2013年6月発売/四六判 438頁
ISBN978-4-7759-7174-1 C2033
定価 本体3,800円+税
著 者 ベンジャミン・グレアム
編 者 ジェイソン・ツバイク、ロドニー・N・サリバン
監修者 長尾慎太郎
訳 者 和田真範
日本経済新聞に書評が掲載されました8月4日付の日本経済新聞読書欄に『グレアムからの手紙』が掲載されました。
記事を拡大する 「今日から見れば、古風で慎重すぎる部分も少なくない。しかし、利益と株価の関係など繰り返し確認されるべき論点を多く含み、投資の初心者が基礎を徹底的に学ぶために読みたい一冊だ」
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また、私たちが今日認識しているような証券安全アナリストは存在せず、当時のア ナリストは「診断医」などと呼ばれていたが、それほど分析らしいことはしていなか った。当時の投資家はマーケットの「雰囲気」に合わせることを重視し、その多くは 財務諸表に目を通すことなどほとんどなかった。
客観的な事実の調査や分析が欠落していることに愕然としたベンジャミン・グレア ムは、これらを一変することを決意し、そしてついには現代の証券安全分析の礎を文 字どおり創造することとなった。
本書は、ファイナンスの分野において歴史上最も卓越した洞察力を有した人物のひ とりであるグレアムの半世紀にわたる証券安全分析のアイデアの進化を示す貴重な論 文やインタビューのコレクションである。
「もしも若さというものが、創造力、新しいアイデアに対する興奮、学ぶことへの渇 望などを基準に測ることができるならば、多くの輝かしい実績を持つ優れた投資家の 中でも、ベンジャミン・グレアムは、たとえ彼が80歳代前半であったとしても、その なかで最も若いという結果になるだろう」――チャールズ・D・エリス(CFA、『敗者 のゲーム』の著者)
「30年以上にわたる文献を集めた本書は、この先見の明のある人物の並はずれた業績 と連綿と続くファイナンスの世界におけるその影響力についてわれわれの理解をさら に深めてくれる」――バートン・マルキール(『ウォール街のランダムウォーク』著者)
「投資とは、ファンダメンタルズ、心理、価格の3点を総合させた知的な行為であ る。本書は、伝説的投資家がこの多次元的な挑戦についてどれほど考え続けていたの かについて、実に鮮やかに描かれている」――セス・クラーマン(バウポストグループ)
「投資ビジネスに従事する真剣なプロフェッショナルであれば、本書を読むことで楽 しみながら自らの投資に対する考え方をその道の達人の思考に照らして確認すること ができるだろう」――ジェフリー・J・ディアメイヤー(CFA、ディアメイヤー財団、 前CFA協会会長兼CEO)
「本書は、われわれのビジネスの歴史と発展、そして投資に対するクリティカルな思 考の重要性に関心があるすべての人にとっての必読書だ」――ゲーリー・P・ブリン ソン(CFA、GPブリンソン・インベストメンツ)
「一部の(幸運な)投資家は、グレアムの著作が財務分析に関する優位性を与えてく れることを知っている。だから、彼らは本書を読みたいと思うだろうし、ほかの投資 家も読むべきである」――ジーン・マリー・イベイラード(ファーストイーグルファ ンド)
「CFA協会とジェイソン・ツバイクは、グレアム自身による過去の貴重な『文献』を1 冊にまとめ、われわれの業界に対して掛け替えのない貢献を果たしてくれた」――ウ ィリアム・H・ミラー(CFA、レッグメイソン・キャピタルマネジメント)
ロドニー・N・サリバン(Rodney N. Sullivan)
CFA(CFA協会認定証券アナリスト)、CFA協会の出版責任者であり、フィナンシャル・
アナリスツ・ジャーナルのほか、多く刊行物にかかわる。なお、トリゴン・ヘルスケ
ア社(現アンセム・ヘルスケア社)の調査部長、アリス・コーポレーション社のシニ
アポートフォリオアナリストとしての経験もある。バージニア州シャーロッツビル在住。
原書 Benjamin Graham, Building a Profession : The Early Writings of the Father of Security Analysis by Benjamin Graham, edited by Jason Zweig and Rodney N. Sullivan |
監修者まえがき 序文 まえがき
第1部 證券分析の基礎を築く
第2部 證券分析を定義する
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第3部 證券分析の領域を広げる 第13章 一九四七年 株主と経営陣の関係についての質問リスト 第14章 一九五四年 企業利益への二重課税を軽減する方法はあるのか 第15章 一九五三年 外部株主に対する統制 第16章 一九五一年 戦時下の経済と株式価値 第17章 一九五五年 完全雇用の実現にのしかかる構造的問題 第18章 一九六二年 米国の国際収支――「沈黙の共謀」
第4部 證券分析の未来を考える
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さて、よく知られているように、グレアムが一生涯かけて取り組んだのは投資対象としての有価証券の分析である。そして、その方法論として提唱したのが、有価証券が持つ本来の価値を正確に把握し、それを市場価格と比較して投資の安全域を見極める“security analysis”であった。したがって、グレアムの方法論を解説した最初の著書である“Security Analysis”は、その内容から言っても、英語本来の意味から言っても、適切な訳語としては「安全分析」とすべきである。だが、初版が日本で翻訳された際に、なぜか「証券分析」と誤訳されてしまったのである(注 もし“securities analysis”と複数形ならば、当然「証券分析」が適切である)。
だが、この誤訳は当初はまんざら見当外れなわけではなかった。なぜなら方法論としては「安全分析」だが、行為としては証券の分析をしていることには間違いないし、当時は客観的な基準を用いて証券の分析を行うには「安全分析」しか選択肢がなかったわけであるから、実際には、近似的に「証券分析」≒「安全分析」と言ってもよかったのである。
しかし、その後、証券の分析における一般的な方法論が著しく変化したことで、不幸な結果が生まれることになった。現在の「証券分析」は、現代投資理論やデリバティブの評価などを含む複雑な体系へと進化しており、それは証券投資の安全性評価をコンテンツの一部に含むものの、総体としてはグレアムの“security analysis”とは似て非なるものである。だが、先に上げた訳語が人口に膾炙してしまったために、後世の人々のほとんどは、グレアムの“security analysis”を現在の「証券分析」の旧版だと混同してしまっているのである。
こうしてグレアムの“security analysis(以下、安全分析)”の考え方は日本ではいつの間にか忘れ去られ、昨今は省みられることはほとんどなくなってしまった。通常、金融機関に勤務する者は有価証券の分析にあたり、方法論としての「証券分析」を学ぶが、安全分析については体系的に学ぶことはおろか大多数はその存在さえ知らない。結果として安全分析のアプローチで資産運用を行う運用会社は日本には存在しないし、真にそれを使える金融プロフェッショナルもいない。まことに惜しまれることである。
一方で、米国においては少し事情が異なる。グレアムがそこで教え、ウォーレン・バフェットが学んだコロンビア大学のビジネススクールの講座は、その後も後継者によって安全分析の課程が受け継がれており、一貫して優れた金融プロフェッショナルを輩出してきた。また安全分析は今でも優れた分析手法であるとして社会的に認知されており、現に私の知るバリュー投資で極めて評価の高いある運用会社は、ここの修了生からしかファンドマネージャーを採用していない。なお、彼らの運用するファンドのパフォーマンスは極めて優秀である。それが偶然の産物ではないことは、グレアムの一番弟子であったバフェットの経営するバークシャー・ハサウェイのトラックレコードがほかの事業会社のそれを圧倒的に凌駕していることを見れば一目瞭然である。
はるか昔、“Security Analysis”が『証券分析』と訳出されたことが遠因で、今ではグレアムの功績と安全分析の存在が日本でまったく無視されている事実は、その意義を少しだけでも知る者としては残念でならない。今回本書を翻訳するにあたり、“security analysis”を本来の「安全分析」と訳し直すことも検討したが、『証券分析』の名があまりにも一般に定着していて、かえって混乱を引き起こす懸念があった。一方で本書では、今日見られるような「証券分析」の概念が安全分析とは趣の異なるものとして登場しており、両者を区別する必要もあったのである。
このため本書では、書名の”Security Analysis”を従来どおり『証券分析』としたことを除き、“security analysis”を旧字体の「證券分析」と訳出した。また、“financial analysis”は新字体の「証券分析」として整合性を確保した。この点どうか了解いただきたい。
本書をきっかけに、日本においても安全分析の価値が再認識され、実務で広く使われるようになる未来とその影響を想像するのはまことに楽しいものだ。私の知るかぎり、バリュー投資の枠内にとどまらず、株式の長期投資においては、安全分析によるアプローチが最も優れた運用手法である。それには必然性と理論的背景があるのだが、その詳細については別に機会があれば改めて書きたい。ここでは読者の方々が本書でグレアムからの手紙を堪能されることを願うものである。
翻訳に当たっては以下の方々に心から感謝の意を表したい。翻訳者の和田真範氏はその深い専門知識と幅広い経験を生かして丁寧な翻訳を実現してくださった。そして阿部達郎氏にはいつもながら丁寧な編集・校正を行っていただいた。また本書が発行される機会を得たのはパンローリング社社長の後藤康徳氏のおかげである。
2013年6月長尾慎太郎
一九三二年から一九七六年に及ぶ、グレアム自身の考えの進化を通して、私たちは、いかに証券分析が、文字どおり家内工業的職業から専門的職業として進化してきたのかを確かめることができる。グレアムは、荒涼とした時代において、言わば株主の権利を訴える声なき声であった。彼は強気相場の危険性を警告し、弱気相場においては投資機会の到来を宣言する指導者であった。彼はまた、株式の新たな評価方法を模索するために心血を注ぎ、證券分析における科学的な手法の強固な基盤を築くことを決心していた深遠なる思想家でもあった。さらに、彼はそのビジネス人生において、常に自身よりも顧客の利益を優先する誠実さや真摯さのモデルとされた存在でもあった。
本書に収められている文献の数々は、単にグレアムが證券分析を専門的職業として確立させただけの物語にとどまらない。證券分析の確立を優先課題の中心に据えていた、当時のグレアムの心のありようを描いている。
これまでの何十年にもわたって、評論家たちは些細な点をあげつらいながら、グレアムは現実離れしていて、陳腐で見当違いであるなどとあら探しを行ってきた。こうした重箱の隅をつつくことが好きな連中が見落としているのは、シェークスピアやガリレオやリンカーンなどの偉人に対しても生じた時間の経過による影響について考慮していないこと――つまり、彼らの偉大な功績の数々は、時がたつにつれて次々と明らかになったという事実である。いまだかつて、證券分析という分野において、知性、バランス感覚、熟達した文章表現、心理学的知見や献身ぶりについて、グレアムの右に出る者はいない。今日、彼の重要性は、かつてないほどに高まっている。もしより多くの投資家がグレアムの言葉を真剣に受け止めていたら、インタネットバブルやリーマン・ショックに伴う金融危機によってこれほど壊滅的な状況に陥ることはなかったことを否定できるものはいないであろう。
財務分析の世界において、確かなことはほとんどないが、一つ言えることがある。この先の時代、今後数十年にもわたって、ベンジャミン・グレアムは今日以上に必要不可欠な存在とみなされていくことであろうことだ。
さあ、本書を読み進めて、その理由をご覧あれ。
ジェイソン・ツバイク
エマーソンは、偉大な組織は一人の精力的な活動家によって創造されることを理解していた。並はずれた才能を持つ者は、いつもと同じ世界をまったく新しい観点から見て、先見の明と共に頭の中にまだ見ぬ楼閣を築き、ある種の頑固さを持って、一つ一つ、その未知の楼閣の基礎部分を構築していくのである。
もしベンジャミン・グレアムが証券分析を専門的職業として確立していなかったとしても、恐らくほかのだれかが同じこと実行したであろう。しかし、確信は持てない。かつて、米国で最も影響力のあるアナリストの一人であるルシエン・フーパーがグレアムの主張に対して、證券アナリストの倫理、知的誠実さ、優位性に役立たない「不要な形式主義」であると異議を唱えた。最初の証券アナリストの登録は、一九六三年までさかのぼる。グレアムが公式の基準を確立してから二〇年以上もたっている。これを新生児が大学を卒業するまでの時間ととらえれば、グレアムがいかに長きにわたって、忍耐強く、証券分析を正式な専門的職業としてまとめ上げるという考えを育んできたのか想像に難くない。
数十年もの介入を通じて、グレアムは彼の同僚に有価証券の分析と評価は科学的な手法に裏づけられ、かつ体系化されて再現性のある過程をもってなされるべきであることを認めさせようと強く働きかけていた。また、証券分析は、最高水準の倫理的行動をもってなされるべきとの立場を強くとっていた。
ベンジャミン・グレアムがウォール街にやってきた一九一四年、彼には経験も資金も立派な資格もなかった。経済学を専門に学んだこともなかったが、彼には「資産」があった。並はずれたエネルギー、数学と哲学の深い教養、非凡な文才やビジネスは公正かつ誠実に実行されるべきとする情熱的信念、そして投資業界における最も鋭敏で強靭な精神を持つ人物の一人であったことである。
グレアムは後に、自らの思考法を「探究的であり、内省的であり、批判的である」と表現している。彼はまた、問題の重要な点に関する強い本能――本質的でないことに時間を割くことを避ける能力――を持っていた。実務的な事柄に集中し、物事を完結させ、解決策を探し出し、とりわけ新しいアプローチや手法を考案することに対する強い欲求などを持ち合わせていた。グレアムの最も著名な教え子であるウォーレン・バフェットはグレアムの精神性を簡潔に二語で表現している「とてつもなく、合理的(terribly rational)」。
グレアムは若干二〇歳にして、ウォール街にやってきた。彼は大学を普通に卒業したわけではなく、飛び級で修了したのであった。グレアムはコロンビア大学に一六歳で入学し、学士課程を三年半で終え、一学期分を大学を抜け出して輸送会社の業務調査に充てた。首席で卒業する一カ月前に、グレアムは数学、哲学、そして英語の三つの学部から教員の職の申し出を受けたのであった。
しかし、彼はそれらの申し出を断り、代わりに学部長より勧められた週給一二ドルのニューバーガー・ヘンダーソン・アンド・ロエブの雑用係の仕事を選んだ。グレアムは、瞬く間に一〇〇以上もの債券発行に関する関連事項の詳細を記憶し、すぐに主要な鉄道会社や事業会社の財務諸表の分析に取り掛かった。間もなく、後の證券アナリストである「統計担当者」に昇格した。
一九一四年当時のウォール街は、法的統制がなく混沌としていた。ルールがなく、倫理は緩慢であり、企業から情報収集することはライオンの足からトゲを抜くように困難であった。FRB(連邦準備制度理事会)は発足一年足らずであり、一九一一年に最初の「ブルースカイ法」(証券取引法)がカンザスで発効され、株式公開に際して事前に投資リスクに関する基本的な情報開示が要請されたところであった。いまだにSEC(証券取引委員会)はなく、企業による財務諸表の公表は散発的な間隔で行われるのみであり、投資家が企業の年次報告書を閲覧できるのはNYSE(ニーヨーク証券取引所)の図書館のみであることがほとんどであった。外部投資家による調査を妨害するために、同族企業は財務情報を隠したり、会計上の粉飾、さらには意図的な無視などが行われることもあった。
このような状況において、「統計担当者」たちは次第に己の技能を科学というよりも芸術と考えるようになっていった。彼らの多くは債券に忠実に、長期トレンドの厳格な評価が重視され、株式の世界に足を踏み入れる者すら、財務諸表分析を仕事の基礎として考えることはほとんどなかった。「財務数値が完全に無視されていたわけではない。ただ、表面的に見るだけで注意深いものではなかった」とグレアムは振り返る。代わりに、売買を執行する者であるトレーダーが最も重要であるとされていた。インサイダー情報に基づく売買が禁じられる何年も前、買収や合併の事前情報はトレーダーたちの手っ取り早い儲けのタネとなっていた。シカゴの家畜飼育場での口蹄疫やウクライナの小麦農場の凶作などの噂話は投機家に株式やオプション価格の急騰を促した。グレアムは回想する。「当時のウォール街のプレーヤーにとって、無味乾燥な分析などに取り組むのはバカバカしいことであり、価格を変動させる決定的要因はまったく別の要素であると考えられていた。それらのすべては極めて人間らしい理由であるが」
これらの理由から、グレアムの時代のアナリストは、自らを「診断医」と考えており、自らの人脈や直感を使って、市場の「雰囲気」を判断していた。彼らは、偉大な心理学者ポール・ミールが後に「臨床的判断」と呼んだ行為のように、株式をその瞬間の状況で評価し、彼らがユニークであるとみなした主観的な要素を強調し、それらを取り巻く市場トレンドに関連させて将来の価格の動きを予測した。
アナリストたちは、こういった一連の判断には豊かな感性、勤勉さ、技能が必要であるとの考えに誇りを抱いていた。しかし、その判断の質に関する信念は幻想そのものであった。多くの統計担当者について、「彼らはそうした経験によって自らの知性を貶めていた」とグレアムは言う。彼らはだれかに電話をかけては、彼らの手法の正しさを確認しようとしていた。あらゆる場合において、彼らは不可抗力のせいにした。市場の気まぐれさ、世界政治の動き、モルガン家、ロックフェラー家、バンダービルト家といった巨大な力を持つ一族など、である。
アナリストたちが行わなかったことは、彼らの定性的な判断について定量的なアプローチを用いて妥当性を自問しなかったことである。こういった主観的な証券分析は、時間と共に、割安なものと割高なものとを確実に区別することができるのであろうか、と。
グレアムの答えは、初期のころから、断固として「ノー」であった。こうして彼は、財務分析をより強固な基盤とすべく取り掛かったのである。市場心理の度合いを把握したり、だれよりも早く噂話を嗅ぎつけることで株価を予測をする代わりに、グレアムは企業の資産、負債、収益、配当などを丹念に調べたのだ。占星術師があふれる世界にあって、一人の天文学者が定量的データを使って立証責任を真っ向から負うような状況であった。
グレアムは、より基本的な手法によって、これまでの伝統的な慣習と決別したのである。ウォール街では、長らく「投資」と「投機」とは明確に一線を画していた。投資家とは、何よりも安定的に一律の収益を得ることに留意する者(厳格な契約条項や確実な資産によって元本価値が毀損しないように担保された債券によってのみ提供されうる収益を受ける者)であり、一方、投機家とは、市場価格の大きな変動によりキャッシュを手にすることに関心がある者(当時のように比較的金利が安定していた時代においては、単純に株式投資に興じる者)とされた。つまり、投資家とは、元本価値を変動から守ることを何より重視する者であり、投機家とは、元本を価格変動にさらすことが重要であるとした者であった。
このように、一般的には債券こそが投資家にとっての適切な領域であり、株式は投機家の生息地にすぎなかった。一九二四年にエドガー・ローレンス・スミスが著作『長期投資としての普通株(Common Stocks as Lomg-Term Investments)』を出版したが、彼は意図的にその刺激的なタイトルで世間に一石を投じた。当時は、まともな人間の間では、株式を投資対象と考える者はほとんど存在しなかった(世間では、「紳士は債券を好む」や「安定収益を得るなら債券投資、一発当てるなら株式投資」などの表現が流行していた)。一九三一年の大恐慌後、スミスの主張は木端微塵に打ち砕かれ、ローレンス・チェンバレイン著のベストセラー『投資と投機(Investment and Speculation)』においても、債券のみが投資であるとの主張がなされた。つまり、株式は本質的に投機である、と。
債券アナリストとして仕事を始めて、徐々に株式に心引かれるようになっていったグレアムは、当時支配的であったこうした見方は、多分に単純化されすぎた怠惰な考えであると感じていた。彼は、こうした債券のみが投資で、株式は投機であるといった考え方に業を煮やしていた。一九三四年、「資産も収益力も有していない企業の債券は、そうした企業の株式とまったく同様に価値がないのだ」とグレアムは声高に主張した。「ただ単に、債券がより安全な投資であるとした伝統的な考え方によっているのみで、投資収益を限定することによって、損失に対する保証を得ているといったことを信じ込まされているのである」
グレアムは、株式の根源的な価値は、ただ単純に株式が債券よりも企業の資産に対する請求権が劣後するということのみで無視されるべきではなく、債券がただ元本の返済が約束されていること自体は、その市場価格とは関係がないといったことを理解していた。
投資家と投機家とを区別するものを、グレアムは彼らが何を買うのかではなく、どのようにしてそれを選ぶのかが重要であると主張した。ある価格においては、どの有価証券も投機になり得るし、別のより安い価格においてはそれは投資と考えられるというのだ。また、別々の人間の管理下にある場合、同じ有価証券でも、さらに同じ価格であっても、投資にも投機にもなり得るのであり、それは彼らがどの程度その証券を理解し、どれほど誠実に自らの限界を認識しているかによるものである。一九二九年の大暴落によって、心に大きな痛手を負っている多くの大衆に対して、グレアムは企業合併の際の裁定取引といったトレードであっても、必ずしも投機ということにはならないと主張した。適切な見地から正当に分析を行ったのであれば、それは投資と呼んでしかるべきであると。財務アナリストの職務とは、その有価証券の種類や形態にかかわらず、投資家として考えることにあると、グレアムは提言する。
すべての資産運用者が入口のドアに刻み込むべき不朽の名言としてグレアムは以下のように述べている――「投資とは、詳細な分析に基づき、元本の安全性を確保しながら、適正な収益を得るような行動である。これらの条件を満たさない行動はすなわち投機である」。
グレアムは、厳格な論理を用いて彼自身の言葉を定義している。それらには、または、もしくは、といった言葉は存在しない。分析は詳細でなければならず、安全とは確実なものであり、収益は適正でなければならない。詳細な分析とは、グレアムによれば、「実証された安全性や価値の基準を踏まえた事実の調査」としている。安全性とは、「通常及び合理的に考え得る状況および変動する場合に想定される損失に対する保全」を意味し、適正な収益とは、「投資家が合理的な知性をもって行動した前提において、たとえ低いものとしても、自ら許容しうる収益率または額」としている。
グレアムは、まさに強烈な一撃をもって、投資としての債券、投機としての株式という、誤った二項対立の構図を打ち砕いたのである。債券は投機になり得るし、しっかりと安全性を確認した株式は十分に投資となるのである。アナリストの職分というものは、それらをどちらであるのかを決定するもの――有価証券の種類や形態にかかわらず、その質や価値に対する価格によるのである、と。
そして、その質とは定量的に定義できなければならない。グレアムは、厳格な規律のもとに科学的手法を用いることが不可欠である有価証券の評価という難題を解決するのには理想的な人物であった。彼の愛するユークリッド幾何学や微積分学――彼は二三歳のときに『アメリカン・マスマティカル・マンスリー』誌において積分に関する論文を発表している――こうしたことは彼の論理の整然さや哲学に精通していることを示唆している。
時代背景もまた、適切であった。一九二七年、アルフレッド・コールズは株式の収益や市場予測に関する大量のデータを蓄積し始め、これが後のシカゴ大学の証券価格調査センター設立への試金石となったのである。さらに、フレデリック・マコーレーは債券のデュレーション(平均回収期間)の数学的研究に没頭していた。一九三四年後期、グレアムとデビッド・ドッドの共著『証券分析』第1版(パンローリング)の出版の数カ月後に、哲学者カール・R・ポパーが名著『科学的発見の論理』(恒星社厚生閣)の初版を出版した。さらには、高名な数学者であり哲学者であるアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルが社会のあらゆる階層に対して、新たな教義の如く、科学的手法を活用する美徳を広く説いていたところでもあった。
一九三一年にラッセルは以下のように記している。「科学的法則に到達するには、大きく三つの段階がある。一つ目は、重要な事実を観察すること。二つ目には、もしそれが真実であればこの事実を説明しうるような仮説に辿りつくこと。そして、三つ目に、この仮説から推定される結論を導きだすことである」。さらにラッセルが付け加えるには、「科学的技法の最も本質的な特質は、それは実験によって導き出されるものである。けっして、伝統ではなく」。
そして、グレアムは株式市場を世界でもっとも巨大で活発な実験室として、まさに思いのままに謳歌した。彼にはそれが分かっていた。実際に、『証券分析』の第一章の二行目の文章のなかで、株式と債券の価値を判断する過程は「科学的手法そのもの」であるとの根本的な宣言を行っている。
グレアムは、科学的技法によって理論武装し、株式市場に真っ向から取り組み、その衝突のなかでそれまで伝統的考えは瞬く間に落ちぶれていった。分析は科学というよりも芸術であるとした、かつての古い考え方を葬ったのである。
ごく手短に言えば、グレアムは使命を見つけてそれを全うしたのである。その後彼に続くすべての投資家のために。
ジェイソン・ツバイク
●18ページ6行目
●18ページ9行目
●18ページ10行目
●18ページ11行目
●18ページ16行目
以上の6カ所に間違いがありました。訂正してお詫びします。序文
本書の目的は、証券分析に関してグレアム自身が過去に寄稿した数々の文献を、はじめて一冊の書としてまとめることにある。また、本書は二〇〇九年出版されたグレアムおよびドッドの大著『証券分析』第六版の手引書として活用することにも役立つことであろう。
著者まえがき
グレアムの死後三〇年以上、彼が証券分析は科学的であり、かつ専門的職業として確立すべきであるとした革新的な提言を世に問い始めて六五年もの年月が過ぎているが、ベンジャミン・グレアムは今なお、燦然とその輝きを放っている。彼は、米国の思想家ラルフ・ワルド・エマーソンの格言である「全体というのは、一個人の拡大された影である」の非凡な例である。一三五カ国における約九万人のCFA(CFA協会認定証券アナリスト)資格保有者および資格取得を目指す二〇万人もの生徒たちは、グレアムの思考の力強さと彼の存在の偉大さを示す生ける証人と言えるであろう。
訂正とお詫び
●17ページ6行目
「ただ単に、債券がより證券な投資である〜〜」は「ただ単に、債券がより安全な投資である〜〜」
「元本の證券性を確保しながら」は「元本の安全性を確保しながら」
「證券とは確実なものであり」は、「安全とは確実なものであり」
「実証された證券性」は「実証された安全性」
「證券性とは」は「安全性とは」
「しっかりと證券性を」は「しっかりと安全性を」
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