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そろばん 売りのヤマタネ半生記

そろばん
売りのヤマタネ半生記

山崎種二
定価 本体700円+税
文庫判 256頁
2009年1月17日発売予定
ISBN 978-4-7759-3066-3 C0133



著者紹介 | 目次 | 序文 | 当時の風景(本書より) | 年表(本書より) | 関連記事 | 関連書籍 | 訂正とお詫び

相場の神様“ヤマタネ”の名著がついに、文庫復刊!!


“そろばん”には大小があり、人にはそれぞれ身に合った“そろばん”がある――

小僧時代から、栄華を極めた晩年に至るまで、己のそろばんとともに生きたヤマタネ。そして、彼のもうひとつの大切なもの、“ものさし”。他者と同じ必要はない。おのれの経験と相場観を信じ抜く。本書は、随所にヤマタネ自身の生きた言葉が溢れた自分史の集大成である。


「もうけた金には損がついて回る。貯めた金には信用がつく。」
「相場に外れた時は早く降りるのがコツである。「離」である。」
「成功のタネは必ず苦しい時に芽生え、失敗するのは有頂天になっている時に原因が生じている。」
「採算を無視して売られれば、いつかは必ず見直される――これが相場の鉄則だ。」



【本書の内容】
大正から昭和にかけた激動の時代。いくつもの暴動や戦争、さらに関東大震災という天災までが人々の生活を襲った。

明治41年、15歳で奉公に出た種ニは、生涯の師と仰ぐ主人 山崎繁次郎のもとで、実家の借金返済という責任の上に、生来の勤勉さと体躯を生かし、米について一からを学び、めきめきと頭角を現す。修行時代の彼を動かしたのは「考え五両、働き一両」という祖父からの教え。人並み以上に努力をする彼に、主人 山繁をはじめ、終生をもって支えとなる多くの人々と出会いが訪れることになる。

大正の終わりになると、主人の他界や大震災という大打撃を経て、ついに彼は独立を決意。米相場については修行時代に多くを学び、すでに「売りのヤマタネ」としての片鱗を見せていた。売りを強みとする彼は、買い占めが嫌いだった。正米市場で育った彼には、人々にとってもっとも重要な米を買い占め、値段をつり上げて儲けることが我慢ならなかったのである。
しかし、彼が米相場で成功すればするほど、心よく思わない人々が増える。さらに軍国主義の背景が強くなり始め、米の売買もしづらくなると考えた彼は、いよいよ株式相場へと本格的に足を踏み入れる。

満州事変の年、金輸出再禁止を受けた株式相場は、数年に及ぶ大暴騰を見せ、ついに「買いのヤマタネ」として大成功を収めた。しかし、すべてがうまくいったわけではない。大きな痛手を追って金策に走ることや、不安感に押され血尿を出すこともあった。それでも相場の世界を去らなかったのは、「もともと裸ではじまったのだから、あらためて出直せばいい」という達観だったのかもしれない。

どんなときでも愚直なまでに相場に生きた彼が、「世の中のためになること」を山種美術館を設立するまでの思いも記されている。

※本書は、昭和52年に日本経済新聞社より刊行された『そろばん』を、文庫化にあたり、加筆・修正したものです。




著者/山崎種二(やまざき・たねじ)

1893年、群馬県生まれ。小僧として入店した回米問屋時代より、相場を始める。後に、1923年に山崎種二商店を設立し独立。売りを強みとしていくつもの相場を制したことから、「売りの山種」と称されるようになる。その後、1944年に山崎証券を創設、東京穀物商品取引所の初代理事長を務め、さらに1966年山種美術館を設立。1983年逝去。

(左記写真は、昭和49年に勲2等旭日中受章時)

・山種美術館HP:http://www.yamatane-museum.or.jp/



■目次

序文

第一章 少年時代

 生いたち/貧乏暮らし/上京/小僧の才覚/終生の師に会う/相場に踏み出す

第二章 修行時代

 山繁さんの厳しい指導/甲種合格/山繁さんの死/米騒動/結婚/石井定七に売り向かう/関東大震災

第三章 独立

 山崎商店の旗上げ/古米活用で大当たり/買い占め派との対決/山種の基盤を築く

第四章 兜町進出

 株の世界へ/本社ビル建築/二・二六で当てる/“筆禍事件”/日活株大仕手戦/忍び寄る戦争の影

第五章 再出発

 焼け跡からの出発/旭硝子事件顛末記/山種米穀を設立/動乱ブームを背景に/小豆事件/買いで凱歌

第六章 「山種」時代

 “兜町は宝の山”/強盗に押し入られる/投信に踏み切る/証券恐慌/本社ビル完成

第七章 相場雑感

 ムダ嫌い/別荘地分譲/妻のこと/相場の秘訣/“流れを知る”ことがコツ/相場の道に六十五年

あとがき



■序文

   「そろばん」に生きた父                                            山 富治(山種美術館名誉館長)

 世界経済が大きく揺れている今日、この本を少しでも経営に役立てていただければ幸いである。とにかく父は「そろばん」の達人であり、不況のときをも巧みに乗り切ってきた。
 その生き方は、息子の私ならでは分からないことも多かったが、そばにいたときにはその偉大さまでは、身にしみてはいなかった。昭和四十九年に父が熱海来宮別荘に療養転地してから十年間、必ず毎週見舞いに訪ねるなかで、その偉大さ、優しさが徐々に私の身にしみてきたのである。
 その父から「わざわざありがとう」などと言われると、たまらない感情がこみあげたものだ。そこには、怖かった親父の生来の人間味があふれていた。

 八十九歳の昭和五十八年八月十日午後三時、ちょうど株式市場の大引けに亡くなったのも大相場師の真骨頂ではなかったかと思う。午後七時のNHKニュースで放送されるや、翌日には、あの田中角栄先生が自宅に弔問に来られるなど大変だったことを今でも思い出す。
 とにかく、公私ともに話題の大きかった、「私の履歴書」である。この本には、息子の私が直接に教えられた格言や、父が自ら経験し体得した数々の実践談が掲載されていて、時を経た今でも新鮮で面白い。特に、「信為万事本」(信は万事のもとをなす)という信念こそ、一生を通じて自分のものになっていたように思う。

 さて本書の中で、父が四十歳のときにかなり重い病気にかかって入院し「病気という先生に教えられた」と書き記している。そしてそのとき「万が一の場合には財産のことをどうするか、と遠回しに妻に話すと『私には子供達の教育費の分だけ残して下さい。あとは仕事のために、会社に……』と答えた。この時ほど家内が心強く思われたことはなかった」とある。たしかに父は、家庭を母に任せきっていた。
 また、格言として大事に大事にしていたのは、「成名毎在窮苦日、敗事多因得意時」(名を成すはつねに窮苦の日にあり、敗れること多くは得意の時による)という対句である。これは、澁澤栄一翁が書かれた額皿で、終生、大きなよりどころとしていた。

 しかし、一生の思い出は何といっても「空襲」のときのことである。
 昭和二十年三月十日午前二時頃、米艦載機の焼夷弾を麹町三番町の自宅に直撃され、すぐに二階の屋根から火が吹いた。私も弟も、当時軍人教育の府立四中生として学校で教わったとおりに、池の水を頭からかぶって火消しにかかった。
 ところが父は、台所の冷蔵庫からせっせと食料品を地下防空壕に運んでいる。さらに、われわれ息子に「止めろ! 自分の家だけ助かっても風が起きて類焼でやられてしまう!」と叫ぶのだ。そのときは、弟と二人で「親父は国賊だ」と叫んでケンカ腰となった。しかし、これがあとになって大間違いだと分かる。
 その晩、麹町一帯は焼け野原と化した。その惨劇を目にしてようやく、大正十二年の関東大震災を経験してきた父の凄さに頭が下がる思いをしたものだ。

 まだまだ父の思い出は尽きない。
 初版から三十年もたってこの度、復刊のお話がきた。どうか、じっくりとお読みいただければ、「なるほど」という実感がわき出てくるものと思う。もうわずか数冊、家に残っているだけで、父の苦労話も風化してしまうところだったので、再出版されることは大変ありがたいと思っている。



【訂正とお詫び】下記ページの表記つきまして、誤りがございました。

P.219のお写真下
松竹桂月画伯 正しくは、松林桂月画伯でした。

訂正してお詫び申し上げます。




■文化出版局発行の雑誌『ミセス』(2009年11月号)
で山崎種二氏が取り上げられています。


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