パンローリング トップバー パンローリング Top 相場データCD-ROM オプション倶楽部 トレーダーズショップ/書籍、DVD販売 株式コーナー Pan発行書籍 セミナー 相場アプリケーション パンレポート 掲示板 相場リンク集
メールはこちらまで

発行書籍一覧 > 現代の錬金術師シリーズ一覧 > /



為替の中心ロンドンで見た。ちょっとニュースな出来事

ISBN4-7759-9016-0 C0033
著者 ユウ・キソン(柳基善)

こちらの書籍は、文庫『ロンドンFX物語』に改訂いたしました



ジャーナリスト嶌信彦氏も推薦の一冊。
関係者以外知ることのできない舞台裏とは如何に?

目次

はじめに

序文

1.「テムズの取引所」から
 ディーリングルームのツアー
 セールスとトレーダーのバトル、勃発!
 大声が出ないとボスにはなれない?
 プロップと呼ばれる優雅な人たち
 サイエンティストに騙されるな
 コードネーム「ランボー」と呼ばれる男 (立ち読み)
 ボーナス日は幸せ? いや、みんなが不幸なボーナス日
 時には休んで観戦も
 ロンドンは地の利で食べている

2.「伝説」を作る男たち
 伝説となった、一割の男
 ビロードの男
 飛びつきバッタという生き方
 神を意識する男
 ヘッジファンドの生き残りたち
 相場の巨人、ビー・オー・ジェー

3.ヘッジファンドのオーバーシュート
 国が亡くなる? 韓国の通貨危機
 いい加減しろ、アジア危機 (立ち読み)
 香港、中国の面々のしたたかさ
 どうしたの? ソロスさん。ロシア危機
 タイガー、森に消える

4.相場は誰に聞けばいいの?
 新聞の市況欄は読まなくてもいい?
 「センチメントはどう」が朝一番の合い言葉
 市場ではディスカウントで買え
 需給はキングである
 ロングタームプレイヤーのショート
 ディーラーの考えはポジションに反映される?
 ファンダメンタルズはファンダメンタルではない
 テクニカルはご勝手に
 オーダーのレベルは細心の注意を払って選ぶ
 大口になると市場で話題? オプション取引
 相場の世界では、情報力と判断力がものをいう

5.スキルがすべて
 一億儲けて、「トゥールダルジャン」へ
 勝負の世界は結果がすべて
 勘弁してよ、ヤッターさん
 相場においてはケチは美徳
 LTCMの大誤算
 人の好い人は相場には向かない
 本物の相場師の条件とは?
 君だけのスキルを持とう

6.市場の愉しみ
 騙し、騙されがつきものの相場
 一二〇時間ディーリングは当たり前?
 うまい話が満載のオプション
 大事を聞くには、小事から
 通貨の万人との付き合い方
 「コール」の一声で、ドル円急上昇? (立ち読み)
 「粘着質、ずるい、胆力がある」が美徳?
 為替市場は相場界のコンビニか?
 「オンリー・ユー」は魔法の言葉?

7.乾いた市場
 通貨危機の波紋、広がる
 一九九九年、ユーロ誕生
 Eトレーディングの台頭
 日本のサムライ・ディーラーは散った
 HRRの横暴
 さらば東京市場
 転換期を迎えた、外為市場

8.スインギング・ロンドン
 スポーツの好みでわかる出身階級
 身近にいたゲイ・ディーラー
 ガイ・ハンズという男
 ゴルフとジョーク
 スコットランド魂とF1
 スウィンギング・ロンドン

おわりに

あとがき

為替の中心といえばロンドンである。そのロンドンで、「テムズの取引所」と呼ばれていた世界トップバンクのひとつに勤めていた著者の話をまとめたものが本書である。
同じ銀行の職員でもパスがなければ入ることは許されていないディーリングルーム。関係者以外知ることのできない舞台裏の出来事を、本書ではレポート風に、そしてエッセイとして、面白くわかりやすく紹介している。アジア危機の話の舞台裏、伝説を作った男たちの生き様、うわさを流して儲ける人の話などは、為替あるいは相場という世界で生きるあなたへ「!」をプレゼントするだろう。
自分たちの知らないところで「何」が行われているのか。ディーリングで生き抜くには、そういう情報もきっと役に立つはずだ。

ジャーナリスト 嶌信彦氏の推薦の言葉

国際金融の本はゴマンとあるが、これほどわかりやすく、小説より面白くて読みやすい本を知らない。
人間くさいエピソードが満載で、読み終えたときには金融の本場、シティとディーラーたちの生き様、そして為替取引の全貌を知るだろう。

■はじめに(為替はサッカーと同じ?)

 以前、通貨マフィアといわれる人たちの間で、為替に関して面白いジョークが流 行っていた。  天国の門の前でアインシュタインが、後から天国に来る人たちに向かって、彼らの 今後の職業について忠告をした。IQ二〇〇の人にはこれから「あなたは相対性理論 を勉強しなさい」と勧めた。また、IQ一五〇の人には「世界経済の予測」でもしな さいとアドバイスをしたらしい。そして、IQが六〇しかない人に向かっては、しば らく考えて「為替相場の予想でもしなさい」と言ったという。  どうも、この話の落ちは、為替の予想は誰がやっても当たらず、どうせ成果が出な いのだから、そんなことはいっそIQの低い人間たちに任せておけ、というもののよ うである。

 私の経験では、為替ディーラーという人種はオツムより、からだを使う方を得意と している。彼らは為替という知的ゲームを楽しむというよりは、からだに為替レート を刻んで、長時間寝ないで、耐えることに喜びを感じる人たちである。

 為替ディーラーは、瞬間を競う世界で生きているせいか、ディーリングルームでも 自分たちは特別で、傍若無人に振る舞うことも許されていると勘違いしている。それ 故、為替ディーラーの行儀の悪さは、世界的に共通している。 彼らは、言葉遣いは汚い、悪態はつく、大声を張り上げる、電話は投げる、イスも蹴 飛ばす。そして、品がなく、先輩、後輩の区別もなく、彼らは自分が儲けることしか 考えていないエゴイストたちの集団と化すことがある。  こんなディーラーたちの光景を見たら、IQの高いインテリが、彼らを小馬鹿にし、ジョークのひとつを作っても、これは致し方ないわけである。

 外国為替市場はスポーツに例えれば、サッカーに似ている。集団ゲームで、活気が あり、ルールは単純で、大勝も大負けもなく、フェアー(?)であり、スピード感が あって、局面がガラリと変化して勝敗が決まることもあるからだ。  為替のディーラーは、風采もサッカー選手に似ていて、私が在籍したロンドンのデ ィーリングルームでは、体のいかつい、ほぼ丸坊主同様の短髪のお兄ちゃんたちが何 人もいた。ディーラー、サッカー選手とも、お世辞にも外見からして賢い人たちには 見えないところにも共通点がある。それでも、ひとりひとりが個性的な彼らは、チー ムプレーに長け、仲間を思いやる良さを持っているから救われる。為替も、サッカー も全世界で行われていて、ルールも単純で、誰もが、いつでも参加できる、飽きない 体力ゲームなのである。

 さて、外国為替市場はロンドンが世界の中心である。私が九〇年代後半に五年近く 在籍したロンドンのディーリングルームでは、ヨーロッパ為替市場の一割の取引が行 われており、世界のトップバンクのひとつと言われていた。

 ワンフロアーに四五〇人ほどいたディーリングルームの真ん中に、約五〇名の為替 のチームが陣取っていた。そこでは、つかみ合い寸前のトレーダーとセールスたちと のバトルが繰り広げられ、勝負に負けて大の男が号泣する場面も見られた。ヘッジ ファンドが荒稼ぎをし、アジアの中央銀行が必死に自国通貨を防衛する局面も見た。ひとりで何百億円もの利益を出した、名うての個人の為替ディーラーにも出会った。その 場では、相場の巨人、日本銀行もその名を轟かせていた。私のいた”そこ“は、世界 のオールスターが勢ぞろいした、外国為替の「テムズの取引所」と呼ばれるにふさわ しい活気のある舞台であった。 これから、外からはなかなかうかがいい知ることのできない、ロンドンの現場からの 体験的レポートをお届けする。

■序文(ディーリングルームのツアー)

 テムズ川に架かる、有名なロンドンのタワーブリッジと、ロンドンブリッジの中間に、サザークブリッジという橋がある。その近くに私が通う「テムズの取引所」はあった。あった、というのは、数年前、テムズ川下流の開発地区、ドックランドの新しい銀行の本店にディーリングルームは移転したからである。
 金融街シティの中心のバンク・ステーションから、まっすぐ南下して、歩いて三分のところにオフィスはあり、橋を渡れば対岸はサウスバンクで、テイト・モダン美術館や、シェイクスピアの復元されたグローブ座が目と鼻の先にある。

 私は地下鉄セントラルラインで”テムズ“まで通っていた。駅を出ると途中のスタンドで温かいトーストとミルクティーを買い、毎朝七時前には会社に出ていた。
 ロンドンで市内観光といえば、バッキンガムパレスやロンドン塔、大英博物館やトラファルガースクエアーが有名である。日本やアジア企業が研修で行うお決まりの市内観光のひとつに「テムズの取引所」の訪問があった。そして、私がその案内役を授かることが多々あった。
 通常、ディーリングルームには同じ銀行の職員でもパスがなければ入ることは許されていない。部外者に勝手にディーラーのいない席で取引をされては困ること、重要な顧客情報が漏れるのを防ごうとすることなどがその理由だ。それ故、外部の人がディーリングルーム内に入る場合には事前の許可が必要で、普段は、見学者に守秘義務を徹底させるという条件付きで、立ち入りは許された。

 ディーリングルーム内は、為替や資金、債券、先物、デリバティブなど、商品ごとにチームが分かれている。狭い通路を練り歩き英国債(ギルト)のセクション、エマージングマーケット(新興国市場)のデスク、エコノミストやリサーチのデスクなどを、各チームがどういう仕事に携わっているかを説明しながら、案内するのが私の役目だった。

 ディーリングルーム内はほとんどがイギリス人で占められていたが、少数の外国人もいた。彼らはアメリカ、フランス、オーストラリア、日本、香港、インド、ナイジェリア、南アなどから来た人たちだ。女性が占める割合は少なく、全体で一割足らずだ。 人員だけで見ると、実態はかなりドメスティックなローカルバンクであった。
 こうした雰囲気の中で、アジアからの十数名の団体客がぞろぞろ歩くとさすがに目立つ。周囲の目が先頭を歩くツアー・コンダクターの私のほうへ向けられているのがはっきりわかるので、はじめのころは気恥ずかしく、穴があったら入りたい気分にもなった。

 当然のことながら、私が属した為替チームの近くにも立ち寄る。ここに来ると急に様子が変わる。仲間は意地が悪い。いつも陰でクスクスと笑い出し、ヒソヒソと話をし始める。個人主義のイギリス人から見れば、日本人らの団体行動はおもしろおかしく見えるようなのだ。 
 脂汗をかきながらツアーを終え、顧客を送った後に自分の席に戻ると、早速、団体 客に対する質問攻めと冷やかしに遭う。「どうして今日は誰もカメラを持っていない んだ」など、日本人を茶化したステレオタイプな質問が必ず来る。冷やかし半分で、 悪気はないようだが、大勢の人の前で恥をかかされているような錯覚に陥る。韓国か らの団体客を案内した後などは、「韓国人は犬を食うというけど本当か」と真顔で聞 いてくる人もいる。教養ある、わが同僚の質問のレベルはいつも高い……。

 これからお話する為替チームは、体格はいいが、精神的には未熟な、高校の体育会 サッカー部の雰囲気を想像していただければ理解しやすいと思う。  東京やニューヨークのディーラーのほとんどが大卒であるのに比べ、ロンドンでは ほとんどが高卒である(もともと、イギリスでは日米と比べ大学進学率は極端に低 い)。十六、七歳から仕事を始め、為替の仕事のみ専門にやってきた彼らは職人気質、プロ意識が特別に強い。チームは年齢差など気にしない、皆が対等の為替職人の集まり だ。

 ところで、彼らが使う言葉やアクセントは、出身の階級や地方を反映してか十人十 色で、驚くことに一人一人がまったく違う。地方のなまりや下町言葉もありで、仲間 内の会話ではスラングの嵐となる。それ故、私のほうは何を言っているのかサッパリ わからないので、あまり何を言われてもそう気にはならなかったが。

 ともあれ、これからご案内する読者には、そんなまわりの目は気にせず、ツアーを 楽しんで頂きたい。


■本文のサンプル(一部抜粋)

第1章コードネーム「ランボー」と呼ばれる男

 ――相続でもなければ、不動産でもない。
   ある男を数千億円以上もの資金を動かせる男に変えたもの。

 「ランボー!」。チームの同僚が叫ぶ。  我々が「ランボー」とコードネームで呼ぶ客からのホットラインが点滅している。担当のポールが電話を取るのを見ながら、まわりのものは固唾をのんでポールの反応を見ている。「ドルマルク三百本売りだ!」。最初の注文だ。ドイツ・マルクのディーラーは血相を変えて売りはじめる。一分も経たないうちに、ポールが「ドルスイスも三百本売ってくれ」と来た。そして、最後に「ジョン、ドル円も三百本」と手で売りのサインを出しながら、ポールがドル円のトレーダーのジョンに向かって大声で叫ぶ。

 ディーリングルームは瞬間、蜂の巣をつついたようになる。トレーダーたちは数十行の銀行にプライスを取りに行き、顧客から買ったドルを売り捌かなければならない。 プライスが合えばヒットし、次々にカバーをした金額の合計と平均レートが電子ボードに表示される。ほどなくしてすべての金額か、それ以上の金額を売り終えたことが確認される。

 「取引所」の主役は顧客である。アジア、ヨーロッパ、中東、スカンジナビア、北米などから、名前を聞けば誰もが知っている「世界中の主要なプレイヤー」が私たちのディーリングルームを舞台にして取引を行っている。  チームでは、顧客名も大声で叫ばれるので、ほとんどの顧客にコード名を付け、情報が漏れるのを予防していた。

 レッドとか、ブルーとかのコードネームの中で、「ランボー」は出色であった。実際、名だたる有名プレイヤーをしのぎ、当時、彼はほんの一握りの人しか知らない隠れた大プレイヤーであった。

 ドルの三百本とは三億ドル、日本円で約三百六十億円、このときは瞬間にして一千億円ほどの金を動かしたことになる。  当時、「ランボー」は数千億円以上の資金を動かしていたと推定されたから、一回の取引金額としては驚く額ではなかった。そのころ、大手のヘッジファンドでも彼ほどのポジションを持って相場を張っている人はそれほどいなかったように思う。

 ところで、そんなランボーがある日、一日にして一躍有名になった。イギリスの日 曜紙サンデータイムズに恒例の「イギリスのお金持ち番付」が発表され、いきなり彼 が一〇位以内に登場したからである。彼の資産は数千億円と推定されていた。高額所 得の理由が、相続や会社、不動産の売却といった理由が多かったのに比べ、彼の理由 は振るっていた。「グッド・インフォメーション」、これだけである。内部事情を 知っている私は読みながらゲラゲラ声を出して笑ってしまった。そして翌朝、オフィスに出るとポールが案の定自慢してきた。「ははっ、キソン、ランボーは俺のことを言っ ているんだよ」。

 個人の天才的為替ディーラーも一日にしてなったわけではない。
 ランボーは苦労の人だ。レストラン、スーパー、不動産など、ありとあらゆる商売 を手がけ、財を築いてきたといわれている。そうした中で彼が出合ったのが為替のト レーディングである。

 ハングリーな彼はすばしっこくこの市場の妙味を知り、のし上がってきた。彼は少 ない資金でもその何十倍もの取引が可能となる、為替の証拠金(マージン)取引の本 質をよく理解していた人物だ。我々が取り引きし始めたころは、彼はすでに数百億円 の資金を準備できていたと思う。取引金額は証拠金のほぼ二十倍、百億円を準備でき れば二千億円規模の取引も可能だったわけである。彼自身は、為替の情報を数少な い、親しい銀行のカスタマーディーラーから得ていた。そして、人に任せることなく、自分自身で巨額の資金を頻繁に売買し、値ザヤ稼ぎを行っていた。
 聞くところによると、ランボーはカリブ海の島に住んでいた。ヨットから為替の売 り買いの指示を出すこともまれではなかった。その彼が、我々の銀行のディーリング ルームにはじめて訪れる機会があった。仲間はどんな人物なのか固唾をのんで、彼の 登場を待ち受けていた。

 ところが、これがまったくの拍子抜けに終わった。ポールが先導して、ランボーと その秘書を誘導してディーリングルームに入ってきた。年の功は六十歳前後と見受け られ、背は百六十センチぐらい。ややうつむき加減でとぼとぼと歩いてきたから、皆 が一瞬、目を疑った。対照的に、秘書の女性は堂々としていた。

 日本でいえば、ランボーは大田区にある中小企業の社長で、作業着がよく似合いそ うな善良なおじさん、というところか。八十年代末、為替の世界で一時期、一世を風 靡した阪和興業の北社長に似てなくもなかった。その日はチームメイトの誰もが、自 分たちが勝手につけた「ランボー」とのイメージの格差に愕然とした。

 ほどなくして、彼の名前は市場に知れ渡るようになった。目立たぬようにして、巨 額の資金を動かす彼の神通力も通用しはじめなくなってきた。私の銀行との取引もそ のうち終えてしまった。彼も表の舞台に出てきたかったのだろう。後に、新聞に彼が 著名なオークションハウスを買ったとか、イギリスのサッカーチームを買収したとか いう記事も出ていた。明らかに、彼の関心は為替で金を稼ぐことから、名声を求める ほうへと変わっていた。
 私が直接知る限り、純粋に為替のディーリングで推定「数百億円」単位の収益を上 げていたのはランボーだけである。有名になった後は、そのうちのいくばくかは吐き 出したかもしれないが、大変な成功者だった。

 「グッド・インフォメーション」。これだけで、個人に巨額の富をもたらした為替 市場の魅力は絶大であった。

第3章いい加減しろ、アジア危機

 ――アジアを焼け野原同然にした通貨危機は、タイのバーツ売りから始まった!

 アジア危機の最初の兆候はタイから始まった。一九九五年、九六年ごろはロシアや 東欧、アジアの株式市場は活況を呈していた。ロシアを投資先としたオフショアファ ンドが年率一〇〇%近くの運用成績を出し、アジアもののファンドでも三〇―四〇% の運用成績を出していた。私もよく調べもせずに、これからはアジアの時代だと思っ て、つい投信を買ったりしていた。

 九六年の暮れに『ビジネスウィーク』誌に、いやな予感が残る記事が載っていた。 「アジアの通貨はドルに連動し過大評価されている。ファンダメンタルズは悪化して おり、外資も含め過大な投資が行われており、とりわけ、タイが一番問題だ」という 一ページの記事であった。不思議と悪い予感は当たる。その後、半年もしないうちに アジアは大変なことになってしまった。私もなけなしの投資から抜け出すのに苦労し た。

 再び、ディーリングルームに戻ろう。危機が始まりかけたころ、タイ・バーツは一 ドル二二―二三バーツ近辺で推移していた。二五レベルを超えると一気にバーツ売り が加速すると思われていた。セールスチームのタイ中央銀行の担当は電話をつないだ ままで、常時、タイの中央銀行に相場の動向を伝えていた。

 バーツがじりじりと値を下げ始めた。最初の緊張の瞬間がほどなく訪れた。タイの 中央銀行がはじめて大きな金額の介入に乗り出し、バーツ買いの注文を入れた。タイ の中央銀行の職員は徹夜でバーツを死守すると話をしていたようだ。

 ところが、まったく偶然に、まさしく同じタイミングでその介入額と同規模のバー ツ売り注文が、米系証券から入った。バーツのトレーダーが一瞬あっけに取られてい た。彼は何もせずして、瞬間に売り買いのサヤを稼げた。

 残念ながら、最初から勝負は決まっていた。だいたい米系の証券会社のトレーダーやヘッジファンドは、徹夜同様の生活を毎日送っていて、相場の駆け引きもよくわかっている。はじめから、赤子と大人の勝負だったのである。一国の中央銀行と一民間の証券会社が同じ力を持っている。「これはまずくなる」と思ってからはもう誰にもバーツ安の流れを止められなかった。

 このころから、世間でもヘッジファンドが一躍脚光を浴びる。ファンドのトレー ダーたちは、もとは銀行や証券会社出身の連中だ。平均して数千万ドル、大きいところでは何十億ドル以上もの投資ファンドを運営していた。

 ファンドの当初は個人の余裕資金が元手になる。オフショアのタックスヘイブンに 会社を作り、当局の目が届かないところで活動していた。彼らは、フットワークの軽 い連中で、儲けるチャンスがあればどこへでも手を出す。そして、自己資金の何十倍 ものレバレッジを掛け、自由に資本を動かし、市場への影響力を行使した。  とりわけ、タイ・バーツなどのアジア通貨はドル、円、マルクなどの主要通貨とは 違い市場の取引規模も小さかった。だからこそ、、ヘッジファンドがこの市場で大き な資金を動かせば、それだけ影響力も絶大になるわけだ。

 タイに続き、マレーシア、インドネシア、さらに、ブラジル、ロシアへと通貨危機 が及んで、さすがにこれはやりすぎと思わざるを得なかった。マレーシアの首相マハ ティールがソロスを批判して「何十年もかけて国家建設をしてきたのに、無責任な ファンドごときに国を潰されてたまるか」という趣旨の発言があったとき、心情的には私 もマハティール寄りだった。

 実は、ヘッジファンドばかりを悪者にするのは筋違いだった。というのも、銀行や 証券会社のトレーダーたちもヘッジファンド以上のポジションを市場規模の小さいア ジアの通貨市場に仕掛けていたからである。ファンドのレバレッジも銀行や証券会社 が与信を行わなければできなかったのであるから。
 アジアがまさに焼け野原同様になり、投機資金が市場からすっかり引いていくのを 見て、マネーゲームのひとつの頂点を見た気がした。本来フェアーであった為替市場 が足を踏み外した瞬間であったと思う。

 余談だが、当時、私の銀行の会長は、政治的配慮から、銀行がヘッジファンドに加 担していると見られることを極度に恐れた。ヘッジファンドは彼が一番嫌いな言葉 だった。

 しかし、現場としては、「ヘッジファンドも良い顧客のひとりなのだから、彼らの動きも知りたい」という本音がある。それでも、銀行はその後、ほとんどのヘッジファンドとの取引をやめてしまうことになった。銀行としては、目先の短期的な利益よりも、長期のアジア各国への政治的配慮を優先したのである。

第6章「コール」の一声で、ドル円急上昇?

 ――わざとうわさを仕掛けることも

 為替の参加者は何よりルーマー(うわさ)が好きだ。ゴシップのような話も好む。大統領でさえ何度も市場で暗殺されるし、ミサイルも何度もぶち込まれる。企業やファンドも何度も破産させられる。容赦はない。

 ロンドンでも、たまに為替チームがうわさを仕掛けることがあった。例えば、市場が日銀によるドル円の介入を警戒しているとしよう。海外市場でも介入があるかもしれないと市場は虎視眈々とその動きに敏感になっていたとする。お昼過ぎごろ、ニューヨークのディーラーが出てくるにはやや早い時間を捉えて、突然ドル円のトレーダーがドルを買い始めた。「コール!」とディーリングルーム中に響き渡るほどの大きな声で叫んだ。たちまち蜂の巣をつついたような状況に一変する。他部門の連中は「為替のほうが慌しいが、何か、重要なニュースでも出たのであろうか」という顔でこちらをのぞき込んでいる。マルク、ポンド、スイスなど、ほかの通貨のトレーダーも一斉にディーリングマシンを叩き、他行から必死にドルを買い始めた。

 そのうち、顧客からの電話がドンドン鳴り始める。「市場でお宅の銀行が相当ドル買いに走っているようだけど、何かあったの」と聞いてくる。セールスは「自分らも何がなんだかわからないんだ」と答える。顧客は「何か重要な情報を隠しているな」と思ったのか、付き合いのあるよその銀行に電話をして聞きまくる。

 こうして、うわさがうわさを呼び「どうも、ある銀行に日銀の介入が入ったらしい」というストーリーが出来上がってくる。その間、ドルはどんどん上がっていく。そして、情報端末にも「日銀、介入か、ディーラー筋」みたいな話が文章で出始める。

 気がついてみると、ドル円のトレーダーは今度はせっせとドル売りをしている。ボスのボブは何食わぬ顔をして笑っている。この間、数分、長くて五分ぐらいか。皆が「一体何があったんだ」とボブやドル円のトレーダーに聞く。「ちょっと、上がると思って試しに買ってみただけだよ」と言う。皆が拍子抜けを食らう。敵を欺くにはまず味方からを完璧に演じていた。もちろん、これがいつも的中するわけではない。たまにやるから効果があるのだ。

 私のお客さんでもこのうわさの効果を使う人がいた。それも、抜群にうまい人がいた。突然、電話で「リューさん、『日本語版テレレート』に財務官の発言が出ていて、現在の為替は円高に行き過ぎていて、一ドル一四〇円が望ましい、という発言が出ているのを読みました?」と連絡してくる。「いえ、聞いていませんでした、すぐ調べてみます」と電話を置く。気になるので、ボブには真っ先に「今、こんな情報を顧客から聞きました」と伝えると、彼はすぐさま大声で「日本の財務官が一四〇円と言っているぞ」と叫んで、ただちにドル買いを指示する。  おそらく、私のお客さんは影響力がありそうな五つぐらいの銀行に同時に電話をかけていたのだろう。レートを見ていると、そのうわさがどんどん広がっていくのがわかる。

 「日本語版テレレート」は実は利用者がかなり限られていて、情報の確認にも時間がかかる。だから、確認されるまでの間、ドルは上がり続けるのである。やがて内容が確認され、英語の情報媒体にも報道され始めると、市場には利食いが出て調整が入る。このお客さんも情報操作の達人だった。この手法もたまにやるから効果があった。 そして、市場では最後までうわさの張本人はいつまでも謎なのである。


関連書籍


FXトレーディング

実践FXトレーディング

FXメタトレーダー入門

魔術師に学ぶFXトレード

フルタイムトレーダー
完全マニュアル

為替オーバーレイ

関連DVD


為替のテクニカル分析

FX(外国為替証拠金取引)で儲ける基礎知識から儲けのルールまで

伝説のディーラーが語るFX投資の真髄

ドル円相場の展望

はやぶさ流
FXスワップ金利運用術

芸術家の独創的視点で
解き明かす市場価格変動の謎

Topへ