私たちは、モノゴトがうまくいかない原因は外部の世界にあると思いがちだ。お金がないとか上司に恵まれていないとか運が悪いとか。しかし実際は私たちの内に潜むエゴこそが、最大の障壁なのである。ここで言うエゴとは誰の心にも存在する、自信や才能と呼べる範囲を越えた過剰な優越感や思い上がりのことである。「自分は特別だ」「自分だけは違う」という思い込みや、「誰よりも認められたい」という欲求は誰しもがもっている。
エゴはいつでも出番を待っている。私たちが社会に飛び出し夢を追いかけているころには教養や知遇を得るのを妨害し、成功にやっとたどり着いたときには、自分の欠点や今後の課題にフタをして見えなくしてしまう。そして失敗するとその精神的打撃をことさら誇張し、間違った方向へと誘導して問題の解決を遅らせる。エゴの甘いささやきは心地よい。しかしそれに酔ってしまうと、人生は思わぬ方向へと進路を変える。エゴは人生の落とし穴だ。その穴に落ちないためにどうすればよいか。
たとえば、最高権力者の地位にありながら自分を抑制できず失脚したニクソン元大統領、そして映画『バック トゥ ザ フーチャー』に登場する車型タイムマシーンのベースとなった車を製造したデロリアンなど、皆エゴの餌食となって落ちていった。
その一方で、つぶれかけた会社を救ったワシントンポスト紙のキャサリン・グラハムや黒人初の大リーガーとなったジャッキー・ロビンソン、さらに現ドイツ首相のアンゲラ・メルケルなどは、己のエゴを抑え、ひたすら大きな目標に向かってまい進した。
彼らがまったくエゴと無縁だったわけではない。彼らはむくむくと起き上がってくるエゴを抑え込み、もっと高い目標へ、違う感情へと昇華させるすべを知っていた。彼らは並外れた才能に恵まれていたのではなく、並外れた自制心・謙虚さを備えていたのである。
傑出した才能は私たちにはないが、本書を読むことで自身のエゴに気づき、そのエゴを排除する方法を学ぶことができる。そして自制心や謙虚さを習得できれば、仕事だけでなく人生の成功への足がかりをつかむことができるだろう。
前作と同様、ギリシャ哲学ストア派や先人たち、あるいは現場から生まれた金言が泉のように随所に登場する。若くして成功を収めた著者ライアン・ホリデイの衝撃的な実体験も、現実味と臨場感をもって訴えてくる。
編集部の声
本書を読み始めるとイヤでもある感情の波に襲われる。恥ずかしさである。一人で編集作業を進めながら赤面している。本書で示されるエゴというものが、実は日々の生活のなかで頻繁に現れていたことに気づき、誰に対してではなく、自分自身に対して恥じる気持ちが生まれてくる。それはそうだ。エゴは他人に話しかけるのではなく、私自身に話しかけてくるのだから。このエゴとのやり取りは自分しか知らないのだから……。
「己を知ることで、まず生まれてくるのは謙虚さだ」とアメリカの作家フラナリー・オコナーが言っている。己を本当に知ることによって、謙虚さが生まれエゴに打ち勝つことができる……と。
そうであるなら、本書を読みながら赤面した私は、自分を本当に知り始めたということだろうか。そして自身のエゴに向き合い始めたということだろうか。少なくともそうありたいと願う。
エゴの心地よいささやきに耳を傾けいい気になっていると、現実から大きなしっぺ返しを食らう。『お前はだれよりもスゴイ』と言われたはずなのに、実際にはそう評価されない。もし他者からの評価がないことを憤るなら、それはすっかりエゴに支配されている証拠だ。私は他者に憤ることはないが葛藤が生まれる。そして落ち込む。もしエゴを排除できていれば? この苦しみは生まれてこないはずだ。謙虚に自身の実力と向き合い、前向きな気持ちで努力をつづけるだろう。理論上はそうなる。果たして現実はどうだろうか。
前作『苦境を好機にかえる法則』で正しいものの見方を知ったあとは、明らかに苦しいと感じることが激減したが、本書を読んだあとでは猛烈な自省の念に襲われ、自己嫌悪にも陥った。が、すぐに新たな感情が湧き上がってくる。
それは、絶対にエゴの誘惑を振り切ってやろう! という清々しいほどの対決姿勢だ。それらをすべて振り切ることはできないが、そこに気づいたことこそが私にとって貴重な財産だと思う。近い将来、バージョンアップした自分に出会えるのが楽しみだ。