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ウィザードブックシリーズ Vol.155

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ダンドー
――低リスク・高リターンのインド式テクニック

本著者絶賛書籍↓

2009年7月11日発売
ISBN 978-4-7759-7122-2 C2033
定価 本体1,800円+税
A5判 約222頁

著 者 モニッシュ・パブライ
訳 者 船木麻里

トレーダーズショップから送料無料でお届け
著者紹介 | 著者推薦書籍 | 目次 | 関連書籍    ◆立ち読みコーナー 訳者あとがき ・ 謝辞 ・ 第1章 パテル・モーテル・ダンドー (本テキストは再校時のものです)
グジャラート語の「ダンドー」とは「最小のリスクで最大の利益を求めること」
経済危機はチャンス! 「バリューの種は不況で芽生える」
バフェットのバリュー戦略を一歩進めた革新的手法、究極のバリューのバイブル登場!

 ほとんどの投資家は、高い利益率を得るためには大きなリスクをとらなければならないと言われてきたのではないだろうか。もちろん、画期的なバリュー投資戦略を採用したベンジャミン・グレアムやウォーレン・バフェットやチャーリー・マンガーたちは、リスクを最小化しながら堅実に利益を積み重ねることができるということを証明してきた。本書で紹介する「ダンドー手法」とは、バフェットたちが成功した手法からさらに一歩進めて、リスクを最小化しながら、リターンを最大化するという革新的な方法である。

 ダンドー(Dhandho)を本来のまま訳すと、「富を創造する努力と挑戦」となる。本書では、著者のモニシュ・パブライがインドの辣腕ビジネス集団であるパテルによる資産配分の枠組みを個人のバリュー投資家が模倣して、株式市場に適用する方法を明らかにしていく。インドのグジャラート州出身のマイノリティであるパテルは、1970年代にわずかな資金を手にアメリカに移住し始めた。彼らは現在、全米で400億ドルのモーテル資産を保有し、年間7億ドル以上の税金を納め、約100万人の雇用を創出している。

 このどこからともなく現れた貧しいマイノリティグループが、一体どのようにして巨大な資産を築くようになったのだろうか。その答えは、ビジネスに対する彼らの低リスク・高リターンのアプローチに隠されている。本書では、偶然にもグレアムやバフェットのやり方と酷似している彼らの手法を使って、個人投資家でもできる株式市場で高リターンを上げる方法を紹介する。

 パブライが運営するヘッジファンドであるパブライ・インベストメント・ファンドは、すべての総合株価指数を上回るだけでなく、全ファンドの上位1%に入る成績を常に収めている。1999年にこのファンドに投資した10万ドルは、2006年には65.9万ドル超の価値になり、これはすべての手数料と経費を引いて、年リターンが28%を超えていることを意味している。パブライは本書で、バフェット、グレアム、そしてマンガーの手法のなかから個人投資家でも応用でき、すぐにでも利用できるアプローチ方法を紹介している。投資の天才たちの伝説的な投資戦略とパテルの経営ノウハウを合わせれば、個人投資家が自身の投資成績を大きく向上させ、なおかつ市場平均やプロの投資家にも打ち勝つことができるようになるだろう。

 また「堀を持ったビジネスに投資する」「裁定取引にこだわる」「成功者をマネたビジネスに投資する」などの章では、低リスク・高リターンのダンドー投資に必須のコンセプトが楽しみながら学べるように紹介されている。


■本書への賛辞

「パブライは、難解な金融世界を容赦なく紐解くことに喜びを感じる洞察力のある思想家であり、語り部である。ウォール街の株価を上下させるミステリーに興味がある人や、すでに知っていると確信している人も本書を読めばさらに見識が深まるだろう。巨額取引に関するパブライの話や、バリュー投資のコア原則に対する優れた見識には、読者が投資に生かせる手ごろなアイデアがぎっしりと詰まっている」
――スティーブン・フィッチ(フォーブス誌欧州局チーフ)

「最初から最後まで一気に読んだ。パブライは、彼の驚くべき成功の『秘密』を明かし、バリュー投資の関連図書に大きな貢献を果たした」
――ウイットニー・チルソン(バリュー・インベスター・インサイト創設者兼編集長)

「バフェット的投資法の名人であるパブライ自身の経験談や、すでに成功している起業家の例を通じて、読者が高リターンを得るためのテクニックのすべてが本書には記されている。株式市場で好成績を上げたい投資家はだれでも、この手法を理解する必要がある」
――ティモシー・ビック氏(『ハウ・ツー・ピック・ストック・ライク・ウォーレン・バフェット(How to Pick Stocks Like Warren Buffett)』の著者)

「ダンドーインベスターがやってくれた! 成功する投資戦略を、パブライがシンプルにしてくれた。『コインの表なら勝ち、裏でも負けは小さい!』。企業全体を買う必要はなく、少数の『適格な』企業の株を買えばよいのだ。投資スキルを磨きたいと思っているすべての人に本書を勧めたい」
――パトリック・フィッツジェラルド(フィッツジェラルド・マネジメント)



原書
The Dhandho Investor:The Low - Risk Value Method to High Returns』



著者紹介

著者/モニッシュ・パブライ(Mohnish Pabrai)
1950年代のバフェットパートナーシップの原型をモデルにしたパブライ・インベストメント・ファンドのマネジングパートナー。1999年の創設以来、パブライファンドは、28%超の年率リターンを上げてきた。また、同氏はフォーブス誌やバロンズ紙から高い評価を得ており、CNBCやブルームバーグなどのテレビ番組やラジオにもゲスト出演している。




■本書で紹介されている書籍

・株デビューする前に知っておくべき「魔法の公式」
(P76) 最後に大事なことを言い忘れたが、ジョエル・グリーンブラットの『株デビューする前に知っておくべき「魔法の公式」』(パンローリング)をぜひ読んでほしい。そして読み終わったら、http://www.magicformulainvesting.com のサイトを訪れること。ポートフォリオ・レポートやVIC同様、マジックフォーミュラのサイトに掲載されている銘柄すべてが行き詰まっている企業ではないが、かなりの数がそうである。

(P173) 筆者が最近読んだバリュー投資の本で最高だったのは、ジョエル・グリーンブラットの『株デビューする前に知っておくべき「魔法の公式」』(パンローリング)である。

(P187) この本も非常に面白かったので、読者もぜひ、一読してほしい。ジョエル・グリーンブラットは現代最高のバリュー投資家のひとりである。彼は控えめな40代であるが、過去20年間で年率換算40%の投資収益率(年率リターン)を達成してきた。これは驚くべき数字である。そして、最初の10年間はさらに良く、年率50%だったのだ。

(P188) グリーンブラットは『株デビューする前に知っておくべき「魔法の公式」』(パンローリング)5のなかで、個人投資家向に非常に率直なアドバイスをいくつか行っている。彼はこの本と無料のウエブサイト(http://www.magicformulainvesting.com )を公開することで、個人投資家のために大きな便宜を図ってくれているのである。


・ディーラーをやっつけろ!
(P88) 今日、カジノでブラックジャックをプレーするときには全体的な勝算はハウスにあるので、カジノでブラックジャックをプレーしても勝ち目はない(白状すると、それでも筆者はやめたわけではない)。しかし常に勝ち目がなかったわけではないのだ。1960年代にMITの数学科の教授だったエド・ソープがMITのコンピューターを使ってさまざまな計算を行い、ブラックジャックのプレーの仕方を最適化したのである。ソープはこの最適化された戦略を基本戦略と名づけた。彼はベストセラー『ディーラーをやっつけろ!』(パンローリング)4を執筆したが、この本は今日においても古典であり、世界中のブラックジャックプレーヤーがプレーを最適化するために、彼の基本戦略に頼っているのである。(中略)

彼はネバダ州のカジノに足繁く通い、大儲けしたのであった。カジノ側には、ソープが常に勝ち続ける理由が分からなかったのだが、マフィアがカジノを経営していたのだから分かろうともしなかったのである。あっさりとソープを出口までご案内すると、再び足を運ぶようなことがあればそのときには礼儀は守れないと、はっきりと行動で示したのである。

 ソープが『ディーラーをやっつけろ!』を出版すると、世界中のプレーヤーが大儲けをし始めた。カジノのオーナーもこの本を読み、ゲームのルールを変更し始めたのである。過去40年間に、このゲームは数多くの変貌を遂げてきた。カジノがルール変更をするたびに、新しいシステムに勝つ方法をどこかの賢いギャンブラーが見つけだし、カジノもそれに対応して次の変更を行うのである。今日ではほとんどのカジノが6〜8組のカードを用いている。ディーラーはデッキすべてを使い切るのではなく、フロアマネジャーたちが厳重にプレーを見張っているのだ。カジノのなかには、配り終わったカードを機械が自動的にシャッフルしてリサイクルすることで、カードプールに特定のカードが偏らないようにしているところもある。
 ソープは変化した現実についてじっくりと考えると(煩わしい脅迫についても)、以下のようなカジノで自分の才能を生かしたほうがずっと稼げると判断したのである。


・賢明なる投資家
(P115) 過去数十年間、バフェットが推薦する最良の図書のなかで変わっていないのはベンジャミン・グレアムの『賢明なる投資家』(パンローリング)である



目次

謝辞

第1章 パテル・モーテル・ダンドー
第2章 マニラル・ダンドー
第3章 バージン・ダンドー
第4章 ミッタル・ダンドー
第5章 ダンドーフレームワーク
第6章 ダンドー101――既存のビジネスに投資する
第7章 ダンドー102――シンプルなビジネスに投資する
第8章 ダンドー201――行き詰まった業界の行き詰まったビジネスに投資する
第9章 ダンドー202――丈夫で長持ちする堀を備えたビジネスに投資する
第10章 ダンドー301――少数に賭ける、大きく賭ける、たまに賭ける
第11章 ダンドー302――裁定取引にこだわる
第12章 ダンドー401――常に安全域を確保する!
第13章 ダンドー402――低リスクで不確実性が高いビジネスに投資する
第14章 ダンドー403――革新者よりも成功者をマネたビジネスに投資する
第15章 アビーマンウのジレンマ――売りのコツ
第16章 インデックス投資をするかしないか、それが問題である
第17章 ルジューンの集中力――勇敢な戦士から学ぶ投資レッスン

脚注
訳者あとがき

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■訳者あとがき

  本書は2006年6月に出版された『The Dhandho Investor』の邦訳である。

 インドのムンバイ生まれのモニッシュ・パブライ氏は、2004年に米経済誌フォーブスにバフェット信者の一人として紹介され、2007年にはウォーレン・バフェットと会食する権利を五度目の挑戦で落札した投資家としてメディアをにぎわせた。自他ともに認める熱心なバフェット信者である。

 1999年にカリフォルニア州アービンを拠点として設立されたパブライファンドは、そのシンプルな手数料体系などバフェットの手法をそっくりマネしたものだと本人は謙遜するが、1999年にパブライファンドに投資した10万ドルは2006年末には約66万ドルになり、7年半で年率リターンが28.6%という好成績を収めたのである。

 バリュー投資家であるパブライ氏が投資の世界に足を踏み入れたきっかけは起業家としてであった。経営者であることが投資に役立ち、その逆もしかりというのはバフェットも述べていることだが、本書は、複数の起業家がビジネスを立ち上げて成長させて行った軌跡のなかから、バリュー投資家が利用できる枠組みを明らかにしている。

 例えば、1970年代にアメリカに移民として渡り、全米のモーテル市場を席巻することになるインド系アメリカ人のパテルや、マイクロソフトやヴァージン航空の起業には共通点がある。初期投資がかぎりなくゼロに近いためにリスクが極めて低い代わりに、不確実性が高かったのである。低リスクと高い不確実性が素敵なコンビなのは、ウォール街がこの2つを混同するからである。1〜2四半期先の短期的な見通しを重視するウォール街に対して、ビジネスの本質的な価値を重視するバリュー投資家には「時間」という武器がある。

 もうひとつの重要なテーマは、成功者のビジネスをマネし、先人の工夫や結果を拡大していくことが起業家として、またそのようなビジネスに投資をすることが投資家として成功する一歩であるというものだ。実はパブライ氏には苦い経験がある。クレムソン大学卒業後にイリノイ工科大学院に進んだ彼は、テラッブス社に技術者として勤務しながら起業の準備に取りかかり、1990年にトランステック社を起業するために退職し、大学院も中退している。トランステック社は彼の元の勤務先であるテラッブス社を手本にして設立されたが、9年後には従業員数200人を雇用する年商3000万ドルの企業へと成長していた。しかし、ITバブルの波に乗りインターネットと実店舗を組み合わせた新しいサービスを提供するために、トランステック社とは別の企業を立ち上げたのである。ところが、IPO市場が崩壊してVC支援が得られず、結果的にこの挑戦は11カ月で幕を閉じることになる。

 パブライ氏の父親はインドとドバイで10数社の企業を設立し、倒産も経験した起業家であった。子供のころから父親の教えを受けたパブライ氏は、高校を卒業する前にMBA修了者と同等の経験を積んでいたという。このように、イノベーション――革新的なアイデアに挑戦する楽しさやリスクも知っている人の「革新者よりも成功者をマネしたビジネスに投資すべき」という言葉には重みがある。本書が著されてから世界は未曾有の金融危機に襲われた。パブライファンドが大きな打撃を受けたのは言うまでもないが、2009年1月に彼が投資家に送ったレポートによると、2008年の第4四半期には50セントで手に入れる1ドル紙幣だけでなく20セント以下で購入した銘柄が複数あり、長期的に見れば大きなリターンが見込めるという。この新しい金融情勢に合わせてその投資手法を進化させていく様子は、パブライファンドに投資していない者にとっても興味深いが、パブライ氏が元気な理由はもうひとつある。

 冒頭で述べたように、ウォーレン・バフェットと会食する権利を落札するために支払われた65万100ドルはすべて、クライド基金(サンフランシスコで貧困やホームレスを支援する非営利組織NPO)に寄付される仕組みになっている。本書の最終章でパブライ氏が述べているように、世の中に利益を還元することの大切さだが、バフェットとの会食で彼がアドバイスを得たかったのは投資のことよりも、夫人と始めたばかりの慈善活動についてであったという。パブライ氏はウォーレン・バフェットの投資哲学だけでなく、人生観そのものを手本にしていると公言してやまない。

 現在、パブライ夫妻はインドの地方に住む貧困層のなかで、能力がありながら経済的な理由から教育が得られない学生をインド国立工科大学やインド工科大学に入学させるためのプロジェクトに取り組んでいる。ダクシャナ基金(http://www.dakshana.org/)は、ムハンマド・ユーナスのグラミン銀行やその他のNPOを手本にしており、大成功しているようだ。ユーナスはノーベル平和賞ではなく、経済学賞を得るべきだったとパブライ氏は述べているが、ダクシュナ基金も支援した学生が社会で成功したあとには収入のいくらかを基金に還元することを期待している。

 最後になりましたが、パンローリング株式会社、編集者の阿部達郎氏、校正者、すべての関係者、そして原作者に深く感謝いたします。

 2009年6月
                         

船木麻里



■謝辞

 本書は、著者がこれまで読書や友人との対話を通じて、そしてさまざまな直接的かつ本源的な体験を通じて遭遇したアイデアを、まとめたものである。私個人のオリジナルなアイデアは少なく、ほとんどが既存のアイデアを拝借したものである。

 ウォーレン・バフェットが存在しなければ、パブライファンドも存在しなかっただろうし、本書を記すこともなかっただろう。ウォーレン・バフェットとチャリー・マンガーが、私の考え方に与えた影響は誇張しきれないほど大きい。本書のすべてのページに、彼らの考え方が多かれ少なかれ反映されていると言っても過言ではない。過去数十年にわたり、きわめて貴重な知恵を献身的に伝授してくれた恩を十分に返すことはできないだろう。バフェットとマンガーに感謝したい。

 また、親愛なる友人であるパット・フィッツジェラルドと彼の娘のミッシェルが本書の執筆を勧めてくれたことにも感謝している。本の執筆はそれまで私の課題ではなかったが、彼らの忍耐と励ましのお陰である。ミッシェルは個人的にも、このプロジェクトに強い関心を示してくれた。彼女の熱心な支援に感謝している。また、数々の優れた提案を提供してくれたワイリー社の編集者、デボラ・イングランダーにも謝意を表したい。グレッグ・フリードマンやクリスティーナ・ベリガンなどワイリー社のスタッフ全員だが、彼らと一緒に仕事ができたのは喜びだった。

 若手社長のネットワークである、YPO(ヤング・プレジデント・オーガナイゼーション)のフォーラム仲間たちは、最初から最後まで私に付き合ってくれた。テリー・アダムズ、アンディー・グレアム、デーブ・ハウス、マイケル・マース、マーク・モーゼス、ジェイ・レイド、ライアン・リーチェスの諸氏に感謝したい。YPOは過去9年間、私の人生を変えるほど大きな経験を与えてくれた。YPOのメンバーにならなければ、パブライファンドを設立することも、本書を執筆することもおそらくなかっただろう。YPOから得られた以上のものを返すことはできないし、彼らには永遠に借りが残ると思う。本当に素晴らしい組織である。

 私が初めて「ダンドー」という言葉を耳にしたのは、大学時代のルームメートのエイジェイ・デサイからだった。それ以来、10年ほど音信普通だったが、再会できたことをお互い喜びながら、ダンドーにまつわる会話を蘇らせることができた。ありがとう、エイジェイ。

 パブライファンドの素晴らしいオフィスマネジャーである、イザベル・セコーと、ソース4のマリベス・ネイギーは原稿の編集に活躍してくれた。イザベル、マリベス、ありがとう。また、ウイットニー・ティルソンも編集上の提案をしてくれた。感謝している。友人のシャイ・ダーダシュティは、世の中に還元するという非常に大切なコメントを含めるべきだと提案してくれた。シャイ、ありがとう。良き隣人であり友人でもあるサミール・ドッシーが、私をマニラル・チャウダーリに紹介し、彼とのインタビューを実現してくれた。多忙な時間を割いてミーティングやディスカッションの機会を設けてくれたことを、マニラルに感謝している。

 私の娘たち、モンスーンとモマチーは本書の執筆当初から、大いに興味を持ち支えになってくれた。本書は娘たちの未来の子供や孫を念頭に置きながら、書いたつもりである。自分のひ孫がほこりを被った本書を探し出して読んでいる姿を想像するのは、実に楽しい。その姿を実際に目にすることはおそらくないだろうが、本書を書き上げるというゴールに向かって私を突き進めてくれたのは、何よりもその想いだった。

 そして私の亡き父親、オム・パブライは、私がティーンエイジャーになる前から貴重なダンドーレッスンを与えてくれた。父は、私に教えることを止めようとはしなかった。大学に入学する前から私はMBA(経営学修士)を修得していたようなものである。ありがとうパパ。パパに会いたいし、教えてくれたレッスンを日常的に生かしているよ。そして私の母親が、封筒の裏にちょこちょこっと書いて計算する手軽な会計処理方法は、今でも私がビジネスを素早く分析するときに利用している方法なのである。

 最後に、私の親友であり妻であるハリーナ・カプール。彼女は常に私の挑戦に全面的に協力してくれた。原稿を最初に読んでくれたのが妻である。ありがとう、ジャナーム(訳注 ヒンディー語で命より大切な人)。君が想像しているよりも愛しているよ。人生は旅であり、旅こそが目的地である。私の旅を文字どおりファンタスティックな経験にしてくれた無数の人々。その一人ひとりに感謝の気持ちを伝えたい。



■第1章 パテル・モーテル・ダンドー

 アジア系インド人はアメリカの人口の約1%を占めており約300万人、存在する。そしてこの300万人のうち、比較的少数のグループがマハトマ・ガンジーの出身地であるインド・グジャラ州から来ている。また、グジュラ州人のさらに少数のグループはパテルと呼ばれているが、彼らは南グジャラのごく狭い地域の出身である。つまり、パテルはアメリカ人の500人に1人に満たないのである。そう考えると、全米のモーテルの半数以上をパテルが経営し、保有しているのは驚くべき事実である。さらにびっくりするのは、ほんの35年前のアメリカにはパテルがほとんどは存在しなかったのである。彼らは大した学歴も財産も持たずに1970年代の初めのころから、アメリカに難民として上陸し始めた。インド人特有の強いなまりと、たどたどしい英語力では彼らの将来が明るいとはいえなかった。しかしこの大きなハンディと、あらゆる不利な情勢を乗り越えてパテルは勝利を手にしたのである。現在では全米モーテル市場の400億ドル以上の資産をパテルが保有しており、年間7億2500万ドル以上を税金で納め、100万人近い従業員を雇用している。しかし、このどこからともなく現れた貧しい少数グループが、いったいどのようにしてそのような巨大な富を所有するようになったのだろう。そのヒントは「ダンドー」という言葉に隠されている。

 ダンドー(Dhandho)は、グジャラート語である。「Dhan」の語源はサンスクリクト語の「Dhana」(富)だが、ダンドーをそのまま訳すと「富を創造する努力と挑戦」の意味になる。しかし、巷では単に「ビジネス」と訳されている。ビジネスとは、富を創造する努力と挑戦にほかならないのだから。

 しかし、パテルたちの低リスク・高リターンのビジネス手法を観察してみると、ダンドーの意味はぐっと絞られてくるのがわかる。我々はこれまで、高リターンを得るには高リスクが必要だと教えられてきた。ダンドーはこの概念をひっくり返したのである。ダンドーはつまり、リスクを最小にしながらリターンを最大にする方法なのである。典型的なパテルは当然のごとく、どんなビジネスもこのリスクと無縁のダンドー方式で取り組むのだが、それは彼らにとって呼吸をするのと同じくらいに自然のことなのだ。よってダンドーを分かりやすく説明すると、リスクをほとんど取らずに富を創造しようとする努力と挑戦である。

 すべての起業家だけでなく、本書の読者である投資家や資産の運用家も、パテル・ダンドー方式から学ぶべきである。ダンドーは資本配分の最高の手法でもあるのだ。投資家が、ほとんどリスクを伴わない賭けによって特大のリターンを得ながら投資を繰り返すことができるのなら、素晴らしい利益が得られるはずである。ダンドーは、パテルたちが過去30数年間で純資産を飛躍的に倍増させていった手法なのである。

 いや、少し先走りすぎたようだ。ゆったりと座り直して、冷たいものでも飲みながらリラックスしよう。筆者が、皆さんをこれから素敵な旅にお連れする。そして、この旅が私を初めとして数世代にわたるパテル・ビジネスマンと同様に、読者である皆さんにとって実りと利益の多い旅となることを願っている。

 アラビア海に面したグジャラート州は長く伸びた海岸線に恵まれ、複数の自然湾を有している。また、北回帰線が州を真横に横断しているこの地域は過去数百年の間、隣接するアジアやアフリカ諸国との重要な交易地であり、古来から異文化の坩堝の役割を果たしてきた。20世紀にイランから宗教的な迫害を受けて、難民として上陸したパーシスも、この地域に温かく受け入れられてきたのである。イスマイリの人々も同様にイランから19世紀に入植している。つまり、グジャラート州の人々は何世紀にもわたって、アジアやアフリカの隣国と交易をし、行き来して来たのである。

 パテルはもともとパティダールと呼ばれていたが、これは広い意味では地主である。ほとんどのグジャラート州の村では地租を集めて治安を維持し、合理的な農場経営を行うパティダールが土地の領主によって任命されていた。中世のパティダールは、経営手腕や農業技術が任命される基準になっていた。しかし、一般的にパテルは大家族であったために、息子1人ひとりに土地が細分化されるに従い、農業だけで稼ぐのは困難になって行ったのである。19世紀後半から20世紀初頭になると、グジャラート州のイスマイリやパテルは東アフリカのウガンダなどの国々に大量に移住して行った。彼らはそこで、商人や鉄道事業の年季奉公人になったのである。

 パテルとイスマイリは何世紀もの間、非常に起業家精神にあふれたコミュニティーを築いてきた。そして続く数十年間で(まもなく発揮することになる、ダンドーテクニックを生かしながら)ウガンダのビジネス界の大部分をコントロールするようになって行ったのである。イディ・アミン将軍がウガンダの独裁者になったのが1972年。彼は「アフリカはアフリカ人のものである」と宣言し、非アフリカ人は国を去るように命じた。アミンは、ウガンダ経済の大半を支配していたパテルが気に入らなかったのである。パテルやイスマイリなどの非アフリカ人がウガンダ生まれであり、何世紀にもわたりその土地で生活をして来たために、ほかに行く当てもなく、ビジネスや土地財産のすべててがウガンダに存在することなどは、アミンには関係がなかった。アミンにとって重要なのは単に、アフリカはアフリカ人のものであるということだけだったのである。

 アミンは戻る祖国があるなしにかかわらず、すべてのアジア人の居住権を剥奪した。ウガンダは国家として、彼らのすべてのビジネスを没収し、その所有者に対する補償を一切せずに国営化したのである。このことにより事実上、7万人ものグジャラート州民が身包みをはがされて、1972年の末にかけて国から放り出されてしまうのである。

 1972〜73年当時は、国を失ったパテルたちの未来を大きく左右するような紛争が世界のあちこちで起きていた。1971年に建国されたばかりのバングラデッシュと、その独立をめぐるパキスタンとの戦争から、インドはすでに深刻な難民危機に瀕していたのである。貧窮にあえぐバングラデッシュからの難民が、何百万人もインドに流れ込んでいた。その結果、インド政府はウガンダから追放されたインド系移民の入国を拒否したのである。

 また、アミンによるパテルの追放はベトナム戦争末期とも時期的に重なっていたために、アメリカは大量のベトナム難民の受け入れに追われていた。ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官はウガンダ情勢には精通しており、パテルの苦境に同情的ではあったが、アメリカのインド系難民の受け入れ枠は限られていたのだ。イギリス連邦の一員であることから、パテルやイスマイルの大半がイギリスやカナダへの移住を許可され、数千家族はアメリカに難民として受け入れられたのである。

 アメリカに上陸した最初のパテルたちはモーテルビジネスに参入した。そしてその後、移住してきた数千人も、パイオニアに習ってモーテルの経営者になったのである。では、なぜモーテルなのか? 実質的に彼らがみな同じ業界に参入したのはなぜなのか。

 外国に移住していった民族の歴史を分析してみると、ある一定のパターンが存在することに気づく。シカゴでは初期のアイルランド系移民の多くが警官になり、家政婦のほとんどがポーランド系移民だった。ニューヨーク市では韓国系移民がデリーなどの惣菜屋や食品雑貨業界に君臨している。中国系は同市のクリーニング店や洗濯屋を経営し、ほとんどのタクシードライバーはシーク教徒やパキスタン系である。奇妙な光景だが、カリフォルニア国際空港のレンタカースタッフのほとんどがターバンを巻いた年配のシーク教徒なのである。ラスベガスのタクシードライバーの多くが東欧系移民で、ドバイの売春婦のほとんどは東欧系かロシア系移民である。

 特定の職業に同じ民族が集中するのは、人間が職業を選ぶときに手本が大きな役割を果たすからだろう。私と同じような顔をして、似たような育ち方をし、宗教も同じで、似たような学歴を持ち、良い生活をしている人物がいたとする。それは私が自分の天職を探しているときにに、自ずと大きな影響力を及ぼすのである。スラム街の背の高いアフリカ系アメリカ人はNBA(全米バスケットボール協会)でプレーをし、人々が羨むような生活をしている自分と同じように背の高いアフリカ系アメリカ人を目にする機会が多くなる。彼らは、NBAスターの多くが自分と同じような子供時代を経ていることをよく知っているのだ。バスケットボールの技術を磨くうえで、大きな刺激になるのは言うまでもない。

 それでもまだ疑問は残る。アメリカに上陸した最初のパテル集団がモーテルビジネスに参入した理由は? どうして惣菜屋やコインランドリーや薬屋ではなく、モーテルだったのだろうか? 就職しなかった理由は? その答えは1970年代の初頭にアメリカで起きていた、もうひとつの人口シフトに隠されている。第2次世界大戦後になると、郊外や州間ハイウエーが次々と増築されるようになった。自動車は中産階級の必需品となり、新たに造られた州間ハイウエーに沿って、アメリカ家族が経営するモーテルが立ち並ぶようになったのだ。しかし、1973年の石油ショックとアメリカ政府の経済政策の失敗(賃金物価統制)から、全米が深刻な景気後退に陥ったのである。

 モーテルは、人々が自由に使える裁量支出に大きく左右される業界である。景気後退とガソリンの配給や空前のガソリン価格の高騰が相まって、宿泊率が大幅に下落したのだ。特徴のない小規模モーテルの多くは銀行に差し押さえられたり、投げ売り価格で売却されていったのである。そのうえ、家族経営であるモーテルオーナの成人した子供たちはモーテル業界の外に幾らでもビジネスチャンスがあることに気づき、成功の道を求めて群れを成して去っていったのである。

パパ・パテル

 時は1973年。ウガンダの首都カンパラから放り出されたパパ・パテルは妻と3人のティーンエージャーの子供たちと共に、アメリカ合衆国のある町に到着した。脱出準備を整える期間は約2カ月しかなかったが、できるかぎりの資産を金やその他の通貨に換えて密航したのであった。しかし持ち出せたのは大した金額ではなく、数千ドルにすぎなかった。パパ・パテルは養わなくてはいけない家族のために、異国の地にできるだけ早く馴染もうと努力をしたのだが、片言の英語力と強いなまりでは、最低賃金で食品雑貨店の袋詰めの仕事をするしかないことに気づいたのである。

 ある日、パパ・パテルは非常に安い価格で売り出されている、客室数20のモーテルを見て考えた。仮にその物件を購入すれば、売り手や銀行を説得して購入価格の80〜90%を融資してもらえるだろう。そこが家族全員の住居になれば、賃貸料はゼロである。モーテルを購入するために必要な現金は数千ドルで足りるのだ。そこでパパ・パテルは親戚と協力して約5000ドルの現金を集めると、そのモーテルを購入することにしたのである。売り手と近所の銀行が、モーテルを借金の担保にすることに同意したのだ。アメリカに上陸した最初のパテル集団の1人であるダヒアバーイ・パテルが簡潔に述べたのは、「自分も家族も住み込みで働くことができたので、ほんの小さな投資で住居の問題を解決することができたのだ」。

 パパ・パテルは、家族全員が数部屋に住み込めば、賃貸料や住宅ローンを支払う必要もなくなるし、車も最低限の利用で済むだろうと考えたのだ。どんなに小さなモーテルでも、24時間営業のフロントや、部屋の掃除や洗濯物を処理する人手が必要であり、最低4人で8時間ずつ働かなくてはならない。パパ・パテルは従業員をすべて手放すと、ママとモーテルのあらゆる雑用をこなし、子供たちも夜間や週末、そして休みの日も手伝うようにしたのである。ダヒアバーイ・パテルは開業当時を振り返って、「私はモーテルのフロント係、大工、配管工、メイド、電気屋、洗濯屋、その他もろもろの役割をすべてこなしていた」2と語った。使用人ゼロで、経費を徹底的に切り詰めたパパ・パテルのモーテルは、近所のどのモーテルよりも低い営業コストで経営されていたのである。そのため、最も安い宿泊料でも、彼の前任者や同業者と比べて、同等かそれ以上の一部屋当たりの利益率を得ることができるようになったのである。その結果、客室稼働率も上昇し平均以上の利益を生むようになった。同業者の客室稼働率は次第に落ち始め、宿泊料に対する圧力も厳しさを増したのである。しかし彼らのコスト構造では、パパ・パテルが提供する料金を実現することはできず、客室稼働率や利益が急激に悪化していったのだ。

 典型的なパテルは菜食主義者で生活スタイルも極めてシンプルなのである。1970年代のアメリカのレストランで菜食スタイルのメニュー提供しているところは少なかったので、パテル一族にとっては自宅で食事をするほうがずっと魅力的だった。日夜を問わずモーテル経営に忙殺されていた彼らには、余暇を楽しむ時間はほとんどなかったのだ。結果的に、一家の生活費はとてつもなく低く抑えられたのである。おんぼろ車1台に、住宅ローンや賃貸料、公共料金がゼロ、通勤がなく、外食がなく、休暇や娯楽関連の出費もない。パパ・パテル家は年間5000ドルをかなり下回る費用で、十分に居心地の良い生活を送ることができたのだ。

 さて、1970年代の物価は現在よりもずっと低かったので、最低賃金は僅か1ドル60セントだった。もし、パパやママ・パテルがフルタイムで共働きをしたとしても、夫婦合わせてよくて年間約6000ドルの収入しか見込めなかっただろう。しかしもし、5万ドルの投げ売り価格で、客室数20のモーテルを現金5000ドルと残りは融資を受けて購入すれば、客室稼働率が仮に50〜60%で宿泊料が1泊、12〜13ドルだとしても、年間5万ドルの収益をモーテルは生み出すことができるのである。

 米国債権の利回りが約5%だった1970年代当時、モーテルのオーナーやほとんどの銀行が喜んで、モーテルを担保として年利10〜12%で購入資金を融資したのである。パテルの年間の金利負担は約5000ドル、元本の支払いが5000ドル、そして公共料金などモーテルの諸雑費や維持経費が5000〜1万ドル掛かるとすると、総経費は2万ドル未満である。仮に家族の年間生活費が5000ドル増えたとしても(1970年当時の総計)、パパ・パテルの年間純利益は生活費と税引後でも1万5000ドルを超える。仮に別のパテル仲間から5000ドル借金したとしても、4カ月で完全に返済可能なのだ。モーテルの住宅ローンを若干3年で完済することだってできるのである。

 投下資本5000ドルに対する、年率換算の投資収益率(年率リターン)は驚くべきことに400%(年間の投資利益が2万ドル――キャッシュフローが1万5000ドル、元本返済の差し戻し分が5000ドル)になる。パテル仲間から5000ドルを借りたとしたら、投下資本がゼロでフリーキャッシュフローが2万ドルとなり、投資リターンは無限大である。それは結構なことだが、もしこの事業がうまく行かなかったら? 失敗したら? 読者は心配するかもしれない。

 このモーテル第1号の購入に際して、パパ・パテルは不動産を抵当に入れる必要があるだけでなく、貸し手に個人保証を取られる可能性が高い。しかし、パパ・パテルの所持金は5000ドル未満なので、個人保証は意味がない。支払いを履行できなければ、銀行がモーテルを差し押さえることができるのだが、パパにはモーテル以外に実質的な資産がない。しかし、銀行にはモーテルを引き継いで運営する関心はないし、そのノウハウも持っていないのである。採算の合わないモーテルを売って、損失を埋めるのも非常に難しいだろう。

 話は至ってシンプルなのだ。パテルにモーテル経営がうまくできなければ、ほかのだれにもできないのである。銀行にとって最良の選択肢は、パパ・パテルと協力しながら利益が出るようにモーテル経営を行うことなので、回復軌道に乗せるべくパパ・パテルと条件を再交渉しようとするだろう。状況が改善するまで、元本と金利の支払いを延期してくれるかもしれない。そして銀行が引き受けた痛みを相殺するために、金利を引き上げることもあるかもしれない。互いに損得なしにすればよいのである。パパ・パテルは相変わらずモーテル経営を続けている、そこは家族の住処でもある、成功するためにできるかぎりの工夫と努力をするしか選択肢がないのだ。歯を食いしばるか、破産してホームレスになるかなのである。

 これは非常に安定したビジネスモデルに基づいており、キャッシュフローと収益性に裏づけされた既存事業である点を忘れないでほしい。けっして難しい話ではない。低コストのプロバイダーにゆるぎない競争力があり、パパ・パテルより低コストで経営できる者はほかには存在しない単純なビジネスなのである。モーテル事業は経済と共に浮き沈みするが、最終的に経済状況が良くなれば銀行も返済が再開されて、関係者すべてが満足するのである。だれよりも、パパ・パテルが。

 それではこの投資を、「賭け」として見てみよう。起こり得るケースは3つある。

 ケース1は、投下資本が5000ドルで年率リターンが400%のケース。モーテルの事業期間が10年だけで、購入価格と同じ価格で売却される(5万ドル)これは年間利息が300%で、10年目の最終利息が900%の債券と同じである。そしてこれは21バガー(倍)、つまり10年間の年率リターンが50%を大幅に超えるのと同等である。割引率が10%だとして、DCF(ディスカウント・キャッシュフロー)の見通しは図表1.1で示したとおりである。

 ケース2は、深刻な景気後退に陥ったためにモーテル事業が何年も落ち込むケースである。先述したように、銀行がパテルとローンの貸付条件について再交渉する場合だ。投資リターンが5年間はゼロであるが、景気が回復して好景気になるにつれて、超過フリーキャッシュフローが年間1万ドル(6年目から毎年のリターンが200%)。モーテルは10年目に購入価格で売却される。このケースの場合は、5年間の年間利息がゼロ%、続く5年間が200%で最終利息が900%の債券と同じである(図表1.2参照)。そしてこれは7バガー、つまり10年間で年率リターンが40%を超えるのと同じである。

 ケース3は、やはり深刻な景気後退に陥りモーテル事業が落ち込むケースである。支払い能力を失い、銀行に担保権を実行されたパテルは投資対象を失う。年率リターンは100%である。

 実質的に以上の3つの結果ですべての可能性をカバーすることができる。ケース1が起きる確率が80%、ケース2が10%、ケース3が10%だとする。投げ売り価格で購入され、モーテル事業に精通した選り抜きの低コスト経営を実現しても、業績が予想を遥かに下回る確率は5分の1あるのだと想定しているのだから、これは非常に保守的な予想である。そしてまた、モーテルの価値や宿泊料が10年以上、上昇しないという非現実的な予想に基づいている。それでも、確率加重された年率リターンは40%を大幅に超えているのである。当該投資のEPV(期待現在価値)は約9万3400ドル(0.8×111,445ドル+0.1×42,812ドル)である。パパ・パテルの見通しでは、彼の5000ドルを失う確率が10%、最終的に10万ドル以上を得る確率が90%(10年間、20万ドルを得る確率が80%)である。私には単純明快な賭けにみえる。

 競馬場に行って、リターンが20倍になるオッズが90%で、負ける確率が10%だとして読者はその賭けをするだろうか? もちろん! 1日中、その賭けを楽しむみながら、自己資本の大部分をその素晴らしいオッズで賭けて当然である。これはリスクフリーの賭けではないが、非常に低リスクで高リターンが得られる賭けなのだ。「コインの表なら勝ち、裏でも負けは小さい!」

 しかしそれでも、この賭けのリスクが本当に低いのか読者は納得しきれないかもしれない。もし、持ち金をすべてを賭けたら(パパ・パテルのように)、破産する可能性が残されていると思うかもしれない。

 パパ・パテルが、たった1つの投資に賭けたのは確かなのだが、彼にはとっておきの切り札が残されていたのである。仮に貸し手に担保権を実行されてモーテルを失ったとしても、夫婦で食品雑貨店の袋詰めの仕事を40時間ではなく、60時間こなして貯金を最大化すればよいのである。1973年当時の最低賃金が1.60ドルだとして、年間9600ドルは稼げるのだ。税引き後でも、年間2〜4000ドルは簡単に貯金できる。2年もすれば、パパ・パテルは再びマウンドに上がり、次のモーテルを購入するという賭けをすればよいだけだ。

 この賭けに2度続けて負けるオッズは100分の1である。そして少なくとも一度は成功するオッズは大まかに見積もって99%だ。そして、投資に成功したときのリターンは20倍を超すのである。これはウルトラ級のリターンを伴うウルトラ低リスクの賭けであり、賭ける価値が非常に高いのである。「コインの表なら勝ち、裏でも負けは小さい!」

 これだけ潤沢なフリーキャッシュフローを生み出すようになり、パパ・パテルは間もなく豊富なキャッシュを手にしていた。しかし彼のライフスタイルは質素のままであった。数年後には成人した長男にモーテルを譲り、一家は小さな家を購入して、新たに購入するモーテル探しを始めたのである。

 今回は以前より大きい、客室数50のモーテルを購入することにした。もう、一家はモーテルに住み込んではいなかったが、依然としてほとんどの業務を自前で賄い、雇い人は存在しなかった。公式はシンプルである。コストをできるだけ抑えることに固執し、いかなる同業者より低い宿泊料を提供し、宿泊稼働率を引き上げて、フリーキャッシュフローを最大化する。そして最終的には、やる気のある親戚パテルにモーテル経営を任せていくかたわらで、新たな物件を次々と増やしていくのである。

 ここには雪だるま効果があり、やがてアメリカの半分のモーテルがパテルに保有されているという驚くべき統計になった。そして、モーテル市場を完全に買い占めたパテルたちはより高級なホテルを購入し始め、圧倒的に競争優位である彼らの低コスト経営モデルを適用可能な、ガソリンスタンドや、ダンキンドーナッツのフランチャイズ、コンビニ(セブンイレブン)などのビジネスにも踏み込んでいったのである。なかには高級共用マンション業に手を広げた者もいる。雪だるまはこの非常に長い丘を下りながら、大きさを増していったのである。

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