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ウィザードブックシリーズ Vol.96

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株式投資は心理戦争
ランダムウォークを超える戦略

2006年2月15日発売/四六判 ソフトカバー 446頁
ISBN4-7759-7060-7 C2033/定価本体2,800円+税

著者●デビッド・N・ドレマン
訳者●秦由紀子


目次 | 第11章 効率的市場仮説の信憑性 | 読者のご意見
著者

デビッド・ドレマン

原書

『Psychology
and the
Stock Market』

市場から見放されている銘柄のほうが人気銘柄よりも儲けられる!

「市場から見放されている銘柄のほうが人気銘柄よりも儲けら れる!」――最近実施されたコンピューター調査ではこんな分 析結果が出ている!

 本書を読めば以下の疑問点に対する答えが見つかるだろう。

 株式市場とその働きを理解することは可能だろうか。なぜ数多くの投資理論はこれまでの歴史やパフォーマンスを裏切り続けてきたのか。デビッド・ドレマンは集団行動に見られる心理を徹底的に調査して過去の過ちを解明するとともに、十分に裏付けのある新しい投資テクニックを紹介することによって、ファンドマネジャーやランダムウォーク理論の信奉者たちに挑戦状を突きつけた。
 本書は、これからの証券分析に大きな影響を及ぼすことになるだろう。本書では、「集団思考」にとらわれたために惨憺たる失敗を犯したファンドマネジャーたちを取り上げている。「集団思考」とは、集団行動をとることによって個人の意思決定がそれに大きく左右され、ときに自己の利益を損なう結果を招いてしまうという心理現象である。ドレマンはこの集団思考にとらわれることのないように、個人投資家に注意を呼びかけている。また、集団思考に追随する投資家よりも優れたパフォーマンスを出せる、そして彼自身の投資パフォーマンスを改善するのに役立っている投資テクニックを披露している。
 ドレマンは本書の最後で、証券アナリストとしてその効果を証明してみせた投資テクニックを使って効率市場仮説(ランダムウォーク理論)が有効ではないことを証明する明白な事例を示し、それにはっきりと異議を唱えている。

目次


はじめに
謝辞

第一部 機関投資家の運用実績とそれに基づく考察

第一章 機関投資家による投資活動の謎  機関投資家の運用実績  パフォーマンス競争  銀行の信託部門と年金基金  投資信託 第二章 学者たちの猛襲  はじめに  テクニカル分析に関する簡単な調査  テクニカル分析家の失墜  攻撃は続く  検証、検証

第二部 異常な群集心理

第三章 バブルの崩壊  チューリップバブル  史上初の新株発行ブーム  あなたも沼地のオーナーになれる  一九二九年――株価はその先まで織り込んだ 第四章 一九六〇年代のバブル  エレクトロニクスバブル  ガンマン投資家の盛衰  バブルに踊らされる人々とは

第三部 ウォール街に見られる集団思考

第五章 有害な競争環境  「集団思考」とは?  ファンドマネジャーに対する圧力  機関投資家による調査――大いなる期待の的  何が間違ったのか?  批判的思考の限界 第六章 集団思考が生まれる環境  他者の意見が及ぼす影響  集団思考の証明  組織内での追従を求める圧力
第七章 集団思考の影響力
 大勢の専門家のサンプルが行った投資予想
 テーマ株に群がる群衆
 上位五〇銘柄
 人気銘柄と不人気銘柄のパフォーマンス

第八章 極端な二極化相場
 特権階級銘柄
 勝ち組企業に殺到
 二極化相場は集団思考の表れなのか

第九章 パニック
 流動性の罠
 これまでの警告を無視
 集団思考が引き起こす市場の大暴落
 パニックの本質
 機関投資家が暴落において果たす役割
 機関投資家による投資が市場に及ぼす影響
 機関投資家による市場支配がもたらすもの
 事態は変わったか


第四部 投資家は市場に勝てるか

第一〇章 株式市場を飛び交うさまざまな情報――森を見るか、木を見るか  効率的市場仮説に必要な仮定  解釈能力――スーパースレウスの話  会計は混沌から生まれた秩序か?  粉飾決済  解釈にかかわる問題のすべて 第一一章 効率的市場仮説の信憑性 (立ち読み)  投資家の行動にかかわる問題  悪魔との契約  効率的市場仮説のもう一つの擁護論  われわれはどこへ行くのか 第一二章 現代の投資戦略  投資公式における心理変数  再び見通しについて  われわれが提案する投資戦略  収益力に対する考え方  専門家のアドバイスを生かすには  成功する投資戦略に共通するその他の要素  分散投資の重要性  成功するには一匹狼になることをいとわない  ほかのオプション  最後に 付録 一九六七〜一九七六年では不人気銘柄が人気銘柄のパフォーマンスを上回った 脚注と参考文献

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■著者紹介

デビッド・N・ドレマン(David N. Dreman)
マニトバ大学でファイナンスの学士・修士を修得。カナダで証券会社を経営しているときに、調査レポートを執筆し、多くのファンドマネジャーたちとの人脈を築いた。現在は、ドレマン・バリュー・マネジメントの創設者兼社長で、投資最高責任者。1991年からのドレマンによる大型株ファンドの平均リターンは17%、小型株ファンドの平均リターンは16.5%。フォーブス誌のレギュラーコラムニストを22年間務めている。近著に『コントリアン・インベストメント・ストラテジー(Contrarian Investment Strategies in the Next Generation)』などがある。


■第一一章 効率的市場仮説の信憑性

 前章で論じた情報と解釈にかかわる問題はしばし置いておくことにしよう。それでも、効率的市場仮説には乗り越えなくてはならないさらに大きな問題がある。

 投資家の行動にかかわる問題

 効率的市場仮説の二つ目の前提は、十分な数の機関投資家やその他の熟練投資家は、同じ事実に対してまったく同じ合理的な手法で反応するため、株価はけっして基本的価値から乖離することはないというものである。投資家は、測定可能なデータを与えれば可能な回答だけを出すコンピューターと同じだ――そうわれわれは聞かされてきた。  しかし投資家は本当に、投資判断を下すときに完全に合理的に行動するのだろうか。われわれがこれまで見てきたところでは、そうではないと確信を持って言える。

 われわれが過去、そして最近発生した投機的バブルを調査したところ、基礎となる条件はそれほど変化していないのに、株価は大きく変動した。オランダのチューリップバブルでは、ある日八三〇〇ドル相当で取引されていたチューリップが三カ月後にはただ同然になった。一九七五年三月には、一九七四年一二月の株価水準から二倍、三倍、なかには四倍以上上昇した銘柄がたくさんあった。値上がりのほとんどはわずか数週間で起こったものであった。これは投資家の心理の強烈な変化によってもたらされたのである。

 不幸にも、人間は気まぐれであるために、最も信頼できないロボットと化している。バートン・マルキールは著書『ウォール街のランダム・ウォーカー』((日本経済新聞社)のなかで、一九五五年にGEが行った「社内の研究者が人造ダイヤモンドの開発に成功した」という発表に市場がどう反応したかを書いている。科学者たちは当時、人造ダイヤモンドは宝石には適さず、工業用にこれを製造して利益を出すにもコストがかかりすぎると述べた。それにもかかわらず、GE株の時価総額は二四時間とたたないうちに四億ドルも増大したのである。これは世界中のダイヤモンドの年間売り上げの約二倍であり、産業市場に対する売上額の六倍であった。市場が新情報にどのように反応するかを徹底的に研究すれば、これに似た、効率的市場仮説とはまったく矛盾する状況がいくつも明らかになるだろう(同様に、新情報に株価が反応したからといって、その反応が必ずしも適切であるとはかぎらない。株価水準がすでに基本的価値から大きく乖離している場合に新情報が出ても、株価は反応しない)。

 ほかにも合理的な行動という仮説に反論する者たちが存在する――消費者やビジネスマンの意思決定特性の研究を行っている、経済分野の研究者たちである。前出のジョージ・カトーナは、消費者やビジネスマンの行動はときに「目的を伴った」「知的な」ものに見えたとしても、そうでない場合も多々あることが証明されていると述べている。ここで特に関係があるのは、企業の設備投資について決定を下すビジネスマンを対象にした調査である。こうした決定は企業の将来にとって重要であるし、投資判断にかかわる者と基準が非常に似ているからだ。カトーナによると、こうした決定の多くは機械的に、あるいは「経験則に従って」、入念で慎重な調査の末に行われたものではないという。効率的市場仮説の中核を成す「絶対的に合理的な行動」では、こうした機械的な意思決定はあり得ない。

 二〇世紀に入って行動科学が進歩したため、人間は常に完全に合理的であるという考えはいまや受け入れられなくなっている。ハロルド・レービットは『マネジェリアル・サイコロジー(Managerial Psychology)』に次のように書いている。「人間は、不合理のせいで自分にとって常に最適と考えることを行わないので、不合理な動物である。しかし不合理ではあっても、その行動は彼の心のなかでは論理的なのである」(3)。第五章から第九章で見てきた機関投資家たちの株式の価値にかかわる投資行動は、ときに破天荒なほど不合理なものであった。しかし一人一人の投資家にとっては、それはキャリアと集団の人間関係の観点では完全に論理的な行動だったのである。

 悪魔との契約

 効率的市場仮説派は自分たちの仮説が単純で脆弱であることにまったく気づいていないというのは言いすぎである。経済的合理性の仮説は、経済理論家たちを長い間当惑させてきた。この仮説は一八世紀と一九世紀前半の合理主義の黄金時代に生まれたものである。

 一八世紀には、社会における個人の役割に対する人々の考え方にも変化が現れるようになった。一七世紀には、組織化された合理的な国家の利益を人に追求させるためには厳格な規範が必要であるというのが主流の考え方であった。しかしいまや人間は、自らの理性に基づいて自らの人生を設計できる存在だと考えられている。そうするなかで、国家にとって最善の利益となる決定が行えると仮定された(アダム・スミスの主張するかの有名な「見えざる手」である)。この哲学を受け入れることによって、前世紀に影響力を持っていた経済における制限が逆転した。いまや個人には可能なかぎりの自由が与えられているため、全員の利益のために自分の合理性を行使することが可能である。  それ以降は、「絶対的に合理的な人間」という考え方はきっぱり捨て去られた。行動科学が革命的に進歩すると、人間はときに合理的な行動をするが、そうでないことも頻繁にあるという事実が一般的に受け入れられるようになった。行動科学者たちの調査結果が正しいことは、市場や経済の歴史を見れば分かる。

 それでは、なぜ大勢のエコノミストたちは、「人間の行動」という、流行おくれの考え方を自分たちの理論の根拠にすることに固執しているのだろう。

 この疑問に対する部分的な答えとして、われわれは、ストニアーとヘイグが執筆した経済理論についての素晴らしい著作からの引用をここに紹介する。

 企業経営で言うところの「合理性」とは、個々の生産者が可能なかぎり最大の利益を追求するのが目的だと理解されている。しかしいまや、あらゆる経営者が現実に、常に利益の最大化を行っていると信じているエコノミストは存在しないし、必ずしもそうすべきだと信じてもいない。しかし、こうした仮定がなければ、企業がそもそも生産高や価格を決定する方法についてしっかりした説明をするのは難しいであろう

 このように著者たちは、効率的市場仮説の中核を成す経済的合理性という考え方は現実的でないことを認めている。それでも彼らは次のように述べてその有用性を弁護している。「しかし、これ以上現実的な仮定を行うと、正しい仮定が何かを実はだれも知らないという事実はさておき、経済理論は非常に困難になる」

 こうして経済理論は大きなジレンマにぶちあたる。現実的な仮定を行うべきなのだろうか。もしそうだとしたら、どんな仮定にすべきだろうか。あるいは、非現実的だとされていても、実際的な価値という点では欠陥があるにせよ、仮定で幅広い分析を認めるべきなのだろうか。

 ほとんどのエコノミストたちは後者のアプローチを選択した。合理性という考え方を受け入れることで、需要と供給、収入、資本、金利といった経済データを徹底的に分析し、こうした多くの変数を統合して結束の固い、影響力のある理論を構築した。これらの変数の大部分を形成する意思決定については、ほとんど検証しないままである。なぜなら意思決定者は自動装置のように予測可能な手法で行動するものと仮定されているからである。これを「経済データの具体化」と呼ぶエコノミストもいる。  株式市場の分析においても、エコノミストたちによって同じような考え方が取り入れられた。投資家の意思決定プロセスは完全に外的な事情に左右されると考えられている。このようにエコノミストたちにとって、意思決定プロセスはパンドラの箱のようなものになった。いったん開けてしまうと、既存の理論をあっという間に飲み込んでしまうというわけだ。

 エコノミストたちは統合型の経済理論の構築に大きな代償を払いすぎたのではないだろうか。まるでファウスト博士のように、契約の代償としてあまりに多くのものを断念したのではないだろうか。  彼らはこうした問題を認識し、自分たちが提唱するモデルは実社会にはほとんど、あるいはまったく適用できないと述べている。アメリカファイナンス学会元会長シャーマン・メイゼルの言葉を借りると、問題は、「われわれは自分たちの仮定やテクニックには限界があると警告している。ほかの変数に価値があるかもしれないと指摘している。部分分析の危険性を認識しているが、それでもまるで困難などないかのように振る舞っている。われわれは自分たちのかぎられた分析からアドバイスを提供したり、強い影響を与えることにこだわっている」ことである。効率的市場仮説は、最も限定された部分的な分析から影響力のある結論を導き出す理論の典型例である。

 これまで見てきたように、効率的市場仮説では、投資家の行動について非常に重要な心理上の仮定を行う。この時点で興味をそそる疑問は、合理性についての仮定、いまやエコノミストだけが提唱しているように思える、この影響力のある心理的法則はどれだけ科学的なのだろうかという点である。われわれは本当に、こうした仮定が科学的アプローチにどう結びついているのか疑問に思う。ロバート・プラチュクは、科学的手法に関する著書のなかで次のように述べている。「自然に発生する出来事を観察することこそが、あらゆる科学の出発点である」(7)。この原則は科学者たちから長年にわたって受け入れられてきた。一五世紀にはフランシス・ベーコン卿が以下の興味をそそる物語のなかで、過去の書物に頼ったり、単に類推するのではなく、証明の目的で行う観察の重要性について述べている。

 一四三二年には馬の歯の数をめぐって信者仲間たちの間で激しい論争が起きた。論争は一三日間続き、中断することがなかった。あらゆる古代の書物や年代記を当たり、素晴らしくも退屈な博識(この地方ではかつて聞いたこともないようなものだった)が披露された。一四日目に入ると、若く感じのよい修道士が学識豊かな年配者たちに一言発言してもいいかとたずねた。そして論争者の驚いたことに、彼は単刀直入に、空いた馬の口を覗き込んでその数を数えて論争にけりをつけてすっきりしてはどうかと、がさつで聞いたこともない方法を提案した。若き修道士の言葉に論争者たちの威厳はひどく傷つき、彼らは激怒した。彼らは大騒ぎして修道士に駆け寄ると、彼の尻や腿を強打し、直ちに追放した。彼らは、きっと悪魔がこの恐れを知らぬ新参者に、先代からのあらゆる教えを無視して、不浄で聞いたこともない方法で真実を発見するよう宣言させたに違いないと主張した。論争はその後さらに何日も続いた。ある日、議論は平和な解決に至った。彼らは、過去の例や聖書における証拠がかなり不足しているために、この問題は永遠の謎だと宣言した。そこでそのように書き留めるよう命じた。

 一般的に、科学の出発点は徹底した観察だと言われている。観察対象である現象を入念に調べて分類したうえで、初めて一般法則が出来上がる。理論の開発においてはこの重大な段階を避けて通ることはできない。しかし驚いたことに、市場参加者は自らの仮定に基づいて行動すると主張する効率的市場仮説派は、観察に基づくいかなる証明も行っていない。彼らは観察という重大な段階を飛ばしてしまったようなのである。さらに効率的市場仮説は、人間心理にかかわる幅広い調査結果や市場の歴史を見落とし、これに矛盾する説を打ち出している。サンプルとして選ばれた多数の専門家のパフォーマンスは市場を下回り、低PER(株価収益率)株のほうが高PER株より常にパフォーマンスが優れているという、これまでに示された証明は、効率的市場仮説の基本的な前提にまったく矛盾するものである。

 適切な科学的手順に従うと、効率的市場仮説はほとんど前後が逆になっているようだ。その出発点は、金融機関、主に投資信託が運用する資金のパフォーマンスと、市場平均との間に見られる相関関係である。仮説は、この相関関係から後戻りして、株価を常にその価値に保とうとしているのは合理的な投資家だという仮説にたどりついている。  科学的手法に則っている著者たちは、ある仮説の裏付けになりそうな調査結果を提出して、相関関係は単なる偶然にすぎないかもしれないと警告している。相関関係は、専門家は市場をアウトパフォームできないと主張する効率的市場仮説と同様に、統計学上の意義があるかもしれない。しかし、すべての投資家は合理的で同等の解釈能力を備えているという仮説を立証するものではない。これと同じ結果を説明し、注意深く精査した場合よりはるかに現実的な、別の仮説(集団思考追従仮説など)があるかもしれない。このように相関関係は因果関係の証明にはならない。

 この点を明確に証明した愉快な例がある。それは、数年前に女性のスカート丈とダウ平均との巧妙な相関関係を表した調査である。この仮説によると、女性のスカート丈とダウ平均は連動していると言う(図7を参照)。

 一九二〇年代にはスカート丈はどんどん短くなり、これに伴い株価も上昇したが(幸運なことに筆者はいずれの恩恵にもあずった)、一九三〇年代にはいずれも急激に下がった。一九六〇年代初めにおいてもスカート丈と株価はともに上昇した。一九七〇年初頭にはホットパンツが流行した。この仮説は繰り返し立証されているようだが、ウーマンリブを最も声高に主張する闘士ですら、この主張を支持するかどうか疑わしい。  ある理論についてあとになって解釈を述べるのは危険である。なぜなら、市場のパフォーマンスと専門家の成績との間にはある相関関係があることが証明されているからである。この現象についてはいくらでも説明可能である。恐らく機関投資家は、投資先の企業の役員室に送信機を極秘に設置したから、株価の正確な動きをとらえるのに必要な正確な情報を得られるのだ。恐らく彼らには情報を得るのに必要な透視力が備わっているのに違いない。恐らく集団思考追随仮説を用いれば、この相関関係を最もよく説明できるに違いない。これを知る唯一の方法は、仮説を試してみることだが、こうした仮説の信奉者はなぜかこれを試したことがない。

 ある仮説を科学的に受け入れてもらうには、効率的市場仮説のように調査結果をテストするだけでは十分ではない。過去の調査結果にも根拠を求めることが必要であり、効率市場仮説はこれを行っていない。科学的仮説では見せかけの仮説を構築をしてはならず、むしろすでに事実として受け入れられている点に基づいて構築すべきである。アイザック・ニュートンの有名な言葉、「仮説は形成されるものではない」が、数百年前にこの点を簡潔に表している。人間は常に合理的であるという効率的市場仮説を裏付ける証拠はまだ見つかっていないが、この逆を証明する証拠ならたくさん存在する。一方で、集団思考追従仮説は、これまでに実施された心理調査の結果がこれを強力に裏付けている。また、集団思考追従仮説は、専門家によるパフォーマンスが市場を上回ることができない理由や、人気銘柄が割高になり、不人気銘柄が割安になりがちな理由――効率的市場仮説の定義では「手に負えない」で片付けられる現象である――を説明している。このように、効率的市場仮説や集団思考追従仮説のような理論が市場における専門家の行動に関する事実を説明してくれるようなら、「事実にぴったり合う」、きちんと文書化された理論であるほど、科学的に受け入れられる。効率的市場仮説は、すべての調査結果を検証してみるかぎり、最も疑わしい。トーマス・ハクスレイの言葉を借りると「美しい理論が、不快で醜いちょっとした事実をつぶしてしまった」のである。

 効率的市場仮説のもう一つの擁護論

 これまでの討議にもかかわらず、現実的な仮説なんて必要ないと考える者もいるだろう。一部の効率的市場仮説派はこう考えている。評判の高いある情報源の言葉を引用すれば、「幸いにも現在では、あるモデルの価値はその予想または説明能力にあり、基礎的前提の現実性を参照することで判断されるわけではないというのが一般的な理解である」(9)。ミルトン・フリードマンはこの点をかなり明快にかつ説得力をもって表現している。「ある理論の仮説についてたずねるべき質問は、かかる理論の説明が現実的であるか否かではない。なぜならこれらが現実的だった試しはないからだ。むしろ、自らの目的に十分にかなっているか否かを問うべきである。そしてこの問いは、かかる理論の有効性を検証すること、つまり十分に正確な予測を行っているか否かを検証することによってのみ、答えを見いだすことができるのである」

 効率的市場仮説派はフリードマンの一説を使って仮説の正当性を証明した。このモデルはまず、専門家が市場をアウトパフォームできるかできないのかについて、実際に説明を提供してくれるように考えたからである。彼らは、結果として生じたモデルがそのほかの観察を説明しているように思えたことから、非現実的と見なされている仮説を擁護したのだが、その結果、危ない橋を渡る羽目になった。フリードマン自身は前出の論文で次のように警告している。「観察された事実は必ず数にかぎりがある。一方で、可能な仮説は数にかぎりがない。入手可能な証拠と一貫性のある仮説が一組あれば、一貫性のある仮説はほかにも無数にあるはずだ」(11)。したがって事実に最も合った仮説を選択することが重要である。これは観察を徹底させることによってのみ実現できる。

 効率的市場仮説はまったく現実味を欠いているのではないだろうか。単に筋違いなことを排除するために単純化されたのではなく、繰り返し行われている観察に真っ向から矛盾するのである。こうした条件下においては、これらの効率的市場仮説派の主張である、「モデルの『予測』・『説明』能力は観察された事実からの乖離を正当化するものである」を受け入れるわけにはいかない。次に、彼らの思考の危険性を示す二つの重要な過去の例、天動説とフロジストン理論を紹介して、彼らのこうした主張に固有の欠陥があることを立証しよう。

 天動説――この天文学学派は「宇宙の中心は地球である」と主張した。科学的事実として一四世紀にもわたって受け入れられてきた見解である。この説によると、すべての惑星や星は静止している地球の周りを回っている。地球から一番近いのは月で、次に水星、金星、太陽、火星、木星、土星、そして恒星がこれに続く。太陽と月は地球の周辺を回りながら移動する。惑星は「周転円」と呼ばれる、ある地点を中心とする円軌道を移動する。そしてこの中心点は太陽を中心とした離心円に沿って移動する。

 時間の経過とともに、より正確な観察を通じて不規則性が観察されるようなると、モデルは新たに発見した情報を取り込もうとますます複雑化した。惑星と星は、円、周転円、離心円(その中心点で周転円が同時に展開される大規模な従円)の組み合わせに沿って、互いの周辺を回り、地球の周辺を回る。このごた混ぜの結果生まれるのは、気が遠くなるような回転であった。

 天動説は、効率的市場仮説派が提唱した狭義の意味における「役立つ仮説」の主要な基準を満たしている。さまざまな天体が将来の時点でどの位置にあるのかを正確に予測するという意味においては、「予測」能力を備えている。また、われわれに惑星運動のある体系を提供するという意味においては、「説明」能力も備えている。しかし残念なことに、この説の唯一の問題は、完全に間違っているという点である。

 フロジストン理論――ジョージ・エルンスト・スタールが一七〇〇年頃に開発したこの理論は、燃焼において観察される主要な事実を早期において説明しようとするものであった。石炭や木材などの可燃物は「フロジストン」(ギリシャ語で「点火する」の意味)と呼ばれる物質を豊富に含有している。燃焼プロセスにおいては、フロジストンは空中に漏れて、熱や光を発する。フロジストンを失った燃えかすは重量が軽くなる。のちにフロジストン理論はさらに拡大され、金属の錆にも適用されるようになった。金属が錆びるプロセスでは、フロジストンは燃焼プロセスよりも空中への漏れが緩やかな速度になる。このようにこの仮説は、燃焼と錆という二つのまったく異なるプロセスを説明した。  時間が経過するに従い、さらに説明が行われた。仮説はさらに一定の化学的な結果(のちに実験によって立証された)を正確に予測することもできた。

 ここでもわれわれは、「予測」と「説明」という二つの要件を満たす、魅力的なほどに単純でかつ包括的な仮説が存在することを知った。しかし、仮説は完全に誤りであるため、その説明は完全に間違った方法で現象を説明しているにすぎない。  仮説が、大量のささいで無関係な情報をも含む包括的なものかどうかを問うべき確かな理由がある一方で、理論の主だった公理は、類推を導き出す現象を正確に説明できるものでなくてはならない。これは適切な科学的アプローチにとっては基本的な要件である。さもなければわれわれは、仮説の有効性が狭い範囲にしか通用しない基準を用いて、地球が静止していることを受け入れるか、あるいはフロジストンが燃焼を説明するものだと信じることになる。

 もしそもそも可能であるならば、主要な仮説があり、その仮説はこれに挑むいかなるほかの仮説よりも優れていることを証明するためには、証拠を積み上げていかなくてはならない。市場においては、科学的アプローチを実際に導入して、投資家の意思決定を生み出す複雑な相互関係を注意深く観察、分類、分析しなくてはならない。仮説はそうして初めて構築されるのである。これまで見てきたように、科学の出発点は世界の真の姿を観察することであり、人が望む姿を観察することから始まるのではない。数学的、統計的分析は科学的観察に代わるものではない。誤った仮説をもとに数学的、統計的分析を行うと、モデルの複雑性も、その結論を導き出すのに投入した労働時間も、実社会の役には立たない。理論構築における数学的、統計的分析が価値を持つのは、科学的観察に基づいて適切に構築された仮説と併用された場合だけである。  膨大な量の統計資料を作成すれば、それ自体によって一つの問題を立証したことになると考える人々もいる。ピーター・ドラッカーは著書『マネジメント(Management)』のなかでそれは誤りであることをはっきりと述べている。彼は次のように書いている。

 科学は、マネジメントを研究する多くの科学者たちが無邪気に考えるように、定量化することと同義ではない。仮にそれが本当なら、占星術は科学の女王になるであろう。しかししょせんは科学的手法を適用してすらいない。占い師は現象を観察し、そこからある仮説を導き出し、次にさらに組織化した観察を行うことによってその仮説を検証する。それでもなお、占星術は科学というよりは迷信なのである。なぜなら、十二宮図が本当に存在し、そのなかに星座が本当に存在し、魚やライオンといった地球上の生き物に似たこれらの星座がその性格や特性を定義するという子供じみた仮説に基づいているからである(これらはすべて古代の航海士たちが考案した記憶法にすぎない)。  言い換えると、「科学的」とは、(真実であり意味があるとされている現象の)科学の宇宙の合理的な定義であり、適切で、一貫性があり、包括的な基礎的仮定条件または必要条件が設定されていることを前提としている……それがなされていないと、あるいは誤ってなされていると、科学的手法は導入できない」

 科学の歴史を見れば分かることだが、有能で知的な人間であれば、通常はある事例を開発するに当たって、大きな誤りを発生させることはない。誤りが発生するのはむしろ、作業の土台となる仮説を構築するときである。人間は、訓練を受けてきたことを、訓練を受けてきた手法で、継続して実践したいと考える。変化が生じると、この基本的なアプローチが崩壊してしまう。効率的市場仮説をはじめとする経済公理では、人間が自分の最もよく知る手法で物事を進めることは不可能ではないのだろうか。結局のところ、人間は心理学においてよりも、統計的手法において徹底した訓練を受けている。それを用いた理論構築の推進にばかり熱心で、確固たる土台を築くことにはほとんど関心がない。  私が効率的市場仮説に少し手厳しいとしたら、それは効率的市場仮説の事例の構築方法を受け入れることができないからである。私はこの仮説を信じてはいないが、この分野で大勢の研究者たちが行ってきた難儀な実験にはたしかに敬意を払っている。彼らはウォール街に大きな変化をもたらした。市場の仕組みに心から関心を持っている投資家は、大学研究者たちの調査結果を純粋に評価すべきである。調査作業のほとんどは退屈でつまらなくて時間ばかり食うものだが、新たな投資体系の基礎を築いていくうえでは絶対に欠かせないものである。

 テクニカル分析とファンダメンタル分析の徹底した測定がなかったら、ウォール街は、「何とかして変わらなくては」とする強い気持ちもなく、旧態依然とした、成功には結びつかない(むしろ悲惨な結果に終わることの多い)方法を続けていただろう。ところが、実際には専門家たちはいまも学術調査結果をおおむね無視している。しかし、大学や大学院のファイナンス課程でこうした成果が次第に明らかにされるようになり、政府機関や政策立案者、マスコミ、資金運用者が興味を示すようになったため、以前のように無視されなくなってきている。実験を通じた調査結果に基づく最初の仮説が正しくなくても、そのことは重要ではない。証明すること自体に意義があるからである。  この作業は、さらに研究を重ねることが求められる集団思考追従仮説の有効性を検証する目的で使うのにも役立つ。ジャニスをはじめとする専門家が指摘するように、集団思考のプロセスは、ビジネス、産業、専門職、政府のトップレベルにおける意思決定に浸透しているかもしれない。この仮説を立証または却下する実験に基づいて証拠を確立していくのは重要な取り組みだが、社会科学にとっても貴重な貢献となるであろう。金融、経済、マネジメント、組織に関する理論の構築において、革命的な変化をもたらすかもしれない。

 株式市場では、ほかでは一〇年間、ときには一世代にわたって見ることのできない大きな変化を数年間、あるいはもっと短期間に織り込んでしまう。そのため意見の変化について研究を行うには格好の場である。また関心を抱く研究者たちに、作業の土台となる投資判断、専門家の意見、株価の動き、基本となるファンダメンタルズ、経済データについての最も詳細な情報を豊富に提供してくれる。こうした情報は、流通しているさまざまな専門誌・専門紙を参考に、五〇年以上前にさかのぼって体系的に分類、分析することも可能である。第七章で紹介したような、専門家による意見の大量のサンプルを手に入れて、株式市場に集団思考追従仮説が通用するか否かを立証したり反証することも可能である。政府や専門家による活動、あるいはビジネスのいかなる分野においても、意思決定の成否をこれだけ正確に測定することはできないだろう。  財務統計テクニックについての詳しい知識を備えた効率的市場仮説の研究者こそが、こうした取り組みで重要な役割を果たすことができる。もし数多くの実験結果によって、集団思考追従仮説の存在が裏付けられたら(現行の調査結果ではたしかにそのように立証されている)、その影響は株式市場を超えて幅広く現れるだろう。金融の世界では、こうした調査結果は、機関投資家が現在果たす役割を適切に評価するうえで、そして現行の投資理論を正確に測定するうえで、非常に貴重な枠組みとなるだろう。

 われわれはどこへ行くのか

 私は、本書でかなりの紙面を割いて、専門家たちがなぜ市場に打ち勝つことができないのか、その本当の理由を述べてきた。ほとんどが打ち勝てないからといって、それが不可能だとはかぎらない。実際、効率的市場仮説の研究者は、専門家であれ、素人であれ、熟練投資家が長期にわたって優れたパフォーマンスを出したという記録はほとんど、あるいはまったく存在していないと指摘している。しかし私が何度も観察しているかぎりでは、投資家のなかには、優れたパフォーマンスを出し、知識も豊富で、しかも自立しているため、集団思考追従プロセスという破壊的な依存に陥らずに済んでいる者がいる。彼らはときに素晴らしい成果を上げている。本書の最終章では、心理分野とファイナンス分野の調査結果を融合させた、投資家が成功するための投資戦略を紹介する。


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