては強固であった壁が取り払われてしまったことが挙げられます。辞書によれば、「投機する(speculate)」という単語の語源はラテン語の「見張り人(specula)」です。ですから投機家とは、状況に注意を払って、他人よりも早く将来成長をかぎつける人を指しました。しかし今日では、鋭敏かつ訳知りの投資家であれば将来予測を行うことが当然とされ、さらにいえば、投機家たちと同様にありふれた予測を行ったりしているのです。
第二に挙げられるのは、多くの場合、投資対象として最高の特性を備えた、つまり最高の信用格付けを得ている企業は、目覚ましい将来性が保証されているとだれもが考えるために、その株式が非常に大きな投機的関心を集める傾向にあるということです。第三点目は、将来予測や、とりわけ将来も成長が継続するという考えによって、高等数式を用いてお目当ての銘柄の現在価値を導き出すという流れが作り出されているということです。しかし、精密な数学を、精密というにはほど遠い前提に適用することによって、傑出した銘柄であればどんなに高かろうが、実質上いかなる価値をも導き出し、正当化することができるのです。しかし逆説的にいえば、今述べたような事柄こそが、確定値であれ狭い範囲で示された不確定の値であれ、それによって成長企業を正しく評価することはできないことを示唆していると考えられます。ゆえに、市場は時として成長という要素を驚くほど低く評価することがあり得るのです。
普通株の投機的要素について、その過去と現在の違いを識別する話に戻るに当たり、これらを耳慣れないけれど便利な二つの単語――つまり、内因性と外因性――によって表すことができるかもしれません。一九一一〜一三年のアメリカン・カン社とペンシルベニア鉄道に関するデータを使って、かつての投機的株式を、投資対象としての株式との比較で簡単にご説明します(これらのデータの出所は、一九四〇年マグローヒル出版、ベンジャミン・グレアムとデイビッド・L・ドッドの共著による『証券分析』)。
この三年間で「ペンシー(ペンシルベニア鉄道)」の株価は五三ドルから六五ドルのレンジ内でしか変動しておらず、株価収益率でいえば一二・二倍から一五倍です。同社の収益は堅調に推移し、三ドルの配当支払いがあり、株主たちは一株当たり五〇ドルを優に上回る有形資産という裏付けがあると信じていました。それとは対照的に、アメリカン・カン社の株価変動レンジは九ドルから四七ドル、一株当たり収益は七セントから八・八六ドル、三年間の平均収益に対する株価収益率は一・九倍から一〇倍、完全な無配、という状況であり、普通株の額面価格一〇〇ドルが意味するものは、明らかにされていない「水増し要因」の存在に他ならないことは、見識ある投資家たちにとっては自明の理でした。なぜなら、優先証券がそれに割り当てられた有形資産を超過していたからです。したがって当時アメリカン・カン社は、不安定で不確実な業種に属し、投機的な資本形成が行われていたために、同社の普通株は典型的な投機銘柄だったわけです。現実にはアメリカン・カン社はペンシルベニア鉄道とは比較にならないほどの高い長期的将来性を有していたにもかかわらず、投資家や投機家がその将来性を信じなかったばかりでなく、たとえ信じたとしても、投資家たちは一九一一〜一三年時点では、恐らくそれを投資の方針や計画からは基本的に除外したことでしょう。
さて、ここで投資における長期見通しの重要性について、例を挙げたいと思います。昨年数少ない売上高一〇億ドル企業群の仲間入りを果たした光彩を放つ巨大事業会社、他ならぬIBMに関する話です。少しでも話を身近に感じられるように、数字の羅列でなく多少自伝めいた内容となることをご承知ください。
一九一二年、私は大学を一時休学してUSエキスプレス社の研究プロジェクトに加わりました。最初に私たちが手がけたのは、運送料算出のためのある革命的な新システムを導入することによって、収益がどのような影響を受けるかを調べるという作業でした。そのために私たちが用いたのは、ホレリス機(ホレリスコードを使ってカードに情報をパンチする機械)と呼ばれるもので、コンピューティング・タブレーティング・レコーディング社(CTR社)からのリースでした。機械はカード穿孔器、カードソーター、タブレターで構成されていましたが、それらは当時のビジネスマンたちには耳慣れない道具であり、主たる利用者は国勢調査局でした。一九一四年に私はウォール街の一員となり、その翌年にCTR社の債券と株式がニューヨーク証券取引所に上場されました。この企業については個人的思い入れがあり、さらには同社製品を実際に操作した経験がある数少ない金融マンの一人として、私には同社の製品の技術的専門家であるというような自負もありました。そこで一九一六年の初め、勤めていた会社のトップであったA・N氏のところへ行って言いました――「四〇ドル代半ばで売られているCTR株は、一九一五年には一株当たり六・五〇ドルの収益を上げ、非分離の無形財産を加えた簿価は確実に一三〇ドルはあり、既に三ドルの配当を始めており、私自身同社の製品はかなり優れていると思います」と。A・N氏は私を哀れむような目で見ると、言いました。「ベン、その企業の名はもう二度と私の前で口にしないでくれ。半径三メートル以内に近づきたくないんだ(これは彼の得意のフレーズです)。CTRの表面利率六%の債券は八〇ドル台前半で売られているが、あれはダメだ。株なんてなおのことだ。水増し評価以外の何物でもないことはだれでも知っていることさ」(注釈 当時のこの言葉は最高の非難にあたります。つまり、バランスシート上の資産勘定は虚偽だということです。額面価格が一〇〇ドルであっても、USスチールを初めとした多くの事業会社は、工場設備勘定に手を加えてまさに水増し評価を行っていました。こうした企業には、収益力と将来性以外には後ろ盾となるものが「何もなかった」ので、自尊心の強い投資家たちは目もくれなかったのです)
私は再び禁欲的な青年となって統計学の世界に引きこもりました。A・N氏は経験豊富で成功を収めていただけでなく、極めて深い洞察力の持ち主でした。彼に全面的に却下された印象があまりに強かったために、私はいまだにコンピューティング・タブレーティング・レコーディング社の株を一度たりとも買ったことがありません。それは、一九二六年に社名がインターナショナル・ビジネス・マシーンズ(IBM)に変更された後も同じなのです。
さて、株式相場が極めて強気な年であった一九二六年に社名変更を行った、先ほどと同じ企業について見ていきましょう。同社は社名変更当時、バランスシート上ののれんの項目に、一三六〇万ドルというかなり多額の記載をしていました。一九一五年時点での普通株の後ろ盾となる自己資本は、実際に水増し評価にすぎませんでしたが、それ以降に同社はT・L・ワトソンの指揮の下で見事な業績を上げ、六九万一〇〇〇ドルだった正味利益は、その後一一年間における最大の伸び率である五倍以上で増加し、三七〇万ドルとなっていました。同社は既に普通株に割り当てるべき十分な有形資産を構築し、一対三・六の株式分割も済ませていました。そして、六・三九ドルの収益がある分割後の株式に対し、滞りなく三ドルを配当していました。このように成長の実績があり、かつ業界内で非常に高い地位を得ていた企業は、一九二六年の株式市場で熱狂的な人気を博していただろうとみなさん思われるかもしれません。さて、どうだったのでしょう。同年の株価レンジは三一ドルから五九ドル。平均は四五ドルで、そのときの株価収益率は七倍、配当利回りは一九一五年と同様六・七%でした。三一ドルの安値においては、株価が有形資産帳簿価格をはるかに上回るという状況ではなく、その点において一一年前よりもはるかに妥当な株価だったのです。
こうしたデータは(他にも枚挙にいとまがありませんが)、一九二〇年代の強気相場が最高潮に達するまで、昔ながらの投資見解が根強く残っていたことを示しています。これ以降のIBMの歴史は、一〇年刻みで要約することができます。一九三六年には一〇年前との比較で純益が二倍に伸び、株価収益率平均は七倍から一七・五倍に上昇しました。一九三六〜四六年では収益が二・五倍に伸びましたが、株価収益率平均は一七・五倍のまま変わりませんでした。その後、同社は急成長を果たし、一九五六年には純益が一〇年前のおよそ四倍、株価収益率平均は三二・五倍にまで上昇しました。そして昨年(一九五七年)、国外の非連結子会社については計算から除外しても、収益はさらに増加し、株価収益率平均も四二倍まで上昇したのです。
これら近年の数字を注意深く掘り下げると、四〇年前との比較における、興味深い類似点と相違点が見えてきます。事業会社のバランスシート上に横行していた、かつての恥ずべき水増し評価は、まずは情報公開、続いて損金処理という形で一掃されてきました。しかし今度は投資家と投機家自身の手で、別の種類の「水」が株式市場の価値評価に再びもたらされたのです。帳簿価格の七倍という株価が付いている現在、IBMには実質上帳簿価格など存在しないも同然です。つまり、株価の数分の一にすぎない帳簿価格は、株価における優先株の一種取るに足らない部分とみなすことができ、その残りの部分は、かつての投機家が収益力と将来性のみを頼りにウールワースやUSスチールの普通株を買いに走ったのとまさに同じことなのです。
参考までに述べれば、IBMが株価収益率七倍の企業から四〇倍の企業に変容を遂げた三〇年間において、大規模事業会社の内因性投機的側面と私が呼んできたものは、おおかた姿を消しました。こうした企業は今や財務状態も資本構成も堅実であり、以前と比べてはるかに巧みかつ誠実な経営がなされています。さらに、完全なる情報開示が求められることで、無知と秘密主義から発生していた重大な投機的要素のひとつが取り除かれたのです。
個人的な話題をもうひとつ。私がウォール街に入ってまだ間もないころ、お気に入りのミステリー銘柄のひとつにコンソリデーティド・ガス・オブ・ニューヨーク(現在のコンソリデーティド・エジソン)がありました。同社はニューヨーク・エジソン社という高収益の子会社を有していましたが、自社の報告書にはその全収益ではなく、配当収入だけが計上されていました。報告書に記載されないエジソン社の収益によって、謎と「目に見えない価値」が形成されていたのです。しかし驚いたことに、実はこれらの秘密の数字は、連邦公益事業委員会には毎年報告されていることに私は気が付きました。そのデータを問い合わせて記事を書くなど朝飯前でした(ちなみにそれは、巨額というほどではありませんでしたが)。古くからの友人の一人が、当時私に言いました――「ベン、表に出ない数字を公にしたことで君は自分をすごい奴だと思っているかもしれないが、ウォール街は君に感謝などしないよ。秘密のべールに包まれていたときの方が、白日の下にさらされたコンソリデーティド・ガスよりも興味を引くし、価値もあるんだ。何によらず鼻を突っ込みたがる君たち若造がウォール街を破滅させるのさ」
実際のところ、投機の炎に油を注いでいた三つのMは、今やすべて消滅しました。三つのMとは、「謎(Mystery)」「まやかし(Manipulation)」、そしてわずかな「利益(Margins)」です。しかし、かつての投機的要因に負けず劣らずそれ自身が投機的であるといえる価値評価の手法を、証券アナリストである私たち自らが作り出してきました。今やもう私たちにとっての「三つのM」は、ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチュアリング(3M社)以外に存在しません。そしてその普通株は、かつての投機と対比をなす形で現在の投機を余すことなく解き明かす存在だといえそうです。いくつか数字を挙げてみましょう。昨年(一九五七年)3M社の株価が一〇一ドルを付けていたとき、一九五六年の収益に対して株価は四四倍で、これはさほど株価が上昇したわけではないことを示していました。このとき同社の時価総額は一七億ドルで、うち純資産は二億ドル、残りの一五億ドルは市場が評価した「のれん価値」ということになります。こののれん価値を市場がどういう計算からはじき出したのかは分かりませんが、とにかくほんの数カ月後に市場は、同社ののれん価値評価を約四億五〇〇〇万ドル、つまりおよそ三〇%切り下げました。もちろん、このように素晴らしい企業の無形財産を正確に見積もることなど不可能です。ある種数学的法則のごとく、のれん価値や将来的な収益力が重要であればあるほど、その企業の真の価値評価は確定がしづらく、よって株式そのものの投機性が高まるものなのです。
過去と今日とを比較するに当たり、こうした無形財産の価値評価を行ううえで生じてきた極めて重大な違いを認識しておいた方がよいかもしれません。今から三〇年以上前は、平均株価であろうが、正式あるいは法的な査定であろうが、無形財産は有形財産よりも控えめに見積もるというのが基本原則でした。優良事業会社の株や債券から得られる利回りは、その有形資産に対して六〜八%が妥当だと考えられているかもしれませんが、その超過収益や企業自身が生み出した無形資産に対しては、一五%程度が基準とされていました(ウールワースの一九一一年の優先株と普通株にはほぼこれらの比率が当てはまりましたし、それ以外にも同様の銘柄が数多くありました)。ところが一九二〇年代以降はどうでしょう? 今や本質的に、関係の逆転がみられます。現在では、ある企業株が市場でまるまる帳簿価格の値で売られるためには、資本に対して一般的に一〇%の収益を上げる必要があります。しかし一〇%を上回った超過収益分は、通常もっと寛大な評価がなされます――つまり、帳簿価格に等しい株価を維持するために必要な基本収益部分よりも高い倍率で評価されるのです。ゆえに、資本に対して一五%の収益を上げる企業は、収益の一三・五倍なり、純資産の二倍なりの株価が付いても不思議はありません。その意味とは、資本に対して一〇%の収益を上げてもそれは一〇倍にしか評価されないが、さらに五%の(超過)収益があれば、その分は実際上二〇倍に評価されるということなのです。
価値評価に際してこのような逆転が起きたのには、成長への期待が新たな形で重視されていることに関係した、理論的な理由があります。資本に対して高い収益を上げる企業がこのように寛大な評価を得ているのは、高い収益性そのものやその収益が比較的安定しているからばかりでなく、資本収益率が高い場合には一般的に過去の成長率と将来性も同様に高いということが、恐らくさらに大きな理由です。したがって、収益性の高い企業のケースで、今日現実的に「買われ」ているのは、ブランド名や儲かる事業というような古い限定的な意味でののれん価値ではなく、むしろ将来的な収益成長に関しての企業への並外れた期待なのです。
示唆的な形でしか触れませんが、株式評価の新たな傾向についての数学的な側面を一、二点付け加えたいと思います。私の考察通りに、株価収益率は収益性(つまり帳簿価格に対する収益率の増加)に比例すると仮定すれば、価値は収益の二乗に正比例し、帳簿価格の二乗に反比例する傾向にある、という数学的な帰結に達します。ゆえに、重要かつ極めて実質的な意味で、今や有形資産は平均株価の裏付けというよりむしろお荷物となっています。極端とはいえない例をみてみましょう。A社は帳簿価格二〇ドルに対して一株当たり収益が四ドル、B社は帳簿価格一〇〇ドルに対して一株当たり収益が同じく四ドルだとすれば、ほぼ間違いなく株価収益率はA社の方が高くなり、よって、例えばA社株は六〇ドルでB社株は三五ドルというように、B社よりも高い株価が付くことになるでしょう。ゆえに、一株当たり収益は等しいのであるから、一株当たり資産が八〇ドル多いせいで、B社の株価は二五ドル安いのだといっても過言ではないでしょう。
しかしそれよりも重要なのは、新たな株の価値評価手順と数学との総合的な関係です。三つの要因――つまり、(A)収益成長率に関する楽観的憶測、(B)その成長が将来十分な長期に及ぶという予測、(C)複利の神業的な働き――が前提となっているとすれば、驚くなかれ、証券アナリストは真の「優良銘柄」について自らが望むいかなる価値評価をも正当化するための、新手の試金石を手に入れているも同然です。強気相場における高等数学の流行について、最近の『アナリスト・ジャーナル』誌に寄せた記事のなかで私は、二〇〇年以上にわたって数学者たちを悩ませ続けている有名なピーターズバーグ・パラドクスと、成長株の評価との顕著な類似点を挙げた、デービッド・デュアランドの言葉を引用しました。私が言いたいのは、数学と株式投資の関係には特別なパラドクスが介在するということです。そのパラドクスとは、「数学的計算は一般的に、正確で信頼できる答えを導き出すためのものであるが、株式市場においてはその計算が精巧かつ難解であればあるほど、そこから導き出される結論は不確実性と投機性の高いものになる」というものです。四〇年間ウォール街で経験と学習を積んできましたが、普通株評価やそれに関連する投資手段のための信頼に足る計算式で、単純な数式やごく初歩的な代数計算よりも高度なものに、私はいまだ出合ったことがありません。高度な計算法や代数が話題に上るようならば、ペテン師が経験を理論ですり替え、投機を投資に見せかけようとしている警告サインであるとみて、ほぼ間違いないでしょう。
株式投資に関するかつての概念は、いまどきの洗練された証券アナリストにとっては極めてあか抜けないものに映るでしょう。かつて常に重点が置かれていたのは、企業つまりその株式の防衛的側面と今日私たちが呼ぶものであり、とりわけ、不況下でも企業が減配することなく配当を続けることの確実性でした。こうした理由から、体力が強く、標準的な株式投資銘柄であった五〇年前の鉄道会社が、事実上近年の公益事業株と同様の見方をされていました。過去の業績に安定性が認められれば最大の必要条件はクリアしたものとされ、将来的に企業の基本的特質にマイナスの変化が生じる可能性について深く追求することはなかったのです。しかし逆にいえば、抜け目ない投資家たちは際立って好ましい将来性を備えた企業を物色しても、その将来性に対してカネを払うべきではないと考えていたということです。
つまり基本的に投資家は、素晴らしい長期的将来性に対して大きなプレミアムを支払う必要がなかったということです。彼らはその将来性を、単なる優良企業ではない最高の企業の発見という、自己の優れた知性と判断力に対する報酬として、実質的に割増料金を支払うことなく手に入れていました。財務状態の健全性、過去の収益実績、配当の安定性が同レベルの株であれば、すべてが近似した配当利回りで売られていたのです。
このような考えは確かに単純すぎたかもしれませんが、そのためにかつての株式投資は単純なだけでなく本質的に堅実かつ非常に利益性の高いものであったという、大きな利点もありました。最後にもうひとつだけ個人的な話をさせてください。一九二〇年ごろ、私の働く会社では定期的に「投資家のための教訓」というタイトルの小冊子を配布していました。もちろん、このような独善的で生意気なタイトルを考え出したのは、私を含む二〇代半ばの無謀なアナリストたちです。ある号で私は不用意な発言をしました。「ある普通株が優れた投資対象だとすれば、それは優れた投機の対象にもなる」と。私がそのように述べたのは、投資対象として非常に堅実で損失のリスクがほとんどない普通株があれば、それは、大抵は将来的に利益を上げる可能性が高いと考えて差し支えないという推論をしていたからです。ところで、あのときの私の言葉は、真実を言い当てた貴重な発見でありました。ただし、だれ一人それに注目する人がいなかったからこそ、という注釈がつきます。数年後、株式が長期投資対象として過去に有してきた利点に大衆が気づくようになると、間もなく彼らはそうした恩恵に浴することができなくなりました。なぜなら大衆の熱狂が作り出した株価水準によって、株価に内在していた安全域が消し飛んでしまい、よってそうした銘柄は投資適格から外れてしまったからです。当然ながら、その後振り子は大きく反対方向に振れ、ほどなく(一九三一年に)最大の権威筋が、いかなる銘柄であれ株式は投資対象にはなり得ないと宣言するに至ったのです。
この長期にわたる過去の流れを秩序立てて考えてみると、インカムゲインとの対照という意味でのキャピタルゲインに対する投資家の態度の変化に、先ほどとは別の一連のパラドクスが見えてきます。かつての株式投資家がキャピタルゲインにはあまり関心がなかったというのは、当然のことに思えます。彼らのほとんどは、安全に配当収入を得る目的で株を買っていたのであり、値上がり益は投機家にまかせていました。ところが今日では、経験豊富で抜け目ない投資家ほど配当収入への関心は低く、長期値上がり益に最大の関心を置く傾向が強いといえそうです。しかしあまのじゃくの人は、少なくとも事業会社株の分野では実質的に投資元本の増加は保証されていると思われていたので、将来それが増加することに昔の投資家は強く固執してなかったと主張するかもしれません。これを逆にいえば、今日の投資家は将来予測を重視するがために、事前に十分すぎる金額を支払っているということです。よって、研究と用心を怠らなかった結果としての投資が、実際「吉」と出る可能性も、全く利益を生まない可能性もあります。万が一、期待以下の利益しか得られなければ、その投資家は一時的かつ恐らく永久的に、深刻な損失を被ることになるかもしれません。
現在(一九五八年)のアナリストは、過去と今日の投資姿勢を関連付けることでどのような教訓――一九二〇年のパンフレットのタイトルに使った仰々しい言葉を再び使いますが――を得ることができるのでしょう? 価値ある教訓などないと言う人もいるでしょう。現在価値に対する代価だけを支払えば将来成長はタダで手に入れることができた古き良き時代を懐かしく振り返っては、頭を振って哀しげにつぶやくのです――「もうあのころには戻れない」。投資家と証券アナリストは、将来性の良し悪しを知る木になるリンゴをまだ食べてはいないのでしょうか? だとすれば、将来有望な普通株を妥当な代価でもぎ取ることができるエデンの園から、永遠に追われたわけではないのでしょうか? 高い質と将来性を手に入れる代償として法外な価格を支払うか、あるいは妥当と思える価格を支払ったときには品質にも将来性にも目をつぶるか、私たちは常にどちらかのリスクを負う運命なのでしょうか?
確かにそう思えてきます。でも悲観的なジレンマでさえ確信が持てる人はいません。私は最近、かの巨大企業ゼネラルエレクトリック社(GE)の長期業績に関する、ちょっとした研究を行いました。きっかけは、同社の一九五七年の報告書に掲載されていた、過去五九年間にわたる収益と配当を記したチャートに興味を持ったからです。知識が豊富なアナリストにとっては、このデータは特段驚くべきものではありません。例えば、一九四七年以前のGEは派手な成長はしておらず、業績も非常に不安定でした。一九四六年の調整済み一株当たり収益は、一九〇二年からたったの三〇%(四〇セントが五二セントに)しか伸びておらず、またこの期間中で一九〇二年の二倍の収益を上げた年は一年もありませんでした。しかし、一九一〇年と一九一六年に九倍であった株価収益率は、一九三六年と一九四六年には二九倍に上昇していました。当然ながら、一九四六年の株価収益率は、少なくとも抜け目ない投資家たちの名高い先見力を示したものであると言う人もいるでしょう。当時、われわれアナリストには、今後一〇年間にGEの輝かしい成長の時代が控えていることを予見する能力がありました、多分。しかし、ご記憶の方もおられるように、GEが一株当たり収益で感動的な最高記録を打ち立てた翌一九四七年、株価収益率は異常なまでの下落をみせたのです。GEの株は実際に三二ドルという安値(一対三の株式分割前)にまで下がり、その株価は直近の収益に対してたったの九倍であり、その年の株価収益率の平均は一〇倍前後でしかありませんでした。私たちの水晶球は、ほんの一二カ月の間に確実に曇ってしまったのです。
この顕著な逆転現象は、ほんの一一年前の出来事です。この出来事が、私の心に小さな不信の念をもたらしました。つまり、多くのアナリストたちが確信している――将来性の高い卓抜した企業の株価収益率は常に高いのが当然で、投資家にとってそれは厳然たる事実であり、甘受した方がよいであろうという――事柄が、完全に正しいのかどうか、ということです。私はこの件について独断的な見解を示したいとは全く思いません。私が言えるのは、私にとってはその考えがしっくりこないということと、みなさんは各自で自ら答えを出すしかないということです。
しかし、この講演の結びとして、さまざまなタイプの株式市場の構造については、その投資および投機的特質という点で明確に言えることがあります。過去、株式の投資的な特質は、信用格付けが非常によく表していたように、程度の差こそあれ企業そのものの特質をそのまま反映したものであるか、あるいはそれに見合ったものでした。債券や優先証券の利回りが低ければ低いほど、その普通株はより投資に適したものである可能性が高く、またその購入に付随する投機的要素は小さくなりました。普通株の投機性の度合いと企業の投資格付けとの関係は、左から右へと引いた直線によってグラフで表せるほどだったのです。しかし今日では、そのグラフはU字を描いています。グラフの左側では、企業そのものの投機色が強く格付けも低いため、過去もそうであったように、その普通株も当然ながら非常に投機性が高まります。しかし、過去の業績も将来性もともに最高であるために企業格付けも最高となるグラフの右端は、株価が高くなることで相当なリスクが生じるために、相当の期間にわたってその株式相場に高い投機的要因が加わる傾向があるのです。
あるシェークスピア戯曲のなかで驚くほどこのことと状況が符合する台詞を最近見つけたので、かなり誇張された表現かもしれませんが、ここでどうしても引用したいと思います。
Have I not seen dwellers on form and favor
Lose all and more by paying too much rent?
U字グラフの話に戻りますが、株式購入における投機的要因が最小となる傾向が強いのは、グラフの中央部分となるでしょう。その近辺には、国家の経済状態に沿った形での過去の成長実績を持ち、また同様の将来成長も見込めそうな、安定感と体力を備えた企業を数多く見出すことができるはずです。そうした株は多くの場合、強気相場で株価が釣り上がっているときを除いては、その内在価値に見合った適切な価格で買い付けることができるものです。実際、現在では投資家も投機家も、そろって魅惑的な銘柄ばかりに集中する傾向があるために、全体的にこれら中道の株式は、個々の本質的な価値よりむしろ低い株価が付く傾向があると、反論を承知であえて述べておきます。つまりこうした株は、将来性を有望視されている株の安全域を消失させることの多い、市場の選り好みと偏見によって、逆に安全域を得ているのです。さらに言えば、これほどの選択肢があれば、鋭い過去業績の分析と、将来性の高い銘柄のなかから識別力のある選択を行うだけの十二分な余地があり、さらには投資を分散させることで安全性をさらに高めることも可能なのです。
どうしても日輪の車の操作をしてみたいとパエトンが言い張ったときに、操作の達人たる父親は息子に、自らの責任でやりなさいと、守られることのない忠告を与えました。太陽神アポロの忠告を、ローマの詩人オビディウスが三語に要約しています。
道の中央を行きなさい(Medius tutissimus ibis)
この原則は投資家とその投資顧問にも有効であると、私は考えています。