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ウィザードブックシリーズ Vol.28

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ヘッジファンドの魔術師
スーパースターたちの素顔とその驚異の投資法

著者 ルイ・ペルス
監修者 長尾慎太郎/訳者 岡村桂

四六判上製本 513ページ
定価 本体 2,800円+税
ISBN978-4-7759-7055-3 C2033

トレーダーズショップから送料無料でお届け
本書は、弊社出版の『インベストメント・スーパースター』を改題・再出版したものです。


著者紹介 | 目次 | 2008年ヘッジファンドランキング | 関連書籍    ◆立ち読みコーナー 監修者まえがき ・ 序文 ・ 第1部(本テキストは再校時のものです)
著者

ルイ・ペルス

原書

『The New
Investment
Superstars』

13人の天才マネーマネジャーたちが並外れたリターンを上げた戦略を探る!

この13人のスーパースターたちは、選ばれた超一流の人物であり、投資界のモーツァルトやダビンチ、あるいはアインシュタインやマイケル・ジョーダンと言えるだろう。ヘッジファンドマネジャーは何千人もいるが、この10年間に、このスーパースターたちはほかのマネジャーとは一線を画す結果を残している。年齢、バックグラウンド、投資戦略、専門分野はそれぞれ違うが、情熱を持って行動し、どんな状況であっても常にハイリターンを生み出す才能を持っている、という共通点がある。 本書では、マーケットの達人たちについて、そしてほかの人をしのぐその投資戦略について、詳しく紹介している。

ワース誌の記者から「ウィン-ウィン投資家(常勝の投資家)」というニックネームをつけられた35歳のリー・エーンズリー(マベリック・キャピタル)、ゴールドマン・サックスのストックピッカーとして知られていたレオン・クーパーマン(オメガ・アドバイザー)、「トレーダーのなかのトレーダー」と呼ばれるデビッド・テッパー(アパルーサ・マネジメント)など、現在のマーケットを動かしているスーパースターたちのインタビューから、その行動の根拠が何なのかを知ることができるだろう。著者のルイ・ペルスが調査したスーパースターのプロフィールを通して、その心のなかや組織をのぞくことができるだろう。スーパースターを突き動かしているものは何か、そしてどのような考えを持っているのか、ということを彼女が明らかにしてくれた。さらに、スーパースターの手法について詳しく説明し、これまでのどのような出来事が好結果につながったのか、現在は何が役に立っているのか、ということを考察している。

本書に描かれている13人のマネーマネジャーは、次の基準をクリアした面々である。「10億ドル以上の資産があること」「7年以上S&Pと同等かそれを上回る結果を残していること」「銘柄選択、グローバル・マクロ・トレーディング、セクターファンド、企業買収アービトラージ、イベントドリブンなど、特定の分野で最高の成果を上げていると業界で認められていること」である。そして、ルイ・ペルスも本書で説明しているように、「マーケットの変化に素早くかつ断固として順応するということに関して、超人的な才能を示してきたこと」である。

後半の章では、投資家の観点から新世代のスーパースターについて考えている。インタービューを実施して、カリフォルニア州職員退職年金基金やスイス生命や日本の大手機関投資家、スタンフォード大学やウェスリアン大学やバッサー・カレッジなどの学校法人基金、そして個人投資家に対して、スーパースターがその役割をどのように果たしてきたか、ということを取り上げている。

ニューエコノミーのスーパースターたちに出会い、そして成功の秘訣を探るチャンスを逃す手はない!

【本書に対する賞賛の声】

「ルイ・ペルス女史の洞察力と分析能力のおかげで、ヘッジファンドに対する関心がかき立てられてしまった。ヘッジファンドについて書かれた本は少なく、個人投資家は、誇大広告に踊らされたり、パフォーマンスやカテゴリーについてまったく共通点のない情報に惑わされたりしている。ルイは、ジャーナリストとしての好奇心、そして金融のプロとしての知識を兼ね備えている。そしてこの組み合わせによって、素晴らしい本が誕生したのだ」
――――シャーロット・B・バイエル(インスティテュート・フォー・プライベート・インベスターズ創始者兼CEO

「素晴らしいマネーマネジャーたちのプロフィールについて、ルイ・ペロス氏が、面白く、洞察的で、そして分かりやすく書いてくれた。ヘッジファンドへの投資を考えている人にはぜひ読んでもらいたい」
――――リチャード・エルデン(グローブナー・キャピタル・マネジメントCEO)

「徹底的な調査を実施し、いろいろな事実を明らかにしている。機関投資家や資産家はこの本を読むべきである。優れたヘッジファンド・マネジャーの考えと戦略について、鋭く洞察している1冊である」
――――ローレンス・サイモン(アイビー・アセット・マネジメント社長兼CEO)

「ルイ・ペルス氏は、ヘッジファンド業界の魅力と重要人物について紹介している。本書を読めば、最近の出来事や人物について正しく知ることができる。神秘のベールに包まれた人物たちのことを考え、夜も眠れないほどであった投資家は、これで安心して眠ることができるだろう」
――――デビッド・スミス(グローバル・アセット・マネジメント最高投資責任者)



■目次

監修者まえがき
序文

第1部 ヘッジファンド業界について

 第1章 2000年の大事件
 第2章 引退の真相
 第3章 ヘッジファンド業界の概要


第2部 スーパースターマネジャー

 第4章 スーパースターの特徴

 第5章 リー・エーンズリー(マベリック・キャピタル)
ダグラスを拠点として、60億ドルの資産を持つロング・ショートのヘッジファンド・マネジャー。徹底的なファンダメンタル研究とボトムアップ・アプローチによる銘柄選択で有名。主に米国の中型株と大型株に投資している。エーンズリーの株式ヘッジ戦略は、まだ一度もマイナスを出したことがない。

 第6章 レオン・クーパーマン(オメガ・アドバイザーズ)
米国株の選択能力に長けたマネジャー。自分自身、従業員、そして会社に対する要求が厳しい。バリューアプローチを取るアクティブ運用のポートフォリオ・マネジャーである。

 第7章 ケン・グリフィン(シタデル・インベストメント・グループ
インタビューしたヘッジファンド・マネジャーのなかで最年少であるが、その資産は最大である。大学在学中にヘッジファンドを始める。マルチストラテジー戦略をとる彼の会社は、レラティブバリューとインベント・ドリブンに基づくアービトラージに特化している。

 第8章 ジョン・ヘンリー(ジョン・W・ヘンリー&カンパニー)
先物市場で取引をするシステマティックで長期的なトレンドフォロワー。忍耐強く、ビジョンがあり、分析を得意とする魔術師と称される。会社は制度化されていて、本人はセミリタイアしてリサーチに専念している。1999年にはフロリダ・マーリンズを購入。

 第9章 マーク・キングドン(キングドン・キャピタル・マネジメント)
運用資産40億ドル超を有するグローバルエクイティのロング・ショートのマネジャー。企業価値、ファンダメンタルズのトレンド、テクニカルに基づいて投資する。いつも投資しているわけではなく、取引機会が現れるのを待っている。この13年間、レバレッジを利用していない。

 第10章 ブルース・コフナー(キャクストン・コーポレーション)
ファンダメンタル・マクロのマネジャー。世界中から入ってくる膨大な量の情報の中心にいる。情報収集のために、三隻のタンカーまで購入した。知的誠実性、リスク・マネジメント、構造の創造という特徴がある。

コフナー氏の2012年投資金言とは?(パンレポートより)

 第11章 ダニエル・オク(オクージク・キャピタル・マネジメント)
買収アービトラージとインベント・ドリブン投資に集中しているマネジャー。まさに「フォーカス」という言葉で表現することができる。リサーチ・ドリブン型のオクはニューヨークとロンドンにオフィスを構え、ボラティリティが低く、マイナスを出したことがない、というトラックレコードを誇る。

 第12章 ラージ・ラージャラトナム(ガリオン・グループ)
50億ドルを超す資産を持つテーマ型投資家。テクノロジーとヘルス・ケアに集中している。レバレッジは利用していないが、マイナスになった年がない。米国を中心としていて、リサーチとトレーディングに同じくらいの重点を置いている。

 第13章 ポール・シンガー(エリオット・アソシエーツ)
アービトラージやディストレス証券(破産証券)などのプロセス・ドリブン型。投資のためには十分な努力と調査を惜しまないことで有名。ニューヨークとロンドンにオフィスがあり、そのトラック・レコードは1977年までさかのぼることができる。

 第14章 ブライアン・スターク(スターク・インベストメンツ)
ウィスコンを拠点としている。グローバルなアプローチをとり、海外マーケットの非効率に着目している。アービトラージのスペシャリストで、転換社債アービトラージ、リスク・アービトラージ、第三者割当(プライベート・プレイスメント)に集中している。

 第15章 S・ドナルド・サズマン(パロマ・パートナーズ)
1981年以来、マーケットニュートラルのマネジャーに配分を任せている。マネジャーとは独占的関係を維持し、単独の後援者となっている。したがって、各マネジャーの取引について完全な透明性を実現している。その構造は、「内的マルチストラテジー投資プール」と表現することができる。戦略の分散化とマネジャーの数がカギとなっている。現在、22人のマネジャーに配分している。

 第16章 デビッド・テッパー(アパルーサ・マネジメント)
バリュー志向でオポチュニスティック型のマネジャー。コアコンピテンシーは、イベント・ドリブン戦略(特にハイイールド債とディストレス証券)。究極のトレーダーであり、投資家に対してより良いパフォーマンスを提供するため、現在は運用資産を抑えている。

 第17章 ブルース・ウィルコックス(カンバーランド・アソシエーツ)
カンバーランド・アソシエーツには30年のトラックレコードがあり、現在は三代目である。5人のポートフォリオ・マネジャーを中心として構成され、長期的なバリューアプローチをとる。(退職者も含めて)組織の見識が累積されていることに優位性がある。

第3部 投資家の立場から

第4部 今後の展望

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著者/ルイ・ペルス (Lois Peltz)

ルイ・ペルスは、オルタナティブ投資向けの情報サービス会社、インフォベスト21のCEO(最高経営責任者)である。インフォベスト設立前は、マネージド・アカウント・レポーツ社(MAR)の編集長を8年間務め、『MAR/ヘッジ』や『MAR/ソフィスティケーテッド・インベスター・ストラテジーズ』などの出版に携わっていた。

■ヘッジファンドマネジャーランキング(出所:フォーブス)
2008年
マネジャー順位自己資本
(10億ドル)
会社
ジョージ・ソロス2911ソロス・ファンド・マネジメント『マンガ 史上最強の投機家ソロス “イングランド銀行を潰した男”の哲学』
カール・アイカーン439アイカーン・アソシエイツアクティビストとして有名
ジェームズ・シモンズ558ルネッサンス・テクノロジーズ年収2500億円の元数学者
ジョン・ポールソン766Paulson & Co.サブプライムの破綻を予測して大儲けしたファンドマネージャー
スティーブン・コーヘン875.5SACキャピタル・マネジメントラリーウィリアムズに世界一トレードが上手いといわれた男。 『トレーダーの心理学』のアリ・キエフを永久雇用
スタンレー・ドラッケンミラー1643.5デュケイン・キャピタル・マネージメント社『新マーケットの魔術師』に登場。 ソロスの後継者 92年のポンド危機のときの実際の運用者
ブルース・コフナー1643.5キャクストン・コーポ―レーション本書第10章に登場。国際派トレーダー、元学者、元タクシードライバー。市場の相関性を重視する戦略。
ダニエル・ジフ1643.5オックジフ・キャピタル・マネージメント社
ディルク・ジフ1643.5オックジフ・キャピタル・マネージメント社
ロバート・ジフ1643.5オックジフ・キャピタル・マネージメント社
ヘンリー・クラビス2053コールバーグ・クラビス・ロバーツ
サム・ゼル2053エクイティ・グループ・インベストメンツ
ポール・チューダー・ジョーンズ2242.8チューダー・インベストメント・コーポレーション『マーケットの魔術師』に登場。 5年連続で3桁の収益率を記録しているチャンピオントレーダー
ジョン・アーノルド2342.7ケンタウルス・エネルギーLP
ジョージ・ロバーツ2462.6コールバーグ・クラビス・ロバーツ
レイ・ダリオ2612.5ブリッジウォーター・アソシエイツ
スティーブ・シュワルツマン2612.5ブラックストーン・グループ
フィリップ・ファルコーネ2962.3ハービンジャ・キャピタル・マネージメント
トム・ゴアズ3342プラチナム・エクイティ
エドワード・ランパート3342ESLインベストメンツ
ダニエル・オック3342オックジフ・キャピタル・マネージメント社本書第11章に登場
ブーン・ピケンズ3342BPキャピタル
デイヴィッド・ショー4501.6D.E.ショウ&カンパニー『マーケットの魔術師[株式編]』に登場。スーパーコンピューターの開発も手掛けていたエリート科学者。アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスはこのD.E.ショーから独立した。
ルイス・ベーコン4681.5ムーア・キャピタル・マネジメントポール・チューダー・ジョーンズが自身のファンドが一杯のときに、代わりにルイス・ベーコンを紹介したほどのトレーダー。ポール・ジョーンズと同じ南部出身。
イスラエル・イングランダー4681.5ミレニアム・パートナーズ
ケン・ グリッフィン4681.5シタデル・インベストメント・グループ本書第7章に登場。イベントドリブンとレラティブバリューのアービトラージャー。
ウィリアム・コンウェイ5221.4カーライル・グループ
ダニエル・ダニエロ5221.4カーライル・グループ
トーマス・リー5221.4トーマス・リー・エクイティ・ファンド
デビッド・M・ルーベンシュタイン5221.4カーライル・グループ
アル・ゴア5591.3ゴアズ・グループ
ラジ・ラジャラトナム5591.3ガリオン・グループ本書第12章に登場に登場。テクノロジー・セクターに特化したボロムアップ型アプローチ。
ジュリアン・ロバートソン5591.3タイガー・マネジメント
ウィルバー・ロス5591.3WL ロス
ステファン・マンデル6011.2ローンパイン・キャピタル
デビッド・テッパー6011.2アパルーザ・マネジメント本書第16章に登場
レオン・ブラック6471.1アポロ・マネジメント
ジョン・ヘンリー6471.1ジョン・W・ヘンリー&カンパニー本書第8章に登場。松坂の在籍するボストン・レッドソックスのオーナー。
出所:フォーブス


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■監修者まえがき

 本書は代表的なヘッジファンドを取り上げることによって、その現状と歴史に関す る解説を試みたTHE NEW INVESTMENT SUPERSTARS の邦訳である。ヘッジファンドその ものの歴史は古く、その起源は五〇年以上も前にさかのぼるが、その存在が世間に広 く認知され、業界全体の規模が急拡大したのはわずかここ一〇年ほどのことである。 それは、投資のグローバル化、情報技術をはじめとしたテクノロジーの進歩によると ころが大きいが、その背景には、常になんらかのアセットクラスのポートフォリオを ロング(買い)で持つという伝統的な運用手法が限界に来ていることへの反動がある。 何らかのベンチマークを基準にして相対的にアウトパフォームできるか否かを目標 とした従来の運用においては、ベンチマークそのものが長期にわたって下落を続ける リスクを負わなければいけないことに加え、現実にはほとんどの運用者のパフォーマ ンスがそのベンチマークさえ超えられないという厳しい現実がある。したがって、多 くの機関投資家の関心が、ベンチマークを忠実にトレースすることを目的とするパッ シブ運用と、絶対リターンを追及することを目的としたヘッジファンドをはじめとし たオルタナティブ運用という両極端な方向に向かうのは当然であろう。

 本書には多くの「スーパースター」が登場するが、一口にヘッジファンドといって もその運用手法はさまざまである。しかしそこに共通しているのは、リスクを取って リターンを目指すという姿勢である。誤解していただきたくないが、それはヘッジフ ァンドが過度にリスクを取っているということではない。あくまでリスクに対するリ ターンの比率が良好であり、各々がよく把握、理解しコントロールできる場合にかぎ り、積極的にリスクを取り、より高い収益を目指すということなのである。

 どんな投資、投機であれ、必要なリスクを取ることができなければ、期待以上のリ ターンを得ることは難しい。たとえリスクを抑えた投資をだれかが行ったとしても、 そこから得られる結果は、じりじりと目減りする資産が消えてしまう時期をせいぜい 先に引き延ばすことぐらいでしかない。

 リスクとは一般的に認識されているように、破滅の要因であるだけではなく、実は 同時にまた収益の源泉でもある。別の表現をすれば、自分が他者より多くリスクを取 れるところをエッジ(優位性)と言い、エッジに対して賭けることから収益は生まれ るのである。それはリスクを避けることから生まれるわけではけっしてない。  最後になったが、本書の翻訳にあたってくださった岡村桂氏、またその他の関係各 位にも心から感謝の意を表したい。そして個人的な事柄であるが、若かりしころその 出会いによって、私がオルタナティブ運用の世界に進むきっかけのひとつを与えてく れたジョン・ヘンリー氏(第八章に登場)にもこの機会に感謝の言葉を述べておきたい。

                   二〇〇一年一二月                      長尾慎太郎



■序文

 投資家やマーケットウオッチャーたちは、スタートレーダー、つまり何年間も一貫 して華々しいリターンを上げているトレーダーに夢中になっていた。ファンド・マネ ジャーのピーター・リンチや投資家のウォーレン・バフェットなどが、その代表的な 存在である。

 最近になって、ヘッジファンド・マネジャーがスーパースターとしてもてはやされるようになってきた。ヘッジファンド・マネジャーは、ミューチュアルファンド・マネジャーよりも柔軟性がある。SEC(米証券取引委員会)の規制を受けることがほ とんどないため、レバレッジや短期金融市場を最大限に利用でき、さまざまな投資手 段によって世界中のマーケットであらゆる機会を追求することができるのだ。このよ うな戦略には利点はあるが、危険も伴う。私たちはこれまでに、大物たちの失敗もたくさん見てきた。

 ところがそこに、新しいタイプのヘッジファンド・マネジャーが現れた。リー・ エーンズリー、ケン・グリフィン、ダニエル・オクは三〇代、ラージ・ラージャラト ナム、ブライアン・スターク、デビッド・テッパー、ブルース・ウィルコックスは四 〇代と、比較的若い世代のマネジャーが登場した。レオン・クーパーマン、ジョン・ ヘンリー、マーク・キングドン、ブルース・コフナー、ポール・シンガー、S・ドナ ルド・サズマンはもう少し年を取っているが、それでも五〇代である。トレーディングの戦略はそれぞれ異なるが、ニュータイプには共通の特徴が見られる。それは、どのようなマーケット環境でも一貫して優れた利益を生み出していること、そして減益要因に対処してボラティリティを抑えていること、である。また、変化に抵抗するの ではなく、変化をうまく利用してそこから利益を得てきている。その長いトラックレ コードにおいては不安定な時期もあった。しかし、彼らはそれに耐えて生き残った人 たちなのである。

 現在、機関投資家がこの新しいタイプのマネジャーに資産配分している金額は、過去最高になっている。最近の調査によると、一〇四の学校法人基金が平均でポートフォリオの二・三%をヘッジファンドに配分し、その割合は年々増加しているという。 カリフォルニア州職員退職年金基金(CalPERS)、シカゴ公立学校教職員年金 退職年金基金、オクラホマ消防士退職年金基金などの米国の年金基金も、学校法人基 金に倣ってヘッジファンドに資産配分している。世界中の機関投資家がヘッジファンドに配分するようになってきていて、特にヨーロッパや日本で増大の傾向が見られる。

 個人か機関投資家かを問わず、投資家は新しいタイプのマネジャーたちから多くのことを学ぶことができる。マネジャーたちの主な特徴は、トレーディングの戦略も、年齢や世代も関係ない。自分のしていることが好きであり、知性と感情を必要とする 課題にモチベーションを見いだし、さまざまなマーケット環境で優れたパフォーマン スを生み出すこと(運用資産額最大のファンドを目指しているのではない)を主な目 的とし、そのファンドの最大の投資家であり、ファンド正味資産の多くの割合を占めている。また、それぞれのパーソナリティーに合った文化もつくり出し、ビジネスを制度化しようとしている。スペシャリストとチームで構成される組織を構築し、マーケットが低迷している時期もあったが、経験から何かを学んできた。失敗を認めてそ こから学習することができる。そして、リスクやボラティリティに対処して情報テク ノロジーを利用する、という共通の特徴もあった。

 必ずしも共通しているわけではないが、よく見られる特徴がある。それは、ほとんどのマネジャーが一〇代のころから投資にかかわってきたことだ。また、アイビーリーグを卒業しているか、MBA(経営学修士)を修得しているマネジャーがほとん どであった。マーケットに対して臨機応変にアプローチしていて、ファンダメンタルズの調査を重視している。そして、自分の役割はコーディネーターや監督官になるこ とであると考えている。その会社のやり方(カルチャー)を浸透させる手段として、 投資委員会を設置している。ほかのヘッジファンド・マネジャーに資産配分しているマネジャーもいる。最低投資金額は典型的なファンドよりもずっと高く、ロックアップ期間も長い傾向がある。スーパースターマネジャーたちは、バランスのとれた生活 を送っている。時間があればスポーツなどをして過ごす。また、ニューヨークを拠点 としているマネジャーが多い。

 もちろん、一致しない特徴もたくさんある。まず、トレーディングの戦略はさまざまである。米国マーケット、グローバルマクロ戦略、テクノロジー、プライベートエ クイティ(未公開株式)などへの配分額も異なる。株式市場に対するエクスポージ ャーとマネジャーが使用するヘッジ方法は、ほとんど一致していない。トレードを選 択する基準もさまざまである。投資家の数もどこに居住しているかなどの地理的な内 訳も異なる。投資家に提供する情報量とその頻度、そして従業員数もまったく異なる。 ヘッジファンド・マネジャーには、三つの大きな課題がある。それは、最適な資産規模に達した時期を判断すること、マーケットの低迷時でも生き残ること、そして次 の世代にも残る組織を創造することである。

 マネジャーにとって、ファンドをできるだけ大きくすることが自然の流れである。 ファンドが大きくなると、より多くのフィー(手数料)を手にすることができる。それでも、ファンドが一定の規模になると(その規模は戦略の数や種類によって異なる が)、パフォーマンスは低下し始めてしまう。マネジャーは誤った考えからすぐには 抜け出すことができないことがある、という問題もある。さらに、ファンドを大きくして自分の専門以外の分野に進もうとする場合、コアコンピテンシーが適さないこと もある。そのような場合には、サブポートフォリオ・マネジャーを採用する必要が生じるだろう。  もう一つの課題は、低迷したマーケットでも生き残る能力が必要である、ということである。強気相場では、多くのマネジャーが優れたリターンを上げることができ た。現在のマーケットは変動的であり、かつ低迷しているため、リスク・マネジメン トとヘッジの役割が重要なものとなっている。したがって、売り持ちの重要性が高まる。

 カンバーランド・アソシエーツを除いては、継承を確立しているヘッジファンド・ マネジメント会社はいまだ登場していない。スーパースターマネジャーたちが次の世 代にも継承できるかどうかは、先になってみないと分からない。スペシャリストの チームを編成し、カルチャーを浸透させ、キャリア開発を重視して、多くのマネジ ャーがこの課題に取り組んできた。六〇数人のヘッジファンド・マネジャーが投資の キャリアを積んでからヘッジファンドを立ち上げているが、ビジネスを計画するときに、後継や撤退の重要性について考えてはいなかった。

・本書の構成

 本書は、四つのセクションに分かれている。第一部では、過去の出来事について説 明する。何が起こったのか、そして何が変わったのか、ということに重点を置く。第 一章では、二〇〇〇年の二つの大きな事件、タイガー・マネジメントのジュリアン・ ロバートソンの引退とジョージ・ソロスのソロス・ファンド・マネジメントの規模縮 小について詳しく見ていく。最近引退したその他の有名なヘッジファンド・マネジ ャーには、マイケル・スタインハルトと、オデッセイ・パートナーズのジャック・ナ ッシュとレオン・レビもいた。第二章では、引退と弱体化の要因、そしてヘッジファ ンド業界の将来に二〇〇〇年の事件がどのように影響するかということを説明する。

 ロバートソンとソロスが困難に陥っている間も、ヘッジファンド業界は成長し続け ていた。二〇代や三〇代のファンド・マネジャーの存在も珍しいことではなく、優れ た利益を生み出していた。第三章では、現在のヘッジファンド業界について簡単に説 明する。つまり、業界について、その規模と成長について、そして戦略の種類につい て概要を説明する。また、最近の混乱と、悪習を防ぐための規制方針についても調べる。

 第二部では、新しいスターたち、つまり新しいタイプのマネジャーに注目する。 スーパースターマネジャーに共通している特徴と、必ずしも共通はしていないがよく 見られる特徴について、第四章で詳しく説明する。その後の章では、リー・エーンズ リー、レオン・クーパーマン、ケン・グリフィン、ジョン・ヘンリー、マーク・キン グドン、ブルース・コフナー、ダニエル・オク、ラージ・ラージャラトナム、ポー ル・シンガー、ブライアン・スターク、S・ドナルド・サズマン、デビッド・テッ パー、そしてブルース・ウィルコックスとのインタビューをまとめている。どの章で も、投資スタイル、バックグラウンド、影響力、モチベーションについて触れてい る。マネジャーとしてだけだなく、その人間性について知るのはなかなか面白いこと だった。どのマネジャーも、自分のスキル、スタイル、パーソナリティーを組織に持 ち込んでいる。インタビューは、二〇〇〇年五月から九月にかけて行った。

 このエリート集団を限定するため、次のような基準を設けた。一〇億ドル以上の資 産があること、七年以上S&Pと同等かそれを上回る結果を残していること、機関投 資家のサンプリングに挙げられていること、エリートとして業界で認められているこ とである。これらの基準に当てはまるような人物は、フォーブス四〇〇のリストやフ ィナンシャル・ワールドのトップ一〇〇ウォールストリート富豪のリストにも毎年載 っている(表機Γ韻班臭機Γ欧鮖仮函法7覿鼻▲泪優献磧爾砲箸辰篤明性が重要で ある。マネジャーたちはインタビューに快く応じてくれた。そして、投資哲学や組織 についての情報も披露してくれた。

 第三部では、ヘッジファンドのスーパースターたちについて、逆の立場から考えて みる。カリフォルニア州職員退職年金基金、日本の大手機関投資家、スイス生命など の金融機関、ノースカロライナ大学、スタンフォード大学、バッサー大学、ウェスレ ヤン大学などの学校法人基金にインタビューを実施し、エンドユーザーがスーパース ターやヘッジファンド業界をどのように見ているか、ということを調べた。機関投資 家の目標は達成されたのだろうか? ヘッジファンドに満足しているのだろうか?  ヘッジファンド業界は成長すると考えているのだろうか? といった質問をした。 第四部では、ヘッジファンド業界の今後について、私なりの考えをまとめている。



■第1部 ヘッジファンド業界について

第1章 2000年の大事件

 タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソンとソロス・ファンド・マネジ メントのジョージ・ソロスは、偉大なヘッジファンド・マネジャーとして長い間君臨 してきた。ソロスは最大の運用資産を誇るヘッジファンド・マネジャーであったが、 一九九八年、その資産額はロバートソンに追い抜かれている。ピーク時の両者の資産 を合計すると、約二二〇億ドルにも上った。

 両雄のトラックレコードは、かなり昔にさかのぼることができる。ソロスは一九六 九年、ロバートソンは一九八〇年に、それぞれのファンドを設立している。そして、 世界中のマーケットを利用し、株式、債券、商品、為替、先物などさまざまな金融商 品に投資し、ポジションに高いレバレッジをかける、といったグローバルマクロ・マ ネジャーへと転身していった。  しかし、二〇〇〇年半ばごろ、状況が大きく変化した。ロバートソンは引退し、ソ ロスは組織と投資対象を大幅に変更したのだった。

・タイガーの崩壊

 私が初めてジュリアン・H・ロバートソン・ジュニアに会ったのは、一九九八年八 月のことだった。パーク・アベニュー一〇一番地の最上階にある彼のオフィスで一緒 に朝食を取った。彼は、私が抱いていた南部紳士のイメージどおりだった。朝食の 間、ロバートソンはビジネスウィークとの係争について話していた(一九九六年四月 の特集記事『ウォール街の魔術師の衰退』では、一九九四年と一九九五年のロバート ソンのトラックレコードについて取り上げていた。翌年の三月、ロバートソンは、ビ ジネスウィーク、出版社のマグローヒル、記者のゲーリー・ワイス、ビジネスウィー ク編集長のスティーブン・シェパードを相手に、損害賠償金一〇億ドルを請求する民 事訴訟をニューヨーク州裁判所に起こした。一九九七年一二月、タイガーのパフォー マンスに関する予測はその後のトラックレコードを確証するものではないという内容 の記事を出版社側が掲載し、訴訟は取り下げられた。賠償金の支払いはない)。それ でもまだ、論争は続いていた。

 その朝食の際、ロバートソンは、一〇月一二日にバミューダで開催される会議に衛 星放送で講演することに合意してくれた。ところが講演の数日前の一〇月七日、日本 円が対米ドルで急騰し、ロバートソンは一日で二〇億ドルもの損失を被ってしまっ た。大損を被ったにもかかわらず、マーケットで成功した人物と華々しく紹介されて 会議に登場した。ロバートソンは、講演の約束を果たしたのだった。本当に誠実な人 物である。このときに講演することは彼にとって最重要課題ではなかったはずだ。そ れでも約束を守ってくれた。普通だったら、考えるまでもなくキャンセルしていたこ とだろう。

 放送の大半は質疑応答形式だった。視聴者(主に、マネジャーや業界のプロたち) は、八月のロシア債券不履行や九月下旬のロングターム・キャピタル・マネジメント (LTCM)の破綻といった出来事に遭遇して混乱していた。ロバートソンは(詳細 までは答えなかったが)この二つの出来事について話した。また、業界の安全性と快 適性についても説明した。  正直に、そして次のように率直に話した。「私は、二〇打席近くもヒットを打って いないバッターのような気分です。……皆さんも、いくら自信があってもスランプの ことが心配になるでしょう」。そして、このように暗い状況でこそ、業界の回復が重 要なのだと話した

 このときロバートソンは、テクノロジー分野にあまり詳しくない(つまり、この分 野に強くない)ということをほのめかしている。インターネット上に氾濫しているヘ ッジファンド関連の情報について質問すると、彼はコンピューターの知識がまったく なく、インターネットを使いこなすことができないと説明した。そのときは詳しく話 さなかったが、翌年のプレスレポートで、ロバートソンが電気通信機器とテクノロ ジー(ルーセント・テクノロジーとミクロン・テクノロジー)についてショート・ポ ジションをとっていることが公表された2。彼はインターネットについての評価に懐疑 的だった。結局、メリルリンチでテクノロジーリサーチの管理責任者として約二〇年 間勤めていた、セミコンダクターアナリストのトーマス・カーラックを一九九九年二 月に引き抜いた。

 私が特に強い印象を受けたのは、モチベーションについて質問されたときのロバー トソンの答えである。「さすがに今週のウォール街の状況は厳しいものでしたが、私 はビジネスを楽しんでいます。世界中のほとんどの人が自由を求めて働いている、と いうのが私の考えです。それが大きなモチベーションになっています。競争も好きで す。競争すると楽しい気持ちになれます。仕事仲間や競争相手には素晴らしい人たち が集まっているので、そのような人たちと一緒に仕事ができるということは非常に楽 しいことですね」

 最後の質問は、彼の銘柄選択についてのものだった。USエアウエーズ、ベア・ス ターンズ、ウエルス・ファーゴ、モルガン・スタンレー、バンク・オブ・アメリカな どの銘柄を挙げた

・ノースカロライナからの出発

 ロバートソンは、ノースカロライナのソールズベリーで生まれた。父親は投資に夢 中であり、その姿はロバートソンに影響を与えた。九〇歳になっても、父はニュー ヨークのアーランガー家のために繊維工場を運営していた。趣味は株であり、一九二 九年の大恐慌以降、熱心に投資をしていた。マーケットは必ず回復すると言ってアー ランガーを説得し、投資資金を借りたのだった

 「初めて株について耳にしたときのことを、今でも覚えています。両親が旅行に出 かけたので、大叔母さんが私の面倒を見に来たのです。彼女はユナイテッド社の手形 を見せてくれました。ビッグボードで取引をして、一・二五ドルくらいで売れまし た。そのとき、お金をためれば自分でも株を買うことができるのだということを知り ました。彼女の取引を見ているうちに、だんだん関心が高まってきたのです」。その とき、ロバートソンは六歳だった

 ノースカロライナ大学経営管理学部を卒業すると海軍の仕事に就き、その後、キ ダー・ピーボディーに二〇年間勤めた。ストックブローカーを続けていたが、ついに はウエブスター・マネジメントというマネーマネジメント部門の責任者となった。 一九八〇年、八〇〇万ドル(そのうち二〇〇万ドルは自己資本、六〇〇万ドルは外 部投資家から調達)でタイガー・ファンドを設立した。一九九一年には、運用資産は 一〇億ドルにまで増えた。一九九八年一〇月がタイガーのピークであり、資産二二八 億ドルを有する史上最大のヘッジファンドとなった。

 全部で六つのファンドがあったが、いずれにもネコ科の名前を付けていた。タイ ガーはアメリカ投資家向けのファンド、ジャガーは海外投資家と非課税のアメリカ財 団と機関投資家向けのファンドであった。オセロット(オオヤマネコの意味)はDL Jと取引をして、四%のアップフロントフィー、五年間のロックアップ、一〇〇万ド ルの最低投資額を定めていた。約二〇億ドルの資産が調達され、二〇〇二年七月まで のロックアップが定められている。比較的新しいファンドであるライオンは、タイ ガーのクローンだった。パンサーの投資家は適格投資家ではなかったため、ライオン を介して投資していた(パンサーは一九九七年に解体した)。プーマは、パンサーと 同様にアメリカ投資家向けのファンドであった。

・投資戦略

 ロバートソンは、ファンダメンタルズに従って株式を売買した。主に空売りとイン デックス・プット・オプションでヘッジしていた。また、リスクの管理と分散化を目 的として、多数のポジションを持っていた。

 彼の投資信条は、一九九〇年のビジネスウィークの記事を見るとよく分かる7。. ァンダメンタルズに固執すること。その会社を買うと考えて株を買うこと。その会社 の製品やマネジメントについて知ること。⊃緇週紊鮨じないこと。マーケットタイ ミングを判断しようとしないこと。ただし、マーケット低迷の影響を受けないよう に、空売りとオプションでヘッジすること。9馥發砲箸匹泙蕕覆い海函グローバル な視野を持つこと。海外の株式は、買いにとっても売りにとっても無限の機会があ る。ご岼磴辰燭隼廚辰燭蘿笋襪海函B纂困鮑把禪造僕泙┐襪海函K賃腓並纂困鯤え る前に売ること。タ佑竜佞鮃圓こと。高すぎる値がついて多くの人が思い違いをし ていたら、その銘柄を空売りすること。

 ロバートソンは、タイガーの投資決定者であった。その銘柄選択のスキルは有名だ った。アナリストのチームが質的にも量的にも十分な情報を提供してくれたが、決定 を下すのはロバートソンであった。ピーク時、タイガーには三〇人ほどのアナリスト とポートフォリオ・マネジャーがいて、さまざまな推奨をしていた。しかも、ニュー ヨークのオフィスだけでなく、ロンドン、東京、ワシントンにも配置されていた。

・後継計画

 一九九一年、ロバートソンは、タイガーの持ち分を売却することについて銀行家に 話をした8。しかし、このときは特別な進展はなかった。一九九七年、再び戦略的パー トナーに持ち分を売却することを考えた。その他には、優先株を発行すること、ある いは(場合によっては支払方法も含めて)タイガーの収入源から資金を引き上げるこ とについても考えた

 一九九八年、ロバートソンはモルガン・スタンレーのCFO(最高財務責任者)で あったフィリップ・ダフをCOO(最高業務責任者)としてタイガーに迎え入れた。 ダフを採用した目的の一つは、後継計画を明確にして会社を組織化することであった。 一九九八年八月、ロシア危機で六億ドルの損失を出した。さらに一九九八年後半、 日本円の急騰によって二〇億円を失った。ロバートソンは、グローバルマクロ志向か ら自分が最も得意な戦略に再び目を向けた。それは銘柄選択であった。そしてバリ ューアプローチをとった。つまり、好業績銘柄を底値で買うというアプローチであ る。航空、自動車、製紙などのオールドエコノミー銘柄が割安であると判断したのだ。

 マイクロソフトやサムソンの株を所有していたが、ハイテク銘柄は避けていた。S ECの資料によると、一九九九年度末時点でタイガーはUSエアウエーズの二四・八 八%、ユナイテッド・アセット・マネジメントの一四・八%、シールド・エアーの 七・二%、ベア・スターンズの三・七%を所有していた。ロバートソンはオールドエ コノミー銘柄に固執したが、そのパフォーマンスは、うなぎ登りのハイテク銘柄に飛 びついた若いマネジャーたちに大きく遅れを取ってしまった。

 償還の必要に迫られ、ポートフォリオから保有株式を売却しなければならなくなっ た。悪循環に陥り、保有株式を売却するとパフォーマンスが悪化し、さらに償還する ことになった。一九九八年八月から二〇〇〇年四月までに、七六億五〇〇〇万ドルが 引き揚げられた10。一九九九年一〇月、タイガーは、四半期ごとの償還をやめて二〇 〇〇年三月三一日以降は年二回にするということを発表した。 タイガーには約一八〇人の従業員がいた。一九九九年と二〇〇〇年には二五人のア ナリストが去り、新たに一五人を採用した。そのときにはある程度の体系ができ上が っていて、中心となる一二人のシニアアナリストが一〇の業界チーム、そして為替債 券チームと商品チームを一つずつ形成していた。

 一九九九年一〇月の年次総会でこれらの重要な変更点について発表したとき、ロ バートソンは借り株が資本の二・八倍から一・四倍に下がったことを明らかにした。

 ところが、二〇〇〇年三月三一日、ロバートソンは引退を表明した。六七歳であっ た。その時点で六つのヘッジファンドの資産は六〇億ドルにまで減少し、そのうちロ バートソンの所有分は一五億ドルであった。ロバートソンは投資家に対して次のよう にコメントした。「自分が理解していないマーケットで投資家の皆さまにリスクを負 わせることは、本来の目的ではありません。……よく考えた結果、すべての資本を投 資家の皆さまにお返しし、タイガーの幕を下ろすことを決意しました」11。発表時、 ファンドのパフォーマンスは約一四%のマイナスであった。一九九九年については、 九%のマイナスだった。トレーディングを開始してから二〇〇〇年までの年平均パフ ォーマンスは約二五%であった。

 投資家たちは、七五%を現金で、五%をタイガーが保有する株式で受け取った。残 りの二〇%については、ロバートソンがメインの五つの保有株式(USエアウエー ズ、ユナイテッド・アセット・マネジメント、エクストラ・コーポレーション、ノル マンディ・マイニング・マネジメント、ジーテック・ホールディングス)を少しずつ 売却して現金化した。

 ロバートソンは、今でも自分の資金を管理していて、その金額はおよそ一五億ドル から二〇億ドルである。

 ロバートソンは、テニス、スキー、ゴルフが大好きである。最近では、ニュージー ランドのカウリ・クリフに新しいゴルフコースを作った。慈善事業にも熱心で、一九 八九年にはニューヨークにタイガー基金を設立した。これは障害を持った若者とその 家族のための非営利団体を支援することを目的とした基金である。このほかにも、 ノースカロライナのソールズベリーに自分の父親の名前をつけた慈善基金を設立し、 教育社会開発衛生プログラムに三五〇万ドルを寄付した。デューク大学とノースカロ ライナ大学にもそれぞれ二五〇〇万ドルを寄付した。そしてリンカーン・センターの 噴水にも、妻のジョージーに敬意を表して二五〇〇万ドルを寄付した。

・ソロスの栄光の軌跡

 ソロスのクオンタム帝国も、二〇〇〇年に崩れ始めた。ソロス・ファンド・マネジ メントは、二〇〇〇年の三月から四月初めにかけて巨額の損失を被ってしまったの だ。旗艦ファンドであるクオンタムは、設立以来、年利平均で三六%の利益を上げて いたにもかかわらず、その損失によって三二%にまで落ちてしまった。

 ロバートソンのようにファンドを清算することはなかったが、規模を大幅に縮小し た。また、多くの主要人物も去ってしまった。スタンレー・ドラッケンミラー(四七 歳)は、クオンタム・ファンドの最高投資責任者を一二年間務め、ニコラス・ロディ ティ(五四歳)は、クオータ・ファンドを管理していたが、いずれも去ってしまっ た。両者の引退は、二〇〇〇年四月二八日に発表された。一四〇億ドルのファンドグ ループを再編成することをソロスが発表したとき、クオンタム・ファンドの二〇〇〇 年度パフォーマンスは二〇%のマイナスであった。投資家たちにはドラッケンミラー が離脱を発表したときに約三〇億ドルを償還した。

 ドラッケンミラーの引退発表直後、その他の主なスタッフも離脱を決意した。CE O(最高経営責任者)のダンカン・ヘンネスとCFOのピーター・ストレインジャー も離脱を表明している。一五億ドルの海外株式をロンドンで一〇年間管理してきたス コット・ベッセントは、二〇〇〇年六月三〇日にクオンタムを去り、ベッセント・キ ャピタルを設立した。一九九〇年より管理責任者を務めていたウォルター・バーロッ クも、離脱後、オリジン・キャピタル・マネジメントを始めた。カーソン・レビット はピーコット・キャピタルに参加し、マイケル・カーシュはカーシュ・キャピタルを 設立した。デビッド・コビッツとシェルドン・カソウィッツは、インダス・キャピタ ル・マネジメントを設立した。

 ソロスが再編成に踏み切った背景には、ファンドが大きくなりすぎたということが あった。さらに、ソロスのファンドの目的が変わってしまったことも理由の一つであ る。このまま進めていくと、クオンタムはより低リスクの戦略を取るようになるだろ う。実際に、ソロスはより保守的なトレーディングアプローチを取り始めていたのだ った。「とうとう私も保守的になってしまいました。レバレッジを低くしたいと考え ているのだから。……低リスクを求めているのです。三〇%もいらない、一五%のリ ターンで十分です」

 七月一日、ソロスは、クオンタム・ファンドとクオンタム・エマージング・グロー ス・ファンドを合併し、新たに六五億ドルのファンドであるクオンタム・エンドーメ ント・ファンドを設立した。このファンドでは、資産の約半分をボラティリティの低 いマクロとアービトラージに配分し、残りの半分をロングとショートの両方を建てる 銘柄選択に充てた。レバレッジを低くして約一五%の安定したリターンを追求してい る。以前は持ち分のほぼ一〇〇%にレバレッジをかけていたが、現在はそれも約三三 %に抑えている。

 クオンタム・エンドーメント・ファンドの約六〇%は、ソロスの個人資金である。 社内で運用する資産もあれば、社外に配分しているものもある。ベッセントが約一〇 億ドルの資本で会社を設立したとき、そのうちの一億五〇〇〇万ドルはソロスが出資 したと言われている13。その他のマネジャーもソロスからの配分を受けている。例え ば、バミューダを拠点としてグローバルマクロ戦略を行っているダレン・デビーは、 約二〇億(ソロス・ファンド・マネジメント資産の三分の一)を管理している。デ ビーのネクサス・ファンドは、一九九九年一〇月にソロスから五億ドルの配分を受 け、ソロスと独占提携するようになった

 ジョージの三六歳の息子であるロバート・ソロスは、移行の調整を指揮している。 一九九四年、ロバートはプライベートエクイティと不動産を担当していた。一九九六 年には、クオンタム・インダストリアル・ホールディングス・ファンドの運営を手伝 った。

・ドラッケンミラーのサバティカル(休息)

 ドラッケンミラーは、一九九八年末からずっと離脱することについてソロスに相談 してきた。しかし、一九九九年初めにクオンタム・ファンドのパフォーマンスが二〇 %も落ち込み、そのまま去るには忍びない状況になってしまった。

 一九九九年前半、クオンタム・ファンドはIT銘柄に対抗するポジションをとって いた。当時、八二億ドルのクオンタム・ファンドを管理していたドラッケンミラー は、シリコンバレーのマネーマネジャー、カーソン・レビットを採用した。一九九九 年半ばには、ソロスのファンドはハイテク銘柄を買って、いくつかのオールドエコノ ミー銘柄を空売りした。新しいポジションのなかには、ダブルクリック、JDSユニ フェーズ、クアルコムなどがあった。その戦略は成功し、クオンタム・ファンドは三 五%のプラスで一九九九年を終えることができた

 二〇〇〇年三月半ばにハイテク銘柄の投げ売りが始まっても、ソロス・ファンド・ マネジメントはハイテクとバイオを重視していた。そして二〇〇〇年三月一五日、ダ ウ平均は三二〇ポイント上昇したが、ナスダック指数は一二四ポイントも下げた。そ の日までは二%の年利益を上げていたが、翌五日間だけで一一%の損失を出してしま った

 詳しい事柄はウォール・ストリート・ジャーナルに書かれているが、インターネッ トセキュリティ会社のベリサインに対する考え方に食い違いがあり、ドラッケンミ ラーとソロスの衝突は頂点に達してしまった。ドラッケンミラーの指示によって、三 月にはポジションを二倍の六億ドルに増やした。一九九九年にこの銘柄を一株当たり 五〇ドルで購入し、二月末には二五八ドルにまで上昇した。その後、四月上旬に一三 五ドル、下旬には九六ドルにまで下がってしまった

 四月一八日にドラッケンミラーは辞任し、四月二八日にそのことを発表した。しば らく夏期休暇を取り、今後何をするか決めるつもりだ(巨額の公的資金を運用するこ とはないだろう)と述べた。ドラッケンミラーは、一九八一年に一〇〇万ドルの資産 で設立したドゥーケン・キャピタル・マネジメントを現在も続けている。ドゥーケン の投資家には、母校のボードン・カレッジ、ベレア・カレッジ、デニソン大学などが ある。ドラッケンミラーがマネジメントを引き継いだ一九八九年以降の年利益は約三 〇%であり、クオンタムに匹敵するほどであった。ドゥーケンの運用資産は、現在、 二〇〜三〇億ドルであると推定される。

・投資のバックグラウンド

 一九三〇年、ハンガリーのブタペストで生まれたソロスは、一九四七年にロンドン に渡り、一九五二年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業した。そして 一九五六年、アメリカに移り住んだ。一九五六年から一九五九年にかけて、ニュー ヨークのF・M・マイヤーでアービトラージャーとして働いた。そこで、新しいやり 方のアービトラージを開発した。「インターナルアービトラージ」という手法で、普 通株、ワラント債、社債が正式に分離可能になる前に別個に扱う取引である18。その 後、アーサム証券(一九五九〜一九六三)、アーンホールド&S・ブレイシュロー ダー証券(一九六三〜一九七三)に転職した。

 ニューヨークに移ったソロスは必然的に、同業者との競争において有利な立場を獲 得していた。欧州金融市場について豊富な知識を身につけていたからだ。ウォール 街の人たちは欧州投資に関する経験も知識もあまりなく、ロンドンとニューヨークで アービトラージしていたのはほんの一握りだった。アメリカに降り立った瞬間から、 ソロスにはそのフィールドのエキスパートとしての活躍が待っていたのだった。

 ソロスはアーンホールド&S・ブレイシュローダーを説得し、二つのオフショアフ ァンドを設立して自らそれを管理した。一九六七年にロングオンリーのファンド、フ ァースト・イーグルを設立し、一九六九年にはヘッジファンドであるダブル・イーグ ルを設立した。最初のファンドは、二五万ドルの自己資金と知り合いの欧州の富豪た ちから集めた六〇〇万ドルで始めた。ダブル・イーグルはカリブ海のキュラソーを拠 点としていたが、実際にはニューヨークで運営していた。

 一九七〇年、ソロスはジム・ロジャーズと一緒に働き始めた。ロジャーズはアナリ スト、ソロスはトレーダーという役割分担を決めていた。

 ちょうどそのころ、証券会社に対する法令が施行されることになり(つまりロジ ャーズもソロスも会社が取引していた株の収益からの歩合で報酬を得ることができな くなった)、二人は自分たちで会社を興した。一九七三年、ソロス・ファンド・マネ ジメントを設立したのだった

 一九七三年、ダブル・イーグル・ファンドはソロス・ファンドとなり、一九七九年 にはクオンタム・ファンドに名称を変更した。この名称は、量子力学におけるワー ナー・ハイゼンベルクの不確定性原理に由来している。不確定性原理とは、量子力学 において原子より小さい粒子の動きを予測することは不可能だというものである21。 ファンドは非常に成功していたので、保有株の需給に合わせてプレミアムを設定する ことができた。プレミアムとディスカウントは、株主のセンチメントを反映する。  しかし、二人は一九八〇年に決別し、ロジャーズは二〇%の持ち分(一四〇〇万ド ル相当)とともに去って行った。ソロスの持ち分は八〇%で、五六〇〇万ドル相当に 達していた。一九七九年から一九八一年にかけて、ファンドは(ソロスいわく)好 不調を繰り返した。短い空白期間があり、ソロスはファンドをほかのマネジャーに分 割委譲した。そのとき彼は、自分の投資理論を実験するために金融市場でリアルタイ ム実験を行った。この内容は後に『ソロスの錬金術』(総合法令出版)という本のな かで発表している。その後、一九八七年のブラックマンデー、それからまた好不調の 繰り返し。そして、一九八九年にスタンレー・ドラッケンミラーがクオンタム・ファ ンドの最高投資ストラテジストとなり、二〇〇〇年四月までその職務に就いていた

 一九九一年から一九九二年にかけて、ソロスは経営を拡大した。クエーサー・ファ ンドを一九九一年に設立し、一五人の外部マネジャーに資産を配分した。一九九二年 には、新興市場の株式を対象としたクオンタム・エマージング・グロース・ファンド を立ち上げた。さらに一九九二年、ファンド・オブ・ファンズのクオータ・ファンド を設立し、一〇人の外部マネジャーに資産を配分した。

・生き残りのスキル

 ソロスが成功した秘訣は、「生き残る」スキルを持っているということだった。 『ジョージ・ソロス』(七賢出版)のなかで、一九四四年が人生でいちばん幸せな時 期だったと述懐している。「奇妙に聞こえるだろうし、怒る人もいるかもしれない。 何しろホロコーストの年だからね。(中略)一四歳の子供にとって、これほどエキサ イティングな冒険がほかに望めるだろうか。この時期が、私の人生にとって決定的な 影響を残した。生き残る術をその道の達人に学んだのだからね。投資家としての私の キャリアにも何らかの関係はあるよ」

 「私にとって、脱走捕虜としてロシア革命を生き延び、サバイバル技術を身につけ ている父をもったことは幸運だった」25。父のティボドアは、ロシア内戦が始まると 生き残りを賭けてシベリアを逃げ回った。第一次世界大戦では、オーストリア=ハン ガリー帝国軍の兵士だったが、ロシア軍の捕虜になっていたのだ。生きるためなら、 サバイバルのためなら、彼は何でもした。それがいかに不愉快なことであっても。サ バイバル、それはジョージ・ソロスの人生にとって、崇高な価値あるものだった

 ソロスの父は、家族のために偽造の身分証明書を手配し、生活する場所、要するに 隠れ家ということだが、それも見つけてきた27。『ソロス』(早川書房)の著者であ るロバート・スレイターは、父が偽造の身分証明書を手に入れ、ジョージはハンガ リーの農業省に勤めるキリスト教徒の役人の息子、ヤノス・キイスという人物になり 済ましたというソロス自身の回想を詳しく記述している。後にソロスは、父の行動を 「金銭的取引」として片付けている。ティボドアはジョージに、サバイバルの術につ いて貴重な教訓を与えた。「リスクを冒すことは悪いことではない」「リスクを冒す 際はすべてを賭けるな」ということを教えてくれた。また、戦争はジョージにもう一 つの教訓を与えた。「現実と認識の間には溝が存在する」ということだ。父に倣い、 ジョージも問題を解決するには通常とは違う方法を探すべきだということを学んでい る

 ソロスはヘッジファンドを運用するうえで、若いころのサバイバル訓練が大いに役 立ったと振り返っている。「レバレッジを利用した取引はうまくいくと、ものすごい 業績を上げることができるが、予想がはずれるとすべてを失うこともある。最も難し いことは、どのレベルのリスクなら安全かという判断である。これには一般的な基準 はなく、ケースバイケースで判断しなければならない。最終的には、自分のサバイバ ル本能に頼るしかない」

・投資の特徴の変化

 一九九五年に出版された『ジョージ・ソロス』(七賢出版)のなかで、ソロスは、 特定の投資スタンスを持たないということについて話している。「状況に合うように スタイルを変えようとする。クオンタム・ファンドのこれまでの経緯を調べてみれ ば、何回も性格を変えていることが分かるはずだ。最初の一〇年間に関しては、特に マクロ商品は活用していなかった。その後はマクロ投資が重要なテーマとなった。と ころがもっと最近になると、産業資産に投資し始めている。(中略)私はある決まっ たルールに従って行動しているわけではない。私はゲームのルールの変化をとらえよ うとしているんだ」

 ソロスは、マーケットを動かす大きなテーマを突き止めた。ドラッケンミラーとア ナリストが銘柄を選別した。ソロスの哲学、戦略、戦術がムードを作った31。スペシ ャリストのファンドは存在していたが、最高投資責任者は最高のアイデアを借用し、 それをクオンタム・ファンドで利用することができた。

 また、ソロスは、「不安」に関するアナリストであると自称している。「自分が間 違っているんじゃないかと考えるんだ。そうすると、『不安』になる。不安感がある から、いつも状況に敏感でいられるし、自分の間違いをすぐに正せる。(中略)現実 の相場の動きが私の予測どおりかどうかをチェックする。もし期待どおりでなけれ ば、私は間違っているわけだ。私の予測と現実の動きが一致しなかったからといっ て、すぐに持っている株を投げ売りするわけじゃない。もう一度自分の理論をチェッ クして、何が間違っていたかをきちんと確認する。(中略)確かなのは、私はじっと 指をくわえてはいないし、現実と予測の差を無視したりはしない。すぐに批判的なチ ェックを開始する」

・再帰性

 『ソロスの錬金術』(総合法令出版)のなかで、ソロスは、「再帰性」というアイ デアは市場動向の分析には欠かせないと説明している。意思決定のプロセスを事態の 進展に沿って記録するというのが狙いだった。それは自然科学の実験ではなく、いわ ば錬金術的な実験だった。というのも、実験を行うということ自体が結果に影響を与 えるだろうと予想していたからである。

 このコンセプトは「不完全理解(imperfect understanding)」という言葉に要約す ることができる。現実は人々の考え方のなかにも反映される――認識の作用。またそ の一方で、人々は現実に影響を及ぼすような決断を下すのだが、こうした決断は現実 に基づいたものではなく、現実に対する人々の解釈に基づくものとなる――参加の作用。

 ソロスは、この二つの作用は反対方向に働いたり、特定の状況においては互いに干 渉し合うこともあると説明している。この両者の相互作用が、双方向の「再帰的 (reflexive)」なフィードバック作用の形態を取るということなのである35。  また、ソロスは、金融市場にはその特徴として市場参加者の認識と物事の実情との 乖離が存在していると観測している。時にはこうした乖離を無視することもできる 36。通常の状況では、思考と現実との食い違いがそれほど大きくはなく、双方を近づ けようとするような力が働いている。その理由は、一つには人々が経験から学ぶこと ができるからだ。ソロスは、このような状態を「ほぼ均衡状態 (near-equilibrium)」と呼んでいる。人々の思考と物事の実情とが互いに大きくか け離れていて、双方が歩み寄るような傾向がまったく見られない状態は「均衡からは るかに遠い状態(far-from-equilibrium)」と言う。  この状態は二つのカテゴリーに分けられる。まず、動的な不均衡は、一般に広まっ ているバイアスと一般的なトレンドが相互に強化し合って両者間のギャップがあまり に広がりすぎて、終末的な崩壊を引き起こすというもの。静的な不均衡は、非常に強 固で、ドグマ(教義)的な思想と非常に硬直した社会状況が見られる。

 ソロスは、動的な不均衡と静的な不均衡を両極端な状態とし、「ほぼ均衡状態」を 中間と考えている。通常の状態においては「再帰性」はそれほど重要ではない。「均 衡からはるかに遠い状態」に近づいたり、あるいはそれに到達したような場合には 「再帰性」が重要な要素となり、好不調の連鎖が生まれることになる。

 ソロスはある決まったルールに従ってゲーム(投資)をしているわけではないと語 っている。「私はゲームのルールの変化をとらえようとしているんだ。(中略)私が 探すのは、不均衡状態だ。そういう状態になると、何らかのシグナルが送られてき て、私を刺激する」

 また、自分は見通しの悪いカーブの先を見越していると言う。「私はトレンドが消 滅するひそかな兆候を見逃さないように気をつけている。その兆候が見られると、私 は群れを離れ、別の投資理論を探し始める。(中略)たいていの場合、トレンドに逆 らう動きをすると痛手を被る。それが儲けにつながるのは、市場が転換点に達した場 合だけなんだ」

・ブラックウエンズデー

 ソロスのトレーディングにおいて、いくつかの忘れられない出来事があった。

 ソロスは、認識こそすべてであり、誤った認識がマーケットに再帰現象を引き起こ すという理論で武装していた。だからこそERM(欧州の為替相場メカニズム)危機 における重要な「誤った認識」――いかなる状況下でもドイツ連銀がポンド防衛に回 るという期待感――を見抜くことができたのだった。

 一九九二年の夏、ソロスのファンドがポンドを空売りしたことが世間に知れ渡っ た。そしてほかの投資家たちもこれに従った。

 一九九二年九月一六日水曜日、ソロスの収益は二〇億ドル近くに達した。一〇億ド ルはポンドから、残りの一〇億はイタリアとスウェーデンの通貨大混乱と、東京証券 取引所から得たものだった。フィナンシャル・タイムズは、ソロスのことを「イング ランド銀行を叩き潰した男」と呼んだ。

・バレンタインデーの大虐殺

 一九九四年二月一四日、ソロスは八〇億ドル分の日本円を空売りして六億ドルの損 失を被った。多くのマネジャーは、日本円が下がるだろうと読んでいた。それは、ク リントン大統領と細川護煕首相との日米首脳会談で通商摩擦解消に向けて何らかの基 本合意が成立し、円安に向かうだろうという考えからだった。アメリカ政府は円高を 歓迎していた。これは、通商交渉で日本政府に圧力をかける戦略であった。というの も、日本円が上がれば日本の輸出品の価格は上昇して、国際市場で売ることが困難に なるからである。首脳会談は決裂し、日本円は急騰した41。一九九四年一一月にも同 じことが起こり、ソロスは四億ドルから六億ドルの損失を出している。

・マレーシア

 一九九七年八月、マレーシアのマハティール首相は、ソロスの投機を犯罪行為とし て取り締まるべきだとして、アメリカを非難した。「アメリカはソロスのことを犯罪 者だとみなしていない。それは、彼の行動によって被害を受けていないからだ。被害 者であるわれわれが黙っていれば、アメリカはこのような価格操作を認め続けるだろ う」

 マハティールは、ソロスがASEAN(東南アジア諸国連合)諸国の通貨を投機の えじきにしたとして非難した。つまり、ASEANがミャンマー(旧ビルマ)を加盟 させる――これは軍の独裁政権で決められている――報いとして、ソロスがASEA N諸国の通貨を暴落させたと述べている。ソロスは、ミャンマー軍事政権に対抗する 基金を運営しているが、その活動は取引には何の影響も及ぼさないものであると説明 している。

・哲学者であり、財務家ではない

 『ジョージ・ソロス』(七賢出版)のなかでソロスは、自分がマネーマネジャーと して名を刻むことができたことを認めている。「だが、思想に関してはどうだろう な? 自分の思想をまとめてほかの人にきちんと伝えることができるかどうか。それ が思想として成立するのかどうか。私にとっていちばん問題なのはその点だし、いち ばん不安な点でもあるんだ。私は金を稼ぐにも稼いだ金を使うにも、同じ一連の思想 に従ってやっている。私にとって有効な思想だったが、だからといって普遍的な正し さがあるということにはならないからね」

 また、ソロスは自分のことを単なる投機家ではなく哲学者だと認識している。しか も挫折した哲学者である。「自分の思想を他人に伝え、一般に受け入れてもらうのに は失敗した。だから、私は自分のことを『挫折した哲学者』だと思っているんだ」 。いつも自分の意見に耳を傾けてもらいたいと願っていたが、ポンド危機の後、有 名になってようやくそれが可能になった。

 『ジョージ・ソロス』(七賢出版)のなかで、次のようにも述べている。「私が魅 力を感じるのは『思想の冒険』だろうな。基本的には、私という存在にとって最も重 要な側面は思索することなんだ。(中略)理解することが好きなんだ。(中略)青春 時代の大半は、何らかの思想をこねくりまわして過ごしたようなものだ。その後よう やく、思索を通じてよりも行動を通じてのほうがずっと多くを学べるということが分 かった。そこで私は『活動的な思索家』になり、思索が行動を決定する上で重要な役 割を果たし、行動が私の思索を向上させるうえで重要な役割を果たすようになってい る。こうした思考と行動の相互作用は、私の哲学の、そして私の人生の特徴になった んだ」

 この本のほかにも、二つのコンセプト「開かれた社会」と「閉ざされた社会」につ いても論文を書いている。また、ニュースクール・フォー・ソシアル・リサーチ、オ ックスフォード大学、ブタペスト経済大学、エール大学から名誉博士号を付与されている。

・組織化への試み

 ソロスは、彼の会社を組織化するためにいくつかの試みをしている。一九九八年初 め、対象とするエリアに初めてアナリストを配置した。それまではアナリストが興味 を持った株式を追跡していただけだった。クオンタムの傘下では、最低アカウントと して五〇〇〇万ドルがアナリストに与えられていたのだ。

 一九九九年八月一〇日、ソロスはファンドを再編成し、バンカーズ・トラストの財 務担当者であったダンカン・ヘンネスをCEOとして迎え入れた。これによって、ド ラッケンミラーは管理業務から解放され、トレーディングとクオンタムのパフォーマ ンス向上に専念することができるようになった。ヘンネスはソロスの下で働き、雇 用、解雇、報酬など、事業運営に関する事柄を監督した。二〇〇人の従業員と東京、 香港、ロンドンの関連オフィスの監督もヘンネスの仕事であった。

・慈善活動

 多くのスーパースターたちは巨万の富を築いてから慈善活動にかかわっているが、 ソロスの場合はソロス・ファンド・マネジメントを始めた年に基金を設立し、一九六 九年にはジョージ・ソロス財団を設立している。

 一九七九年には運用資産が一億ドルに達し、個人資産が約二五〇〇万ドルになる と、ソロスはもう十分な金を持っていると判断した。自分にとって本当に大切なのは 「開かれた社会」というコンセプトなのだという結論に至ったのだ。そして「閉ざさ れた社会」を開くことを目的として、オープン・ソサエティ・ファンドを設立した。

 一九八〇年ごろから、ソロスは慈善活動の一大帝国を築き始めた。最初は、中・東 欧諸国を対象として、旧ソビエト勢力圏からの脱却を目指している国々をサポートす るために資金を分配した。やがてロシアが混迷すると、ソロスはソビエトの科学界や 科学者たちが国の激動にも生き残ることができるように、一億ドルを援助した。財団 のネットワークは三〇カ国を網羅し、約一三〇〇人のスタッフが働いている。その目 的は、自由なメディア、政治的多元性、人権の保護である。

 一九九六年になると、その慈善活動をアメリカにまで拡大した。アメリカにおいて ソロスは、国家管理のアンチテーゼ、つまり国家責任の放棄に関心を持っている。麻 薬取締法はばかばかしいものだと考えている。そのため、アメリカの「ドラッグ戦 争」に対抗するグループ、つまりドラッグ政策についてオープンに討論しようとして いるグループに対して、五年間にわたり一五〇〇万ドルを援助した。「多数のドラッ グ使用者を違法とすることを含め、意図しない結果が禁止の成功を制限することにな ってしまう」と述べている。一九九六年、カリフォルニア州とアリゾナ州で医師がマ リファナなどの違法ドラッグを処方して患者の苦痛を取り除くことができるようにす るため、ソロスは一〇〇万ドルの有権者説得用の資金を援助している49。  その他に、センター・オン・クライム、コミュニティーズ・アンド・カルチャー、 プロジェクト・デスといった財団も設立し、瀕死状態の人のケアを改善するために二 〇〇〇万ドルを費やしている。

 これらを総計するとソロスは二〇億ドル以上を慈善活動に分配している。アメリカ で二番目に多額の寄付をした慈善活動家とタイム誌にも書かれた。

・早期引退:スタインハルトとオデッセイ

 ロバートソンとソロスのほかにも、えり抜きのヘッジファンド・マネジャーが引退 している。スタインハルト・パートナーズのマイケル・スタインハルトは一九九五年 の終わりに引退し、オデッセイ・パートナーズは一九九七年の終わりにファンドを閉 じた。

・マイケル・スタインハルト(スタインハルト・パートナーズ)

 マイケル・スタインハルトがヘッジファンドの世界に足を踏み入れたのは、一九六 七年七月一〇日、二六歳のときだった。設立当初、スタインハルト・ファイン・バー コウィッツ&カンパニーの運用資産は七〇〇万ドルだった。主に銘柄選択を行ってい た。一九七八年にスタインハルトがサバティカルの長期休暇から戻った後、スタイン ハルト・パートナーズに名称変更した。

 スタインハルトは、アグレッシブで短期トレーダーとして知られている。一九九〇 年代には金利ポジションで巨額のリターンを上げた。彼のスタイルは独自のもので、 ほかの人とは多少違っている。つまり、一般的なマーケットの見方とは異なる考えを 持っているのだ51。この逆張り的な考え方は、一九八一年の春のことを例にとって説 明すると分かりやすい。債券市場を大きな不幸が襲い、プライムレートは一五%にも なっていた。スタインハルトは五年物のTボンドを購入し始めた。最終的に債券市場 は盛り返し、スタインハルトは九七%のプラスでその年を締めくくった。

 引退するまで、スタインハルト・パートナーズLP、インスティテューショナル・ パートナーズLP、SPインターナショナルSA、スタインハルト・オーバーシー ズ・ファンドの四つのファンドを持っていた。一九九五年にファンドを閉じ、その運 用資産は二六億ドルであった。ピーク時の資産は四四億ドルもあった。プレスレポー トによると、スタインハルトの持ち分は四億ドルであったという。現在六〇歳になっ たスタインハルトは引退生活を楽しみ、三三年間の経験から業界を広い目で見てい る。その洞察力は非常に興味深いものである。

 スタインハルトは、「ヘッジファンド業界」は特殊であるという認識を持ってい る。ヘッジファンドは業界ではなく、マネーマネジメントの一部であるとのみてい る。マネジャーに共通の投資戦略は存在しない。スタインハルトの全盛期には、ヘッ ジファンドはプライベートなエリートクラブを構成し、そのメンバーは長期にわたっ て優れたパフォーマンスを実現していた。「私たちは、賞賛されてはいたものの、う さんくさいと思われていました。パフォーマンスは格別に優れていました。……エ リート主義で、それでいて論議の的となる集団でした」

 スタインハルトは、ヘッジファンドの際立った特徴として、マネジャーが自分のフ ァンドに投資し、長期にわたってトラックレコードを残し、さまざまな経済状況でも 成功を収めていた、ということを挙げている。マネジャーは情熱的かつ知的であり、 運用資産を増大させることではなく、パフォーマンスを向上させることに意欲をかき 立てられていた。また、マネジャーにはアントロプレナーシップがあるが、組織を構 築する能力には欠けていた。

 スタインハルトは、自分の会社を組織化しようとしたがいつもうまくいかなかった と振り返っている。メリルリンチにクローズドエンド型ファンドを販売しかけていた が、その取引は実現しなかった。また、ドレフュス・コーポレーションから事業の一 部を買うというオファーを受けていた。ところが、スタインハルトは、パフォーマン ス・レコードを残すという目標に集中していたのだった。

 現在、スタインハルトはある変化に気づいている。つまり、マネジャーの目的が変 わってきているのだ。インセンティブ・フィーが非常に魅力的であるため、新しい 人々が業界に集まってきている。現在のマネジャーたちにとっては、資産の成長とフ ィーが重要なものとなっている。しかしそれで、パフォーマンスは月並みになってし まった。良くもなく悪くもないマネジャーが多くなったのだ。投資家はパフォーマン スが低下するとフィーを支払わなくなる場合がある。また、スタインハルトは、先行 きの明るい株式相場ではヘッジのためのショートが難しくなったとみている。

 スタインハルトは、優れたパフォーマンスを上げる理由を解明することに多くの時 間を費やしてきた。それは、彼は「天賦の才能」であると考えている。スタインハル トは、反復的で継続的な検証によってこの天賦の判断力を生み出すことができた。そ れが彼の強みだった。一〇代のころから株式相場を見ていたため、経験が豊富だった のだ。スタインハルトの父は、バルミツバ(ユダヤ教の成人式――一三歳)のお祝い に、ペン・ディキシー・セメントとコロンビア・ガス・システムの株をそれぞれ一〇 〇株プレゼントした。これが彼の関心に火をつけた。一九歳でペンシルベニア大学ウ ォートン・スクールを卒業した。

 スタインハルトのモチベーションは、動いている株を探してその方向性を認識でき るようになることであった。報酬のことは頭になかった。

 スタインハルトは、現在におけるテクノロジー業界の重要性について考えるとき、 一九六〇年代の電気業界との類似性を見いだしている。当時、多くの電気会社が会社 名に爍錚遑蕋磽鶚瓩鯢佞韻鴇緇譴靴拭「今の幸福感のほうが、より広い基盤に根付 いています」。スタインハルトは、ニューエコノミーとオールドエコノミーの並立は 持続せず、最終的には一つのエコノミーに融合されるだろうと予測している。

 引退をきっかけにほかの投資家の資金を扱うのをやめた。少額だけを取引し、大部 分は約三〇人のマネジャーに配分している。そのマネジャーは、ほとんどはアービト ラージで、その他の保守的な取引スタイルを守っている。スタインハルトの目標は、 自分が生み出した資本を維持し、良いリターンを得ることである。

 また、一九九一年のソロモン・ブラザーズの国債入札スキャンダルでスタインハル トが果たした役割について、四年間も政府と闘争してきた。最終的には、四〇〇〇万 ドルを支払って解決した53。

 スタインハルトはなぜ引退したのだろうか? 一九七八年に長期休暇を取ったが、 実はそのときすでに引退を示唆している。しかし自分を駆り立てるものを見つけるこ とができず、また戻ってきた。そのとき、スタインハルトの純資産は七〇〇万ドルで あった。ところが一九九五年、何かほかのことをするという目標が生まれた。偉大な マネーマネジャーになることよりも、高潔で崇高な何かを。スタインハルトは、ある 投資家から手紙と新しいボートの写真を受け取った。その手紙にはスタインハルトに 感謝していると書いてあった。スタインハルトのファンドの利益によって、ボートを 手に入れることができたのだという。スタインハルトの自尊心は傷つけられた。自分 は偉大なマネーマネジャーとして人々の記憶に残りたいのではない。何かほかのこと をしなければならないと感じた。

 引退後は、政治、映画の製作、芸術収集、ユダヤ人の慈善活動、園芸など、意識的 にほかのことに興味を持とうとした。また、自分の生涯についての本も執筆中である (パンローリングから近刊予定)。今いちばんの楽しみは、ニューヨーク州ベッドフ ォードの五二エーカーの庭で、一風変わった動物――ラクダ、シマウマ、ラマ、カン ガルー、サル――を飼育することである。もう政治には興味がなくなり、製作した映 画も大した利益にはならなかった。

 スタインハルトのオフィスは、五本足のメノラー(大燭台)、チャリティボック ス、トーラーのマントルなど、ユダヤ教の収集物でいっぱいである。彼自身は無神論 者であるが、これらを所有することで宗教が自分に何らかの意味を持つのではない か、と考えていた。しかし何も起こらなかった。そして、スタインハルトの関心は、 ユダヤ人の教育を促進することに向いている。また、ユダヤ人の人口――アメリカ系 ユダヤ人が永遠に途絶えることないように専心している。大きな関心事の一つとし て、Makor(ヘブライ語で「泉」という意味)が挙げられる。これはニューヨー クのウエストサイドにある文化センターで、ユダヤ人が集まる場所である。二〇〇一 年二月初めに、スタインハルトは九二番街にMakorを寄贈した。  このほかの活動として、一九九六年からニューヨーク大学投資委員会の議長を務め ている。この基金は本来「反株式」であったが、株式を見直す動きもあり、ヘッジフ ァンドにも投資をしている。

・オデッセイ・パートナーズ

 一九九七年二月、三〇億ドルの資産を有していたオデッセイ・パートナーズは資金 を顧客に返還し、一九九七年末にファンドを閉じた。レオン・レビとジャック・ナッ シュは、巨額の資産を運用したり、投資したりすることが難しくなったと語っている 54。一九八二年の設立以来、約二八%の年平均リターンを上げていた。引退時、マク ロのビジョンを持っていたレオン・リビは七一歳、トレーディングを行っていたジャ ック・ナッシュは六七歳だった。

 二人が初めて出会ったのは、一九五〇年代オッペンハイマー&カンパニーでのこと だった。後にオッペンハイマーの会長になったナッシュは、LBO(レバレッジド・ バイアウト=対象企業の資産を担保とした借入金による買収)のパイオニアであっ た。レビはオッペンハイマー・グループのパートナー、調査責任者、そしてミューチ ュアルファンドであるオッペンハイマー・グループの役員会の議長を務めていた。一 九八二年、オッペンハイマーは売却され、二人は一億六〇〇〇万ドルでオデッセイ・ パートナーズを設立した。その資金には、オッペンハイマーの売却から得た五〇〇〇 万ドルも含まれていた。プライベートなディールメーキングが、オデッセイの中心ビ ジネスとなった。

 レビとナッシュ、そしてその家族は、オデッセイ・パートナーズに約四億八〇〇〇 万ドルを投資していた。

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