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ウィザードブックシリーズ Vol.259

逆張り投資家サム・ゼル 5000億円儲けた「墓場のダンサー」 逆張り投資家サム・ゼル
5000億円儲けた「墓場のダンサー」

著 者 サム・ゼル
監修者 長尾慎太郎
訳 者 井田京子

2018年1月発売
定価 本体1,800円+税
四六判 並製 334頁
ISBN978-4-7759-7228-1 C2033

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目次日本語版に寄せて第10章

不動産投資からスタートし、その後は多岐にわたる投資・起業で、
米フォーブス長者番付に名を連ねる!

日本語版を手にするサム・ゼル氏
日本語版を手にする著者

掲載されました

経営者向け雑誌『経済界』2018年5月号にて、本書が紹介されました。
『経済界』2018年5月号 『経済界』2018年5月号

「仕事と人生に役立つ良書」を1日1冊厳選して紹介するビジネスブックマラソン(BBM)にて、本書が紹介されました。

”読んでいてシビれる投資哲学に、強烈なエピソード。これはもう読むしかありません”

(土井英司様)

「日経ヴェリタス」2018年2月18日〜24日号、61面「けいざいを読み解〜くこの一冊」に”伝説の逆張り投資家に学ぶ「人生の相場観」”として掲載されました。
「私はぶっきらぼうに見えるかもしれない。自分でもそれは分かっている。それに気が短いときもある。私はもともとせっかちなのだ。そうでない人が大勢いることが理解できない。ただ、小さいころから自分がみんなとは根本的に違う見方をしていることには気づいていた。そして、いつも自分が本物だと信じるものを売買してきた。それが、みんなから外れていても(たいていはそうだ)、たとえ、私ひとりになってもだ」――サム・ゼル

米ビジネス界で不思議な魅力を持った一匹狼の起業家

 たたき上げの億万長者のサム・ゼルは、常に人が見ていないところに目を向ける。中学生のころはクラスメートにプレイボーイ誌を高く売りつけ、大人になると暴落後の不動産を安く買い、長期的な価値があっても地味な業界に投資してきた彼は、需給トレンドに大胆に賭けて先行者利益をつかんできた。彼は、難解な法律から、アブダビの砂漠会議まで、どんなところでもチャンスを見つける。

 ゼルはよく「みんなが左に行くときは、右を見ろ」と言っている。彼にとって、社会通念は基準ではない。毎年、取引を重ねるほどに、彼は群衆のノイズを排除し、できるだけたくさんの情報を集めたうえで、自らの直観を信じて行動する。彼は、自分がこのような独特な考え方ができるのは、第二次世界大戦中にユダヤ人難民として杉原千畝が発行したビザでアメリカに渡った「スギハラサバイバー」である両親の影響が大きいと語っている。

 ゼルの評価を2人に聞けば、まったく違う答えが返ってくるだろう。彼が、トリビューン社の経営権を握った翌年に連邦破産法を申請したときはメディアの猛反発を食らった。しかし、その一方で彼の鋭い直観はウォール街の伝説になっており、数々のIPO(新規株式公開)を支援している。彼は、問題を抱えた資産を標的にする戦略から「墓場のダンサー」とも呼ばれているが、これまでに何千人もの雇用も創出してきた。彼の会社だけでも膨大な数の社員がいるが、彼らはその強い忠誠心から会社を辞めたり、転職を考える社員は非常に少ない。

 ゼルは個性あふれる人物で、みんなの逆を行くことが多く、遠慮がなく、不遜で、いつも興味津々で、よく働く。出勤にはグレーのスーツがお決まりだった1960年代にジーンズで出勤し始め、1985年にはウォール・ストリート・ジャーナル紙に「楽しい仕事でなければやらない」と言い放った。バイクの仲間(ゼルズ・エンジェル)と世界中を回り、会社の外のデッキではアヒルを飼っている。 彼いわく、「既存のルールや社会通念にただ従うつもりはない。結局のところ、仕事がうまくいっていれば、ありのままの自分でいる自由がある」。

 本書は、ゼルが強調したいことをまとめたもので、読者と彼がかかわるとビジネスの世界を巡りながら、成功談は誠実かつユーモアを交え、失敗談はその過程で学んだこと(ここが重要!)を率直に語っている。

これは次世代の革命児や起業家や投資家にとって、欠かすことのできない指針となるだろう。


■著者紹介

サム・ゼル(Sam Zell)
1968年に自らが設立した投資会社のエクイティ・グループ・インベストメント(http://www.egizell.com/)会長で、NYSE(ニューヨーク証券取引所)の上場会社5社の会長でもある。起業家で、投資家。幅広い業界で積極的に投資を行っている(不動産をはじめ、エネルギー、製造業、物流、ヘルスケア、通信ほか)。両親は杉原千畝の発行したビザでソ連・日本経由でアメリカにたどり着いた「スギハラサバイバー」で、現在はシカゴに妻のヘレンと在住。

■目次

日本の読者のみなさんへ
監修者まえがき

まえがき――私は本気だ
第1章 あり得ない人生
第2章 怖いもの知らずのスタート
第3章 自分のルール
第4章 墓場のダンサー
第5章 地獄へ
第6章 カサンドラ
第7章 ゴッドファーザーの提案
第8章 視界ゼロ
第9章 国境はない
第10章 私の会社を支えるカルチャー(立ち読みページ
第11章 違いを生み出す
第12章 偉大さを目指して

謝辞


■日本の読者のみなさんへ

 私は杉原サバイバーの子供である。私の両親は、ポーランドにナチスが侵攻する一〇カ月前に母国を逃れ、一九四〇年七月に二歳の姉をつれてリトアニアに辿り着いた。そのとき、日本領事館に外交官として駐在していたのが杉原千畝だった。私の家族がリトアニアに到着した時点で、ヨーロッパを脱出する道は日本に行くことしかなかった。

 私の父は、最初に杉原に日本の通過ビザを嘆願したユダヤ人代表団の一人だった。杉原は日本の外務省にビザ発給の許可を請訓するも最初は無視され、そののち拒否された。それでも、杉原は本省の命令に背いて何千人もの難民に日本へのビザを発給した。

 彼の勇気と慈悲心がなければ、姉と妹と私、そして私たちの子供たちや孫たちは今日ここにいなかった。杉原ビザを手にした両親と姉は、ウラジオストクから貨物船に乗って福井県の敦賀港に着いた。三人は逃亡生活と心配と恐怖で疲れ果てていた。それでも、母の言葉を借りれば、「日本は自由社会への扉だった」。

 両親と姉は神戸港に着いたユダヤ人難民の第二波のなかにおり、すでにユダヤ人コミュニティが出来上がっていた。彼らはここに一週間滞在したあと横浜に移り、横浜グランドホテル(当時)の向かいのアパートに三カ月間滞在した。ここではユダヤ人難民の会合が頻繁に行われた。そして、母はここで私を妊娠した。

 私は子供のころから両親に、日本の人たちから受けた親切ともてなしの心について聞かされてきた。両親は、日本の文化や日本人のきちんとしたところ、秩序、丁寧さ、そして姉の金髪を愛でてくれることに感嘆した。祖国で何年間も抑圧され、迫害されてきたユダヤ人を、日本人は人間の品格をもって受け入れてくれた。日本はユダヤ人難民のオアシスだったのである。

 一九四一年五月七日、両親と姉は日枝丸で日本を出港し、五月一八日にアメリカに到着した。両親の勇気と、逃亡生活のなかで出会った数多くの人たちの親切によって、私は自分の帝国を作るチャンスを与えられ、それを実行した。

 私は頻繁に日本を訪れ、日本の景色を見るたびに、必死で逃げてきた私の家族を温かく迎え入れてくれたこの国と人々に思いを馳せている。私は命令よりも慈悲の心を優先した人物をけっして忘れない。そして大いに感謝している。

 2017年11月29日

サム・ゼル

■監修者まえがき

 本書は米国の起業家サム・ゼルの著した自伝 “Am I Being Too Subtle? : Straight Talk From a Business Rebel” の邦訳である。著者は米国でも有数の企業家・投資家として知られており、その軸となってきたのは不動産関連のビジネスである。だが、これは単に不動産投資で財を得た人物の成功譚ではなく、リスクというものをどのように扱うべきか、そしてそのためには人や組織にどういった「文化」が必要なのかということに関する啓蒙書なのである。一般に、投資とは不確実性(リスク)に対する賭けであり、はなはだ危険なことと認識されている。多くの日本人にとっては、投資はやってもやらなくてもよいものであり、やって失敗するくらいなら、むしろ初めから一切やらないほうがよいと考える人が大多数である。しかし、著者にとっては、リスクをとらないことはせっかく自分に与えられたチャンスを無駄にし、さらには潜在的により大きなリスクをとっていることにほかならないのである。

 本書にあるとおり、ゼルはユダヤ人であり、彼の両親は第二次世界大戦時に日本人外交官であった杉原千畝の発行したビザによって命を救われたスギハラサバイバーであった。ポーランドで穀物商をしていたゼルの父親はナチスの危険性をいち早く見抜き、事前に周到な準備をしたうえでギリギリのタイミングで家族と共にポーランドを脱出した。その成功は同時に大変なリスクを伴うものであったが、父親の冷静な判断と果敢な行動がゼルの一家を救ったのだ。一方で、常識や先入観にとらわれてリスクをとらなかった多数派の人々は生き残ることができなかった。文字どおりリスクの扱い方一つが生死を分けたのである。

 だから、著者にとっては、リスクは避けるべきものではなく合理的な計算に基づいて当然取るべきものを意味する。ゼルの投資哲学やアプローチそのものは、ウォーレン・バフェットのそれに似た保守的なものであるが、自らの信念に基づいた挑戦を生涯にわたって実行することで、彼は巨万の富を築いた。それは父親とは形こそ違うものの、不確実性に正面から向き合い自分の力で運命を切り開いたと言う点で同じであり、彼は父親の勇気や杉原の善意が自分にもたらした、この世に生まれ米国で生きることができるというチャンスをけっして無駄にすることなく、アメリカンドリームを体現することに人生を使い切ったのである。

 翻訳にあたっては以下の方々に心から感謝の意を表したい。まず井田京子氏には正確で読みやすい翻訳を、そして阿部達郎氏は丁寧な編集・校正を行っていただいた。また本書が発行される機会を得たのはパンローリング社社長の後藤康徳氏のおかげである。

 2017年12月

長尾慎太郎

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■第10章 私の会社を支えるカルチャー

 私はよく、会長の肩書はいくらでもあるがCEO(最高経営責任者)は一つもないと言っている。自分の得意とする展望、方向性、戦略などに専念しているからだ。これらは私が最も付加価値を与えられる部分と言える。私は一日のほとんどを、みんなの話を聞くことに費やしている。そのうえで質問し、精査し、可能性を示すのだ。

 私が仕事として扱っている株は、約五〇年前に投資会社を始めたときよりもはるかに増えた。このなかには、私が設立した社名にエクイティが付いた五つの会社や、私が大株主として会長を務めたり影響力を行使したりしている会社などがある。私はそれぞれの会社に素晴らしい人材を充てて経営を任せている。私自身は日々の運営にはかかわっていないが、近くにいて注視している。

 私はビジネスにおいて「半径理論」を信じている。これは、成否は自分と判断を下す人物の間に何人がかかわっているで決まるという考えだ。離れたところで下された判断ほど、リスク管理ができなくなる。過去の例を見ても、事業は権限委譲が足りなくても、しすぎても、うまくいかないことが分かっている。

 若いころにボブ・ルリーと会社を作り、それを育ててきたなかで、私はいつもあることを最優先にしてきた。それが、カルチャーがすべてという考えだ。仕事時間のほとんどを過ごす環境は、自分がどんな人間で、どんな同僚や部下と仕事をしたいかを反映している。カルチャーによって、アイデアを生む環境にも、殺す環境にもなり得る。何十年も続く関係を築く場になることもあれば、トランプのように次々と相手を変えていく場にもなり得る。つまり、カルチャーは会社の生命の源なのである。

 そこで、私の会社のカルチャーについて少し書きたいと思う。私の成功を支えた大きな要素だと思うからだ。

 私の会社は基本的に能力主義である。初期のころにルリーと私が築いた環境だ。能力主義は、表面的な基準ではなく成果で評価することによって、ありのままの自分でいる自由を提供している。要するに、これはみんなが自分にとって重要なことに集中し、その人の最高の成果を見せるチャンスでもある。本当の能力主義の環境で仕事をしたら、それ以外の環境でやっていくのは難しいと思う。

 しかし、それ以上に私たちの会社のカルチャーは、動機と創造力と遊び心と実践力と賢さを重視している。私の会社では、賢い裏づけがある意見を持つようにすることと、それに自信を持つこと推奨している。また、「オープン・キモノ」の方針を常々掲げている。秘密や陰口や密室会議をなくし、すべてをオープンにして、胸襟を開いておくということだ。これは私たちのリスク管理の重要な要素でもある。

 この方針は、時に目に見える形で分かることがある。その例を紹介しよう。私の会社の部屋は三五年間同じ場所にあるが、四年前に改装工事をしたとき、私は自分の部屋にドアがあることに初めて気づいた。戸袋があるこのドアが閉まっているのを見たことがなかったので、その存在を知らなかったのだ。

 私の部屋には、幹部から郵便物係まで、だれでも来ることができる。しかし、そうなると、それをしない人は度量が小さく見えてしまう。つまり、私の会社で、部屋にこもっている人はいない。

 そうでない会社もある。あるとき、私はロサンゼルスにある有名建築家の会社を訪ねた。この事務所は、窓際に幹部のガラス張りの部屋が並んでおり、その前に秘書のデスクが並んでいた。建築家の部屋は一番奥にあった。私が彼の秘書と話をしていると、彼女が「ボスはいつも私に調子はどうかと聞くのですが、私が答えるころには彼は部屋に入っているんです」と言うので、私は彼女に言った。「水の上を歩く(奇跡を起こす)ときに立ち止まるのは難しいんだよ」

 私たちの会社では、そのような行為はしないようにしている。その代わり、からかわれたり、アイデアに反対されたりするのはいつものことだし、会社のみんなとは長い付き合いになる。

 私がリスクをとる人間として最も恐れているのは、間違った判断を防いでくれる情報が得られないことだ。そのためには、みんなが孤立しないこと、つまりみんながみんなのしていることを知っている環境を作るしかないと思っている。私はいつも「サプライズはなしにしてくれ」と言っているが、これは本気だ。問題を早く見つけることができれば、私たちにはそれを直す力があると思っている。だから隠してはならない。そして、安心してほしい。ここでは使者を殺すようなことはしないのだから。

 それと同時に、私の会社は起業家的な組織でもある。みんなにできるだけ権限を委譲しているのだ。私は自発的な人が好きだ。みんなに率先して限界に挑み、疑問を持ち、挑戦してほしいと思っている。もちろん、この種の自由には責任が伴うため、優れた判断は欠かせない。幸い、私は才能ある人材を見極めるのは得意だ。

 私が自分のチームを大いに信頼できる理由は、採用の仕方にある。少し変わっているかもしれないが、私は管理職を探すとき、職務内容を決めてそれに合う人を探すことはしない。自分の会社に合う才能ある人材を探し、その人を生かす方法を探すのだ。すると、たいていは期待どおりの働きをしてくれる。たまにうまくいかないときは明らかに分かる。

 しばらく前のことだが、私はいくつかの世界的な企業で働いてきた優秀な女性を雇った。しかし、六カ月後にクビにした。それは彼女が政治的だったからだ。彼女は情報をため込んで、それを切り札に立ち回ろうとした。彼女の行為を責めようとは思わない。残念ながら、多くの会社はジャングルの法則――他人の失敗によって生き延びることができる――で運営されているからだ。彼女はその世界では優れた人材だったのかもしれないが、私の会社で重視している分かち合うカルチャーにはなじまなかった。秘密は人を埋もれさせる。この優秀な女性はおそらくクビになったことなどないだろうし、きっと別の会社で素晴らしい成功を収めるだろう。しかし、情報を取引材料にするという考えは、私には受け入れられない。

 私の会社で働くには、あるレベルの知能指数が必要だが、ロケット工学者レベルが必要なわけではない。結局のところ、私の会社で成功するのに必要なのは、動機とエネルギーと姿勢と判断力と自信と情熱で、あとは問題に核心に切り込むことができればよい。これらの資質があれば、知能指数が二〇ポイント低くてもかまわない。頭は良くても取引のポイントを把握できないため、私の会社ではうまくいかなかった人も何人もいた。あるとき、夜八時ごろ社内を歩いていると、一人の社員が私たちが検討していた期間一〇年の不動産プロジェクトについて調べていた。彼の机をのぞき込むと、彼が試算に何時間もかけていたことが分かった。しかし、彼のやり方はまったく逆だ。私は「内容をよく見て、何が成否を左右するか見極めなければダメだ。カギとなる要素がうまくいくならば、数字で検証すればよい。八時間計算したあとで無駄だったと分かるようなことはするな」と声をかけた。彼のほうが私よりも知能指数は高いのだろうが、それでは仕事にならない。最初に全体図を効率的に査定し、最大のリスクの可能性を見極めることができなければ、うまくいくかどうかを調べるために延々と計算し続けなければならない。しかし、それではほかのチャンスを探す時間がなくなってしまうのである。

 私はいつも社員に「反論してくれ」と言っている。私が彼らに反論するように、彼らにもそうしてほしい。そして、どちらも自分の取引に対する立場を主張すべきだ。そうすれば、みんなが賢くなる。私は彼らを最大限生かし、彼らも私から最大限のものを得るというウィンウィンの関係を目指しているのだ。

 この二〇〜三〇年は、社員が私をボスとして扱わないようにかなり努力してきた。彼らの警戒心を解いてアイデアがあふれるようにしたいのだ。しかし誤解しないでほしい。私はボスでいることは好きだ。私はこの責任を引き受け、かなりうまくやってきたが、イエスマンなどに囲まれたくはない。みんながいつも「OK、サム、あなたの言うとおりにします」としか言わなくなったら目も当てられない。起業家の環境としては最悪だ。私は社員に「私の考えを繰り返したり、推測したり、知りたがるのはやめてほしい」と言っている。そして、それが分かってもらえるまで何度も繰り返す。私が部屋でみんなと話をするときに求めているのは、敬意ではなくアイデアを出してほしいのだ。そのようなとき、みんな同じ立場にある。そして、みんながそれぞれの試みの一端を担っているのだ。

 ここまで読んでくれば、私が利害を一致させること、つまり自ら関与することを重視していることは分かったと思う。EGI(エクイティ・グループ・インベストメント)で最初の取引を行って以来、私はみんなにチャンス(リスクも利益も含めて)を広めてきた。社員と一緒に投資し、社員に利益を「助成」することもよくある。つまり、私が彼らの投資を支援するのだ(例えば、社員が三万ドル投資したら、私は一五万ドル出すなど)。そして、もしその投資が最低目標を達成したら、社員は総額(一八万ドル)に対する利益を受け取ることができる。実際、私たちはいつもお互いの成功に投資している。これは動機になるだけでなく、協力するときには欠かせないことでもある。私たちは取引のチャンスや問題について話し合い、疑問をぶつけ合い、みんなで精査する。みんながみんなの取引に少しずつかかわっているからだ。私にとって、自分が何千人もの雇用を生み出し、社員に無限のチャンスを与えられること以上にわくわくすることはない。それと、何百人もの億万長者を生み出したこともだ。会社を繁栄させるアイデアに対しては、言葉で称賛するだけではないのだ。

 私の会社の幹部は、自分だけの領地を築こうとはしない。社内のライバル関係はあるかもしれないが、それが会社の利益よりも優先されることなどあり得ないのだ。このような協力のカルチャーは私の投資会社だけでなく、私が会長を務めたり、所有したり、大株主になっている会社にも広がっている。それが実践されているのが見られるのは、驚くべきことかもしれない。私の会社には能力も競争心も世界レベルの幹部が何人もいるが、私は毎日彼らが仕事の手を止めてほかの社員の手助けをしている姿を見ている。私の会社の幹部は膨大な情報源やたくさんの仲間を持っており、ほぼすべての分野において即座に賢くて素早い対処ができる。それに加えて、この会社で四五年以上働いた何千人もの「卒業生」もいる。私たちのカルチャーを支える底力の大きさを感じてもらえただろうか。

 私は、人を見つけるのもうまい。そして、一度相手を信じると決めたら、そのことを示すためにすぐに大きな責任を与え、一緒にリスクをとる。これはジェイ・プリツカーが私にしてくれたことでもある。もし私の目が正しければ、その人は懸命に働いて、私と彼自身のために、期待に応えてくれる。それは、それまで以上の力を出すチャンスにもなり得る。そして、それが病みつきになる。ある人は、それが熱い忠誠心につながるのだと言っていた。そして、この忠誠心は双方に働く。

 私は、私の会社に入る人に「ここで働いてしまうと、ほかの会社ではけっして満足できなくなる」と話す。本当にそう思うからだ。会社を辞めるつもりがない人がたくさんいるし、辞めた人の多くが戻ってこようとする。社員の勤続年数も非常に長く、勤続二〇年以上や三〇年以上の人が多くいるのだ。私のアシスタントから、中間管理職になり、CEOに上り詰めた人もいる。ここには常にチャンスがある。会社が方向性を変えるたびに、社員には新たな成長チャンスがある。エクイティ・グループ内で異動して、新しいチャンスに挑む人もたくさんいる。

 自分から会社を辞めた数少ない最高幹部の一人も、結局は戻ってきた。彼は二〇年間務めたあと、より高い報酬とより大きな権力に引かれて転職した。彼が戻ったとき、私は興味本位で理由を聞いた。「理解できないよ。給料は二倍で、地位もずっと高いのに、なぜ戻ってきたんだい」

 こんな答えが返ってきた。「簡単なことさ。ここでは問題があっても、君の部屋に行って話をすればすぐに答えが出る。即座に話ができるんだ。しかし、新しい会社では、何をするにも数人に宛てた書類を作らなければならないから、答えが出るころには創造力も枯れて、何をしようとしていたかすら思い出せないようなありさまだ」。素早い判断と自主性は彼にとって空気のようなものになっていたのだ。

 もう一つ例を挙げると、最近、私たちは六〇億ドル規模のオフィスリース会社の経営陣を、二〜三カ月でゼロから組織しなければならないことがあった。すると、以前に売却した関連会社を含めて、エクイティ・オフィス関連の会社で働いたことがある人たちから電話が殺到した。結局、何週間かで三〇人のチームが稼働したが、そのうちの二六人はエクイティ・オフィスに関係があった人たちだった。

 私の会社がどんな会社かということと、私自身がどんな人間かを示す創造的表現は重なることが多い。

 私たちは、自分に対しても、お互いに対しても、態度は不適切かもしれないが、ふざけてはいない。官僚主義者に対しては特にそうだ(会社には沸騰する油のなかに座り、赤いテープを何重にも巻かれて書類に埋もれる官僚主義者の彫刻がある)。私はときどき会社のデッキで卓球の玉入れのようなゲーム大会を開いたり、毎年、ミモザパーティーを開いたりしている(願わくは、そのときにNHLのシカゴ・ブラックホークスの優勝パレードを見たい)。ただ、私にとっては当然ながら、余興が仕事を楽しくするのではなく、仕事自体が楽しいのだ。

 あまり理解されていないが、仕事の楽しみの一つは、時に深い感銘を受ける機会があることだ。私はコミュニケーションの効果を大いに信じている。これがすべてだ。しかし、これは必ずしも言葉だけではないし、言いたいことは厳格な言い方や辛辣な言い方をしなくても効果的に伝えることができる。

 私は根っからのセールスマンであり、なかでもアイデアを売るのが好きだ。私は取引するときには印象に残るポイント(例えば、経済性)を示すようにすると同時に、エクイティ・グループがほかとは違う点も伝えるようにしている。

 私が自分の創造性に気づき始めたころ、それをまったく新たな段階に押し上げる手助けをしてくれたのがピーター・スロッシだった。彼とは一九八八年にバイクでコロラド州を巡っているときに出会った。彼は創造性の天才で、世界中のすべてをまったく違う視点で見ていた。彼の限りない発想力は、私の想像をはるかに超えていた。彼はデンバーでグラフィックデザインの会社を経営していたが、たまにしか仕事をしていなかった。彼と知り合ったときには、一緒に何ができるのかはっきりとは分からなかったが、私は大きな可能性を感じた。

 もし市場にブランドを確立し、優良顧客を獲得できれば、それを資金化できることが私には分かっていた。そこで、私はスロッシをシカゴの私の会社に招き、話をした。まず、私が考えたいくつかの概念を紹介し、私が毎年作っている年末のギフトやそのほかの型破りなアイデアを使って、取引相手に私たちがみんなとは違うということをアピールする方法について話し合った。そのあと、私は彼に尋ねた。「ここに来て、私の創造チームを引き継いでもらえないだろうか」。この時点ではフルタイムの仕事かどうかも分からなかったが、こう言い添えた。「ほかにやることがないのだから、やってみればいいじゃないか」。彼はシカゴに移ってきた。そして、彼の仕事はフルタイムになったどころか、独立した部署になり、今日でも私の会社のカルチャーを象徴する中心的な部署の一つになっている。スロッシは理想の仕事を見つけ、私は会社の創造性の拠点を得た。スロッシの下で、私たちは自分たちの展望を巧みに、たいていは無遠慮に世界に向けて訴える品物を制作していった。IPO(新規株式公開)でその会社の最も重要なメッセージを印刷したTシャツや、翌年の経済界のテーマを風刺する年末のギフトなどである。

 残念ながら、スロッシは二〇〇七年にがんで亡くなった。個人としても会社としても、ルリーが亡くなって以来の大きな打撃だった。しかし、スロッシの展望は、彼が築いた部署で、彼の後任で友人でもあるビル・バートロッタに受け継がれている。

 この部署のプロジェクトの一つは、私の「名刺」作成だが、名刺と言っても小さな赤い本で、私にとって特別な意味があるサムイズム(サムの主義主張)が書かれている。「常に一〇〇%正しくあろうとすれば、いずれまひ状態になる」「常識は目安の一つにすぎない」、そしてお気に入りは「オレの言ってることが分かるかい」。もちろんすべてにイラストが添えてある。

 最後に、私は二〜三年おきに約八〇〇人を招いて私の誕生会を開く。誕生日はどうでもよいが、知り合いたちに集まってもらい、創造的な忘れられないイベントを開く言い訳にはなる。この催しは一九六〇年代末の宝探しから始まった。これは子供のころに行ったキャンプ・ラマ(ユダヤ人の子供用サマーキャンプ)からヒントを得ている。キャンプでは、ヒントは聖書の一説にあり、理解が深まるにつれて場所が明らかになるように作られていた。私のパーティーでは、聖書ではなく毎回テーマを決めて、客人にシカゴを巡ってもらう。テーマは年によって、病院だったりホテルだったり慈善団体だったりする。各チームが受け取るリストには一〇〇の候補地が書かれており、シカゴ以外の人も公平に競うことができるようになっている。ヒントは、例えばテーマが教会だと、「性交なし」ならば答えは無原罪の御宿りの聖母教会、テーマがビルでヒントが「モノポリ」ならば答えは商品取引所、テーマが公共施設でヒントが「ビーバーの力」ならば答えはボルツ・ロード・ダムといった具合だ。

 客人は六人程度のチームに分けられてリムジンで市内を巡るため、市民を怖がらせている。宝探しに商品はないが、大いに自慢する権利が与えられ、これは私の周りでは大きな動機になる。

 お手上げ状態になったチームは、私に電話をかけてくる。私はワインを飲みながら電話を待ち、追加のヒントを出す前にガミガミ叱りつけるのが大いに楽しい。

 このような宝探しは、私の会社で今日も続いている仕事の仕方を反映している。私の会社では、トレンドやアノマリーを見つけると、だいたいの方向性を見極めたらとりあえず行動を起こす。社員が集まって、その方向性が意味するあらゆる可能性を議論し、それぞれが自分の解釈が正しいかどうかを証明するために動き出すのだ。これはチャンスに対するR&D(研究開発)の手法と言ってよい。また、この方法は社内に健全な競争を生み、みんながお互いに刺激されて最善を尽くす雰囲気を高めることもできる。それと同時に、私の会社では前にも書いたとおり、みんながその日の獲物もリスクも分け合うことになっている。つまり、もし自分の案件が選ばれなくても、ほかの人の案件の成功を願うことになる。

 もしだれかが途中で行き詰まれば、私と一緒に振り出しに戻る。宝探しでは、私はもちろんヒントの答えを知っているし、一〇〇万ドルが当たるわけではない。仕事では、みんなで考えながら障害を乗り越え、私が次の道しるべを設定する。

 私は、社員にはかなり自由に探索や問題解決をさせるが、大きな決断をするときは私がリスクを管理している。この自主性と素早い判断の組み合わせは、彼らにとって麻薬のようなものだ。彼らは私が信頼していることを知っている。私は口では言わないが、態度で示す。投資部門の社員が見つけ、調べ、交渉し、契約してきた取引に私が一〇〇万ドルを出せば、刺激的で活気のある環境を作り出すことができるのだ。  宝探しは、二六年たってプレーヤーが三〇人から二四〇人に増えた。その時点で、彼らを効率的に移動できなくなり、宝探しから宝物のような思い出に残るイベントに変更した。

 パーティーを一カ所にしたことで、より高い創造性が求められるようになった。そのため、複雑で、創造的で、知性を刺激し、翌日に言葉では説明できないような経験を生み出すことが私の目標になった。もし説明したとしても、人によって言うことがまったく違うような体験だ。また、一流エンターテイナーにも出演を依頼している。これまで、エルトン・ジョン、ジェイ・レノ、ベット・ミドラー、イーグルス、ビーチ・ボーイズ、フリートウッド・マック、アレサ・フランクリン、ジェームス・ブラウン、シルク・ドゥ・ソレイユなどが出演している。特に気に入っているのは二〇〇六年のパーティーで、このときは客人をボートでインディアナ州とイリノイ州の境に近いボートヤードに運んだ。そこに一つが約四トンの海上コンテナを四五〇個使って約三三〇〇平方メートルの会場を設営したのだ。コンテナのドアは内側に開き、ジョセフ・コーネルの箱に着想を得たさまざまなシーンが作られていた。このときはポール・サイモンやフランスの花火師などが会場を盛り上げた。妻のヘレンと私は、みんなに会いたいために、二〜三年ごとにこのようなパーティーを主催している。招待客のリストは長くなる一方だ。

 パーティーについては、もう一つこだわりがある。私はこの場をみんながブランド服を競い合うようなところにはしたくない。「成功のための服装」的な発想は大嫌いだが、そうなってしまうことは分かっていた。そこで、公平な場を作るため、招待状に入場券としてTシャツを添えることにした。招待客はだれであれ、何らかの形でこのTシャツを着用していなければパーティーに参加することはできない。そうなると、みんなTシャツでネクタイや帽子やスカートやスカーフを作ったりして工夫するようになった。意図したことではないが、私が避けたかった服装の競争は、どのようにTシャツを「着る」かの創造性の競争に進化していった。パァーフェクト!

 会場に足を踏み入れ、八〇〇人の人たちが同じTシャツをおのおのの表現方法で身に着けているのを見るのは最高に楽しい。これは愉快なだけでなく、即座に仲間意識を生み出し、会話のきっかけにもなる。また、このTシャツは頭の体操にもなっている。毎年テーマがあって、パズルが付いており、それを解けば出演するエンターテイナーが分かるようになっているのだ。

 私は、EGIの社員は家族だと思っている。そして、彼らもほとんどがお互いをそう感じている。もしかしたら、「部族」と言ったほうが正確かもしれない。受付からCEOまで、私たちのカルチャー水準は訪れる人に感銘を与えている。私たちが相互に責任を負い、忠誠心と信頼を分かち合っていることをぜひ理解してほしい。EGIに入れば、「敵は外にいる」。結局、これはファミリー・オフィス、つまり家族のニーズを満たすための会社なのである。

 そして、私の家族と同様、私は社員全員に幸せになってほしいし、それぞれの仕事を楽しんでほしい。そのためならばどんな努力もいとわない。二〜三年前に、最高幹部の一人が私の部屋に来て、二〇年間務めたが会社を辞めようと思っていると言った。神学校に行きたいというのだ。そこで私は言った。「パートタイムで働いてみればどうかな。もしどうしても専念したくなれば、そのときはそうすればいい。うまくいかなければそれまでだ」

 彼女は私にとって、仕事上でも個人的にも大事な存在であり、幸せでいてほしかった。彼女は最近、神学校を卒業し、今でも会社の最高幹部に名を連ねている。そして幸せだ。私もうれしい。それに、わが社の仕事でいつ何時、神学校の考え方が必要になるかもしれないではないか。



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