著 者 アレックス・グレイビッチ
監修者 長岡半太郎
訳 者 井田京子
2022年11月発売/A5判 上製本 256頁
定価 本体 4,800円+税
ISBN978-4-7759-7307-3 C2033
パンデミックが世界中で過剰な反応を巻き起こし、さまざまな金融市場ではプライスアクションが爆発的な動きを繰り返し、ブラックホールのようにあらゆる市場を次々と飲み込んでいった。本書は、グレイビッチ自身の言葉と彼のチームの実際のチャットを通して、多くの現役世代が初めて経験した未曽有の危機を生き延びるためになされた驚異的な努力を綴っている。
会社としても個人としても最初に大きな損失を被った恐ろしい日々のあと、チームが新たなチャンスを見つけるために懸命に努力し、重要な判断をその場その場で下していった様子を記した本書は、2020年3月の異常な1カ月に、異常な心理状態で行われた実際のトレードの信頼できる公表された唯一の記録である。
現代における最も難しい時期をホンテが生き延び、結局は大成功につなげた考え方と投資理念をぜひ知ってほしい。また、これはまたいつか襲ってくる次なるブラックスワンへの1つの有力な対処法して、ぜひあなたの本棚の見える位置に置いてほしい1冊である!
原題:The Trades of March 2020 : A Shield against Uncertainty
by Alex Gurevich
これは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミックによって激変に見舞われた2020年3月の金融市場に対し、著者の運用チームがどのようにその不確実性に対処し、さらに新たな収益機会を見いだして、その過酷な日々を乗り切ったのかを解説した秀作である。本文中に当時のチャット履歴が掲載されたことで、時系列で関係者間のコミュニケーションと行動を追うことができる。このような記録はきわめて貴重であり、類書はまったく存在しない。
ホンテは運用哲学の基礎を形式論理学に置いており、それが非常時においてもロジカルなトレーディングを支えている。まあ、その論理を構築するにあたってはクオンツのツールが用いられる。マーケットの魔術師たちによって多次元チェスに例えられることが多いグローバルマクロのトレーディングだが、著者は囲碁をたしなむようで、日本語の「本手(囲碁において忍耐強く戦略的な動きを表すために使用される術語)」を社名として掲げている。
ホンテの戦術はどれも常識的な定石に近いもので、奇手が用いられることはない。だが、市場が現在歪んでいる(≒収益機会がある)ことは数学モデルが教えてくれても、その歪みがいつ修正されるのかはだれにも分からない。それは明日かもしれないし、1年先かもしれない。だから生き残るためには積極的な矛とともに保守的な盾が必要になる。チャットにリスク管理の話が頻繁に出てくるのはそのためである。
本書はさまざまな読み方ができるだろう。チャットの部分は略称やローカルな符牒が多用されており、部外者には分かりにくいところもあるが、資産運用やトレードの業務の現場では、いまやチャットは不可欠なツールである。ここからは、即時性が求められる仕事で、それに適した道具を使うことの重要性を学べると思う。
また、本書をトレードにおけるメンタルヘルスの観点から読むこともできるだろう。本文中にあるように、私たちは自身の感情的弱さを切り離すことのできる戦略を探すべきであって、これは収益性の高い戦略を見つけるよりもはるかに重要なことだ。
本書はグローバルマクロ戦略を学ぼうとする投資家・トレーダーにとって、近年まれにみる優れた解説書で、とても多くの気づきが得られることだろう。私自身も、今後は何度も何度も繰り返し読むことになると思う。この本が世にあることに感謝したい。
翻訳にあたっては以下の方々に感謝の意を表したい。まず井田京子氏には今回も正確で読みやすい翻訳を、そして阿部達郎氏は丁寧な編集・校正を行っていただいた。また本書が発行される機会を得たのはパンローリング社社長の後藤康徳氏のおかげである。
2022年10月
長岡半太郎
当時の私の健康や私生活と金融市場でたどってきた道は、切り離すことができない。
洗練されたヘッジファンドの中枢で何が行われているか考えたことがあるだろうか。市場がメルトダウンを起こしているときに、小さなハエになってCIO(最高投資責任者)の部屋の壁に止まり、一部始終を見たいと思ったことはないだろうか。
私が最初の著作である『ザ・ネクスト・パーフェクト・トレード――ア・マジック・スウォード・オブ・ネセシティ(The Next Perfect Trade : A Magic Sword of Necessity[次の完璧なトレード――必要という名の魔法の矛])』を書き終えたとき、私は次の本の題名を『ザ・ネクスト・パーフェクト・ポートフォリオ――ア・マジック・シールド・オブ・サフィシエンシー(The next Perfect Portfolio : A Magic Shield of Sufficiency[次の完璧なポートフォリオ――十分という名の魔法の盾])』にするつもりだった。しかし、新型コロナウイルスがこの計画の邪魔をした。
そうなると、次の本がパンデミック時のトレードに関するものになることは自然な成り行きだった。前著の冒頭に、私はトレード戦略を練ることと戦いに備えることを比較して次のように書いた。
投資を戦いとして考えると、徹底的に準備する必要がある。体調を整え、自分の動きを理解し、鎧と盾と兜と馬を手に入れるのだ。ただ、市場が放った最初の矢でやられてしまったら、魔法の公式(魔法の武器)は無駄になってしまう。しかし、正しい訓練を受け、適切な機器があれば、この武器によって圧倒的に有利になるかもしれない。
そうなれば、次は戦いでどうなったのかを話すしかない。
ウィンストン・チャーチルはかつて「歴史は勝者によって書かれる」と言った。ネタを明かすと、本書はパンデミックのなかで私たちがどのように失敗し、どれだけ大金を失ったかについて書いたものではない。2020年に本当の勝者とみなせる人はほんのわずかしかいないが、金銭的に言えば、このスリラーはハッピーエンドだった。
つまり、本書はホンテ(HonTe)・インベストメンツLLCがどのようにしてパンデミックを乗り切り、成功を収めたのかを綴ったものである。
パンデミックによる混乱のなかで、完璧なポートフォリオを決定するのは非常に難しい。たくさんの前例のない展開や不確実性に対処する必要があるなかで、短期的な結果に賭けるのは実質的に不可能だった。
ただ、私には武器があった。それが必要という名の魔法の矛だ。これによって、私は自分にとって勝率が高いトレードを選択することができた。しかし、同時に市場の激しい変動をうまくかわして潰されないようにする必要もあった。
そこで私がとった手法は、自分が深く理解していない変数を除外することだった。新型コロナウイルスの疫学的な特性やその緩和策やワクチンの予定や政府の危機対応策などをもとには投資しないことにしたのだ。
そうではなく、2つの事実さえ知っておけば十分だった。
●パンデミックはいずれ終わる。
●金融と財政の対応政策は、流動性不足が解消され、十分すぎる状況になるまで続く。
この2つの単純な概念に基づいたトレードに集中することで、私は価格スイングに惑わされなかった。これが私の不確実性に対する盾だったと言える。
「いずれうまくいくトレードを仕掛け、あとはうまくいくのを待つだけ」というのは、簡単なことに聞こえるかもしれない。実際、これは「正しい動き」だったが、待つ時間は長く苦しかった。2020年は本当に長く奇妙な年だった。だれかがツイッターに投稿した言葉が頭に残っている。「オーストラリアの山火事を覚えているかい。あれも2020年だった」
2020年の春に話を戻すと、私は当時、自虐的に「3月の取引日の1日は1カ月にも感じ、その感覚で言うと、あの弱気相場は平均的な長さだった」とよく言っていた。ここで言う弱気相場の期間についてはあとで説明する。また、金融市場を揺るがせたこの1カ月間についてだれかが本に残すべきだとも言っていた。しかし、本書の執筆に取り掛かると、これはもう冗談ではすまなくなっていた。
本書を書き始めたときは、渦中にあってどのような終わりを迎えるかも分からないまま書いていることに少し違和感を持っていた。そして、書き進めていたときに新型コロナウイルスが急拡大したが、ワクチンをいつ接種できるようになるのか不透明で、マクロ分析はインフレと成長に関する予想が二分していた。そして、2020年11月のアメリカ大統領選挙が近づくにつれ、アメリカは異常な混乱に陥っていった。
それ以前の2つの危機(同時多発テロ事件とリーマンショック)で、私たちは安心感とある程度の無邪気さを失った。そして、これ以降は新しい理解と新しい懸念が定着した。空港で靴を脱ぐのに慣れ、CDO(債務担保証券)を信用しなくなった。それでも時間がたち、私たちは少しずつ安定感を取り戻していった。これは「ニューノーマル」ではあったが、それでも「ノーマル」(常態)だった。
私たちは、おそらく2〜3年後にはこれまでと同じように、パンデミックのことも過去の危機と同じように、一時の強烈なエピソードとそのあとの少し変化した日常として、思い出すことになるだろう。
本書は、私自身が経験した金銭的な経過と感情的な経過を書いていく。私が提供するのはある特定の見方にすぎないが、それでも当時、マネーマネジャーたちが体験したことの一端を明らかにしていきたいと思っている。
私が本書を書いた目的は、パンデミックが始まって最初の1カ月で、金融市場の各所で実際に起こったことを伝えることにある。そこで、本書はあの破滅的な2〜3週間を鮮明に再現すると同時に、この桁外れの危機を生き延びるための戦略的指針と心理的指針も紹介していく。
私は、読者の多くが金融市場で利益を上げることに関心があるという前提で、投資戦略について書いていく。それと同時に、市場のボラティリティがもたらすとてつもない心理的なプレッシャーへの対処方法についても関心を持ってくれる人がいればうれしい。
私はこれまで、プライスアクションを非常に正確に記憶できることが自慢だった。少し大げさかもしれないが、自分がかかわった資産クラスの価格水準の大きな動きを、過去20年以上について思い出すことができる。ところが、2020年3月の記憶はあまりはっきりしていない。あまりにもたくさんのことが起こったからだ。当時もそれ以降も、たくさんのことがありすぎた。今はもう銀市場の暴落や、株式市場の底や、米国債の資金調達危機やFRB(連邦準備制度理事会)がとった行動について、チャートを見ないと思い出すことはできない。
幸い、私にはチャート以上のものがある。それがトレード日誌だ。また、私たちのチーム全員がサンフランシスコの事務所から自宅に退避せざるを得なくなると、私たちは新たなコミュニケーションの方法を確立した。ちなみに、リモートワークは私たちにとって未知のものではなかった。これまでも、出張や休暇のときに常にアクセスできるようにしていたからだ。
私の会社では、チームコミュニケーションツールのスラックをすでに導入していたし、さまざまなチャンネル(トレード注文、運用に関すること、全般的な市場の情報、リスク管理、計画とスケジュールなど)も設定していた。
ロックダウンの時期は、スラックが主なコミュニケーションの手段になった。トレードチャンネルでチームのやり取りを見返すと、トレードの流れだけでなく、当時の思考の流れも再現できる。もちろん、動画や電話やブルームバーグのチャットやeメールでもたくさんの話し合いが行われたし、それ以外のルートでも長い話し合いや市場分析を行っていた。それでも、2020年3月にトレードチャンネルで行ったすべてのチャットを公開しようと思ったのは、この驚くべき1カ月の精神状態を伝えるための最も簡潔で忠実な方法だと思ったからだ。
ここで紹介するのは私たちがとった行動に関する分刻みのコメントで、すべての洞察やすべての失敗の記録で、秒刻みの考えと、再検討と、終わりのない愚行の記録でもある。そのやり取りの量を見ただけでも、私たちがどれほど忙しかったかが分かるし、通信時刻を見れば、私たちが寝る間を惜しんで働いていたことが分かる。
本書は幅広い読者に向けて書いているため、ヘッジファンドという仕事の経験がない読者にとっては分かりにくいかもしれないことを最初に書いておく。本書で紹介する会話は、私が働いているホンテ・インベストメンツの社内チャットなので、私が「それを買って」「あれを売って」と言っているのは正式な注文ではない。このあと、私を含むチームのメンバーがブルームバーグのチャットや電話でブローカーや銀行などに正式な注文を出している。
社内チャットで使っているスラックは、正式なものでも完全なものでもない。これですべての取引をカバーしているわけではないし、トレードの照合に使っているわけでもない。また、読み進めていけば分かるが、ここには経済に関する議論やトレード分析はほとんど含まれていない。それらの話題は、別のチャンネルやeメールや調査リポートの回覧やズーム会議など、別の方法で行っていたからだ。ただ、チャットを改めて見返すと、トレードチャンネルの会話だけでも当時の短期的な関心と長期的な戦略を再現できる十分な内容だと思った。
会話の内容を見ると、私たちが1つのポートフォリオを運用しているように見えるかもしれないが、実際には複数のポートフォリオを運用している。実際、ポートフォリオ間の適切なバランスを保つために、各ポートフォリオ間でトレードとリスクを配分することに関する会話もある。ただ、ポートフォリオの名称やそのほかのいくつかの情報はプライバシーとコンプライアンスの理由で伏せ字にしてある。
会話のなかの繰り返しやタイプミスや記号や略語などはすべてそのままにしてある。また、運用上の問題(信用、追証、注文の限度額ほか)については複数の説明がある。これは混乱を招くかもしれないが、チャットのすべての行を読み解く必要はない。それよりも、私たちがたどった経過と全体的な考え方と行動の流れを大まかに伝え、下したいくつかの重要な決定を明らかにしていきたいと思っている。
トレード記録を熟読し始めてすぐ、私は驚いた。自分の記憶がかなり間違っていたからだ。
自分が賢くて先見の明があるという自慢話はウソになってしまうため、もうやめておく。トレード記録や日々の損益報告書はウソをつかない。私たちトレーダーは常にすべてを監視されているのである。
同僚たちは、市場の異常な激変のなかで夜を徹して注文を出したり、円滑に処理が行われるよう確認してくれたりした。また、トレードを分析し、アイデアを議論するためのフォーラムを開き、証拠金の交渉をし、流動性を確保するために外部のカウンターパーティーとの対話を続けていた。彼らの多くは、これらのことを子供たちのリモート学習という難題に取り組みながら行っていた。
私のCIOという立場と同僚たちの違いは、より多く働くことでもより知識があることでもなく、最終判断の責任を負うことにある。議論を尽くし、すべての調査報告書やチャートや論文に目を通したあとで、どのトレードを執行するかをだれかが決める必要がある。
本書の目的は、チームのみんながそれぞれ強烈な体験をしたことを十分認識したうえで、CIOの思考過程と心の状態を明かすことにある。
今、書いているのは謝辞ではないが、同僚たちがホンテとその投資家の利益のためだけでなく、本書の出版に向けても懸命に取り組んでくれたことに大いに感謝している。まずは、当社の構成とチャット参加者の仕事を紹介しておこう。
●クリス・ラットン(CL。ホンテ・インベストメンツの共同創設者兼CEO[最高経営責任者])
私には、人の管理よりもお金の管理のほうが向いていた。そこで、新しい会社を立ち上げるためには、経営面で信頼できるパートナーが必須だった。ラットンは2004年にバンク・オブ・アメリカの為替デスクから転職して、当時はJ・P・モルガンのプロップトレーダーだった私のバックアップになった。私たちは長年の付き合いのなかで一緒に何かしたいという話をしていた。そして何年か前に、機が熟してホンテを立ち上げた。
彼はホンテのCEOとして、事業展開と会社の業務管理に注力している。彼はFXの営業経験もあり、マクロ市場にも詳しいため、トレードチャットの議論にも参加している。
●チン・ジュウ(QZ。最高リスク責任者)
ジュウとは2000年に私がチェース(その後のJ・P・モルガン・チェース)でベーシススワップの責任者をしていたときに出会い、ジュニアトレーダーとしてチームの運営を支えてくれた。彼女は非常に頼りになるパートナーで、ホンテに初期から加わってくれたことをうれしく思っている。ジュウのトレード市場やソフトウェアコードやシステムの知識は、モデルとトレードとトレード処理のギャップを埋めてくれている。
ジュウの最高リスク責任者としての仕事は、ポートフォリオのイクスポージャーを分析してポジションの限度を設定することにある。また、先物トレードの分析や執行にもかかわっている。2020年3月には彼女の専門分野であるアセットスワップに関する貴重な助言がなければ、この商品から撤退せざるを得なかったかもしれない。
●クリス・ケリー(CK。市場責任者)
パンデミック前にホンテに加わった最も新しいメンバー。前職では金融商品の幅広いリサーチとさまざまな取引の効率的な執行を担っていた。彼が2019年8月に入社したとき、私は乱高下する市場の監視や、プライムブローカーやほかのカウンターパーティーとの対話記録に献身的に取り組んでくれるメンバーの存在がどれほど有益か分かっていなかった。
そしてあと2人、トレードチャットには登場しないが大いに貢献してくれたメンバーがいる。
●ジョアン・シー・チェン(JSC。業務責任者)
パンデミックによる混乱は、シー・チェンの仕事を極めて困難なものにした。彼女はポートフォリオのすべての取引を記録・照合し、複数の口座や保護預かりのキャッシュフローを管理している。ロックダウンによって通常のシステム環境から離れたところでの作業を強いられるなかで、彼女は大幅に増えた取引の処理をしなければならなかった。
●トニー・ペン(TP。計量アナリスト)
ペンはホンテで計量モデルを運用し、資本配分と裁量による決定のための情報提供を行っている。彼は、パンデミックがもたらした歴史的なボラティリティレベルとその相互作用による混乱時のプレッシャーに対処してくれた。
ほかにも社内と社外の多くの人たちがホンテを支えてくれた。やはり謝辞のようになってきたので、この辺でやめ、残りは最後に書くことにする。