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ウィザードブックシリーズ Vol.245

新装版 私は株で200万ドル儲けた 新装版 私は株で200万ドル儲けた
ブレイクアウト売買法の元祖「ボックス理論」の生い立ち

2017年1月発売/四六判
ISBN978-4-7759-7214-4 C2033
定価 本体1,500円+税

著 者 ニコラス・ダーバス
監修者 長尾慎太郎
訳 者 飯田恒夫

トレーダーズショップから送料無料でお届け
目次

多くの熱い読者からの要望で新装版で復刊!
今なお読み継がれ、今なお新しいる株式投資の名著
業界が震撼したボックス理論
個人投資家のダンサーがわずかな資金をもとに株式売買で200万ドルの資産を築いた「ボックス投資法」

株式トレーダーにオススメ本リスト

マーケットの魔術師のひとり、マーク・ミネルヴィニ氏のツイッターで、株式トレーダーにお薦めの本として、本書が紹介されました。(2020年12月27日)

 本書は、株式市場の歴史に残る最も異例で、輝かしい成功物語のひとつである。ダーバスは、株式市場の専門家ではなく、世界中を公演して回るような、ショービジネス界の世界では最も高いギャラを取るダンサーだった。しかし、株式売買の世界に足を踏み入れ、世界中から電報や郵便などの通信手段を駆使して、百万長者の数倍もの資産を築いた。

 というのも、ダーバスが悪戦苦闘の末に開発した独自の投資手法は、マーケットの上昇(強気相場)・下落(弱気相場)に関係なく通用するものであったからだ。そのうち、ダーバスが奇妙な投資手法でものすごい利益を上げているという噂がウォール街で広まり、タイム誌が彼の特集記事を組むまでになった。その後、説得されて執筆した本書は、当時、8週間で20万部近くも売れる大ベストセラーになった。

 本書に記載された会社のなかには存在しなくなったものや、取引されなくなった銘柄も多いが、それでも本書に書かれたボックス理論の信頼性に揺るぎはまったくない!

 今なお多くの投資手法に取り入れられているこの「ボックス理論」の発案者ニコラス・ダーバスという名は、多少なりともマーケットに関心のある人であれば、遅かれ早かれその名前を知ることになる伝説的人物だ。本書は、彼が投機家としてはまったくの素人だった時代から、やがてボックス理論を考案して200万ドルを稼ぐまでをつづったノンフィクションである。彼がボックス理論を発見するまでの悪戦苦闘は、投資を始めたばかりの初心者がだれでも犯す典型的な失敗の数々であるが、そこから独自の理論を考案するまでの軌跡は読者に驚きと大きなブレイクスルーをもたらすヒントとなるだろう。ダーバスが苦難を乗り越えて成功するまでの姿は、すべてのトレーダーにとって何物代えがたい、今でも新しい最高の教科書である。


著者紹介

ニコラス・ダーバス(Nicolas Darvas)
ショービジネスの世界で最もギャラの高いペアダンサー。幾多の苦労の末、マーケットの上昇や下落に関係なく通用するボックス理論を構築し、株式市場で200万ドル以上の利益を上げて資産家になった伝説の人物。

目次

(本テキストは再校時のものです)
監修者まえがき
文庫版 監修者まえがき

第1部 ギャンブラー
 第1章 カナダ株のころ

第2部 ファンダメンタリスト
 第2章 ウォール街での取引
 第3章 最初の危機

第3部 テクニカルな分析
 第4章 ボックス理論の開発
 第5章 世界を駆けめぐる電報

第4部 テクノ・ファンダメンタリスト
 第6章 弱気相場は強気相場の始まり
 第7章 効力を発揮し始めた投資理論
 第8章 最初の五〇万ドル
 第9章 二度目の危機
 第10章 二〇〇万ドル

『タイム』とのインタビュー

付録
電報/チャート/質疑応答

株式索引


監修者まえがき

 本書は、伝説の相場師ニコラス・ダーバスの著した“How I Made Two Million Dollars in the Stock Market”の邦訳である。もともと本書は二〇〇三年に出版され、その後文庫化されたものの長らく絶版となっていたが、このたび読者の要望に応えて再版されることになった。なお今回の復刻に当たっては、従来横書きであったものを縦書きとしたうえで、大きいサイズのフォントを採用し、訳出についても数多くの細かい修正を行っている。

 ところで、本書は原書が発行されてから数十年たっていることから「内容が古いのでは?」と思う方もいるだろう。そうした評価も「ボックス理論」だけに焦点を当てればあり得るかもしれない(私自身はボックス理論を古いとはまったく思わないが)。しかし、これは技術書としてではなく、むしろ投資家にとって正しいメンタルモデル(ジョンソン=レアード)を習得するための手引書として読むべきものである。ここでメンタルモデルとは、私たちが現実世界をかいつまんで理解するための認知体系を意味し、複雑な系のなかでの適応力や抗堪性はメンタルモデルの質によって決まるのである。例えば、もし科学者が今も天動説を採り、地球を平たい円盤状のものだと認識していたら、人類は大気圏外にロケットを飛ばすことは永久にできなかっただろう。この構造は金融市場においても同じである。本書には、ダーバスが「科学的」だと信じてまったく見当違いなことをする例がいくつも出てくるが、現代の投資家(機関投資家を含む)も、似非科学を信じて荒唐無稽な行為に走るという意味では、やっていることは実は大して変わらない。

 投資やトレードにおいては、メンタルモデルさえ正しければ、手持ちの技術がそれほど優れていなくても、利益を上げることができる。しかし、世界観が間違っていれば、どんなに大量のデータや情報を持ち、分析や予測を精緻に行ったとしても、それは確実に失敗するための努力をわざわざ行うことに等しい。ダーバスの功績は、ボックス理論に代表される投資戦略を編み出したことだけにあるのではなく、自らの体験を通して正しいメンタルモデルを獲得するプロセスを示したことに大きな価値がある。その意味では、本書は決して古いのではなく、常に普遍的で、いつまでも新しいと言うことができる。

 2016年12月

長尾慎太郎

文庫版 監修者まえがき

 本書『私は株で二〇〇万ドル儲けた』はパンローリングから二〇〇三年に出版された。翻訳のもとになった原書“How I Made Two Million Dollars in the Stock Market”は発刊されてから数十年がたっているが、内容は現在でもまったく色あせておらず、今なお株式投資の教科書として多くの人々に支持されている。個人的な思いをここに書けば、本書ほど優れた相場書は数えるほどしかない。

 あえて本書に匹敵する価値のある相場書といえば、『ゲイリー・スミスの短期売買入門』(パンローリング)くらいであろうか。これらは前者が成長株のモメンタム投資、後者が金融先物を中心とした短期売買というスタイルの違いがあるが、私が両書を高く評する理由は、そこに記されている売買手法の優秀さゆえにではなく、どちらも、ともに一個人投資家の現実の売買記録に基づいて書かれており、その経験を通して語られている内容が「相場を張る」ということの本質を非常によくとらえているからである。これらを超える指南書がそう簡単に出てくることはないであろう。

 さて、本書の著者ニコラス・ダーバスは伝説的な人物であり、およそ金融業界の人間に限らず、広くマーケットというものに多少なりとも関心がある人間であれば、遅かれ早かれその名を知ることになる。彼がアメリカの株式市場で成し遂げたたぐいまれなる成果とその経緯を記した本書が、長年にわたりマーケットでの成功を志す多くの人々に影響を与えてきたことは、いわゆる「マーケットの魔術師」たちが、こぞって本書を推薦図書に挙げていることからもうかがうことができる。

 ダーバスはダンスと株式相場とにかかわって波乱の人生を生きた。彼はもともとプロのダンサーとしてその才能を開花させていたが、ふとしたきっかけから株式の売買に足を踏み入れることになる。そして、素人が陥る典型的な失敗を多く繰り返し、破産の危機に瀕すること二回、ついに独自の投資手法である「ボックス理論」を編み出し、わずか一八カ月で当時の金額で二〇〇万ドルを稼ぐのである。

 彼の「ボックス理論」は当時から非常にユニークかつ先見的なもので、ウォール街の常識とことごとく反していたため、周りの人間はだれもすぐにはそれを信用しなかったという。それと同時に、彼の主張があまりに真実を突いており、それがウォール街のタブーに触れていたがために、さまざまな形で有形無形の圧力を受けることにもなった。しかし、その真価が少しずつ世に認められるにつれ評価は高まり、現在ではその理論のエッセンスは広くいろいろな投資手法に取り入れられている。それは株式の世界だけではなく、異なるアセットクラスである先物の世界での資金運用で有名な、あのタートルズが使っている手法にもその影響を見ることができる。それはダーバスの「ボックス理論」が、時間や空間を超越した高い次元での普遍性を持つことの証明である。

 本書はノンフィクションの読み物としても面白く、ダーバスが投機家として成長していく過程を読者は興味深く読まれることになるであろう。書かれてある失敗の挿話の多くは、私たちの体験と照らし合わせて身につまされるものも多く、だからこそ、彼が苦難を乗り越えて最終的に成功を果たした事実には非常に勇気づけられ、また成功のために必要だとダーバスが説く独立心と変動感覚のほかに、勇気や行動力、忍耐の何たるかをそこに学び取ることができる。

 五年前に日本で本書を刊行できたことは、後藤康徳氏をはじめ関係者一同にとって非常な名誉であったが、このたび文庫化されることになり、より多くの人に本書が読まれ、ひいてはそれが読者の成功の礎となるきっかけになれば、それは私たちにとってまた望外の幸せである。読者におかれては、この古典的名著をこころゆくまで味わっていただきたい。

 2008年3月

長尾慎太郎

■『タイム』とのインタビュー

 それは一九五九年五月のことだった。スミス兄弟からブリランドというカナダ株で出演料を支払うという申し出があってから六年半たっていた。あたかも車輪がちょうど一回転したようだった。というのも、あのときと同じようにわたしはニューヨークの「ラテンクオーター」に再び出演していたからだ。

 わたしの株式市場での取引ぶりが、どういうわけかウォール街で人のうわさに上るようになった。わたしが成功したという話がもれて、次第に広がっていたのだ。

 ある日、驚いたことにタイム誌の経済部から電話がかかってきた。株式市場でわたしが成功したことを小耳にはさんだが、インタビューのために記者を送ってよいかという話だった。

 翌日、記者がやってきたので、わたしは財産づくりの一部始終を語った。記者に帳簿や取引明細書、電報を見せてやった。彼はその資料を入念に調べたうえで、わたしの話に非常に感心したと言って帰っていった。

 その翌日、その記者がまた戻ってきて、スタッフの経済専門家が非常に懐疑的で、わたしの話が本当であるわけはないと主張していると言う。

 そう聞いても特に驚かなかったので、記者にもう一度事実を示す書類や数字を見せた。彼は五〜六時間かけて調べ、帰っていくときにはすべての資料が正確だと納得したようだった。

 やがて分かったのだが、これはタイム社内での論戦のほんの幕開けにすぎなかった。翌朝、その記者が昼食を一緒にしないかと誘いの電話をかけてきた。約束の三〇分前に再び彼から電話があって、編集主任が同席するという。主任が自分の耳でわたしの話の真偽をチェックしたいそうだ。

 二人は一時に昼食の席に現れた。もう一度、わたしは投資の経緯を逐一説明した。主任は熱心に耳を傾けるあまり、テーブルの上の食事に手をつけないままだった。

 午後四時を回り、話をすべて聞き終わったあと、やっと彼はサンドイッチをほおばった。五時になると、彼は記者と一緒に帰っていった。何も言わなかったが、明らかに彼も感心したようだった。あれだけ人の話に興味を示す人物に会ったのは初めてだった。

 その日の夕方六時に、また電話があった。今度はタイムのウォール街の専門記者からだった。彼の話では、三人の編集スタッフがわたしにインタビューしたうえで、すべての事実をチェックして、全員がそろって検証したあとでなければ、編集局長がわたしに関する記事の掲載を認めないと言っているそうだ。非常に驚いたことに、局長はわたしのダンス公演をぜひ見ろと言ったという。

 どうやら、局長はわたしの株式市場での成功を疑問視しただけでなく、何とダンスだってろくに踊れないだろうと思っているようだった!

 午後七時、三人目の専門記者が尋ねてきた。最初、彼はわたしが話したことのすべてが、そして投資活動に関してわたしがそろえたすべての証拠書類が信じられないというように首を振っていた。彼はあらゆることを疑ってかかろうと決めていたようだ。

 ジュリアとわたしが舞台で演じると、彼はわたしたちのダンスに感心したようだった。少なくとも、これで関門はひとつ越えた!

 もうこれで三日間にわたって反対尋問を受けてきたので、いささか神経が参っていた。そのために自分の踊りが絶好調ではないことに気づいており、舞台の最後のほうでパートナーを持ち上げる力仕事の最中に右腕の筋肉をひどく痛めてしまった。だが、何とか舞台を終えることができた。

 ウォール街の専門記者と向かい合って投資に関するこまごまとした厳しい質問を受けている間も、腕はひどく痛んだ。

 質問は延々と――数時間も続いた。彼の質問はいつも同じところに戻ってきた。それは、なぜわたしが株式投資についてこれほど包み隠さずにしゃべるのかということだった。

 自分のやり遂げたことを誇りに思うからだ、とわたしは答えた。何も隠すことはないと思った。

 もう真夜中を過ぎていたが、それまで長時間を費やしたにもかかわらず、“尋問官”は一切の飲み物を断った。彼は、わたしのシステムや記録に何か欠点がないか探し出すために頭を冴えた状態にしておきたいのだ、と正直に認めた。

 午前二時、彼はボールペンを投げ出した。

 「一杯やりましょう」と彼は言った。最後の疑問も氷解し、彼は納得した。記者はグラスを高く上げて、わたしの株式市場での成功に乾杯してくれた。

 彼は午前四時に帰っていったが、その前にわたしにアドバイスを求めた。わたしは、株価が三九?ドルになったらという条件付きで、ある銘柄の買いを勧めた。そして、ストップロスを三八?ドルに置くように忠告した。この銘柄は、結局三九?ドルまで値上がりしなかった。彼はわたしの付けた条件を無視して、もっと安い価格で買うようなことをしなかっただろうか? そうでないことをわたしは願った。この株はその後、二二ドルまで値下がりしたのだ!

 翌週、わたしの記事がタイムに掲載された。言うまでもなく、同誌は非常に影響力の大きい読者層を持っており、特に金融界ではそうだった。その結果、わたしは正統派ではないにしても、株式市場で非常に成功した投資家として、大方の――無論すべてではない――金融界の専門家たちに認められた。それでこの本を書くことになったのだ。

 もうひとつの結末は、筋肉をひどく痛めたことだった。ある医者は、ダンス公演を完全に断念しなければならないだろうと診断した。その医者は、わたしが二度とパートナーを持ち上げることができるかどうか疑問だと考えたのだ。

 二週間後、わたしは舞台に立っていつものとおり公演をした。その後もずっと同じ公演を続けている。ウォール街の専門家と同じく、専門医でも時には間違いを犯すものだということを実証するかのように。


参考文献


「株で200万ドル儲けたボックス理論」の原理原則

金融市場はカジノ

リバモアの株式投資術

新高値ブレイクの成長株投資法

オニールの成長株発掘法

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