パンローリング トップバー パンローリング Top 相場データCD-ROM オプション倶楽部 トレーダーズショップ/書籍、DVD販売 株式コーナー Pan発行書籍 セミナー 相場アプリケーション パンレポート 掲示板 相場リンク集
メールはこちらまで

発行書籍一覧 > パンローリングライブラリー一覧 > /


会社を継いだ男たち

仕事筋シリーズ 7
会社を継いだ男たち

清水泰
定価 本体700円+税
文庫判 192頁
2008年7月9日発売
ISBN 978-4-7759-3058-8 C0134



目次 | 各社概要

後継者とは自らつかむもの――
後継者こそリスクに挑むもの――
変革時代のリーダー像を体現する彼らの“飽くなき挑戦”とは!

業態や規模、扱う商品も異なる環境で、「会社を継ぐ」という決断を下した男たち。「先代の教え」や「跡を継ぐ」に至るまでの経緯、後継者として挑戦した経営課題はそれぞれ違う。だが、与えられた状況に満足せず、自らの発想力とリーダーシップを駆使して、改革を成し遂げたことは共通している。信念に基づいて抵抗勢力と闘い、リスクを取って時代の変化に立ち向かった「後継者」たちの姿は、企業が求めてやまないビジネスリーダー像そのものだろう。


――著者コメント――

「2代目」「世襲」と聞くと、経営の私物化だ…、苦労しないまま与えられたイスに座っただけだ…などの反対意見も少なくない。会社が成長し、株式を公開した上場企業ともなればなおさらだろう。だが、2代目社長には、彼らにしかできないこともある。先代の意志や創業の精神を受け継ぎながらも、全社改革に不退転の決意で挑戦することだ。

2代目は創業者のコピーではない。変化の激しい今の時代、成功した先代のやり方を踏襲するだけでは、失敗する可能性が高いのだ。後継者は先駆者である先代が築いた土台を踏まえつつ、自分ならではの新たな強みを加えていく必要がある。ある意味、ゼロから作り上げるより困難と言えるだろう。

本書には15人の後継者が登場するが、幼少期から帝王学さながらの「後継者教育」を受けた者もいれば、まったく別の道に進んだのち、想定外の事態で後継者になった者もいる。いずれにせよ彼らが先代の背中を見て、経営者が負うべき責任や苦悩を感じてきたことに変わりはない。

とはいえ、企業経営の難しさを熟知する先代は、能力のない人間に会社を継がせるほど愚かではない。経営者修業に耐え結果を残した者だけが、次のリーダーとして認められるのだ。自らの熱い思いと努力によって社長の座をつかんだ15人の「後継者」たち。彼らの“挑戦する姿”を感じ取り、あなたのビジネスマン人生の参考にしてほしい。

※本書は、株式会社ちばぎん総合研究所から発行する『MANAGEMENT SQUARE』内で、2007年1月号〜2008年5月号に連載された企画「二代目の挑戦」をもとに、加筆・修正・改題を行い文庫化したものです。




――目次――

はじめに

第1章 継ぐべくして継いだ男たち 
1 プラス(今泉嘉久) ――チャレンジなくして成功なし
2 メニコン(田中英成) ――危機感が後押しした大胆な決断
3 チロルチョコ(松尾利彦) ――代一創業の夢を追う
4 光岡自動車(光岡章夫) ――本格メーカーへの道筋をつけ後継者に託す
5 ミスターマックス(平野能章) ――ディスカウントストアを「日本のインフラ」に
6 コジマ(小島章利) ――2代目だからこそ取れるリスクがある


第2章 大企業のキャリアを生かした男たち
1 森精機製作所(森 雅彦) ――ABC経営でグローバルワン企業へ
2 はるやま商事(治山正史) ――本足経営を脱し次の成長ステージへ
3 高見沢サイバネティックス(盡澤和夫) ――創業者と同じなら2代目の意味はない
4 コンビ(松浦弘昌) ――グローバル企業を実現する

第3章 運命を受け入れ自ら切り開いた男たち
1 田谷(田谷和正) ――技は継がずに経営を継ぐ
2 本多電子(本多洋介) ――50周年を機に挑む「創造と破壊」
3 石村萬盛堂(石村善*) ――先代の無念を3代目が晴らす *人べんに善
4 レスター(清水康次) ――不退転の決意で経営の自立化を勝ち取る
5 白元(鎌田 真) ――「先手必勝」の理を定着させる

――著者紹介――

清水泰 (しみず・ゆたか)
明治大学卒業後、日刊ゲンダイ記者を経て、マスコミや談合問題などに取り組むフリーライターへ。98年より転職雑誌への執筆を始め、2003年4月に(有)ハッピー・ビジネスを設立。 共著に『コンサルタント独立開業ガイド』(ぱる出版)、執筆・編集協力に『図解 コンサルティング力養成講座』『図解 コンサルティング力養成講座〔青本〕』(パンローリング)、『14歳からの政治2』(ゴマブックス)などがある。現在、蠅舛个ん総合研究所発行の『MANAGEMENT SQUARE』内の新企画「復活のシナリオ」取材・執筆を担当中。



今泉嘉久

プラス株式会社 代表取締役社長

     今泉嘉久(いまいずみ・よしひさ)



チャレンジなくして成功なし

 プラスはオフィス家具や文具、事務用品などを幅広く製造・販売すると同時に、文具通販のアスクルをはじめとした、いくつもの優良企業をグループに抱える。
 1983年、創業者である父が急逝し、副社長だった今泉嘉久が2代目社長に就任した。これを機に文具卸から製造業へ本格進出すべく、全国的な販売網の整備を推進するも挫折。この最大の失敗を糧に「顧客満足を実現する」アスクルのビジネスモデルを生み出した。

■プラス株式会社の歩み
1948年 千代田文具蠅鮴瀘
1959年 現社名に社名変更
1986年 本格的に製造業へ進出
1990年 オフィス家具工場を核としたプラスランドの工事に着工
1993年 アスクル事業を開始
1997年 アスクル蠅鮴瀘
2006年 「+PLUS」を赤坂にオープン

■今泉嘉久氏プロフィール 
1942年 東京都に生まれる
1965年 慶應義塾大学商学部卒業
1966年 米ニューヨーク州イサカ大学商科卒業
      プラス蠧社
1972年 取締役
1981年 代表取締役副社長
1983年 代表取締役社長に就任

趣味:別荘の庭の手入れ
好きな言葉:チャレンジ

※今泉嘉久氏は、2008年8月7日付で代表取締役会長に就任されました。


田中英成

株式会社メニコン

      代表取締役社長 田中英成(たなか・ひでなり)



危機感が後押しした大胆な決断

 コンタクトレンズメーカー国内最大手のメニコン。
 先代の創業社長は、日本で初めて角膜コンタクトレンズの実用化に成功した「業界の伝説的な人物」でもある。長年業界をリードしてきたが、大手外資系メーカーの参入や使い捨てレンズの普及などにより、90年代後半は深刻な業績不振に直面していた。
 2000年、創業者の息子である副社長の田中英成が社長に就任。社内の抵抗を押し切ってトップダウンで導入した「メルスプラン」が会社の危機を救った。

■株式会社メニコンの歩み
1951年 先代が日本初の角膜コンタクトレンズの実用化に成功
1952年 日本コンタクトレンズ研究所創設
1957年 日本コンタクトレンズ蠅鮴瀘
1979年 日本初の酸素透過性ハードコンタクト「メニコンO2」を発売
1987年 現社名に変更
1997年 世界最高レベルの酸素透過性を誇るハードレンズ
      「メニコンZ」を発売
2001年 新会員制システム「メルスプラン」を導入
      創業50周年
2002年 メニコンテクノステーションを設立
2008年 新素材シリコーンハイドロゲルによる
      「メニコン2WEEKプレミオ」を発売 

■田中英成氏プロフィール
1959年 愛知県に生まれる
1987年 愛知医科大学医学部卒業
1994年 螢瓮縫灰鵑房萃役として入社
1998年 常務取締役
1999年 取締役副社長
2000年 代表取締役社長に就任
2005年 フランス国家功労勲章受章

趣味:音楽・映画鑑賞
信条:何事も前向きに考える

松尾利彦

チロルチョコ株式会社

      代表取締役社長 松尾利彦(まつお・としひこ)



一代一創業の夢を追う

 全国のスーパーやコンビニで常に数種類が売られる一口サイズの「チロルチョコ」。
 冬季限定の「チロルチョコ きなこもち」は、シーズンの売り上げが20億円を超える史上最大のヒット商品だ。福岡県に本社を置く松尾製菓がチロルチョコの製造に乗り出したのは、40年以上も前のことである。
 1991年、2代目が病に倒れたのを機に、松尾利彦が3代目の社長に就任した。2004年には企画・販売部門を独立分社化したチロルチョコを設立し、東京にオフィスを構えた。老舗ブランドの革新に成功した3代目は、一代一創業の夢を追い続ける。

■チロルチョコ株式会社の歩み
1903年 福岡県田川市で初代が菓子製造業を創業
1919年 松尾製菓蠅鮴瀘
1943年 満州で北満製菓蠅鮴瀘、終戦まで操業
1945年 菓子製造を再開
1962年 チョコレート部門を新設。「チロル」のブランド名で売り出す
1986年 コンビニへの販売を開始
1989年 チョコレート新工場完成
2003年 松尾製菓創業100周年
2004年 チロルチョコ蠅鮴瀘(企画・販売部門を独立分社化)

■松尾利彦氏プロフィール
1952年 福岡県田川市に生まれる
1975年 慶應義塾大学法学部卒業後、米国留学
1977年 松尾製菓蠧社
1980年 ヤマザキナビスコ蠅暴亳
1985年 常務取締役
1991年 代表取締役に就任
2004年 チロルチョコ蠡緝充萃役社長に就任

趣味:ドライブ、芸術観賞
好きな言葉:夢は叶う

光岡章夫

株式会社光岡自動車

      代表取締役社長 光岡章夫(みつおか・あきお)



本格メーカーへの道筋をつけ後継者に託す

 2006年10月、富山市に本社を置く光岡自動車は、国内メーカーとしては16年ぶりとなる高級スポーツカー「オロチ(大蛇)」を世に送り出した。誰もが驚く圧倒的な存在感が特徴の和製スーパーカーには、同社のクルマに対する夢やあこがれが込められている。
 オリジナル車開発で知られる同社だが、中古車販売やディーラー事業が売上の大半を占める。
 長兄の創業者に代わって2002年10月、三男の光岡章夫が2代目社長に就任。日本最小・最後発の乗用車メーカーとして世界を目指している。

■株式会社光岡自動車の歩み
1968年 光岡自動車工業を創業
1970年 カーショップ光岡自動車創業
1979年 蠍岡自動車を設立
1981年 東京支社を開設(中古車販売全国展開への第一歩)
1982年 初の自社オリジナルカー「BUBUシャトル50」を発売
1991年 正規ディーラー事業を開始
1994年 「ミツオカ・ゼロワン」を発表、乗用車メーカーに
2006年 ファッションスーパーカー「オロチ(大蛇)」の受注を開始

■光岡章夫氏プロフィール
1951年 富山県富山市に生まれる
1969年 富山県立富山商業高校卒業後、マツダオート富山に入社
1972年 カーショップ光岡自動車入社
1979年 蠍岡自動車設立と同時に、取締役就任
1987年 米国法人設立と同時に代表取締役社長
2001年 取締役経営企画室長
2002年 代表取締役社長に就任

趣味:ゴルフ、ギター・ドラム演奏
好きな言葉:チャレンジ

株式会社ミスターマックス

      代表取締役社長 平野能章(ひらの・よしあき)


ディスカウントストアを「日本のインフラ」に

 ミスターマックスは九州を地盤とするディスカウントストア(DS)、ショッピングセンター(SC)開発の大手。2000年に首都圏へ進出し、06年には同社最大規模の湘南藤沢SCをオープンさせ、首都圏での出店を加速させている。
 1995年6月、平野能章が36歳の若さで2代目社長に就任。前年に東証一部上場を果たした先代は、創業者、オーナー、会長として息子を指導した。先代が築いたDSを進化させ、ローコスト・オペレーションの店舗運営を実現しつつある。

■株式会社ミスターマックスの歩み
1950年 詈震逎薀献電気商会を設立
1961年 平野電機蠅鵬組
1978年 MrMax1号店を開店
1980年 現社名に社名変更
1994年 初の自社開発SCを開設、東証一部に上場
1996年 群馬県に関東1号店を開店
2000年 習志野市に首都圏1号店開店
2003年 西日本・関東物流センターを開設
2006年 湘南藤沢SCを開設

■平野能章氏プロフィール
1958年 福岡県田川市に生まれる
1981年 日本大学経済学部卒業
1986年 米国ノートルダム大学大学院でMBA取得
      螢潺好拭璽泪奪ス入社
1987年 米国野村證券へ出向
1989年 取締役営業企画部長
1992年 代表取締役副社長
1995年 代表取締役社長に就任

趣味:食べ歩き
好きな言葉:Keep Moving Forward(前へ)

株式会社コジマ

      代表取締役社長 小島章利(こじま・あきとし)


2代目だからこそ取れるリスクがある

 「安値世界一への挑戦」の企業コピーで知られる大手家電量販店のコジマ。
 人口20〜30万人規模の都市を中心に、平均3000屬梁膩織蹇璽疋汽ぅ錨垢鮟佚垢掘現在は全国に約230店舗を展開。2008年3月には、最大手のヤマダ電機に続く47全都道府県への出店を実現した。
 小島章利は02年、創業社長の父からコジマの経営を引き継いだ。社長就任後の3年間で、収益構造改革を成し遂げた。市場が6兆円台と横ばい状態にあり、規模拡大を柱とする業界再編が進むなか、コジマは「地域一番店の集合体」の確立による成長を目指している。

■株式会社コジマの歩み
1955年 宇都宮市に電気店として創業
1963年 蠑島電機(現コジマ)を設立
1989年 100店舗を達成
1993年 「マッキントッシュ・パフォーマ」を発売
1997年 シリーズ家電「フレッシュグレー」の発売を開始
      家電量販店売上高日本一を達成
2000年 家電量販店としては初の売上高5000億円突破を達成
2005年 創業50周年
2008年 全国出店達成

■小島章利氏プロフィール
1963年 栃木県宇都宮市に生まれる
1987年 東海大学政治経済学部卒業後、小島電機(現コジマ)に入社
1990年 取締役に就任
1991年 情報システム本部長
1993年 営業企画本部長
2002年 代表取締役社長に就任

趣味:書画、絵画、陶器の鑑賞
信条:成功するまで続ける

森 雅彦

株式会社森精機製作所

      取締役社長 森 雅彦(もり・まさひこ)



ABC経営でグローバルワン企業へ

 マザーマシンと呼ばれる「工作機械」メーカーの森精機製作所。
 森三兄弟が1948年に創業した同社は、世界一の生産額を誇る日本の工作機械業界で、三強の一角を占める企業に成長している。
 99年6月、当時37歳の森雅彦が初代の伯父、2代目の父の後を継ぎ、3代目社長に就任。東証一部上場企業の最年少社長として注目を浴びた。
3年前には創業の地から、業界最激戦区の名古屋市に本社機能を移転。業界の常識にはない「グローバルワン」戦略を掲げている。

■株式会社森精機製作所の歩み
1948年 奈良県大和郡山市で創業
1958年 繊維機械を中止し工作機械の製造・販売を開始
1968年 数値制御式(NC)旋盤の製造・販売を開始
1976年 NC旋盤の日本シェア業界第1位
1979年 大証二部上場(現在は東証一部と大証一部に上場)
2002年 旧・日立精機の事業を継承
2004年 名古屋へ本社機能を移転

■森 雅彦氏プロフィール
1961年 奈良県大和郡山市に生まれる
1985年 京都大学工学部精密工学科卒業後、伊藤忠商事に入社
1993年 蠖浩叉\什扈蠅貌社
1994年 取締役
1999年 取締役社長に就任
2003年 東京大学で工学博士の学位を取得

趣味:読書、洋楽観賞、海釣り
好きな言葉:創生と守勢

治山正史

はるやま商事株式会社

      代表取締役社長 治山正史(はるやま・まさし)



一本足経営を脱し次の成長ステージへ

 全国に「紳士服はるやま」など、366店舗を展開する紳士服チェーン大手のはるやま商事。現在はメンズ/レディスビジネスウエアのJOCオフィシャルパートナーであり、2008年開催の北京オリンピックでは、日本代表選手団が同社の製作した公式服装を着て大舞台に臨む。
 03年、先代の息子で伊藤忠商事出身の治山正史が2代目社長に就任。役員時代には都市型ショップの「Perfect Suit FActory(P・S・FA)」を立ち上げ、同社の主力事業に育てた。
 2代目はさらに、既存店の建て直しと首都圏攻略を経営の重点目標に掲げる。

■はるやま商事株式会社の歩み
1955年 はるやま洋服店を創業
1974年 現・はるやま商事蠅鮴瀘
1994年 大証二部上場
2000年 新業態「Perfect Suit FActory」を開発・出店
2002年 東証一部上場
2004年 脚長スーツが大ヒット

■治山正史氏プロフィール
1964年 岡山県に生まれる
1989年 立教大学経済学部卒業
      伊藤忠商事蠧社
1994年 はるやま商事蠧社
      経営企画室
1995年 常務取締役
2003年 代表取締役社長に就任

趣味:ゴルフ、読書
好きな言葉:「受けつぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母」(上杉鷹山)

盡澤和夫

株式会社高見沢サイバネティックス

      代表取締役社長 盡澤和夫(たかみさわ・かずお)



創業者と同じなら2代目の意味はない

 駅の自動券売機、金融機関のATM端末、ビルやレジャー施設のセキュリティゲート──。高見沢サイバネティックス製品の多くは、われわれの身近なところで使われている。
 高見沢サイバネティックスの前身である高見澤電機製作所が1962年に世界初の「多能式券売機」を開発して以来、交通システム機器を中心に、メカトロ機器、特機システム機器の3分野を事業領域とする。
 2000年6月、先代の後を継ぎ、盡澤和夫が2代目社長に就任。コア技術を基盤にビジネスを進化させ、新規事業開発にも取り組む。

■株式会社高見沢サイバネティックスの歩み
1962年 蟾盡澤電機製作所が世界初の多能式券売機を開発
1969年 蟾盡澤電機製作所の自販機事業部を分社化し
      蟾盡沢サイバネティックスを設立
      多能式券売機の本格的な納入を開始
1974年 紙幣両替機を開発
1975年 群管理券売機システムの納入を開始
1995年 セキュリティゲート機を開発
1996年 株式を店頭公開
2001年 ニュービジネス本部を新設
2002年 駐輪場管理システムを開発

■盡澤和夫氏プロフィール 
1955年 東京都品川区に生まれる
1978年 東海大学工学部卒業後に、富士通に入社
1987年 蟾盡沢サイバネティックス入社
1990年 企画室長
1995年 蟾盡沢サービス代表取締役社長
1999年 蟾盡沢サイバネティックス取締役副社長
2000年 代表取締役社長に就任

趣味:スポーツ観戦、読書(歴史小説)
座右の銘:着眼大局

コンビ株式会社

      代表取締役社長 松浦弘昌(まつうら・ひろまさ)


グローバル企業を実現する

 ベビー用品大手のコンビ。
 医薬品販売会社として現社長の祖父(初代)が1957年に創業した同社は、60年代に「スワンのおまる」を世に送り出し、一気に知名度を高めた。
 その後、2代目となる父の時代に、玩具、ベビーカーやチャイルドシート、子供服などの製造販売をはじめ、現在はベビー用品総合メーカーとしての地位を確立している。
 2001年、先代の息子で同社の海外展開をリードしてきた松浦弘昌が3代目社長に就任。副社長時代に策定したグローバル企業実現の経営ビジョンを実行に移している。

■コンビ株式会社の歩み
1957年 医療器械および医療補助品等の製造ならびに
      医薬品販売会社として設立
1961年 「コンビ」の商標で哺乳瓶などの生産を開始
1968年 現社名に社名変更
1991年 香港に生産開発販売拠点を設立
2000年 ベビーアパレル分野に本格参入
2002年 店頭市場から東証二部に上場
2003年 東証一部に指定替え

■松浦弘昌氏プロフィール
1959年 東京都に生まれる
1983年 慶應義塾大学法学部卒業後、ぺんてる蠧社
1987年 コンビ蠧社
1998年 専務取締役
2001年 代表取締役社長に就任

趣味:海外旅行
座右の銘:人生万事塞翁が馬

株式会社田谷

      代表取締役社長 田谷和正(たや・かずまさ)


技は継がずに経営を継ぐ

 田谷は1964年に創業した業界最大手の美容室チェーン。
 現在の田谷哲哉会長が、東京オリンピック開催日の10月10日に「田谷哲哉美容室」を千代田区麹町にオープンしたのがはじまりだ。97年の店頭公開に続き、2001年には東証一部上場を果たした。
 現在は「TAYA」「クレージュ・サロン・ボーテ」など、全国にコンセプトの異なる6ブランド・145店舗の直営美容室をチェーン展開している。
 03年、創業者の息子で、旅行会社出身の田谷和正が社長に就任。拡大路線を修正し、赤字経営からの脱却を成し遂げた。

■株式会社田谷の歩み
1964年 会長の田谷哲哉氏が創業
1975年 蠹鎮を設立
1991年 「クレージュ・サロン・ボーテ」をオープン
1997年 株式を店頭公開
1998年 「Shampoo」をオープン
2001年 東証一部上場

■田谷和正氏プロフィール
1967年 東京都に生まれる
1988年 東京外語専門学校卒業
      蠧本旅行入社
1991年 蠹鎮入社
1995年 クレージュサロン営業部長
2001年 常務取締役社長室長
2003年 代表取締役社長に就任

趣味:スーパー銭湯巡り
座右の銘:清廉潔白

本多洋介

本多電子株式会社

      代表取締役社長 本多洋介(ほんだ・ようすけ)



50周年を機に挑む「創造と破壊」

 世界で初めてトランジスタ式ポータブル魚群探知機を開発した本多電子。
 創業者の息子である本多洋介の2代目就任は1987年。就任早々、ブラックマンデーや急激な円高の影響で、売上の7割を占めていた米国市場からの撤退を余儀なくされる。多額の借金を抱える嵐の船出だった。
 以後、超音波技術の研究開発に経営資源を集中し、同社の多角化を成功に導いた。先代の教えを胸に、独自のモノづくりに挑戦している。

■本多電子株式会社の歩み
1956年 本多電子工業所を創立
      世界初のトランジスタ式ポータブル魚群探知機を開発
1979年 社名を現社名に変更、セラミックス生産工場を稼動
1991年 脱フロン型超音波洗浄機を開発
1994年 メディカル事業部を設置
1996年 「超音波科学館」をオープン
2001年 家電製品分野に進出
2006年 創立50周年

■本多洋介氏プロフィール 
1956年 愛知県豊橋市に生まれる
1980年 京都産業大学理学部物理学科卒業後、本多電子蠅貌社
1984年 米国留学
1985年 社長室室長
1987年 代表取締役社長に就任

趣味:釣り
好きな言葉:人生は全人格の放射の結果である

株式会社石村萬盛堂

      代表取締役社長 石村善*悟(いしむら・ぜんご) *人べんに善


 石村萬盛堂は1905年(明治38年)に創業した老舗の和菓子メーカーである。
 創業初期に開発した「鶴乃子」は、100年以上経った今も博多銘菓として消費者に愛され続けている。
 1979年、2代目を継いだ父が亡くなり、息子の石村善悟専務が3代目の社長に就任した。洋菓子ブランド「ボンサンク」を立ち上げ、本格的な焼き菓子の製造販売に注力し、かつて先代が挑んで失敗した洋菓子事業を成功に導いた。石村はホワイトデー(マシュマロデー)の考案者としても知られる。

■株式会社石村萬盛堂の歩み
1905年 祖父が石村萬盛堂を創業
1907年 博多銘菓「鶴乃子」を販売
1953年 先代が洋菓子の製造販売を開始
1977年 マシュマロデー(ホワイトデー)のイベントを開催
1979年 洋菓子ブランド「ボンサンク」を始める
2006年 社内に組織横断の戦略会議を設置

■石村善悟氏プロフィール
1948年 福岡県に生まれる
1971年 東京大学経済学部卒業後、蠕仟取濱稿夏社
      東京営業所長
1974年 取締役
1976年 専務取締役
1979年 代表取締役社長に就任

趣味:読書、謡曲
好きな言葉:耳順

株式会社レスター

      代表取締役 清水康次(しみず・こうじ)


不退転の決意で経営の自立化を勝ち取る

 レスターは、個人顧客を対象にしたインターネット専業の縫製工場である。
 自社のHPを通じて顧客自身が作りたいオリジナルのTシャツやトレーナー、ユニフォームなどの注文を1枚単位から受け付けて縫製・納品する。同社は長年、大手アパレルの100%下請け工場だった。
 1978年、先代である父の急逝により、高校生の清水康次が10代の若さで工場経営を実質的に継ぐことになったのだ。

■株式会社レスターの歩み
1959年 縫製工場として創業
1965年 大手アパレルメーカーとの取引を開始
1989年 工場の新築移転にともない法人化
      螢譽好拭爾房厂省儿
1998年 直販の自社HPを開設
2003年 インターネット専業の縫製工場に移行
2006年 経済産業省・IT経営百選の最優秀企業に認定

■清水康次氏プロフィール
1960年 富山県に生まれる
1978年 父が急逝し、母が代表取締役に就任
1979年 富山県立高岡商業高校卒業
1989年 代表取締役に就任

趣味:打楽器演奏、音楽鑑賞、スキー、模型づくり
好きな言葉:私はできる

鎌田 真

株式会社白元

      代表取締役社長 鎌田 真(かまだ・まこと)



「先手必勝」の理を定着させる

 ホッカイロやアイスノン、パラゾールなどの商品で知られる大手日用品メーカーの白元。
 最近はロングセラーの定番商品に加え、現代版湯たんぽの「ゆたぽん」やコンビニで買える酸素サプリメント「オーツーサプリ」の大ヒットで、各界の注目を集めている。
 1923年創業の老舗企業に新たな流れをもたらしたのが、創業者の孫であり、2代目を父に持つ鎌田真である。2006年、3代目の叔父の跡を継ぎ、39歳で白元の4代目社長に就任した。ハーバードビジネススクールでMBAを取得した理論派経営者が、全社的な経営改革を実践している。

■株式会社白元の歩み
1923年 鎌田商会を創業
1950年 防虫剤「パラゾール」を発売
1979年 使い捨てカイロ「ホッカイロ」を発売
2000年 大正製薬より殺虫剤事業を譲渡
現代版湯たんぽ「ゆたぽん」を発売
2006年 酸素サプリメント「オーツーサプリ」を発売
2007年 グループ企業を再編成

■鎌田 真氏プロフィール
1966年 埼玉県栗橋町に生まれる
1990年 慶應義塾大学経済学部卒業後に、都市銀行入行
1991年 蠻鮓菊社
1998年 MBAを取得
      取締役マーケティング部長
2006年 代表取締役社長に就任

趣味:食べ歩き
好きな言葉:エンパワーメント

※写真提供:ABstudio http://abstudio.jp/


関連書籍


仕事筋シリーズ 1
図解 コンサルティング力
養成講座

仕事筋シリーズ 2
MBA的発想人

仕事筋シリーズ 3
MBA的仕事人

仕事筋シリーズ 4
図解MBA的発想人
課長力養成講座

仕事筋シリーズ 5
図解 コンサルティング力
養成講座〔青本〕

仕事筋シリーズ 6
図解 サラリーマンの決定力講座


ウィザードブックシリーズ - 現代の錬金術師シリーズ - パンローリングライブラリ -
ウィザードコミックス
- 電子書籍 - 投資セミナーDVD - オーディオブック -
トレーダーズショップ 日本最大の投資家向け専門店
-
Copyright (C) Pan Rolling, Inc. All Rights Reserved.