『その後のとなりの億万長者
全米調査からわかった日本人にもできるミリオネアへの道』
著 者 トーマス・J・スタンリー、サラ・スタンリー・ファラー
訳 者 藤原玄
2021年1月発売/四六判 478頁
定価 本体 1,800円+税
ISBN 978-4-7759-7274-8 C2033
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本書は、一代で億万長者となった人々に関するスタンリー博士の画期的な著作から20年がたった現在のアメリカの富裕層を取り上げ、詳細に分析している。新世代の家庭の大黒柱たちは多くの金融情報にされているが、本書は富を得るために何が必要かという点について、あくまでデータに基づいた結論をもとに、自らの力で億万長者になった人たちの実例を見ていく。この研究では、蓄財につながる個人の判断や行動や性格とはいかなるものかを詳しく調査し、消費、予算設定、キャリア、投資、そして経済全般についても言及している。本書を読めば、今日、市場の状況やあらゆる費用の増大にもかかわらず、経済的成功を収めるためには何が必要かを教えてくれる。
その経済的成功のために最も大切なこととは、経済問題に対して規律ある行動を取り続けることによって、長期的に収入を資産へと変えることができるのだ。その方法とは以下のとおり。
サラ・スタンリー・ファラー博士(Sarah Stanley Fallaw, Ph.D.)
産業・組織心理学者。データ分析を行うテクノロジー企業、データポインツの会長を務める。同社は富の蓄積に関する研究を行い、個人投資家と金融アドバイザーが富を蓄積するうえで重要となる行動を支えるツールを開発している。ジョージア州マリエッタ在住。https://www.datapoints.com/。
目次
監修者まえがき まえがき
第1章 となりの億万長者は健在なり
付録A――調査方法について
注 |
アメリカで億万長者になった人々は、単に運が良い人でも高収入の人でもなく、収入の一部を消費せずに規律をもって別に取り分け、戦略的に投資に回すという行動を長期的に実行した人である。この事実は、私たち日本人を大変勇気づけることになる。もともと日本では家計の貯蓄率が高く、出費を抑制し、お金を貯めるという習慣を多くの人がすでに身に付けているからである。
一方で、勤勉で真面目な日本人は、富を増やすために懸命に働いたり、資格取得により人的資本の価値を高めようとしたりする。だが、だれしも漠然と感じているとおり、それらの尊い試みは現代の社会では不確実で、成功の可能性は必ずしも高くない努力である。現実的には、資金を単に預金口座に置くのではなく、リスクを承知で投資することだけが、階層や出自に関係なく経済的に安心できる富を築くという望みをかなえる唯一の手段である。私たちには自分自身に代わり、資本に働いてもらう投資という事業が必要なのである。
ところで、サラ博士がまえがきに書いているように、前著の著者であるトーマス博士は二〇一五年に不幸な事故によって亡くなっている。彼女は父親の死という悲しみを超えて、師の業績を絶やさぬよう本書を完成させた。私はここに両博士の親子間の深い情愛を感じないわけにはいかない。私たちは彼女の熱意と努力をけっして無駄にすべきではないだろう。
最後に、翻訳にあたっては以下の方々にお礼を申し上げたい。藤原玄氏には正確な翻訳を行っていただいた。そして阿部達郎氏には丁寧な編集・校正を行っていただいた。また、本書が発行される機会を得たのは、パンローリング社の後藤康徳社長のおかげである。
2020年12月
長岡半太郎
著書『となりの億万長者』(早川書房)で証拠に基づいたファイナンシャルプランニングの原則がまとめられ、富を蓄積するための実証済みの道筋も極めて明解に記されているにもかかわらず、多くの人々が「どうして自分はお金持ちではないのか」と問い続けている。小規模事業主であろうが、教師であろうが、弁護士や営業マンであろうが、規律ある、整然とした方法こそが富の蓄積には有効であることが証明されている。父が『となりの億万長者』に記したとおり、「本書で取り上げた億万長者たちはゆっくりと着実にそれを成し遂げたのであって、ヤンキースと何百万ドルもの契約を交わしたわけでも、宝くじに当たったわけでも、次なるミック・ジャガーになったわけでもない」のだ。
このゆっくりと着実な方法は、新しいスキルを身につけたり、ダイエットをしたり、子供たちを育てたり、新しい事業を始めたりといった、人生における多くのチャレンジにも当てはまるものだ。大きな目標――そこには経済的独立も含まれる――を達成するためには、長きにわたる規律ある行動、自分の能力の把握、そして効率的な資源配分が求められるのだ。
だが、ある種のライフスタイル――大量に消費し、ステータスを誇示するライフスタイル――を求めることで、その旅路はわれわれのほとんどにとって難しいものとなる。安定的に現金が流入することなしに、ほかの人たちがやっていることや乗っている車や着ている服などに影響を受けるライフスタイルを維持することはほとんどの人にとって不可能である。多くの人たちが自分たちの現在の習慣を受け入れるのか、それを変えるための苦労を嫌がるばかりで、その間も不満を漏らし続け、よく他に依存し、気を揉むばかりの人生に陥りがちである。
なかには反論する人もいたが、父は世間知らずではなく、無一文から始めて驚くほどのお金持ちになれる可能性はさほど高くないことを明言していた。だが、行動がその人の環境を変えることを父の研究は何度となく証明していたし、彼の人生がまさにそうであったのだ。父は、経済的に自立し、その信じられないほど貧しい生い立ちを克服するために、常に、慎重にその行動様式を改めていたのだ。
私の父は、一九九六年の出版以降、古典ともなっていた著書『となりの億万長者』の第二段を書くことを望んでいなかったが、それは読者たちにアメリカの富裕層や富の蓄積について異なる、または新たな視点を提供する書物を記すほうが良いと考えていたことがその一因である。父はその後、『女性ミリオネアが教えるお金と人生の法則』(日本経済新聞社)や『“ふつうの億万長者”徹底リサーチが明かす お金が“いやでも貯まる”5つの「生活」習慣』(イースト・プレス)を上梓している。本書の調査や作成は、二〇一六年の『となりの億万長者』出版二〇周年を期して、二〇一二年に開始した。当初の目的は、いくつか新しいトピックスに関する長期的なトレンドを検証するとともに、父のそれまでの仕事で集められたデータとの比較を行うことにあった。
同時にわれわれは、もう一度アメリカの億万長者たちに目を向け、『となりの億万長者』の出版から二〇年、またほかの著作から幾年かが経過した今、何らかの変化が見られるのかどうかを検証することとした。われわれはとなりの億万長者たちの主たる行動特性を再検証し、今日富を築くとはいかなるものかを検討しようとしたのである。アフルエント・マーケット・インスティチュートの創設者であり、『となりの億万長者』の著者である父がベビーブーマーからの視点とマーケティング調査の専門知識を提供し、ジェネレーションXに属し、産業・組織心理学者として経験を積んだ私が父の右腕となってプロジェクトに望んだのだ。
われわれにはもう一つの計画があったのだが、それが本書のあり様を大幅に変えてしまった。父は二〇一五年、飲酒運転による事故に巻き込まれて亡くなったのだが、それは最初の調査依頼書を送ろうとする矢先であった。父の死後、私は父のノートやわれわれの最新の研究結果をまとめる仕事に取り掛かるとともに、新たなデータやそれまでに集めるよう助言してくれていたデータを読み解きながら、父が新しい本に取り込もうとしていたメモやブログやアイデアを章立てにまとめていった。この辛くもあり、楽しくもあった仕事には三年以上の時間がかかった。私は父のノートやメモの多くを手にしてはいたが、新しいデータや今日の重大ニュースに対する父一流の見方を再現することはできなかった。それゆえ、恥ずかしながら私自身の解釈を示さざるを得なくなったのである。
父を亡くしてなお、このプロジェクトを完了させようと思ったのには幾つか理由がある。それは個人が経済的に成功する一助となることを目的として、家政学、ファイナンシャルプランニング、行動ファイナンス、そして産業・組織心理学の調査を今でも続けていることと同じ理由である。要するに、われわれはいかにして個人が富を築くことができるのかについて科学的な研究を続け、富に関する神話や逸話や聞こえが良いことばかりの物語などを追認するなり、反証するなりしなければならないのだ。われわれは科学的な厳格さを用いて、聞こえの良いことと、実際に有効なこととを区別しなければならないのである。
この国にはいまだ富に関する神話があふれている。メディアや政府はいまだ収入と富とを混同しているが、それは個々のアメリカ人においても同じである。自分で富を築き上げた人は疑いの目で見られることが多いが、それはまるで経済的に成功する唯一の道筋は高度な経済的外来治療(親族からの贈与)を得るのか、宝くじを当てるのか、不正を働くしかないかのようである。ソーシャルメディアには輝かしいイメージばかりがあふれ、現実の経済的成功についてわれわれを惑わし続けているのだ。
われわれの多くは悲惨なまでに自分たちの経済問題を管理する準備ができておらず、またその能力もない場合すらある。アメリカの全国民の半分近くが、何かを売却するのか、借金をしなければ四〇〇ドルの費用を賄うことができなかった。われわれは国全体で財政問題に頭を悩ませ続けているのだ。アメリカ心理学会によれば、アメリカ人のおよそ六四%がお金が自分たちの生活で「多少または大きな」ストレス源であると感じているという。この経済的な浮き沈み、つまりお金がアメリカ人にとっては仕事や健康問題や家族の問題以上に最大のストレス源となる傾向にあるのだ。
最後に、記しておかねばならないのが『となりの億万長者』に対して、一九九〇年代半ばに見られたネット経済の発展による株式市場の隆盛がこの本で取り上げられた人物たちの成功の理由である、または、検証結果には生存者バイアスが働いている(見事お金持ちになった人物たちだけのデータを取り上げていて、お金持ちになれなかった人たちに同じ習性が見られるのかどうかに着目していない)のだと批判する人がいたことだ。こう批判者たちは、父の著書のなかで収入を効率的に富へと転換させた蓄財優等生と、同程度の収入を得ながらも、まったく口座残高につながらなかった蓄財劣等生とがはっきりと比較されている(そして、よく大きな違いがある)ことを見落としている。『となりの億万長者』で検証された同じ行動や習慣は大衆市場やマス富裕層の母集団、つまり「生き残って」お金持ちになれなかった人たちにも当てはまることであり、これらお金持ちではない人々のデータを見ると、加速度的な蓄財と慎重な経済判断を下すことや、消費に対する社会的なプレッシャーを無視すること、そして目標に集中することといった要素との間には一貫して正の相関があることが分かるのである。
本書には、父の死の前後で集めたデータの説明や解説だけでなく、父が本書に盛り込むつもりでブログに記していた言葉も含まれている。本書で取り上げるデータのほとんどは二〇一五〜二〇一六年に集められたものであるが、二〇一二〜二〇一八年に行った補助的な研究によって得られた調査結果や、私が経営するデータ調査会社データポインツで随時集められたデータや調査結果も掲載している。
書き手の視点という点では、本書を通じてわれわれという主語を使うことに決めた。だが、ノートやブログや章立てのアイデアやデータ検証など父個人が行った仕事であることをはっきりさせるために補足説明をつけている場合がある。これは書物にとって重要なことであるし、また読者にはそれが父個人の言葉であることを知ってもらうべきだと考えたのだ。私自身の言葉で記している節も幾つかあるが、それは私自身の経験や調査であることを記しておく。
二〇一五年の父の早すぎる死は家族の心に大きな穴を残しただけではない。父の死後、父のウェブサイトなどを通じて受け取った数多くのコメントを読むと、経済的独立を求める旅路において支援や励ましを求めていた本やブログの読者たちの心にもぽっかり穴があいてしまったと感じている。
それらすべての感慨を背景に、わが父の調査研究を継ぐ者として本書を提示する。彼の命を奪った悲劇が起きたとき、その機をとらえて「となりの億万長者」のコンセプトは過去のものだと主張するメディアも散見された。だが、われわれのデータによればそれは違う。私は、本書が「となりの億万長者」はいまだ健在であり、経済的成功はそのために努力をする意欲のある人ならだれでも手に入れることができることを示してくれることを期待している。
二〇一八年六月 ジョージア州アトランタ
サラ・スタンリー・ファラー