●目次 日本語版への序文 ニール・D・ピアソン 1 翻訳によせて 齋藤廣志 5 序文 15 第I部 入門編 第1章 バリュー・アット・リスクとは何か、リスク・バジェッティングとは何か 19 第2章 VaRとは(簡単な株式ポートフォリオの例) 33 第Ⅱ部 VaRのテクニックとストレステスト 第3章 デルタノーマル法 61 第4章 ヒストリカル・シミュレーション 89 第5章 デルタノーマル法の債券ポートフォリオへの応用 115 第6章 モンテカルロ・シミュレーション 135 第7章 ファクター・モデルによる株式ポートフォリオのVaRの計算 155 第8章 主成分を用いた債券ポートフォリオのVaRの計算 169 第9章 ストレステスト 197 第Ⅲ部 リスク分解とリスク・バジェッティング 第10章 リスクの分解 223 第11章 ロング・ショートタイプのヘッジファンド・マネジャー 237 第12章 巨大ポートフォリオのリスクの集計と分解 263 第13章 リスク・バジェッティングとアクティブ・マネジャー選択 293 第Ⅳ部 基本的手法の改善 第14章 デルタ・ガンマ法 317 第15章 モンテカルロ法の変形 331 第16章 極値理論とVaR 347 第Ⅴ部 VaRの限界 第17章 VaRは推定値にすぎない 371 第18章 VaRを逆手にとる 389 第19章 汎用リスク尺度 405 第Ⅵ部 結論 第20章 リスク・バジェッティングにおけるいくつかの問題点 419 監訳者あとがき 429 参考文献 433 索引 445 欧文索引 451
ニール・D・ピアソン
この序文を書いているのは2002年7月であるが、今月の大半、米国の株式市場は下落している。6月末から7月23日までにS&P500指数は19.4%、ダウ工業株30種平均は16.7%、ナスダック指数は16.0%も下落した。また新聞には、思いもしなかったような損失に悩む個人投資家の逸話が多く掲載されるようになった。
米国の個人投資家が今回このような苦痛を味わったというのはますますもって残念なことである。というのは、この程度の株式相場の下落は起こり得るものであることを知ることができたし、また知っているべきであったからである。S&P500指数の下落率19.4%は月次リターンの標準偏差の約3倍に過ぎず、ナスダック指数の下落に至っては3倍にも満たない。3標準偏差というのは、尋常ではないにしても、まったく考えられないというものではなく、ある程度の頻度をもって起こり得る値である。個人投資家に標準偏差のような統計概念の理解を求めるのは無理な話かもしれないが、しかし今まで実際にあったことをちょっと知っておいてもよいであろう。すなわち、19.5%という今回のS&P500指数の下落は、1987年10月19日の1日で生じた下落率20.5%よりも小さいのである。このようなボラティリティやストレステストに関する情報は、ウェブサイトから無料でとることができる。
今回印象的であるのは、機関投資家が想定以上の損失を被ったという話がまったく聞かれないということである。これにはさまざまな理由があるが、一つには、ほとんどの機関投資家の米国株式指数エクスポージャは比較的透明性が高く、容易に理解できるものであることが挙げられる。また、想定以上に損失を被ってはいるがディスクローズしていないということもあり得る。しかしそれだけではないであろう。この10年間米国において、リスクの測定、監視、および管理に対する近代的なアプローチの利用がすさまじく拡大したということもあるに違いない。多くの機関投資家、おそらくはその大多数が、ポートフォリオのリスクをよく理解できるようになったのも、ひとえにこのようなアプローチのおかげである。
もちろん、この10年間に起こったリスク測定・監視・管理の革命は完成した訳ではなく、今後も完成することはないであろう。本書の役割は、微力ではあるが、近代的なリスク測定および管理のツールの利用を促進し、読者がリスク情報の洗練された消費者あるいはユーザーとなるべく教育することである。特に、バリュー・アット・リスク(VaR)やストレステスト、リスク分解、およびこれらをリスク・バジェッティングに応用する最新のテクニックについて詳しく解説している。今回の日本語版出版によって、日本の読者にもこれらのテクニックをご紹介したい。
リスク・バジェッティングは、リスクや資産のアロケーションに関する新しい考え方であり、現在議論の的になっているものである。議論がどのような方向に進もうとも、この考え方は世界中で利用されるようになるであろうと私は考える。分からないのは、それがいつになるかということだけである。
米国では、1994年に一連のデリバティブ損失事故が起こった結果、VaRやストレステストが広く利用されるようになった。デリバティブ損失事故の多くに見られた特徴は、企業や資産運用会社の出した損失額が、その経営者や取締役会、年金基金、あるいは投資家等の考えていた損失の可能性よりも大きかったことである。VaR、リスク分解、およびストレステストは、損失が実際に生じる前に、発生し得る損失の程度を測定し報告するのに用いられるので、これらの損失事故がはずみとなってVaRやこれに関連するテクニックの利用が進むこととなった。そして、VaRが広く受入れられることが、リスク・バジェッティングを通じてリスクに対するエクスポージャを監視し管理することの基盤となるのである。
発生し得る損失の程度を測定し報告するアプローチがなければ、つまりリスクを測定し監視するアプローチがなければ、経営者、取締役会、年金基金、あるいは投資家等の不意をつくような損失の発生を防ぐことはできない。このような損失が発生すれば、VaR、ストレステスト、あるいはリスク分解といったリスク測定に対する近代的アプローチが必要とされるようになるであろう。したがって私は、その結果として、近代的なリスク測定手法が金融市場の価格変動リスクにさらされているあらゆる組識において広く利用されるようになると考える。経営者や取締役会、年金基金がリスク測定に真剣に取組み、計量的リスク尺度の価値や有効性を認めるようになれば、リスク・バジェッティングは本当にごく当たり前のものとなる。アセット・アロケーションはそれ以外の方法では考えられなくなるであろう。これらの理由から私は、結果として資産運用組織のほとんどが何らかの形でリスク・バジェッティングに携わるようになるのが必然であると思うのである。ただ、それが次に襲ってくる大損失の前なのか後なのかは分からないが。
もちろん、リスクの測定と管理は常に進化を続けている。そのため、本書ではソフトウェア・パッケージや急速に変化するVaRの実践面に関する議論を避け、主要な考え方に焦点をあてることとした。日本語版は英語版にすぐ続いて出版されるものであり、内容は最新のものであるといえる。基本的な方法論に対する小さな変更や、VaRあるいはリスク・バジェッティングの利用法を採り上げた論文は学術誌によく掲載されているが、主要な考え方や方法論は変わっていないのである。
本書は、ニール・ピアソン著“Risk budgeting――Portfolio Problem Solving with Value-at-Risk”を全訳したものである。ここでは、リスク・バジェッティングを理解するために必要なバリュー・アット・リスク(VaR)およびリスク分解のためのツールとテクニックについて解説している。
弊社では、今年の3月にレスリー・ラール編“Risk Budgeting――A New Approach to Investing”(邦題『リスクバジェッティング――実務家が語る年金新時代のリスク管理』パンローリング刊)の翻訳を行った。これは、各方面の実務家によってそれぞれの専門的立場からリスク・バジェッティングについて解説を行ったものだった。今回のニール・ピアソン著“Risk budgeting――Portfolio Problem Solving with Value-at-Risk”は、VaRというリスク評価尺度の説明からVaRのリスク・バジェッティングへの応用、リスク分解をポートフォリオ・リスクの理解と管理に役立てる方法など、この一冊でリスク・バジェッティングの理論的枠組みを体系的に理解できるようになっている。
現在、わが国の企業年金はたいへん厳しい環境下に置かれている。一つに経済のグローバル化の進展に伴い各国市場間の相関が高まったことで、従来期待されていた投資の分散効果によるリスクの低減が図れなくなってきたこと。また、ITバブルの崩壊によって米国頼みの世界経済が失速し、バランス型運用を持ってしても絶対リターンがマイナスという状態が続いているということである。
こうした厳しい環境下、企業年金スポンサーや運用マネジャーは、従来の伝統的資産だけに頼った運用からエマージング市場に投資対象を拡大したり、クレジット・リスクなど、従来と異なるリターン源泉に着目するなどを行ってきた。また、スタイル運用、オルタナティブ運用、オーバーレイ・マネジャーの採用など、新しい資産運用手法も積極的に導入してきている。
これら運用手法の多様化に伴い、ポートフォリオのリスク管理はより複雑さを増し、ポートフォリオ全体のリスク管理はより困難なものになった。
リスク・バジェッティングは、資産や運用スタイル・手法の違いを問わず、リスクを横断的に把握し、限度を設定、それぞれに割り当てるというコンセプトである。
弊社ではこうした厳しい環境下にある今だからこそ、リスク・バジェッティングという新しいリスク管理手法の導入が有効であると考え、リスク・バジェッティングに関する調査研究を進めてきた。
その過程で、我々はこのニール・ピアソンの原書に出会った。これを翻訳しその内容を広く紹介することにしたのは、企業年金のリスク管理の重要性が益々高まる現在、企業年金スポンサーの方々の一助になると考えたからである。
既刊レスリー・ラール編『リスクバジェッティング――実務家が語る年金新時代のリスク管理』を本書と合わせお読みいただければ、さらにリスク・バジェッティングについての理解が深まると考える。これらを通じて、わが国の企業年金運用におけるリスク管理の考え方が一歩でも前進することができれば望外の幸せである。
企業年金スポンサーの方々にとどまらず、資産運用に携わる多くの皆様にお読みいただきたい。
2002年9月
三菱信託銀行株式会社 投資企画部部長 齋藤廣志
本書は、リスク・バジェッティングを理解するのに必要なバリュー・アット・リスク(VaR)およびリスク分解のためのツールとテクニックについて解説したものである。読者のほとんどはVaRを実際に計算することはないだろう。計算はリスク測定システムとポートフォリオ管理システムに任せればよい。とはいえ、VaRなどのリスク評価尺度を使う者にとって、これらの実体を知っておくことは極めて重要なことである。本書は読者の方々がリスク情報を十分に使いこなせるようになることを目指して、幅広い内容を盛り込んだ。本書で得た知識を基に、リスク情報を実際のリスク・バジェッティングに是非とも活用していただきたい。
本書の読者対象としては、一般学部生ではなく、MBAコースの学生を想定している。すなわち、本書を読むに当たっては、数理的計算(若干の微積分を含む)に強く、統計学、金融市場と金融機関、ならびに金融デリバティブなどにある程度精通している必要がある。したがって本書はポートフォリオ管理の現場でも十分役に立つ内容であると思う。本書では極めて複雑な概念について説明するが、高度な数学を使わないように、また重要な概念は事例を使うようにした。若干難しい題材を含むことはご容赦願いたい。
私は本書をこの一冊だけで事足りる内容に仕上げるために、ありとあらゆる努力を試みた。おおよその流れとしては、まずVaRの基本的説明を行った後、リスク分解、基本的テクニックの精緻化へと進み、最後にVaRとリスク・バジェッティングにまつわる問題点を議論する。本書は6部で構成されている。第Ⅰ部(第1~2章)では、VaRの概念を簡単な株式ポートフォリオを例にとって説明し、VaRをリスク分解およびバジェッティングに応用する方法をいくつか紹介する。第Ⅱ部(第3~9章)では、VaRの測定とストレステストのシナリオ作成のための基本的方法を説明する。VaRの方法論の説明に続き、第Ⅲ部(第10~13章)では、VaRのリスク・バジェッティングへの応用と、リスク分解をポートフォリオ・リスクの理解と管理に役立てる方法について説明する。第Ⅳ部(第14~16章)では、VaRの基本的な測定方法の改善点について述べる。VaRといえども完璧ではない。したがって第Ⅴ部(第17~19章)ではVaRの限界について説明する。最後の第Ⅵ部(第20章)では、リスク・バジェッティングにおける問題点を簡単に議論する。VaRの基本が分かっている読者は、VaRの基本的なテクニックについて記述した最初の数章は飛ばして読んでもらっても構わない。各章末に付した注解は、VaRのオリジナル概念(したがって、中には数学的に難しいものも含まれる)に興味のある熱心な読者のために用意したものである。
本書で扱うリスクは市場リスクのみであり、信用リスク、オペレーション・リスクなどその他のリスクについては言及していない。また、ソフトウエアについても触れていない。これは、本書の寿命がコンピューターソフトウエアのライフサイクルに長じることを願う著者の一存によるものである。本書の寿命とコンピューターソフトウエアのライフサイクルが逆転しないことを願ってやまない。
第I部 入門編 Introduction
第1章 バリュー・アット・リスクとは何か、リスク・バジェッティングとは何か
What Are Value-at-Risk and Risk Budgeting?
ポートフォリオ管理がリスクとリターンの管理に尽きることはいまさら改めていうまでもない。ハイ・リターンを達成するのは難しく、リスク調整後のリターンが十分満足できるものかどうかを見極めるのも難しいが、リターンの概念やその重要さについては何ら説明の必要はないほど明白である。要するに、リターンは小さいより大きい方がよいのである。このことは年金基金についてもいえるし、年金基金が運用を委託しているファンドや自家運用ファンド、それぞれのファンドマネジャー、および個々の資産についてもまったく同じことがいえる。ある資産のポートフォリオ・リターンに対する寄与度は、すなわちその資産のポートフォリオに占めるウエートであるという事実を考えれば、これは当然のことといえよう。
ところが、リスクとなると話はそう簡単ではない。リスクとは本質的に確率に基づく概念、すなわち統計的な概念である。そのため、リスクについてはさまざまな(そして時には対立する)概念と評価尺度が存在する。ポートフォリオのリスクを測定し、各種投資やアセット・アロケーションがそのリスクにどのような影響を及ぼしているかを測定するのが難しいのはそのためである。また、リスクを上級管理者、取締役会、年金受託者、投資家、監督当局といった人々がきちんと理解し、管理することができるように説明するのも困難な仕事である。さまざまな金融商品やポートフォリオのリスクを測定し、きちんと理解したうえで効果的に伝達するのは、トレーダーやファンドマネジャーといったその分野の専門家たちにとっても難しいものなのである。
これまで長年にわたり、ファンドマネジャーや年金基金は、リスクを評価するのに多種多様な尺度を用いてきた。株式ポートフォリオにはベータとファクター・ローディング、債券ポートフォリオにはさまざまなデュレーション概念、ポートフォリオ全般に標準偏差、長期の資産/負債分析にはソルベンシー・レシオ分布のパーセンタイル点といった具合である。最近になって、彼らはようやくバリュー・アット・リスク(VaR)に目を向け始めた。これは、各資産のリスクを集計することで、ポートフォリオや年金基金全体でのリスクを測定するという新しい手法である。VaRの最大の特徴は、「将来を予測する」という点にある。つまり、VaRは現在のポートフォリオのトータルリスクを基に、次の測定期間におけるリスクを予測するのである。将来のトータルリスク量を予測することで、年金基金はトータルリスクをその源泉に分解することもできるようになる。アセットクラス別やファンドマネジャー別ばかりでなく、証券別でもリスクを予測できるようになるわけである。あるいは、リスクを各リスクファクターに分解することもできる。各アセットクラス、各マネジャー、各リスクファクターの、トータルリスクに対する寄与度を算出できれば、これらを用いてアセット・アロケーションを行い、アセット・アロケーションやファンドマネジャーを監視するという一歩進んだリスク管理も可能になる。
ポートフォリオのトータルリスクをその構成要素に分解し、その算出値を基にアセット・アロケーションを行い、許容できるリスク量の限度を設定し、その限度に基づいてアセット・アロケーションおよびファンドマネジャーの双方を監視するというプロセスを、リスク・アロケーション、もしくはリスク・バジェッティングという。本書はVaRと、ポートフォリオのリスクを測定し、その所在を突き止めるためのプロセスにVaRを応用する方法、およびVaRをリスク・バジェッティングに応用する方法について解説したものである。本書がVaRとリスク・バジェッティングについての本であることは分かったが、そもそもVaRとは一体何なのか、リスク・バジェッティングとはどういうものなのか、と疑問に思っている読者の方もおられることだろう。そこでこれから、VaRとリスク・バジェッティングについて詳しく解説していきたいと思う。
バリュー・アット・リスク
VaRとは、市場リスクが理由でポートフォリオが被り得る最大損失額を推定する、扱いやすく、手っ取り早い統計的尺度のことをいう。若干難しい統計手法の扱い方さえ分かれば、VaRの概念を理解するのは簡単である。つまり、VaRとは発生し得る最大損失額を意味し、損失がそれ以上になることはまずあり得ないことを表しているのである。VaRは2つのファクター、すなわち、確率αもしくは信頼水準1-αと、保有期間すなわちタイムホライゾンhとで表される。例えば、信頼水準1-αのVaRは、タイムホライゾンh内に損失がVaRの値を上回る確率はわずかα%しかないことを意味する。あるいは、1-α%の確率で損失はそのVaRの値を下回る、といってもよい。実際の数値で見てみよう。例えば、hを1日、信頼水準を95%とすると、α=0.05、つまり5%となり、VaRが百万ドルであるとすれば、そのポートフォリオの1日の損失が百万ドルを越える確率は、わずか5%ということになる。このように、VaRはポートフォリオに発生し得る最大損失額を、手短に表現する特殊な方法である。
ここでポイントとなるのは、VaRが扱いやすい評価尺度であるという点である。ポートフォリオの市場リスクをそれぞれ測定して比較したり、単一のポートフォリオを異なる時点で比較したり、これらのリスクを同僚や上級管理者、投資担当役員、受託者といった人々に伝達する手段としてVaRが便利なのは、VaRのこのような性質によるものである。通常、私たちが最も気にするのはポートフォリオ全体での損失額である。したがって、VaRは個々の金融商品が被り得る損失額を測定するというよりは、ポートフォリオ全体が被り得る損失額を評価する尺度として使われることが多い。VaRは、計算を簡素化するための仮定に基づき、ポートフォリオのリスクを集計し、それを年金基金、投資担当役員や受託者、監督当局、および投資家に分かりやすいようにひとつの数値で表す。リスクの本質を考えれば、VaRは統計値のひとつにすぎない。しかし意味のあるトータルリスク量というものは、すべて統計値なのである。
リスクを扱いやすく表現するというVaRの性質は、自らの限界を生じさせる最大の要因でもある。ポートフォリオ全体をひとつの数値――すなわち、VaR――に集約すれば、当然失われる情報もあるだろう。しかし、このような限界があったおかげで、VaRを分解し、各アセットクラス、ポートフォリオ、証券の、VaRに対する寄与度を測定するという手法が発達したのである。
VaRをリスクの発生要素にまで分解できるようになったおかげで、VaRはポートフォリオの単なる監視ツールから、管理ツールへと質が高められたのである。1980年代の終わりに大手デリバティブ・ディーラー(そのほとんどが商業銀行と投資銀行)によって作り上げられてきたVaRの概念とその測定手法は、今ではほぼすべての商業銀行および投資銀行で使われている。バリュー・アット・リスクという言葉が普及し始めたのは、1993年7月に発表されたG30レポート[G30、1993]で言及され、翌1994年10月にJPモルガン(Morgan Guaranty Trust Company)がRiskMetricsを発表してからのことである。1993年以来今日まで、VaRの利用者とその応用方法は劇的な増加の一途をたどり、そのテクニックも大幅に精緻化されてきた。
さて、VaR開発の経緯についてであるが、VaRを開発したデリバティブ・ディーラーは当時、深刻な問題を抱えていた。デリバティブ・ポートフォリオとトレーディング「ブック(売買注文記入帳上のポジション)」が、それらに内在する市場リスクをもはや無視できないまでに巨大化していたのである。これらのリスクをどう測定、記述して、上級管理者や取締役会に報告すればよいのか。ポジションが巨大な数にのぼるため、それらをリスト化することは容易なことではなかった。たとえ、リスト化できたとしても、それは上級管理者や取締役会がすべてのポジションと金融商品、およびそれぞれのリスクを理解できて初めて役に立つものである。しかし、デリバティブの中には複雑なものもあるため、彼らにすべてを理解してもらうのは、そもそも無理な注文である。もちろん、リスクはポートフォリオの感応度――すなわち、市場レートや市場価格の変動に伴い、ポートフォリオの価値がどれくらい変動するか――と、オプション価格のデルタやガンマによって測定することはできた。しかし、これらのことを細かく議論しても、上級管理者や取締役会にとっては退屈なだけである。たとえこれらの概念を言葉でうまく説明できたとしても、異なるタイプの市場リスク(例えば、株式リスク、金利リスク、為替リスク)は統計学的枠組みがなければ集計しても意味をなさない。これらを可能にしたのがVaRである。VaRが開発されたおかげで、リスクの測定とコミュニケーションに伴う問題が一挙に解決したのである。
ポートフォリオの管理にVaRを使う理由
リスクをいかに測定し、記述すればよいかという問題は、資産運用業界でも悩みの種になっている。通常、ポートフォリオには多数の証券と金融商品が含まれている。これだけを考えても、リスクを集約・集計するためのツールは必要である。さらに、測定が難しいリスクを含むような複雑なデリバティブは避けるファンドマネジャーが多いものの、このような複雑なデリバティブを好んで扱う者もいれば、複雑なトレーディング戦略を用いる者もいる。多くのポートフォリオのリスクがファンドマネジャーたちにとってさえ不透明なのは、このような事情もひとつの要因と考えられる。リスクを管理する側のマネジャーにとっても分かりにくいものが、報告を受ける側の人間にとって分かりやすいはずはない。
また、年金基金をはじめとする機関投資家はたいがい外部のファンドマネジャーを多数用いている。ポートフォリオのトータルリスクを理解するためには、ポートフォリオの最終責任を担う上級管理者、受託者、取締役会はまず、マネジャー全体にわたるリスクを集計してみることが必要である。このように、VaRは元々はまったく異なる目的のためにデリバティブ・ディーラーたちによって開発されたものだが、リスクを資産別、リスクファクター別、ポートフォリオ別、およびアセットクラス別に集計できるというその性質上、今やポートフォリオ管理には欠かせない貴重な存在である。事実、1998年に年金基金、財団をはじめとする各種基金を対象に行われた調査によれば、大手機関投資家の23%がVaRを用いていたという結果が出ている。
ところで、デリバティブ・ディーラーはVaRを金額で表すのが普通だが、資産運用ではポートフォリオ価値に対する割合で表されることが多い。ということは、VaRがポートフォリオの標準偏差と密接な関係があるのは明らかである。ポートフォリオの標準偏差は、クォンツ運用のファンドマネジャーが誕生して以来、彼らに使われてきた概念である。事実、ポートフォリオのリターンが正規分布に従うと仮定すれば(この仮定はVaR方法論のいくつかで使われる)、VaRはポートフォリオ価値の期待変化値とそのポートフォリオの標準偏差との差に比例する。資産運用では、VaRはベンチマークのリターンに対する相対VaRとして表されることが多く、そのためトラッキング・エラーの標準偏差に類似している。それでは、VaRと従来の指標との違いはどこにあるのだろうか。
まずは、VaRが現在保有しているポートフォリオに基づいて、将来のリスク量を予測するという点である。これに対してリターンやトラッキング・エラーの標準偏差は通常ファンドの過去のリターンを用いて計算されるため、リスク情報が有効となるのは、ファンドマネジャーに一貫性があり、しかも市場環境が安定しているときだけである。一方、VaRは将来を予測するという性質上、リスク限度を越えていないか、不要なリスクはないか、あるいは、従来のスタイルから逸脱しているマネジャーはいないかどうかを、最悪の事態が発生する前に見つけるのに使えるのである。
第二に、VaRは株式、債券、コモディティ、デリバティブなど各種金融商品に同等に適用でき、アセットクラスそれぞれのリスクを集計したり、アセットクラス間あるいはポートフォリオ間の市場リスクの比較にも使えるという点である。年金基金の負債は、債券のマイナス、すなわちショート・ポジションと見なすこともできるため、VaRを用いれば年金基金のネット・ポジション(資産―負債)のリスクを測定することもできる。VaRはリスクファクター、ポートフォリオ、あるいはアセットクラスそれぞれのリスクを集計したトータルリスクを表すものであるため、ファンドマネジャーや年金基金は、トータルリスクに対する各リスクファクター、ポートフォリオ、アセットクラスの寄与度を測定することができる。
第三には、VaRの測定では分布の両裾の部分に注目するという点が挙げられる。VaRは通常、95%、99%、あるいはそれ以上の信頼水準で計算される。つまり、VaRは「ダウンサイド」リスクを評価するための尺度であるため、非対称なリターン分布にも適用することができる。
第四は、VaRがデリバティブ・ディーラーの間で広く普及しているため、ポートフォリオ価値の変動やリターンの確率分布を推定するさまざまな手法が開発、精緻化されてきた点である。このような手法はVaRの発展に大きく貢献し、本書でも多くのページをこれらの説明に費やしている。
最後になったが、最も重要と思われる特徴を挙げておきたい。それは、VaRという概念が発展した結果、リスク情報のコミュニケーションが容易になったということである。名称自体も呼びやすいことは言うまでもないだろう。「ポートフォリオの標準偏差」という言葉をはじめとする統計的概念は、極めて専門性の高い独特の言語であり、一般の年金受託者や企業の投資担当役員にはなじみのない言葉である。これとは対照的に、バリューとリスクは明らかにビジネス用語であり、アットは単なる前置詞である。このような簡潔で明瞭な言葉づかいが、リスクを議論するうえでの障壁を取り除き、リスク情報のコミュニケーションを大幅に進歩させたのである。
リスク・バジェッティング
リスク・バジェッティングにはVaRほどはっきりとした定義はない。事実、この言葉は単なる流行の専門用語にすぎないと非難されてきた。また、異論の多い言葉でもある。リスク・バジェッティングが異論の多い流行の専門用語であるということは、今やほとんどの人の間で一致した意見であるため、驚くまでもないだろう。しかし、リスク・バジェッティングは単なる流行の専門用語として片付けてしまえるほど単純なものではない。
狭義には、リスク・バジェッティングとはリスクを測定・分解し、その算出値を基にアセット・アロケーションを行い、リスク量の限度として表されるリスク・バジェットを各ファンドマネジャーに割り当て、そのリスク・バジェットに基づいてアセット・アロケーションやファンドマネジャーを監視するプロセス、と定義される。リスク・バジェッティングを行うに当たりまず必要となるのが、リスクの分解である。リスク分解は以下の手順で行われる。
●リスクの源泉、すなわちリスクファクター(株式リターン、金利、為替レートなど)を特定する。
●トータルリスクに対する各ファクター、マネジャー、アセットクラスの寄与度を測定する。
●事後的実質損益と事前リスクを比較する。
●意図的な行為によって生じたリスクと、不注意によるものとを判別する。
リスクを分解することで、年金基金は想定されるリスク、およびその変動幅をより深く理解できるようになるため、十分な情報を持ってファンドマネジャーと渡り合えるようになる。万一問題が生じた場合でも、リスクを分解しておけば、不要なリスクを特定し、自分たちの従来のスタイルから逸脱しているマネジャーを見つけ出して、最悪の結果が生じるのを防ぐことができるのである。
このようなリスク分解と、各ファクター、マネジャー、アセットクラスに対する明示的なリスク・アロケーションとを組み合わせたものが、リスク・アロケーションもしくはリスク・バジェッティングである。リスク・バジェッティングそのものは以下の手順に沿って行われる。
●各アセットクラス、マネジャー、ファクターに対して許容できるリスク量の限度、すなわちリスク・バジェットを設定する。
●リスク・バジェットに基づきアセット・アロケーションを行う。
●各ファクターに対して、リスク・バジェットと実際のリスク量を継続的に比較する。
●リスクがあらかじめ設定した限度内に収まるようにアセット・アロケーションを修正する。
リスクを分解することはリスク・バジェッティングにとって極めて重要である。年金基金をはじめとする機関投資家のトータルVaRは、ファンドマネジャーのものとはまったく異なる意味を持つからである。いうまでもなく、各ファンドマネジャーが管理できるのは各自が運用するポートフォリオだけである。彼らにとっては、リスク・バジェットとはポートフォリオのトータルリスクに対する自分のリスク寄与度を表す尺度にすぎないのである。
リスク・バジェッティングは一連の手順だけを意味するようなものではない。より広義には、資産運用およびポートフォリオ管理に対する考え方自体を提示するものである。したがって、一般的な同意が得られるように定義することは難しく、おそらく不可能だろう。リスク・バジェッティングは、確率を使ったリスク尺度、すなわち統計的リスク尺度に基づき、近代的なリスク管理ツールおよびポートフォリオ管理ツールを用いてリスク管理を行うという発想に基づくものである。したがって、アセット・アロケーションを伝統的な資産配分問題ではなく、リスク配分問題としてとらえるという考え方は、ごく自然な流れといえよう。
論理的には、VaRとリスク・バジェッティングとの間に特別な関係はない。リスク・バジェッティングを行うにはポートフォリオのリスクを評価する尺度が必要で、VaRはそのリスク評価尺度のひとつの候補にすぎない。しかし、次に述べるようなVaRの特徴を考えれば、リスクの評価尺度にVaRを使うのは妥当であることが分かる――①VaRはダウンサイド・リスクを評価する尺度なので、ポートフォリオのリターン分布が非対称であるときに有効、②リターンの分布が正規分布に従うとき、VaRはポートフォリオの標準偏差に等しい。しかし、VaRはあくまで候補である。リスク評価尺度はほかにも多数存在し、そのうちのどれを用いてもリスク・バジェッティングは行える。例えば、ポートフォリオの標準偏差を用いてもよいし、Artznerほか[1997,1999]によって提唱され、第19章でも詳述する、シナリオに基づくリスク尺度を用いても構わない。実際、VaRはストレステスト(極端なシナリオ、すなわち「ストレス」シナリオの下で発生し得る損失を推定する手順)と組み合わせて使用することが推奨されている。先ほど、VaRとリスク・バジェッティングとの間には特別な関係はないと書いたが、実は両者の間には密接な関係がある。リスク・バジェッティングにはリスクの定量化、集約、分解といった手順が含まれるため、ポートフォリオのトータルリスクを表す一般によく認識された尺度があってこそ初めて、リスク・バジェッティングは使えるものになるし、一般にも受け入れられるのである。こういった意味では、リスク・バジェッティングはVaRの拡張と見なすことができる。しかしVaRがあまりに広く普及し、認識度が高まったため、リスク・バジェッティングはその陰に隠れて目立たない存在になっているというのが実情だろう。ところが、VaRにはよく知られた限界がある。したがって将来的には、リスク・バジェッティングにおけるリスク評価尺度としてVaRに代わる尺度が用いられる可能性はある。
VaRによるリスク・バジェッティングは効果的か?
リスク・バジェッティングの基本的な考え方を認識する人々にとって、前述したリスク・バジェッティングのプロセスは当たり前すぎるくらいに自然なことである。アセット・アロケーションの方法としてこれ以外の方法があるだろうか。もちろん、アセット・アロケーションを伝統的な考え方でとらえることも可能である。すなわち、アセット・アロケーションをポートフォリオ全体に対する各アセットクラスの投資比率として考えるという方法である。しかし、リスク・バジェッティングという視点で考えた場合、伝統的なアプローチは前述したプロセスの近似にすぎない。つまり、リスク量をポートフォリオ・ウエートで代用するわけである。この伝統的な考え方に沿ったアセット・アロケーションに比べリスク・バジェッティングの優れた点は、現在取られているリスクが明確になり、リスク量が時間の経過とともに変動することがはっきり理解できることである。さらに、リスク・バジェッティングは、ヘッジファンドやそれが追求するレバレッジを多用する戦略といった、非伝統的なアセットクラスについて考える機会を提供してくれる。伝統的なアセットクラスとは違って、レバレッジを多用する戦略に対する投資では、投資額からでは現在取られているリスク量について分かることはほとんどなく、「ヘッジファンド」という名称だけではリスクの本質は明らかにはされない。
リスク・バジェッティングに対する議論は、資産運用およびポートフォリオ管理に対する拡張した考え方、という広義の定義に対するものが大部分で、厳密な定義(すなわち、前述したリスク・バジェッティングのプロセスを定義する手順の良し悪し)、あるいは、リスク・バジェッティングはコスト効率の高い手法かどうか、といったようなことに対するものではない。議論の多くは、年金基金やファンドマネジャーそれぞれのパラダイム、背景がすべて同じというわけではないという点に起因しているように思える。しかし、ただ単に議論の原因だけを突き詰めても問題解決にはならない。要するに、基本的な考え方の相違こそが問題なのである。これは一筋縄で解決できる問題ではないだろう。
とはいえ、リスク・バジェッティングに対する意見の相違の中には、極めて実践的なものもあり、すべて書こうと思えば本一冊分のスペースが必要になる。VaRの計算、およびリスク分解とリスク・バジェッティングのプロセスには大きな問題が内在し、コストもかかる。VaRをはじめとするリスクの定量的尺度の不完全さと生じる誤差を考えれば、リスク・バジェッティングの基本となるポートフォリオ管理に対する考え方を共有する人々が、リスク・バジェッティングはやはりコスト効率の悪い(つまり、ポートフォリオ・リスクについて、コストに見合うだけの情報量や理解力の増加がない)手法だと結論づけたとしても、それは無理からぬことである。リスク・バジェッティングに関する現在の論争は、リスク管理に関する教育や知識が高まり、リスク測定システムの進歩に伴いリスク・バジェッティングから得られる利点が増大すると同時にコストが低減されるようになれば、次第に収まってくるものと思われる。VaRおよびリスク・バジェッティングの利点や限界、コスト効率をきちんとした情報に基づいて判定するには、何はさておきVaRとリスク・バジェッティングをしっかり理解することが必要である。本書の目標のひとつは、VaRの方法論とリスク・バジェッティングについて十分な情報を提供し、読者のみなさんがこれらをしっかり理解したうえで判断できるようにすることである。
注解
一般に、VaRの開発者として名前が挙げられるのはJ・P・モルガン(Guldimann[2000]などを参照)である。私の知るかぎり、VaRという言葉が初めて使われたのは、広範にわたって配布されたG30レポート[G30,1993]のなかでである。その後、JPモルガン(Morgan Guaranty Trust Company[1994])によるRiskMetricsシステムの開発により、VaRは広く普及した。
VaRは通常「信頼水準1-α%のVaR」と表現され、これはタイムホライゾンh内に損失額がVaRを上回る確率がα%であることを意味するが、「信頼水準」という言葉は間違った使われ方をしている。より正しくは「αもしくは1-αパーセンタイル点のVaR」と表現すべきであろう。VaRがポートフォリオの利益(リターン)分布のαパーセンタイル点、あるいは損失分布の1-αパーセンタイル点であることを考えれば、納得していただけると思う。しかし、VaR関連では「信頼水準」を使うのが定着しているため、本書でもこの慣例に従うことにする。
1995年以降、バーゼル銀行監督委員会(Basel Committee on Banking Supervision)と国際証券監督機構(International Organization of Securities Commissions)は、先進国の主要銀行および主要証券会社のリスク管理手順と情報開示について調査してきた。最新の調査報告(バーゼル銀行監督委員会および国際証券監督機構 1999、バーゼル銀行監督委員会 2001)によれば、調査対象となった銀行および証券会社のほぼ全社が市場リスクの測定にVaRを用いていることが分かった。1998年にニューヨーク大、CIBCワールド・マーケッツ、およびKPMG(Levich, Hayt, Ripston [1999], Hayt, Levich [1999])によって行われたSurvey of Derivative and Risk Management Practices by U.S.Institutional Investors 1998(米国の機関投資家を対象に実施されたデリバティブおよびリスク管理の実態調査)では、機関投資家のなかでVaRを用いていたのは23%だった。
リスク・バジェッティングに関する論争の本質については、2000年6月に行われたRisk2000会議でのディベートの様子を記述したCass[2000]が詳しい。Cassはその記述のなかでニューヨーク市退職年金制度のHarris Lirtzmanによる次の言葉を引用している、「この問題について、公的年金基金の間では神学的な意見の対立が生じている。つまり、VaR派対非VaR派、リスク・バジェッティング派対アセット・アロケーション派といった具合に、意見が真っ二つに分かれているのである」。
第20章 リスク・バジェッティングにおけるいくつかの問題点
A Few Issues in Risk Budgeting
本書では特にリスク・バジェッティングという目的を達成するためのテクニック、すなわちVaRとリスク分解に焦点を当てて議論してきた。ここでは、これらのテクニックを用いて実際にソフトな、あるいはハードなリスク目標、リスク・バジェット、もしくはリスク限度を設定することを決定した場合を考える。どのような問題が生じるであろうか。
リスク・バジェッティングに関する選択事項
リスク・バジェッティングを行うに当たっては、まずどのようなリスク尺度や、リスク寄与度を監視するかを決定し、リスク制限のヒエラルキーを作成する必要がある。アクティブ・マネジャーの選定方法について述べた第13章では、戦略的ベンチマークとアクティブ・マネジャーのリスク寄与度という簡単な2段階のヒエラルキーを、マネジャーのアクティブ・リターンが互いに無相関であるとの仮定の下で説明した。また、監視する段階をさらに増やすとすれば、第12章のリスク分解に沿って、ファクター別および業種別のリスク寄与度を見ればよいであろう。これらのリスク寄与度について厳格な(あるいは緩やかな)制限を設けなくても、年金基金はこのようなリスク寄与度について知ることで、ファクターや業種に対する予想エクスポージャから逸脱しているマネジャーとの会話を始めることができる。
第11章から13章で説明のとおり、リスク寄与度はいかなるファクター、ポートフォリオ、業種グループ、あるいはその他各種の証券グループに対して計算することもできる。原則として、リスク・バジェットはリスク寄与度が計算できるものであれば、いかなるファクター、あるいは証券グループに対しても割り当てることができる。ただし、あまり細密で厳密なリスク・バジェットを設定しても役に立たない。ポートフォリオのポジションをすべて指定するのと同じようなことになってしまうからである。年金基金側でポジションを指定するのであれば、わざわざファンドマネジャーを雇う意味はない。しかし、ファクターや業種に対するエクスポージャを監視することは、意図せざるリスクや、従来のスタイルから逸脱しているマネジャーを発見するのには有効な方法であり得る。
監視する対象が決まったら、次はリスク・ターゲット、リスク・バジェットを決定しなければならない。そのためには、まず年金基金、すなわち顧客のリスク許容度と期待リターンを随時評価し、合わせてリスク・リターンのトレードオフに関する(おそらくは暗黙的な)分析に基づいて、各アセットクラス、マネジャー、そしてファクターに対する配分を決定するという手順を踏まなければならないことがある。第11章および13章から洞察されることは、リスク寄与度は期待リターンに比例しなければならないということである。たとえ明示的な最適化は行わないとしても、この知識は各アセットクラスやマネジャーに配分するリスク・バジェットの相対的な大きさを決める上で有効な指標となる。具体的な水準はリスク寄与の合計がポートフォリオ全体のVaRに等しいことを利用して決めればよい。
これに関連した問題として、リスク・バジェットをどの程度厳格に設定すべきかについても考える必要がある。リスク・バジェットは決めていても、おそらくは頻繁に違反が生じるであろうし、実際にはリスク・バジェットは時として違反すべきものでもある。あるファンドマネジャーのリスクがリスク・バジェットに近づいているときボラティリティが上昇すると、ポートフォリオを直ちに変更しないかぎり、そのマネジャーはおそらくリスク・バジェットを超えてしまう。大規模なポートフォリオを即座に変更するのに要する取引コストを考えると、ポートフォリオを変更するのはあまり望ましい結論とは思われない。年金基金は、リスク・バジェットに対する許容超過幅、および超過したときの対応策をあらかじめ決めておく必要がある。もしもボラティリティの変動によるリスク・バジェットの超過は受容できるとすれば、超過を引き起こすような取引も許容できるのかどうか。ボラティリティの変動後、マネジャーはどの程度の時間内に規定されたリスク・バジェット内に戻るべきか。あるいは、戻る必要はないのか。つまり、リスク・バジェットの超過はファンドマネジャーとの単なる会話のきっかけにすぎず、ファンドマネジャーは必ずしもポートフォリオを変更する必要はないのか。リスク・バジェットによりアセット・アロケーションの変更の必要性が明らかになった場合、それを実行するのはスタッフなのか、あるいは役員も関与すべきか。
この点については、VaRは市場リスクの推定値であるということを想起していただきたい。VaRがリスクを過大評価することでリスク・バジェットを超えてしまう場合もあるのである。とすれば、リスク限度はあまり厳格に設定せず、リスク・バジェットの超過については超過の原因を究明するスタート地点と考えるのがよいことになる。リスク・バジェットを超過することは、ファンドマネジャーが望ましからざるリスクをとっていることを本当に意味するのであろうか。しかし、他方では、強制力のないバジェットには価値がないともいえる。これは微妙な問題である。
VaRに関する選択事項
VaRの推定についても選択しなければならないことがある。まず最も明らかなこととして、どの方法を使うかであり、方法が決まったら、次は(例えばタイムホライゾンや確率といった)パラメータの選定である。これらの選択に当たっては、計算精度、偏り、および計算時間のトレードオフを考えるのがよい。
デルタノーマル法は、マーケット・ファクターの変動が多変量正規分布に従うという強い仮定に依存し、ポートフォリオの価値を線形近似、すなわちデルタ近似で表した上でVaRを算出する。これらの仮定が正しければ、VaRの誤差は主にマーケット・ファクターの分散および共分散の推定誤差によるものである。分散と共分散は比較的正確に推定できるので、デルタノーマル法によるVaRは、仮定さえ満たされれば比較的正確な数値が得られる。もちろん、仮定が満たされなければ、VaRの値は偏ったものになる。デルタ・ガンマ・ノーマル法は、ポートフォリオの価値をさらに一般的な2次近似、すなわちデルタ・ガンマ近似で表す点がデルタノーマル法と異なるが、その他の点についてはデルタノーマル法と同じようなことがいえる。すなわち、仮定が満たされれば推定値の精度は上がるが、満たされなければ推定値は偏ったものになる。
ヒストリカル・シミュレーション法では、分布は常に一定という以外、マーケット・ファクターの変動分布については仮定を置かない。したがって、仮定が満たされないために推定値に偏りが生じるといったことはない。しかし、仮定を設けない代わりに、推定値の精度には若干の問題がある。つまり、ヒストリカル・シミュレーションによるVaRの推定値はポートフォリオ価値の変動分布の裾部の実現値に基づいて算出される。しかし実際には、分布の裾部には比較的少数の実現値しか存在しないため、VaRは比較的少数の観測値に基づいて算出されることになる。結果として、この方法によるVaRの精度は本来的にはほかの方法に比べて低い。
基本的に、デルタノーマル法、デルタ・ガンマ法、およびヒストリカル・シミュレーション法の限界は、フル・モンテカルロ法を用いることで克服できる。ポートフォリオをフル・バリュエーションで再評価することで、デルタノーマル法やデルタ・ガンマ・ノーマル法で用いられる線形近似や2次近似による偏りは防ぐことができる。しかし、偏りが減少し精度が向上する代わりに、コンピュータには従来にも増して多大な計算負荷がかかることになる。ポートフォリオが多数の金融商品を含んでいる場合、特に価格を数値的な手法で計算する必要のあるアメリカン・オプションやエキゾチック・オプションを含んでいる場合は、計算に大変時間のかかることがある。偏りと計算時間のトレードオフ効果が特に顕著に現れるのが、デルタ・ガンマ法とグリッド・モンテカルロ法である。これらの方法では、計算時間を節約するために、デルタ・ガンマ(もしくは、デルタ・ガンマ・シータ)近似およびグリッド近似による多少の誤差(すなわち、潜在的な誤差)をあえて受け入れることになる。
VaRの測定方法の選択は、時に臨界確率およびタイムホライゾンの選択とも密接な関係にあり、臨界確率およびタイムホライゾンは、VaR推定値の使用目的によって決まる。その他の条件を同じとすれば、タイムホライゾンが短くなると、デルタ近似またはデルタ・ガンマ(もしくはデルタ・ガンマ・シータ)近似が用いられる傾向がある。これらの近似はマーケット・ファクターの価値変動が小さいときはうまく機能することが多く、そしてタイムホライゾンが短くなればなるほど、マーケット・ファクターの価値変動は小さくなるという特徴がある。逆にタイムホライゾンが長くなった場合、あるいはポートフォリオがオプションを含む場合は、モンテカルロ法が用いられることが多い。タイムホライゾンが長いとき、ヒストリカル・シミュレーションは不適であるといわれる。マーケット・ファクターの過去の月次変化、あるいは四半期ごとの変動を重複することなく大量に収集して大サンプルを得ることは通常は不可能だからである。
信頼水準の選択は、すなわち、損益分布の裾部のどの程度端まで観察すべきかを決めることにほかならない。最悪ケースのシナリオを評価するのにVaRを用いる組織は、いうまでもなく高い信頼水準、すなわち小さい臨界確率を採用するであろう。もしも彼らのポートフォリオにオプションが含まれているとすれば、VaRの測定にはモンテカルロ法が用いられることになる。ほかの方法では大きな価格変動がオプション価値に与える影響をうまくとらえることができないからである。一方、実際に取っているリスク水準の日々の、月々の、もしくは四半期ごとの変動幅を評価するのにVaRを用いる組織は、極端な事象にはあまり関心はないであろう。したがって、彼らが用いるのは低い信頼水準であり、モンテカルロ法を用いるメリットは小さい。
これらのトレードオフは、今見てきたように非常に複雑で、これがVaRの測定方法の選択を難しくしている。VaRの測定方法以外にも、VaRの測定にどの資産を含むかも決めなければならない。年金基金の場合、VaRの測定にポートフォリオの資産のみを含むべきであろうか、あるいはこれ以外にも、年金の負債の現在価値も含むべきであろうか。これに対する答えは、リスク尺度をどのような目的で利用するかによる。例えば、年金基金がファンドマネジャーのリスクを監視する目的でVaRを用いる場合は、VaRの算出にはポートフォリオの資産のみを含めればよいであろう。しかし、積立不足によるリスクに関心がある場合、年金の負債の現在価値も含めることになろう。積立不足は数日あるいは数カ月といった短期スパンではなく、通常は何年にもわたる長いスパンを経て発現するため、VaRの測定には1年あるいはそれ以上のタイムホライゾンが用いられることになる。タイムホライゾンの長さを考えれば、使用する方法はおのずと決まってくる。
リスクの集約
リスク分解とリスク・バジェッティングは、ファンドマネジャーにとっては、各自のポートフォリオのリスクを測定し、ポートフォリオを管理する(例えば、第11章の例を参照)上で便利なものかもしれないが、最も積極的に活用しているのが年金基金である。リスクに対する寄与度が最も大きいのはどのアセットクラスであり、どのファンドマネジャーであるのかを最も知りたいのは年金基金なのである。しかし、年金基金は多数のポートフォリオおよびファンドマネジャーにまたがる、大規模なものである場合もある。
純粋に技術的な観点からいえば、大規模で複雑な複数のポートフォリオ全体のリスクを集約することは明らかに可能であり、実際に実行されてもきた。VaRを長年にわたって利用してきた大手銀行のデリバティブ・ディーラーもまた、複雑で多岐にわたる金融商品で構成された巨大なポートフォリオを保有している。VaRの方法論においてマッピングやマーケット・ファクターの選択問題に焦点が当てられるのは、これらが巨大ポートフォリオのリスクを測定・集約する上で重要な鍵を握るツールであるからにほかならない。しかし、資産運用会社では、リスクの分解および集約によってまた新たな問題が生じる。
本書では全体を通じて、ポートフォリオあるいはファンドマネジャーのリスクはすべて同じリスクモデルで測定するという暗黙の仮定の下で議論してきた。換言すれば、本書で行った分析は年金基金(おそらくはそのコンサルタントによる)もしくは資産管理会社の視点に立ったものである。さらに、年金基金をはじめとする大規模な資産運用組織の場合、金融商品(例えばデリバティブ)のすべてを資産管理会社が保有しているとは限らない。したがって、年金基金としては、リスク分析が行われるのと同じ頻度でそれが保有するすべてのポートフォリオに含まれるすべての金融商品についてのタイムリーなポジション・データを入手することが必要不可欠になる。おそらくはこのことが、リスク・バジェッティングを実践する上で最も難しい点のひとつであろう。
リスク・バジェッティングは手間をかけるだけの価値があるのか
最後に、入門編で述べた問題をここでもう一度振り返って考えてみよう。すなわち、リスク・バジェッティングは手間をかけるだけの価値があるかどうか、についてである。リスク・バジェッティングには莫大なコストがかかるのは明らかである。リスク測定システムとそれに必要なデータ入手にかかるコストばかりでなく、リスク・バジェットを設定し、監視するのに必要な時間と労力もかかる。このようなことを行える優秀なスタッフをそろえるのには高いコストを要し、本来であれば別の重要な仕事に従事することもできるであろう。リスク・バジェッティングはファンドマネジャーに多大なコストを課すものであるが、取引をリスク・バジェットの範囲内に収めようと思えば、ポートフォリオ自体のコストも高くなる。リスク・バジェッティングの導入によってリスクの監視と管理は念入りに行えるようになり、その結果おそらくは安眠ももたらされるであろうが、VaRが不完全なものであるため、このような利点も限られたものとなる。
このように、リスク・バジェッティングにはコストがかかり、限界もあることはだれにも否定のできない事実である。入門編では、リスク管理に関する教育と知識が高まり、リスク測定システムが進歩するに従って、リスク・バジェッティングによる利点は向上し、そのプロセスにかかるコストは低減するであろう、と述べた。少し大げさかもしれないが、VaRへの批判に対しては、Bever, Kozun, and Zvan[2000]による「欠点を強調することは、石器時代の鉄を発見して、それが錆びついていると文句を言うようなものである」という言葉で反論させていただきたい。VaRおよびそれに関連するリスク尺度は完全なものでもないし、それに取り組むのも大変である。しかし、今あるリスク尺度のなかでは、最良のものといってもよいのである。
まず、本書日本語版の出版にあたって、訳者の山下恵美子氏、パンローリング株式会社社長の後藤康徳氏、ならびに同社編集者の阿部達郎氏にこの場をお借りして監訳者一同より御礼を申し上げる。短期間で本書を日本の読者にご紹介できることになったのはこれらの方々の功績である。また、監訳の過程で貴重な助言を頂いた各方面の方々にも謝意を表したい。翻って、監訳者としては本書邦訳にあたって最善の努力を尽くした積もりであるが、もしも内容に至らない点があればそれはほかでもない監訳者の責任であるから、ご指摘を頂ければ幸いである。
さて、本書の著者ニール・D・ピアソン博士は、米国イリノイ大学アーバナ・シャンペイン校ビジネススクールの准教授で、主な研究分野は金融デリバティブやコモディティ・デリバティブのプライシングやヘッジ、およびリスク管理である。リスク・バジェッティングに対する本書のアプローチの仕方はこのような背景があってのもので、というのは過ぎた憶測かもしれないが、本書はオプションなど非線形金融資産がポートフォリオに含まれる場合の考え方にもかなりの力を注いでおり、さればこそ、バリュー・アット・リスク(VaR)という下方リスク尺度が重要なテーマとなっているのである。年金運用の世界における伝統的なポートフォリオ管理指標が収益率の標準偏差であることは今更言うまでもないが、VaRも今後(米国の年金基金においてこれを利用することが徐々に広まりつつあるように)、投資対象資産の拡大やリスク管理技法の高度化に伴って本邦においても指標としての重要性を増してゆくのではないか。
本書がリスク・バジェッティングという運用リスク管理の新分野における最近の展開を上述のような形で紹介してくれるのはある意味で当然のことであるが、しかしその真骨頂は、リスク・バジェッティングによるリスク管理を実際に行うために必要な理論的フレームワークを詳しくかつ可能なかぎり平易に解説しているところにある。同教授は筆者前書きにおいて、MBA課程の学生を読者として想定したと記している。本書の内容を一度で理解するには、オプションを含む現代投資理論をあらかじめ知っていることが必要で、つまりは高等学校から大学教養部程度の数学の知識を要求される。しかしそれをひとたび備えてしまえば、忍耐強いまでの丁寧な説明は、講義と試験を通じて真剣に学生と向き合うことを求められる米国の大学教授ならではと思わせるものがある。上出の筆者前書きからも分かるとおり、ピアソン教授は本書を通じてまさに「分からせよう」としているのである。リスク・バジェッティングによるリスク管理の実践を検討してみたいと思っている方にとって、本書は強力な手助けとなり得ると考える。
我々は本書の副題を「理論と実務の橋渡し」と訳すことにした。ファイナンス理論と実務との間にギャップがあるということは本邦においても指摘される向きの多いところである。理論が現実離れしているとすればそれも原因のひとつであろうが、考えるところ、理論を実践に移すにはある種の才能やテクニックが必要なのである。それは本や論文を読めば簡単に理解できるような体系化された知識ではなく、訓練によって身につけられるスキルといってよいであろう。本書が理論と実務を橋渡しする一助になると考える理由は、多数の数値事例とそれに対する懇切丁寧な解説を交えながら、理論を実践に移すスキルの訓練過程をなぞっているものと思うからである。ビジネススクールの宿題を出題し解いてみせる過程といってもよい。スキルを身につけたいと考える意欲のある読者は、本書に沿って自分の手でスプレッドシートをたくさん作って試してご覧になってはと思う。
最後に、本書はリスク・バジェッティング実践のフロンティアを切り拓こうとする方々に好適な書と考えるが、理論面をきっちりと書いてあるが故に、誰にでも簡単に読める本ではないかもしれない。ファイナンス理論の細かい部分はよいからリスク・バジェッティングの要諦について知りたいといったマネジメント層向きには、我々監訳者チームの前回の拙訳である『リスクバジェッティング――実務家が語る年金新時代のリスク管理』(パンローリング社刊)もあるので、併せてご愛読をいただければと願う次第である。
平成14年9月
三菱信託銀行の監訳者を代表して
胡田 聡司